第十七章:4
義足の調整をすると、孫龍福から言われたのが3日前だ。義足を取り付けたのはいいが、材料が少なく急拵えであるので、もう一度ここに来るようにーーこの足をつけるときに、そう言い含められていたのだ。
そういうわけで省吾は、何日かぶりにアジトに向かっている。地下をくぐり、補給路を通り、彼らーー『OROCHI』が根城にしている場所へと赴く。
補給路の線路に時折義足をつまづかせ、それでもどうにか重い右足を引きずって歩いて、アジトにたどり着く。補給基地の跡地、トロッコの発着場たるプラットホームに上がり込もうとしたときに声がした。
「許可無く通るのは」
暗がりの方からだ。そちらに目を向けると、特徴的な髪型の男を認める。黒い髪に赤いメッシュが入った、こんな街にしては伊達な格好だと言えるその男。
「韓留賢か」
韓留賢はプラットホームの隅っこで、椅子に座っている。古びた椅子に身を預けて、足を組み、長い煙管を口にして煙をふかしていた。
「何か用なのか? 真田」
「用がなきゃ来ねえって、用がないなら何で来るというんだ」
「冷やかしってこともありうる」
「侵入とは考えないわけか」
韓留賢は右足を投げ出した格好であったのだが、なにやらしきりに足の付け根のあたりををさすっている。何か気になるところでもあるのだろうか。
「侵入者なら、もっと分かりやすいナリで来るからな」
「何だそれ」
省吾が首を傾げていると、韓留賢は腰を上げた。
「彰から、今日来るってことは聞いてる。ついて来な」
やけに緩慢な動きで韓留賢が立ち上がった。よく見れば杖のようなものをついている右足を引きずるようにして歩いていた。そういえば韓留賢、この男も先の戦いで相当な痛手を被ったと聞く。
「足をやられたのか」
「ああ、お前と同じだな。もっとも完全に斬られていた方がまだ邪魔にもならない、こっちは中途半端に膝だけ砕かれたから余計質が悪い」
だから歩き方がおかしいのか、としかしそう思っても、韓留賢はそれほど右足が重荷ではなさそうであった。確かに足を引きずっているが、杖を使って歩けばそれなりに歩行できている。これが義足との差だろうか。
「なあ、韓留賢。お前ーー」
「あ、真田さんじゃないですか」
廊下の向こうから響いてきた声に遮られた。訛りの入った甲高い声音ですぐに分かった。
「久しぶりです、もう歩けるのですか?」
「リーシェンか」
リーシェンは満面の笑みでもって駆け寄ってくる。心底うれしそうな顔だが、何がそんなに良いことでもあったのだろうか。
「心配してましたですよ、あれから全然音沙汰ないから。どうして今日は?」
「ああ、いや。この足をちょっと見てもらおうと」
こっちが気後れしそうな勢いでリーシェンは話してくる。省吾はややたじろぎながら言った。
「そうですか、誰かに会いに来たとかじゃないですか?」
「何だ、誰かって」
「ん? 違うんです? ちなみにユジンなら今日はいませんよ」
「な、何でそこでユジンが出てきて……」
口に出してから、しまったと思った。そこで知らぬ顔をしてやり過ごせば良かったのに、わざわざ反応してしまったのだから、リーシェンはますますいたずらを思いついたように笑みを濃くさせる。
「あれ? いた方が良かったですか? そういえばあれ以来会ってないですよね、二人」
「別にいなきゃいないで」
「ああ大丈夫ですよ、じゃあ今度いるときに連絡するです。積もる話もあるじゃないですか?」
「無いよ、別に話すことなんか」
「そうですか? いろいろあるでしょう、いろいろと」
と、意味ありげににやりとする。追求する材料はいくらでもあるのだという笑い方だ。一方の省吾はといえば、完全にリーシェンのペースに巻き込まれた形となる。
ちらりと韓留賢の方を見やり助けを求めてみるが、韓留賢は事態を静観するばかりでどちらに肩入れする気もないようだ。
つまり、今この状況は省吾にとってもっとも不利なわけであって。
「まあ、でも。ユジンもユジンで、今日真田さんが来るってなったら急に飛び出して行きましたしね。顔合わせづらいのはお互い様ですか?」
「いや、だからだな。お前が思うようなことは何も」
「大丈夫大丈夫、じゃあ今度はユジンに分からないように呼びますから。強制的に二人きりになったら話さざるを得ませんもんね?」
「いい加減にしろっての、お前は……」
どうしてこんな年下の少年に追いつめられなければならないのか。いよいよもって答えに詰まってきたが、リーシェンの方で先に切り上げてくれた。
「あ、じゃあ私行きますから。ご健闘祈ってますですよ」
最後に余計な一言を告げて。どこぞへと走り去ってゆくリーシェンの背中を見送り、見えなくなると省吾は韓留賢を軽く睨みつけた。
「何で止めてくれない」
「止めるとは何をだ」
どうやら韓留賢にはよく分かっていなかったらしい。省吾はため息をついた。
「足の調子は、悪くないようですね」
孫龍福は樫の木の義足を、木槌で叩いて調整している。口に釘をくわえ、指の間にも何本かはさんで、左腕一本で木槌を操っている。すっかり片腕での作業が手慣れている様子だった。
「お前みたいに腕を斬られてたんだったらな、まだ良かった」
「何ですか?」
孫龍福が調整した義足を、省吾は上げ下げして見る。やはり少しだけ重たい気がしたが、これは材質上仕方ないことだろう。
「片腕だけあれば、片手でできる技なんていくらでもある。でも足を失えば、支えを保つのも歩を繰るのも一苦労だからな。剣術家にとっては痛手だよ」
「僕だって腕よりは足の方が良かったですよ。施術に手が足りないって致命的ですし。足は、なければ困りますけど僕の場合は移動だけですからね」
「違いない」
もっとも、斬られないことが最良であるのだが。命を失わないだけ「大分マシ」という評価が、この街の常である。
「足が無くても戦えることってないのかい?」
と、彰が話しかけてくる。差し向かいで座る彰は、合成豆のコーヒーを飲み、省吾にもそれを進めてきた。
「下半身のバネがなきゃ、どんな格闘技も武術も力が出ない。義足があればとりあえずは動けるだろうが……」
省吾は出されたコーヒーを一口すする。酸味が強くて苦みの少ない、まるでコーヒーとはかけ離れた味わいである。こんな所では、この程度が精一杯だろう。
「しかしこんな状態じゃ、足手まといになるだけだ。お前たちの」
「そうかい……」
彰は少し残念そうに眉をひそめ、メガネの蔓を押さえた。
「お前らには世話になりっぱなしだったから、悪い気はしているが」
「助けられているのは、いつもこっちの方だよ。それに、足手まといだなんてこっちは思わない。その気があれば、いつでもポストを空けて待っているつもりではあるんだけどね」
孫龍福が道具を片づけ、部屋を出て行った。省吾は彰と二人だけとなった。
「それにさ、たぶん他の連中も思っていると思う。省吾に、正式にうちの仲間になって欲しいって」
「雪久もか?」
何気なく聞いたつもりだったが、彰は相当痛いところを突かれたかのように渋面を作った。
「雪久は、まあ分からないけど……でも少なくとも他の連中は歓迎してくれるはずだよ。ユジンとかも」
彰の目が一瞬だけ光ったように見えた。先に、過剰反応は付け入られると学んでいたので省吾は黙っていたが、それでもユジンの名前を聞くとどこか胸の内がざわつく感触がある。
「ユジンがさ、お前がマフィアに連れ去られたってとき、一人で《東辺》に行くって大騒ぎして。俺は、まあお前には悪いけど行くべきじゃないって主張したんだ」
「彰の方が正しい」
省吾が言うのに、彰は自嘲するように肩をすくめた。
「いいよ変にフォロー入れなくて……それで、ユジンを止めたときに、仲間を見捨てるのかってさ。あいつにとっちゃ、お前はもうここの一員なんだよ。ここにいる誰よりも、そう思っている」
そう言う彰の方は、何故か歯切れの悪いような、居心地が悪いかのような話し方だった。
「俺が言うのも難だけど。もしその、足のことで躊躇しているっていうならーー」
「簡単に口にしやがって」
彰の言葉を遮ったのは、省吾ではない誰かだった。