第十七章:3
《南辺》には市と呼べるものはない。
あるとすれば、通り沿いに申し訳程度にある露天の群がそれにあたる。リヤカーを改造したような移動式の屋台と、それがなければ地面の上に直接ゴザを敷く。売り子も難民ならば、買いに来るものも難民だ。食料、日々の糧とするものは、大抵は台湾経由で特区に入ってくるが、それらの元締めとなっているのは大抵が地元のギャングどもで、企業たちもギャングを相手に取引することが多い。スラムにまで回ってくるものといえば残り物でしかない。
そうした利益の残滓を元手に、難民たちの間で市場が生まれる。財があれば売買が存在し、売買がある以上は市も立つ。難民たちは細々と、日々の糧を得るために通り端に座り込み、早朝から場所とりに励む。場所によって物の売れ行きも変わるのだから、それは等しく死活問題と言えるものだ。
しかし、その日に限っては誰も場所取りに参加しなかった。
最初に発見したのは、朝鮮難民の親子だったという。
昨日と同じようにと場所取りに向かったとき、その通り一面が濡れていることに気づく。連日の雨のせいと最初は思ったものの、どうも様子がおかしいことに気づいた。
それの正体を見破ったのは、父親の方だった。雨の匂いに混じって生臭さが鼻をつき、よくよく目を凝らせば通りには黒っぽい何かが散乱しているのだ。薄暗い中、それらをじっと見ると、足下に転がっているものはどうやら人の腕らしいことを見定める。驚き、あたりを見渡せば、腕だけでない。切り落とされた四肢に混じって、人の頭が複数転がっているのを見る。それを目の当たりにしたとき、その親子の悲鳴が3里ほども響きわたった。
その、最初の発見から1時間で、すでに人だかりが出来ていた。難民たちが、バラバラに切断された躯を目の当たりにし、遠巻きに見ている。雪久と彰が着いたときには、野次馬は数十人では済まないほどになっていた。
「昨日の時点じゃなかったはずだ」
彰はむせかえるような血の臭いに顔をしかめて、口元を押さえる。別に死体そのものを見るのは初めてではない。かといって見慣れるものでもない、特に損傷が激しいものは。
「確かなのか」
一方の雪久は涼しい顔をしている。顎を抉られた、あるいは両目をくり抜かれ、頭蓋が割られて脳がはみ出しているような躯であっても、この男には何の感慨も生み出させるものではないらしい。ある意味、その図太さがうらやましく感じることがある。
「間違いないよ。だってこの道は昨日も通ったし、それにあいつ」
彰は一番手前に転がっている躯を指さす。両腕が切断されているが、ひどいのは胴の方だ。何かで押しつぶされたのか、胸郭が完全につぶれていて砕けた肋骨が肉を突き破っている。血と肉片が混じった、半液状の臓物がこぼれていた。
「あいつ、昨日はいただろう。アジトに」
「あんなのうちにいたのか?」
「自分とこの構成員ぐらい覚えとけよ……んで、昨日レイチェルのところに使いに出したんだけど、そのまま音信不通で。何をやっているかと思ったら、こんなことになってたなんて」
ふと見れば人混みをかきわけて、カーキ色の制服が数人駆け寄ってくる。腕には国連記章をつけている。この街の、名ばかりの警察とは違う。国連憲兵だ。憲兵たちは群衆に向けて警杖を振り回し、解散するようにと怒鳴っている。
「行くぞ、彰。ぼやぼやしててもしょうがない」
雪久がきびすを返し、他の群衆と同じようにその場を立ち去ろうとする。
「で、でもさ。誰が一体こんなこと」
「それを知るために、今から行くんだろうが。ほら早くしろ」
雪久がせかすのに、彰は慌てて後を追う。
「西にも出たよ」
開口一番、レイチェルが発した。その一言を、レイチェルは何一つ特別な意味などないかのように言う。
「今朝方ね、たぶん同じ時刻だ。ヒューイの残党どもの根城が一つ潰されて、そこの連中は一人残らずミンチにされていた」
「それで、下手人は?」
「分かってれば、こうして顔をつきあわせる必要もないだろう」
「ま、そりゃそうか」
金は肩を竦め、タバコをくわえた。隣にいる連が素早く火をつける。対面する扈蝶が匂いに顔をしかめるにもかまわず、実にうまそうに煙を吐き出した。
残党どもの動きが気になると言いつつもとりあえずレイチェルら「黄龍」の面々は《西辺》に戻り、金は再び《南辺》の一角を締めることとなった。何もかもが元通りとまでは行かないが、少なくとも形だけは、抗争以前に戻ったと言える。
違うのは、3者ともが顔をつきあわせる場が出来たことだ。《西辺》と《南辺》の境界にある、廃棄された『黄龍』の拠点に三勢力の頭が集まっている。この拠点は、当初はヒューイが《南辺》侵略の足がかりとしていたところだ。
レイチェル、金、そして雪久と。付き添いとしてそれぞれに扈蝶、連、彰がつく。何かあるたびに集まることで南と西のもめ事を解決する場が必要だろうということで、この場所が選ばれ、その第一回ということで現在この6人が集まっている。
「しかし、姐御のとこにじゃないってか、殺られたんは。都合良くヒューイの残党が片付いたとはよ」
雪久は椅子に寄りかかりながらバーボンの瓶を傾けた。この拠点は、表向きはバーとしての体裁を整えていたらしく、酒の空きには困らない。
「何が言いたいんだ? 雪久」
「いやなにね。うちの構成員がやられて、姉御んところはヒューイの手のものが死んだってのがね」
「うちがコナかけたとでも言いたいのか」
「そりゃまあ、何かあるかも、って考えちまうのも人情だろ?」
挑発口調なのはいつものことだが、それが冗談で済まされるかどうかはまた別問題だ。現にレイチェルの隣で、扈蝶がぴりぴりとした緊張感を保っている。いつでも抜けるようにと、右手がサーベルの柄に伸びそうになっているのも見た。
「そんな余裕がうちにあるとでも思っているのか」
しかしレイチェルは、雪久の挑発などどこ吹く風という様子だ。呆れたように嘆息して、金の方に向き直った。
「そちらは何の被害もないのか」
「今のところはな。つっても、俺らは隠密が主だから、そうそう簡単にやられたりゃしねえさ。機械の一匹や二匹しとめたぐらいで、《南辺》で大きな顔出来ると思ってる連中と違って、うちは慎重なんでね」
こちらも負けず劣らず、口が減らない。金はもう明らかに雪久を標的にしている口振りで言った。
当然のごとく、雪久が噛みつく。
「黙んなよ、高麗棒子。何にもしねえで、ラッキーで勝ち馬に乗れた奴がでかい口叩くのか」
「戦いの最中に後ろで引っ込んでた奴に言われることじゃねえさ。子守が必要なジャリガキに、世の道理って奴を教えてやろうか。大人としてよ」
二人して不適な笑みを浮かべ、しかし視線でもって相手を牽制しあう。この二人が顔をつき合わせればすぐに空気が刺々しくなる。
「待った待った、話がずれてるんだから。二人ともやめろよ」
誰も止めようとしないのだから、必然彰が割って入ることとなる。彰はとりあえず剣の柄に手を伸ばしかけた雪久を諫め、次いで金に顔を向けた。
「あんまり挑発しないで。俺らは喧嘩しに来たわけじゃないだろう? この場だって、手打ちに出来る部分はそうする、協力出来る部分があれば手を貸す。そういうことのためにあるはずなんだから」
「悪いね」
口ではそう言いながらも、金は全く悪びれていない。
「まあ、話を戻すと、ここ数日の襲撃はここにいる誰かの身内というわけでなければ、もっと別の奴らということになる。どこぞのギャングどもか、もしくは」
「マフィアか、だろう」
レイチェルが言う言葉を、ほとんどの人間がそれほどの驚きを持たずに聞き入れた。
「《南辺》に、奴が手を伸ばしてきたってのか」
雪久はほとんど喧嘩口調で問いただす。レイチェルはただうなずいて、一呼吸おいてから言う。
「孔翔虎、孔飛慈との戦いで乱入しておいて、次に《西辺》にも介入してきた。ようやく《西辺》は落ち着いてきたものの、あのときと同じように手を伸ばしてきたとすれば、それは自然なことだろう」
「それだと目的がはっきりしないな」
と金は腕を組み唸った。
「こちらに茶々入れるだけ入れて、どこぞへ消えるなんて」
「むろん、これで終わることもないのだろう。もしこれで放っておけば、連中はもっと直接的にこちらに危害を加えてくる。そうなれば圧倒的にこちらが不利だ」
「なんだかよ」
雪久は不満そうな声を漏らした。
「マフィアの手口を知ってるかのような口振りだな、姉御」
「知ってるから言ってるんだよ。まあ、成海と台湾じゃ勝手も違うかもしれないが、大体似通っているものだああいう手合いは」
台湾と言われても、金や扈蝶、連はよく分かっていないようだった。
「どういうことですか」
「別に。それより」
連の質問を軽く受け流してレイチェルは全員の顔を見る。
「どうする、これから奴らがこちらに侵攻してきたとして」
「どうもこうも、迎え撃つしかねえだろうよ」
雪久のスタンスはあくまでもブレない。
「マフィアだかなんだか知らねえが」
「武器も少ない、人員も乏しい、しかも兵は疲弊している。そんな状況なのにか?」
そういう雪久の態度を是正するのが彰の役割だ。
「確かに状況は芳しくない、が向こうはそんな状況は待ってくれないからな。そこが難しいところだ」
レイチェルはまるで、雪久の言うことを肯定するかのようなことをいう。ただし、雪久を支持しているというわけではなく、あくまでレイチェルの意見としてだろうが。
「兵は戻っているのか、金」
彰は傍らの金に声をかけた。
「遊撃隊もかなりの痛手を被ったんだろう」
「それなりにな。けど、お前んところほどじゃないさ」
金はちらりと雪久の顔を見た。雪久はなにやら不満顔であり、金の方はといえば相も変わらず薄笑いを浮かべている。
「機械どもとやりあって、こっちは一人死んで、あとは傷を負ったくらい。実際にこちらが払った犠牲って、そんな大したことないんだよな」
「だけど玲南が」
「ああ、あいつなら大丈夫。傷は思いの外対したことないってさ」
雪久がますます渋面を濃くさせて、金の方を向いている。金はようやく雪久に気づいたらしく顔を向けた。
「なんだい、『千里眼』に、兵の状況言ってもしょうがないだろ? お前さん、後ろに引っ込んでたんだから」
「てめえも《北辺》でほっつき歩いてたんだろうがよ」
「それでもお前よりは兵の状況に詳しいぜ。何せお前みたいに、何でもかんでも彰に任せっぱなしじゃねえし。今回だってお前がいなくても、というかいない方が実はよかったか? 蛇の頭よりはずいぶん役に立つ――」
ついに雪久がつかみかかった。金の襟首をひっつかみ、引き寄せた。
「もっかい言って見ろよ。なあ、おい」
いきなりのことに、連も彰も、金本人も反応できなかった。
「もう一回」
「じゃあ聞けや、耳かっぽじって」
金はきわめて冷静な風に、ひとつひとつ単語を区切るように話す。
「いいか、機械倒したのかもしれないけど、それまでお前は後ろに引っ込んでいたと聞く。だけど機械ども追いつめ、ヒューイを討ち取った。それがどういうことか、つまりお前以外の人間が奮戦したからということだろう。そこにいる彰とか」
彰は、金の口から自分の名が出るたびにひやひやしなければならなかった。
「やめておけ、金」
レイチェルが見かねたように割って入った。
「そうするようにと言ったのは私なのだから、雪久が悪いわけじゃない。それに過ぎたことだ、今更何をどうこうと言っても仕方のないことだろう」
「そ、そうですよっ、とにかく今のこの状況を何とかするために集まったのですから」
扈蝶は何とかして話の流れを変えたいようで、レイチェルの言葉にかぶせて言う。
「といっても、今の段階で話をすることもないし」
彰はちらりと連の方を見た。連は、自らの主が悪態をつこうと何をしようと静観し続けるつもりらしく、ほとんど口を開かない。
「ただ、他の組員にも言って聞かせているけど、外出はなるべく控えさせるようにしてくれ。地下に潜れってわけじゃないけど、俺たちが的にかけられたとして、それがマフィアの仕業だったとしたら、今動くのは危険だ」
「時がくれば、動かざるを得なくなるぞ」
レイチェルの刺すような視線が射抜いてくる。
「そうなれば」
「仕方ないだろう。今の俺らに、奴らと対抗する術なんてないんだから。黄龍がそれでも、まだ兵力を保っていられたら別だけど」
そういうと、レイチェルは腕を組み黙り込んでしまった。
話し合いは1時間ほどで終了した。西日が傾き始めるころに解散となり、めいめい引き上げる。金と連は南へ、レイチェルと扈蝶はまだしばらく残ると言い、雪久と彰は金たちと同じタイミングでビルを出た。
「よお蛇の大将、お前さっきから気づいてたか?」
去り際に金が声をかけてくるのに、雪久がにらみ返す。それに伴い彰の心臓の鼓動が早くなる。
「何がだよ」
「気づかないか、さっきから彰の方がよっぽど状況が見れているってことに。まるでどっちが『OROCHI』の頭か分からないな」
「金、おい」
慌てて制止しようとするが、時すでに遅し。雪久は彰をにらみつけ、次いで金の方に向き直る。
「頭は俺だ。アホなこと言ってると、てめえん所から噛み潰す」
「やってみなよ、まあ保護者がいないままでどこまで出来るか見物だなあ」
「保護者だあ?」
頼むからもうよけいなことを言わないで欲しい。そう彰が願えば願うほど、金の口からはとんでもないことが飛び出してくるのだ。
「レイチェル・リーに言われて後ろに引っ込んでたなんてよ、ママに叱られて閉じこもってたってか? 自らの意志で後ろにいたとかじゃなくて。保護者つきギャングスタ、聞いたことねえな」
「てめえ」
ついに雪久が飛かかった。金の胸ぐらをつかみ、右手を振り上げる。左目が一瞬、赤い光を帯びた。
だが、すぐに光が収まる。雪久は小さく悲鳴を上げて左目を押さえてうずくまった。
「雪久、お前『千里眼』……」
そういえば『千里眼』は孔飛慈に痛めつけられたのだと聞いていた。眼球ごと強く打ち付けられて、視力は失わなかったものの、『千里眼』は発動させようとすると激しい痛みが伴うのだと。
「動かねえか、眼」
金は、そうなることを見透かしていたかのような口振りである。
「まあ、機械に何でも頼るようじゃな」
「うるせぇ……」
雪久の左目から大量の涙がこぼれ落ちている。痛みは相当なものなのだろうか、白目は充血してひどい有様だ。
「「千里眼」動かせないんじゃあ、しょうがねえな。せいぜい後ろで気張ってなよ」
まだ何か言いたそうな雪久を後目に、金はさっさと立ち去ってしまった。連が一瞬だけ彰の方を見たが、すぐに金の後を追う。
「雪久」
彰はうずくまる雪久に手をさしのべたが、雪久はそれを払いのけた。そのまま無言で歩き、金とは反対方向に行く。
彰は追いかけようとしたが、すぐに立ち止まる。そのまま雪久の背中を見送る形となった。