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監獄街  作者: 俊衛門
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第十七章:9

「真田さん、来てましたよ」

 戻ったと同時に、リーシェンに声をかけられた。

「そう」

「はい、ほんとについさっきまで。ユジンとすれ違いでしたね」

 リーシェンはにやにやと笑いながらユジンを見ている。今日は本当に最悪だ、玲南どころかリーシェンにまで話が広がっているとは。

 いや、ひょっとしたらここで知らない者はいないんじゃないのか。廊下を誰かとすれ違うたびに、冷やかしめいたことを言われたり、なま暖かい視線を送られるのは、きっとそういうことなのだろう。

 ただ、玲南が知っているのはおそらく金が広めたせいだと分かるが、どうして『OROCHI』のメンバーが知っているのかという疑問もある。誰が広めたのか。

「今度来るのいつになるのかも、聞いとくべきでしたか? ユジン」

 いや……案外近くにいるのかもしれない、そういう者は。ユジンはリーシェンと向き直った。

「ねえリーシェン、その話を何人にしたの?」

「え、何のことです?」

「そういう噂を広めたのは一体誰なのかしらね」

 リーシェンのにやけ面が、だんだんと硬直してゆくのが分かった。視線を露骨にそらして、脂汗さえかいて――わかりやすい奴である。

「あ、えーっと誰とかは……私も、その、噂として知ってたけですけど、それを別に話そうとしたわけじゃなくて、ただちょおっとだけ皆に、こうらしいよ的に喋っただけで、えーっと」

「そのちょおっとだけが、随分爆発的に増えたのね。おしゃべりが過ぎるのも問題だわ」

「は、いや、その……」

 明らかに動揺されると、自分はそんなに恐ろしいのかと軽く傷つく。

「まあいいわ。で、噂の大本は?」

「お呼びですか?」

 背後から声がした。その声が発せられるよりも前に分かってはいたが。

「お早いおつきですね、ユジンさん」

「今日は弱気な方じゃないのね、舞」

 振り向いた先で舞が少しだけ笑った。

「知らない人の前だと、緊張しますけど。ある程度打ち解けた人とでしたら、そんなにびくびくしませんよ」

「それは誰だってそうだけど、あなたの場合は極端過ぎる」

「気をつけます」

 といいつつ、改めることなどないのだろうなと分かるような物言いであった。

「別に悪いということでもないんだけど」

「何でしょうか?」

「何でもない」

 ユジンはそのまま自室に向かうが、舞はその後ろをついてくる。

「よろしいのですか? 真田さんが出て行ったのはつい先ほど、まだ追いかければ間に合いますよ」

「またその話題? というか」

 とユジンは舞に向き直った。

「その噂広めたのって本当にあなたなの」

「それだと問題が?」

 しれっとして答える舞に、ユジンは言葉を失ってしまう。ここまで堂々と開き直られるとは思わなかった。

「少しは誤魔化すとかそういう努力はしないの?」

「誤魔化すほどのものではありませんので。広めたといっても限定的なものですよ。それに私が言う前から皆さん知っていましたから」

 はっとして周りを見ると、ちょうど廊下の向こうで二人たむろしているのをみる。別にユジンのことを話しているとは限らないのだが――心なしかこちらの方を見ながらひそひそ話をしているように見えて――

「ちょっとこっちに」

 あわてて舞の手を引く。自室まで引っ張り、舞をほとんど放り投げるようにして部屋に入れると後ろ手にドアをしめた。

「私、連れ込まれちゃったんでしょうか?」

「ふざけてないで。皆知ってるとかってどういうこと」

「言葉通りですよ。真田さんは隠しているようで隠れていないですし、あなたはあなたで真田さん意識しているのが見え見えですもの」

 毎度毎度、なんで律儀に自分の身体は反応してしまうのか――またぞろ顔が熱くなって行くのを感じる。舞はそんなユジンを微笑ましいものでも見るような目で見ている。

「よかったですね、両思いですよ」

「両……」

 そうするまいと思っても、また体温が上がってくるのを感じる。おそらく今の自分は傍で見ても分かるほど真っ赤になっているのだろう。舞の微笑みながらのぞき込む表情がそれを物語っている。

 ――こういう風に顔にでるということは、自分がそういうことに慣れていないからなのだろう。そうに違いない、免疫がないからであって別に舞の言ったことを真に受けたからではない――そう思うことにした。

「ちょっとね、うらやましいですよ」

 舞は突然視線を上向かせ、宙を見上げるような格好になった。どこか遠くを見る、思案するようなときの目、そういう風に。

「何がうらやましいって?」

「そういうのです。誰かを好きになるとか、私はそういう経験ないので」

「いやだから――」

 口にしかけた言葉を飲む。代わりに、浮かんだ疑問をユジンは口にした。

「あの、雪久は?」

「雪久?」

「いや、経験がないとかって……あなたと雪久は、その……」

 それを口にすることに対して、自分でも驚くほどストレスがない。一時期はそういうこと――雪久と舞が通じ合っているのだと思うことが耐えられなかったはずなのに。

「あの人は、まあ……どうなんでしょうね。何を考えているのか」

 舞は独り言のようにつぶやき、しばらく押し黙った。ややあって、ユジンの方に向いて言った。

「真意を、聞かないのですか?」

「え、え?」

「だから、真田さんにですよ。ユジンさんのこと、どう思っているのかと」

「いや、それは」

 今度はユジンが黙る番だった。

 聞こうと思えばいつでも聞ける――あの時の言葉の意味を。意味などといっても、言葉通りなのだろうけど、もう少し踏み込んだところまで聞けるかもしれない。それこそあのとき、「マフィア」に省吾が拉致されたときは、二度と聞けないと思っていたことをだ。

 けれど、いつでも聞くことができるというのも確か。だからいつまでも、省吾に会えないでいた。面と向かえば何を口走るか分からない、あるいは何を言っていいのか分からないから、いつでも真意を問うことができるという心もあって、顔を合わせられないでいる。

「言うべきことは、早めに言っておいた方がいいのでは?」

「あんたも、後悔するなとか言うの?」

「も、ということは誰かに言われたのですか」

「うん、まあ……ついさっきなんだけど」

 ユジンは順繰りに玲南の顔を思いだし、次に難民たちの顔を思いだした。そして最後にたどり着いた顔、難民に紛れて監視していた男の目を思い出し――

「……そうだ、こんなことしている場合じゃなかった」

 上がりっぱなしだった体温が急激に冷えてゆくのを感じた。冷えたというより常温に戻ったと言うべきか。

 ユジンはつと、立ち上がった。

「舞、彰の奴はどこに行った?」

「彰ですか? 多分、広間にいるとは思いますけど……」

 なにやら舞は戸惑った風に声を上げた。何か、急激な変化に対応できていないかのような反応だ。

「どうしたんですか急に」

「いや、ちょっとね。後悔しないためにも、ちょっともろもろの問題を片づけておかないと――」

 そうしてユジンが部屋を出ようとしたとき、いきなり扉が開かれた。むろん、ユジンが開けたのではなく、乱暴に開けたその人物は遠慮もなく部屋に入ってきた。

「あなたに礼儀を説いても無駄とは思うけどイ・ヨウ」

 ユジンは声をあげそうになるのを必死にこらえた。後ろで舞が固まっている。

「戻ってたかユジン、こんなところで何やってんだ」

「別に何も。話していただけだよ、女同士のね。いきなり踏み込んでくるなんてデリカシーってものがあんたには」

「戻ってたなら、すぐに広間に来い。彰が呼んでる」

 イ・ヨウは全くもって、ユジンの言うことに耳を貸す気はないようである。つまり、それほどまでに切迫しているということだ。

「何かあったの?」

「『マフィア』だ。西の奴らにコナかけてきたんだ、『黄龍』に」

 イ・ヨウが早口でそう言う。ユジンは幾分声を落として訊いた。

「確かなの」

「そうだ。さっき入った報せだ。昨日の晩に『黄龍』のところの、サーベル遣いがやられたとな」

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