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監獄街  作者: 俊衛門
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第十七章:2

 三日、雨は続いていた。

 それこそ、路上に流れた血を洗い流すのではないかと思えるほどの土砂降りだった。テント張りの露天はすべて畳まれて、戦いで出た躯を片づける掃除屋たちも、雨のせいで外には出られない。誰も彼も内にこもっていたのだが、それでも家の中も快適とは言えない。ここまで雨がひどければ、ぼろ長屋の朽ちた天井などあっというまに浸透し、雨漏りとなって室内に侵入する。戸内は戸外より、ほんの少しましなぐらいである。

 それでも、省吾は家にいた。

 雨音を遠くに聞きながらベッドに横たわり、思うことは《東辺》、そして麗花のことだった。

 《東辺》から戻ってきて、すぐにアジトに向かったものの、省吾は自らの意志で家に戻ることを希望した。斬られた脚の手当をと、孫龍福に申し出られたものの、脚の切断面は麗花に斬られた直後から出血が止まっていて、しかも傷口は膿んだりする気配もない。全くもって綺麗なもので、処置の必要がないほどである。それでも脚が生えてくるわけでもないので、彰に義足を作ってもらい、そのまま帰ったのが三日前。今、省吾の右足は樫の棒で代用されている。

 省吾は横たわったまま、ない方の脚を上げて見て、切断された瞬間のことを思い出す。薙刀を相手にするときは足下に気をつけることなど、基本中の基本だ。省吾とて、先生との稽古でそれを嫌と言うほど思い知らされたものだ。

 その基本を忘れさせたのは、麗花の持つあの武器だ。

(長柄が伸び縮みするなんて)

 いかに伸縮自在といっても、特殊警棒のようではなく、只の棒がそのまま伸縮するのだ。どこかにスイッチのようなものがあるのか分からないが、あれは麗花の意志一つでどうにかなるのだろう。小太刀と薙刀、どちらかに気を取られればどちらかが現れる。

 あそこで殺されなかったのは、連のお陰なのだ。そしておそらく、省吾の救出を命じた金の。連はともかく、あの金に借りを作るというのは何とも決まりが悪い。

 その金に、帰り際言われたことがあった。

「あの嬢ちゃんに、乞われたんだよ」

 唐突にそう切り出されてもよく分からない。省吾が首を傾げてると、金はひどく生温かい目で、にやにやと口元がゆるんだだらしない顔をして言った。

「あんたの救出な。最初はユジンが、単独でいこうとしたみたいだ。危険省みずに、な。それを俺が、連に代行させた。そういうことだから、本当に礼を言うならユジンに言っとけ」

「ユジンが? あんたに俺の救出を頼んだってのか?」

「まあ、そういうことになるか」

「何故」

「決まってるだろ」

 やおら金は省吾の肩を叩いた。叩いたというよりどつかれたような感覚だった。

「おめでとさん、あんたら相思相愛、両思い。この色男がよ」

「は、はぁ?」

「うまくやれよ」

 金はそれだけ言って、去ってしまった。それが、つい3日前ほどのことだ。

(金はああ言ってるが……)

 結局ユジンとは、あれ以来会っていない。怪我の治療やら彰からの質問責めにあっていたということもあって、二人して話すことなどなかったが、金の言うことが本当ならば――おそらくはあいつも。

(馬鹿馬鹿しい)

 あまりにもくだらない考えだった。ユジンが自分のことを相手にするわけがないのだ、あいつは雪久に惚れているのだから。

 だが、ユジンが誰に惚れていようが、少なくとも省吾は自分の思いを伝えてしまった。あそこで死ぬものと思っていたからこそ、つい口走ってしまったのだ。もし生きられる保証があれば、あんなこと絶対に言わない。いや、死なないと分かっていても、今までの自分ならばやはり言わないことだろう。先生とえ別れ、この街に来るまでの間にどこかでそんな感情を捨ててしまっていたのだから。

(どうかしている)

 心底そう思う、どうかしていると感じるのは自分自身にだ。あんなことを恥ずかしげもなく口にして、しかも窮地にはユジンのことを思い浮かべている。これから先は、もうユジンのことをまともに見ることなど出来ないだろう。

 一体どうしたというのか俺は――

 そのとき玄関先で、かすかな気配を感じ取った。

 扉の向こう側に誰かがいる。漠然とだが、そんな直感を得た。こういう直感というものは、平時ならばそのまま見過ごされるものであるが、戦時であればそのわずかな違和感すらも見逃せない兆候だ。

 まして、この街である。

 省吾は枕元のナイフを掴んだ。右手にダガー、左手にはバネ式の飛び出しナイフを。物音を立てないよう、細心の注意を払って近づく。

「そんな脚では、いざというときにも動けないだろう」

 扉の向こうから聞き覚えのある声がした。

「あんたか」

 省吾は構えをとき――それでも左のナイフだけはおろさないが――扉を開ける。黒っぽいコートと黒い帽子、黒く長い髪の持ち主は、帽子のひさしの下からかいま見てくる。

「気配を察したのはいいが、ここに来たのが私でなくて機械だったらどうするつもりだったのだ」

「機械だったら、そもそも扉なんて蹴破ってるだろうよ」

 女の相変わらずの物言いに、若干いらだちながら省吾は答える。

「何でここが分かったんだ」

「ハンドラーというものは、エージェントの居場所ぐらいは分かっておくものだ。たとえ《東辺》に行こうとも」

 女は省吾の断りもなく勝手に上がり込み、ベッドの端にある椅子に腰掛けた。放っておけばそのまま茶が出てくるものと思いこんでいるかのような自然さだ。

「それで、どうだったんだ? 《東辺》は」

「見ての通りだ」

 省吾は扉を閉めるとベッド脇まで移動する。義足を引きずりながらなので、床にこすったあとが残ってしまう。

「妙なもの埋め込まれたと思ったら、この体たらくだよ。薙刀に足下すくわれるなんざ」

「あそこから生きて帰っただけでもまだ良かったと言うべきだな。脚の一本ぐらい、安いものだろう」

「人の気も知らずに」

 省吾は右足をベッドの上に乗せた。重い樫の木で作られている分、やはり右足だけ疲れてくるような気がしてくる。

「セル、とかいったか」

 省吾が切り出すに、女は顔を上げる。目深にかぶった帽子の、ひさしの端から女の唇が見える。

「《東辺》に連れて行かれたとき、埋め込まれたんだが」

「そうか」

「以前にも埋め込まれた形跡があるとか言われた」

「それは意外だな」

「とぼけるなよ。お前だろう、そのセルとか言う奴を、俺の体に埋め込んだのは」

 省吾は強い調子で問いつめる。女はしばらく黙っていたが、やおら立ち上がって言った。

「どうしてそう思う」

「孔翔虎に、最初にやられたときだ。ふつうなら死んでもおかしくない傷だったが、その一週間後にはもう動けるようになっていた。どうしてあれほど手ひどくやられたのに回復出来てるのか不思議だったが、つまりはそういうことだろう? あんたが、そのセルとかいうのを」

「したら、まずいのか」

 もう少しごまかされると思ったが、女はあっさりその事実を認めた。肩すかしを食らった気分で、しかし省吾は詰め寄る。

「そんなものを勝手に、俺の体に入れやがって――」

「民生用の医療セルなんて、世界中どこにでもある。私が施した処置は、違法なことでも特別なことでもない。セルの施術など、今ではごく普通の治療なんだよ」

「普通? 傷ついてもすぐに治る体が普通だって言うのか? 骨砕かれて皮膚を削がれても平気な体なんて、機械と一緒だろうが」

「セルというものは、いわば細胞のコピーのようなもの。細胞なんてものは、蛋白質を製造する分子機械で、セルは働きを補助するものだ。機械というなら、人体そのものも機械と変わらない」

「屁理屈こねるな」

 省吾がいくら噛みついても女はうるさそうに手を振るばかりだ。

「そういきるな。民生用セルなんてものが埋め込まれただけなら、ちょっと頑丈な体になっただけだ。傷の回復が短く、骨も複雑骨折でなければ治りが早いというだけ。それなりに益はあるさ。もっとも、切断されてしまえばどうしようもないがね」

 女は省吾の右足に目を落とす。

「剣術遣いが足を切られるなんて、典型的過ぎる落ちがついたな」

「黙れ」

 自分でも迂闊だったと分かっているのだが、改めて人に指摘されるのはさすがに堪える。省吾は義足を引っ込めて左足で遮るように足を重ねた。

「ただし、民生用セルならばともかく、軍事用となると厄介だ。医療で使われるセルは、せいぜいが傷の修復程度だが、軍事用となれば全身あまねく強化するというもの。皮膚、骨、内臓に至るまでが金属分子でコーティングされて、おそらくは筋力も強化される」

「あのとき刺さらなかったのは、そういうことか」

 省吾は、麗花に刀を突き立てたときのことを思い出していた。

「数年前から、軍事用セルの存在はあった。そのときはまだ研究段階だったわけだが、実用化にはあと20年か30年かかるとも言われていたのだが」

「20年どころか、今まさに実用されてるじゃないか」

「それだけ技術のスピードが早くなっているということだ。新技術は、開発されてそれが当たり前になるまでに100年かかるなんて言われていたが、それが50年、30年と短くなっている。特に軍事応用された技術はすぐにでも使用される勢いだ」

 女は一息入れると、タバコを取り出した。火をつけようとするのに、省吾が口を挟む。

「吸うなら外で吸ってくれよ。ここは禁煙だ」

「外は雨だろう」

 遠慮なく火をつけて、女は煙を吐き出した。煙のにおいに、省吾は思わず顔をしかめる。

「話は分かったが、軍事用のセルとやらを連中が使ってるのだとしたら、あんたらはそれを取り締まるためにこんなことをしているんだろう」

「そのはずだったんだがな、事情が変わった」

「どういうことだ?」

 女は懐から、ずいぶんぼろぼろになった新聞を取り出す。

「こんな街では、情報の入りも遅いだろう。これを見てみろ」

 言われるままに、一面の記事に目を落とした。英字で踊る、事務総長が死亡したという見出しが一面に大きく出ている。

「国連事務総長って、国連のトップの」

「トップというか、まあそんなところだ」

「それが殺されたってのか、しかも国連本部内部で」

 国連の本部とやらが、どういう作りになっているのかも分からないのだが、何か省吾は風光明媚な場所に建つビルを想像した。

「その、国連のお偉いさんが死んだことがどうしたんだ?」

「そうか、お前にはまだ言ってなかったか」

 と、女は床にタバコを投げ捨てる。雨漏りで濡れた床上に着地して、火は簡単に消えた。

「今までお前に下知を飛ばしていたのは、我々ハンドラーだったが。その我々に直接命令を下していたのが、国連事務総長アブドゥル・ザイードだったんだよ」

「話が見えないが」

「監察官というものが最初に出来た経緯は、国連の内部の不正を監視するためのものだった。それが特区、国連管轄地を内偵するためのものになったのは、総督府が現地の勢力と結託して難民を不当に扱うことを黙認するようになってからだ」

「機械を扱う連中を、取り締まるためじゃなかったのか?」

「それも目的の一つだ。そういう、隠密を派遣するようになったのは、国連内部で戦勝国の常任理事国が自らに都合の良い施策をとることになったのが原因。奴らは不当な機械、生物兵器を、特区内部で製造している疑いがあった。それを暴くための監察官、それらを束ねていたのが国連事務総長」

 そういえばこの女から監察官の背景、事情まで詳しく聞いたことはなかった。こんな、いきなりスケールの大きな話になるとは思わなかったので、省吾は間の抜けた相づちをするしかない。

「だが殺された。そうなれば我々も解散するより他ない。今日来たのは、お前にそのことを告げるためだ」

 ぴとり、と水音がした。床に垂れた雨漏りだった。滴の刻む一定のリズムを聞きながら、省吾はしばらく黙っていた。

「解任ってことか」

「有り体に言えば」

 女があまりに軽く言うのだから、いまいちことの深刻さが伝わってこない。だがそれがどういうことを意味するのかということぐらいは、省吾にも理解できる。

「この街の、他の監察官はどうなるんだ」

「すでに大半は消されたよ。残りも時間の問題だ。お前もすでに身元が割れているから、ここに『マフィア』の連中が来るやもしれない。もし、そうなると。お前を保護することは難しくなる」

 女は、省吾に十分考える時間を与えるような口ぶりで問う。

「どうする? 迎え撃つというのならば、ここに留まってもかまわないが」

「逃げろと?」

「現実的に考えれば、そうなるだろうな。監察官じゃなくなった以上、この街にいる意味がお前にあるのか?」

「それは――」

 さっきから脳裏にちらつくのは、ユジンの姿だった。もし省吾がこの街から消えるのだとしたら、それはユジンと今生の別れを意味する

 ただし、それには別の懸念もあった。省吾を狙って『マフィア』が動くとしたら、それは省吾の周りにも飛び火することだろう。ユジンにも。そうなると分かっていて、ここにいる必要はあるのか。

「もし、ここから出るとして。この街から消えるとしても」

 省吾は一瞬、自分で自分の声がわからなかった。それほど限りなく、消え入りそうな声音だった。

「そうすれば、連中の目は欺けるだろうか」

「そんなこと分からないよ。ただ、ここにいれば確実にねらい打ちにされるだろうね。お前は少々、目立ちすぎた」

 少し刺々しい物言いとなる。確かにそうだろう、隠密が前提の監察官であるはずが、面が割れてしまえば。

「いっそあのとき殺されていれば、まだ悩まなくても済んだな」

 省吾はつと、腰を上げた。右の義足が床をこすり、湿った床をへこませる。

「こんなもの引きずりながら、というのも難だし」

「行くか」

「雨の様子は?」

 省吾は窓の外を見る。雨足は大分弱くなっていた。

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