第十七章:5
声の方に振り向くと、特徴的な白髪頭が立っているのを認めた。
「仲間仲間と、大した意味も無くよ。そいつ切り捨てようとしたんじゃないのか、お前」
「雪久……」
雪久は、やや足りない背丈から見下ろすようにしていた。尊大な態度は相変わらずだが、少しばかり覇気がないような声音である。機械に痛めつけられたのはこの男も同様であるから、それが影響しているのだろうか。手足に包帯、左目には眼帯がされている。
「雪久、どうしたんだ? 戻ってくるなり部屋にこもりっぱなしで」
彰が立ち上がり雪久のもとに歩み寄る。雪久はそんな彰の手を振り払う。
「俺が何をしていようと勝手だ。それより、そいつを引き入れるってのか、彰?」
雪久は省吾の傍まで歩み寄った。省吾は座ったままだったので、雪久に見下ろされる格好となる。雪久は省吾の、右足を見て言った。
「そんなカタワ野郎の」
「雪久」
彰が若干こわばった顔で言う。
「そういう言い方やめろよ」
「言い方? 言い方が何だってんだよ。体の不自由な方とか何とか言ってりゃいいのか、足が無え奴、戦えもしない奴ってことにゃ変わらないだろうがよ」
「絡むな、やけに」
省吾が言うと、雪久が睨みつけてきた。
「何だよ」
「お前がまるで遠慮などなく、思ったことを口にする、それはいつもの通りだけど。ただ所かまわず突っかかってばかりだと、小物ぽく見える」
雪久が舌打ちする。
「彰、ちょっと外せ」
「ちょ、ちょっと待てって。俺が話していたのは」
「外せってんだ、聞こえないか? 俺が言ってんだよ」
どうにも怒気をはらんだ雪久の眼は本気の色を成している。対応を間違えれば分かっているだろうと言うようで、そうなれば彰はもう従うしかない。省吾の方を一瞥し、速やかに立ち去った。
「『マフィア』に、やられたそうだな」
扉が閉まるとすぐに雪久が切り出す。省吾の義足を見下ろす、視線はなにやらあざけりめいていた。
「笑うんなら笑うがいいさ、遠慮もしないで腹を抱えてよ」
「ああ笑ってやるよ。けどお前の会ったのが、薙刀の女だと聞いているがどうなんだ」
「それがどうしたんだ」
省吾の問いには答えず、雪久は顎に手をやって、一瞬だけ思案するように視線を空中に漂わせた。
「東にさらわれて、金のところのガキに助けられて、でも足を切られてってか。いいとこねえなお前」
「そりゃどうも。憎まれ口叩くために彰を外させたんかお前は」
「『マフィア』どもがどうしてお前を生かしていたか気になるよなあ」
雪久はわざとらしく語尾を上げた。
「何がいいたい」
「お前の周りじゃ妙なことがありすぎる。あいつらに眼をつけられたら、大体はその場でぶっ殺されるのが普通だろうに」
雪久が見据えてくる視線から、眼を背けたくなるのを省吾はこらえた。眼をそらせば何かを隠していると自ら告げているようなものだ。かといってそのまま睨み付ける風でもいけない。平静にと心がける。
「それと、以前聞いたときはスルーしちまったけど。彰やユジンが会ったという、黒い女。あれはお前の何なんだ? ギャングや難民とも違う、そんなのとつきあいがあるなんて今まで聞いたこともない」
「言ってなかったからな」
省吾は内心では、そんな話は早く打ち切って欲しかったが、こちらから露骨に話を逸らせばかえって怪しまれる。言葉は慎重に選んでやらなければならない。
(これでいてなかなか抜け目ないところがある……)
省吾が黙っていると、雪久はさらに追い打ちをかけてくる。
「どうなんだ? お前はただの難民で、この街にきたのだって、他の連中と同じだと思っていた。けど、もしそうじゃないのだとして、お前がーー例えば俺たちや他のギャングどもや、それともマフィアどもとも違う何かだとしたら」
「想像力たくましいな、『千里眼』。眼ん玉突き破られて脳神経もやられたか」
そんな挑発文句で雪久が黙るとは思えなかったが、以外にも雪久は口を尖らせ、忌々しげに舌打ちした。
「何だ、貴様」
「前にもちょっと言ったかもしれないけど、『千里眼』なんてものは神経と直結しているんだ。そこがやられれば当然、頭の中にも影響がある。打撃のショックで脳味噌がいかれたとしても無理はないな」
「くだらねえこと言ってんじゃねえ、話をそんなんで誤魔化そうってのかよ。要するにお前はどういうつもりでここにいて、どういうことが目的で動いているんだってことだよ」
「何も無い、別に」
省吾は立ち上がろうとするが、義足がなかなかに重くてうまく立てない。何度か床で足を滑らせ、壁に手を突いてやっとのことで立ち上がる。
「この街で、何も目的なんてないし、することもない。あの女はこの街で知り合っただけだ」
「行きずりの女ってか」
「まあそんなところ」
「だからそうやって誤魔化そうって」
「誤魔化すつもりなんてない。それが真実だ」
もっと以前ならば、もっとうまい言い訳を考えなければならなかっただろうが。この街で目的はあったものの、それはすでに行う必要のないことだ。監察官としての任を解かれた今では、ここにとどまる必要など何もない。
だからここにいる意味だって、本来はないのだ。
「一つ言っておくけどな、彰やユジンがどう思ったとしても関係ない、怪しいと思えば誰だって容赦はしない。それがこの街の鉄則だ。本来、仲間なんて言葉ここにゃ存在しないんだ」
「そうだな、お前はそうするだろうよ。燕のときみたいに」
軽い口調でそう言ってやったのだが、雪久の顔がにわかに険しさを増す。
「燕は関係ねえだろ、何でそこで出くんだ」
「別に。もののたとえだ。もっとも」
省吾は雪久の眼、眼帯をかけられた左目を見る。
「そんなナリで、容赦だ何かと迫力も無い。『千里眼』頼みのお前がその状態ですごんでもな」
今度はしっかり、雪久の心を抉ったらしい。瞬時に雪久の顔つきが変わった。
「俺が、何だって?」
「間違っちゃいないだろう、それ一辺倒だったお前が今の状態で俺をどうにかできるとは思えないということだ。お前はその眼で今までやってこれたんだろう? じゃあこの先はないな、その眼が機能しなきゃただの人でしかない」
雪久が立ち上がる。省吾に詰め寄った。
「もう一度痛い目、見させてやろうか」
「単眼でほざくな、痛い目見るのはどっちだろうな?」
半歩雪久が前に出ると、省吾はさりげなく右の義足を後退させる。少しでも弱い部分を後ろに隠すためだ。
「カタワになって、そんなでかい口利けるとはなあ、あん時の続きを今やってもいいんだぜ?」
「そういうつもりなら、それでもいい。右足ないぐらい、お前にはちょうどいいハンデだ」
そう言った次の瞬間、拳が突き出された。
雪久の右頬に突き刺さる、よりも先に省吾の左掌が防いだ。
「省吾、どうせなら飯でも食っていくか?」
突然扉が開き、彰の声が割り込む。雪久は舌打ちしながら拳を下ろし、省吾もまた構えを解いた。
「どうせ屋台のもので済ますんだろう。混じりものだらけの饅頭よりはマシなもの食わせるところ知ってるから」
「腹は減ってないよ、彰」
雪久から一歩離れて言う。
「飯ならまた今度にする」
省吾は雪久を一瞥し、雪久は舌打ちしていかにも忌々しいという風に顔をゆがめている。省吾はそれ以上何かを言うことなく、部屋を出て、出るとすぐに彰が扉を閉めた。
「雪久のこと、刺激するなって言っても何でか皆挑発めいたこと言うんだ。あいつがああいう性格だって省吾も知ってるだろう」
「別に挑発なんてしてない」
「してた。あれが挑発じゃないっていうなら、認識を改めるべきだ。それとも何か、銃口突きつけて引き金に指かけない限りは挑発じゃないとでも言うつもりか」
彰はいつになく深刻な表情だが、それも無理からぬ話だろう。傷も癒えないうちに新たな火種など抱え込みたくはないというのが、ごく普通の感性だ。
「まあ、雪久も悪いけどさ。変な言いがかりをつけるから……そりゃ俺も、あの変な女のこと気になるけど」
「聞いてたのか」
「聞こえちゃったんだよ、悪いね。だけど、あの女のこと聞いたとしても、省吾はたぶん教えてはくれないんだろう?」
返答に困っていると、彰は省吾の肩を叩いて軽く笑いかけた。
「まあ、じらされるのは慣れているよ。言いたくないなら、言わなくてもいいさ。気にはなるけど、俺はお前のこと仲間だと思っているからさ」
地下補給路のプラットホームまで、彰は省吾を見送った。ホームの見張りにはイ・ヨウが立っていて、線路側にAK小銃の長い銃身を向けて座っている。腰には手斧を差し、肩から弾帯をひっかけた格好は、どこぞのテロリストのような風体である。
「動けるのかい、真田」
以前、この場所でイ・ヨウを投げ飛ばしたことがあった。そのときのことを警戒してか、イ・ヨウは省吾に近づこうとはしない。もっとも中を持ったままではそれもままならないだけだろうが。
「代わりの足がこれじゃ、以前のようにとはいかないだろうな。それでも無いよりはましだが」
「そうかい。難儀なものだな」
そこでイ・ヨウはふと思い出したように声をあげた。
「ああ、ユジンならもうすぐ帰ると思うぞ。さっき連絡があった」
「そうなん? ならもっとゆっくりしてけばいいんじゃないか、省吾」
彰が悪巧みでもするように顔をにやけさせた。
「あ、いや俺は」
「まあ心配するな。俺ら別に邪魔はしないから。戻ってきたらお前が来てることは伝えずに広間に通すようにすればいいか?」
イ・ヨウはわりと本気でそうするつもりであるように言う。
「別に、あいつに用事なんか無いしそれに」
それに、会ったとしても何を話せばいいのか分からない。言うべきことは色々あるだろうけど、いざ目の前にすれば絶対にお互い気まずくなって、何も話せなくなる。
「それに、俺もこのあと行く場所があるんだよ」
「省吾が? どこに? こんな街じゃ別段通うような場所なんてなさそうだけど」
「色々あるんだよ俺だって」
それは本当のことだった。今日のこの用事をすませた後は、例のハンドラーの女と会うことになっている。今後の身の振り方について話すために。
「そう、じゃあいいや。また今度来たらゆっくりしてきなよ」
彰はそう言ってあっさり省吾を解放した。
「次はユジンのいるときにでも」
「考えとく」
省吾は彰とイ・ヨウに別れを告げ、ホームを後にする。
「次があるか分からないけども……」
去り際、誰にも分からないように省吾は一人ごちた。