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監獄街  作者: 俊衛門
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第十七章:7

 待ち合わせは十時のはずだったが、約束の時刻より一時間は過ぎていた。

 屋台の一つに腰をかけて、熱い茶を注文したものの、待っている間にすっかり冷めてしまった。そのうちに雪まで降り出して来て、路面を薄く、白く染めてゆく。露天を広げている難民達の何人かは茣蓙ござを畳み引き上げてゆくところだった。

 ユジンは肩を抱き寄せて軽く身震いした。

 十一月ともなれば、ここいらは一気に冷え込む。今日のユジンの格好はまだ秋口の、孔翔虎や孔飛慈と手を交えた時と同じような軽装だった。上物とは言えないが、一応はブランドもののシャツとジーンズ、ただし偽物だ。ブランドを偽り、二束三文の品を高級品として売り出すのもこの街における”産業”の一つだが、ユジンはこれらを正当な値段で仕入れる方法を知っている。今着ている服も、そういうものの一つだった。生地は良くないが、見た目だけはそれなりに見えるので結構気に入っていた。

 しかし、いくらお気に入りでもこの格好は寒すぎたと後悔する。つい先日までいた熱気の余韻を引きずっているつもりでいたから、外気の変化も考えずに出てきてしまったのだ。せめて上着の一枚でも羽織ってくるべきだった。

「何寒そうな格好してんの、ユジン」

 後ろから声をかけられて振り向く。声をかけられる前から、気配で誰かは分かっていた。

「そうね、誰かさんのお陰でね。もし悪いと思っているならその暖かそうな毛皮を貸してもらえないかしら」 

「怪我人から衣服をはぎ取ろうなんて、何て鬼畜な女だ」 

 散々待たせた張本人が、まるで反省する気もなさそうに言う。カシミヤの上等そうなコートは、やはり本物ではないだろうが、そうだとしてもそんなエレガントな出で立ちなど到底似合いそうもない持ち主――玲南が立っていた。

「怪我人といっても、実際大したこと無いって聞いたわよ。その腕」

「まあな、刺される瞬間に骨には当たらないようにしたから。見た目ほどひどくはないよ」

 玲南はユジンの向かい側に座る、その右腕は包帯が巻かれ、肩から吊り下げられている。孔飛慈に貫かれた腕だ。

「といっても、治っても以前みたいに動くか分からないって話だけどさ」

 玲南は動く方の左手で頬杖をついて遠くを見るような目つきをする。そんな顔をされては、なにやら遅れたことをとがめる気も失せてしまう。

「それで、どうして呼び出したりしたの? 世間話したいが為、ってわけじゃないでしょうに」

「そうしても良かったんだけどな、気になって」

「何が」

「分かるだろう」

 二人して視線を左右に走らせる。屋台が立ち並ぶ中心街は、普段ならそれなりに人通りはあるのだが、今日は道行く難民たちの数はまばらだった。皆してユジンと玲南を遠巻きに見て、警戒の目を向けている。

「あの通り魔があってから、あたしら疑われてんだ」

「まあ、彼らから見れば私たちもギャングなわけだし……」

 ユジンは冷たくなった茶を飲んだ。

「疑われるのも分かるよね」

「あたしらだけじゃないよね。あんたのとこの大将も、疑っている」

 一瞬、玲南の視線が鋭くなった。それと同時に若干身を乗り出すような構えになる。

「そう? 難儀なことね」

「金もね、疑ってんだよあんたらを。あんたらの誰かがやった可能性もあるってさ」

「私たちの誰か、ってことは」

「ああ」

 と玲南は懐から写真を一枚、取り出した。

「うちの奴もやられたよ」

 ユジンは茶碗を隅に追いやり、写真を見た。

 確か、遊撃隊の一人だっただろうか、見た顔だが覚えていない。遊撃隊は皆それぞれフードをかぶり、顔が分からないのだ。

ただ顔を知っていたとしても、恐ろしいほどひきつったその表情を見れば誰であるのかと分かる意味はないかもしれない。

 ともかくひどい有様である。胴体と呼べる領域のすべてが消失している。真ん中に赤黒い肉の空洞を晒して、内臓は胸から股にかけてすべて引きずり出されて、体の全面がえぐり出された感じだった。ぱっくり開いた胸郭から申し訳程度に肋骨が飛び出ていて、その骨の先端を見据えるように男の目が向いている。痛みよりも先に絶望が立ったという顔だ。自らの肉体が絶対的に破壊された、決して戻らないと知ったときの絶望。それをまざまざと見せつけられながら死んでいったかのようである。

「何というか掘り起こしたような感じね」

「へえ、そりゃどういうこった」

「そのままの意味よ。胸から股間まで、スコップか何かでえぐり取ったような。抵抗の痕跡がないから、殺した後にやったとか? でもこの顔、自分の腸が引きずり出されたショックが大きくてそのまま逝ったって感じがするし……」

「……案外冷静だね、あんた」

「そうでもないわよ」

 凄惨な死体を目にすることは、一度や二度ではない。だとしても慣れないものは何度見ても慣れない。それでも少し耐性がついただけであって。

「見つかったのはいつ?」

「今朝だよ。そいつ、昨日の夜からいなかったんだ。そいつは隊の中でも手練れな方だったからあたしら何にも心配していなかったんだけど」

「夕方……」

 つまりこれは一晩のうちに行われたということだ。

「妙ね」

「だろ?」

 さすがに道行く人の視線が気になりだしたのか、玲南は写真をしまった。

「ただ殺すだけならともかく、ここまでやるならそれなりに時間も人手も道具も必要だ。あたしらに分からないようにやってのけたってなら大した手際だけど、昨日はそんな大きな騒ぎは無かったし」

「かといって、じゃあ短時間でできるかといえばそんなことは。もしできるようなら人間技とは……」

 そこで2人して黙った。言わずとも、もう半分以上は答えがでているようなものだ。ただそれを口にするのが、二人してはばかられるだけで。

「なあ、この間もあんたのとこの奴、バラされてたんだろ?」

 それでも、口にしないわけにもゆかず、最初にそれを崩したのは玲南の方だった。

「ええ、あれもやっぱりひどい状態で」

「わざわざバラバラにする、しかも短時間で。ひょっとしたら同じ奴かもしれない、下手人は」

「でもあっちは明らかに刃物で切り刻んでいるし」

「まあ手口は違うにしてもさ」

 玲南が少し身を乗り出して言う。

「これが『マフィア』か、それも機械の仕業だとしたら」

 それを口にすることがどれほどのものか、という覚悟でも込めるみたいに玲南は声を潜める。それほど周囲を警戒しても、警戒しすぎるということはない。

「人間技じゃないっていうなら、それをしたのは人間じゃない奴だ。あんたのところにも、レイチェル・リーのところにも『マフィア』が乗り込んできた。ならもう、そいつらがやったって見て間違いないだろ。それなら」

「待って」

 ユジンが玲南の口に指を当てた。

「何だよ」

「私の右後ろ」

 ユジンはその方向に振り返ることなく、目で牽制するように視線だけ向ける。玲南もまたそちらに顔を向けることはなかった。

 ちらちらと視線を向ける先に、男が座っている。ビルの入り口に腰掛け、襤褸をまとった難民らしき男。ただその男の佇まいは、難民のそれとは違って見えた。

 肩が落ちている。難民たちは、寒さもあいまって皆上半身を縮こませて歩いているのに、その男だけがやけにリラックスした体つきをしている。肩を落とし、背中が落ちれば上半身の余計な力が抜ける。余計な力が入っていない体とは、自由に動ける体ということだ。ほとんどの武術に求められる身体、それを自然にやってのけるということは――。

「場所変えるか」

 玲南が立ち上がる。ユジンも硬貨をテーブルの上に置いて、玲南に続いた。

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