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監獄街  作者: 俊衛門
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第十六章:17

 トラックは全速力で走っていたが、追っ手はそこまで追跡に熱心ではなかったようで、十分も走れば銃撃が浴びせられることはなかった。それでも省吾は幌をめくり外を見ることはなく、荷台の中でじっと息を潜めていた。

 荷台には、助手席の男と同じような覆面姿の男たちがいる。三人ほど、やはりサブマシンガンで武装していた。まさかこの男たちが敵ということはないだろうが、じっとこちらを見ている。隣に座っている連は、彼等のことを知っているのだろうが、省吾はそれでも気を抜かずにいつでも動ける体勢を取っている。

 一時間ほども走っただろうか。ずいぶんと長いこと揺られていたが、ついにトラックが止まった。止まるとともに荷台に光が差し込んだ。

「降りろ、着いたぞ」

 南部なまりの男がそう言う。覆面はすでにとってあった。厳つい顔の、いかにも破落戸といった風情の顔つきだと思った。

「あなたが助けにくるとは思いませんでしたよ、ミスター・ディー」

 連は荷台から飛び降りながらそういう。ディー、というのがこの男の名前らしい。そういえばあのビルに進入するにも協力者がいたと連は言っていたが、その協力者が彼なのだろうか。

「死ぬかもしれないあんなところへ」

「本当だよ、お前たちゃ南辺だからいいけどよ、こっちゃ一度奴らに目を付けられたら終わりなんだからよ。たまったもんじゃねえ、あんなんで命散らしたらよ」

 ディーなる男はひどく不機嫌そうだった。どうやら救出した理由は善意のたぐいではないようだ。

「こんな覆面でもしなきゃ、面が割れちまう」

「ならどうして助けた」

 省吾は、ない方の足を尻にしくようにしながらそろそろと降りる。今更ながら、うずくような痛みがおそってきた。何となく、痛みを誰かに悟られるのがいやなので、脂汗をそっと拭ってなるべく平静さを装ってはいたものの。

 ディーは省吾の後ろを指さし、

「そこの奴に聞け」

 そこで省吾と連、一斉に振り向いた。

 長身の男がいる。見慣れた紺色のパーカー姿に、長髪。無精ひげの朝鮮人がにやにやと薄ら笑いを浮かべてこちらを見ている。省吾は一瞬だけ固まり、そしてため息をついた。

「あんた、金」

「よう、久しぶりだな『疵面』。ちょっとみない間にずいぶんと男前になったじゃねえか」

「そりゃまたどうも。というか、生きてたのかお前」

「つい十日前に合流したばっかでな」

 次に金は、連の方に向き直った。

「ご苦労だったな。機械と一戦交えた後で、今回のこと。お前には迷惑をかける」

「かまいませんよ。あなたがそうしろというのであれば」

 連はパーカーのフードをはずした。金色の髪がこぼれ落ち、連の顔がさらされる。間近ではっきりと顔を見るのは二回目だ。

「それはそうと、手ひどくやられたな。その足」

 金は何故か、えらく親近感のこのもった目でもって省吾の右足を眺める。そういえばこいつも、ヒューイに足をつぶされていたはずだが今はふつうに立っている。これはどうしたことか。

「足の一本や二本、どうってことはない。それより借りを作ってしまったな」

「借り? ああ、別に俺の発案じゃねえからよ。それはどうだっていいんだ」

「何だそれ、どういうことだ」

「まあもし、感謝してくれるってなら彼女に感謝しな」

「彼女?」

 金が体をよけた。

 金の後ろには車がある。その車から降りてきた人物――その姿を見たときに、省吾は心臓が跳ね上がる心地がした。

 ユジンが、まっすぐこちらを見ていた。

「お前」

 省吾をにらみつけるような、鋭い視線をくれる。その目が少しだけ赤く、何かを我慢するように肩が小刻みにふるえている。何かを言いたそうに、ユジンの唇が動き、しかし何かを言うよりも先にユジンが近づいてくる。

 どうしてここに、と問おうとした。それよりも先にユジンが省吾の目の前まで歩み寄り、そして省吾の胸に飛び込んできたのだ。

「な、おい!?」

 急なことで省吾は受け止めきれず、よろめきそうになるのをトラックの車体に手を突いて防ぐ。ユジンは顔を省吾の胸に押しつけて、何をするでもなく、じっと顔を埋めている。

 やがて胸のあたりが、じんわりと熱くなって、ユジンの肩のふるえも少し大きくなった。ユジンはそれでも何かを発することがなく、身を寄せている。省吾は助けを求める意味で金の方をみたが、まるで金はもっとやれというように薄笑いを浮かべている。周囲を見れば、連は驚き目を見張り、ディーは呆れ顔で眺めている。誰もユジンを止めようという気はないらしい。

「あの、ユジンそろそろ」

 省吾はユジンの肩に手を置いた。軽く引きはがそうとしたが、ユジンは離れようとしない。もはや何か説得する気も失せて、とりあえず落ち着かせようとユジンの髪に触れ、華奢な体を抱き寄せた。

「悪かったよ」

 かき抱いた感触は危うく、細い線を描いており、胸の内にある熱さは紛れもなく、あのときに感じたものだ。死の間際に唐突に思い出し、未練を引きずったすべてのもの。今はまさしくその象徴そのものを手にしている。

「……悪い」

 もう少しだけいいだろう。そんな気持ちがあった。だから省吾はもう少しだけ強く、ユジンを抱きしめた。

 サイレンの音が響いてくる。それがまた新たな火種を予兆しているかのようで。その不安をかき消す意味でもまた、胸中の熱を感じていた。


 秋が、遠ざかる。そんな感想を抱くようになったということは、少なくともこの国に慣れてきた証だろうかと、ザウードはそんな風に思う。

 四季と言うものを、はっきり感じ取れる国はそれほど多くはない。故郷のサウジアラビアにも、もちろん四季はあったものの、そこまではっきりと春だとか秋だとか感じ取れるものではない。暑さにうだる季節と、過ごしやすく涼しい、もしくは標高の高いところならば寒い、冬にあたる季節。このころに雨が多く降る。雪は、この国に来て初めて目にした。

「暦の上では、もう冬だな」

 アブドゥル・ザウードが窓の外を見ながらそう発したとき、その秘書は彼の後方三メートル地点で銃口を向けていた。古い、コルトのリヴォルバーの撃鉄を起こして、狙いを定めている。その先には、ザウードの無防備にさらされた後頭部がある。

「もう、この国で迎える冬は何度目かわからない」

「国へは、帰らなかったのですか」

 問いかける、アラン・ロスの後ろには、武装した突入員たちが立っている。ザウードを取り囲み、入り口を固めているのだ。もし、この部屋に入り込み、現事務総長を救出しようとするものが現れれば、たちどころに無力化する――それだけの力量を持った戦闘員たちだ。もっとも、ザウードを救出するものなどいないのだが。

「何年も帰っていない。何せすることが多くてね、たとえば特区にはびこる不正を摘発すべき機関が自らの仕事を放棄すれば、必然私の方で動かざるを得なくなる。そんなことを繰り返して、もう九年はこの国に滞在している」

「あなたの方でよけいなことをしなければ、五年という満期を終えた後に、故郷に戻ることも出来たでしょう。二期十年が最長とはいえ、そこまでして留まる理由があったのでしょうか」

「好き勝手する連中が多いのだから仕方がない。しかし、身内にいたというのは私の目が鈍っていたということだろうか」

「いいえ。監察官を送り込み、連合内部に密偵を放ったまでは良かった。ただあなた方の力と我々の力の差が大きかった、それだけですよ」

 コルトを挟んで言い合うには、やや緊張感に欠く会話である。もっとも、抵抗するだけ無駄だと悟ってのことではあるのだが。突入員たちの肩には国連記章があり、それは明確に如実に語る何よりのものだった。もはや自分の味方など、ここにはいるまい。

「私はね、案外この国の冬は好きなんだよ」

 だからというわけではないが、ザウードは窓の外をみた。最後となる、ニューヨークの街並み。天をつく摩天楼は、そこだけ切り取ってみればいつ見ても壮観だと言える。

「雪の害に悩まされている地域があるのだから、おおっぴらには言えないがね。雪景色のニューヨークの街はやはり美しく見えるものだ。単なる白一色であるならばそれほどでもないだろうが、偶に晴れた日などは太陽の光が反射して、雪はどんな色にでもなる。金色であったり、かといえば空の青さと相まって透明に近い色合いになったり――もちろん雪の色は決まっているが、街の景色となった雪は、やはり違う」

「あなたが詩人だとは思いませんでしたよ」

「そんな気分に浸りたくもなるということだ」

 そしてザウードは向き直った。

「私が殺されたとなれば、大変なことになるぞ」

「その点は、ご心配なく。あなたは病に倒れたということになります。このことを知るものは一部、そして我々の息のかかったものは、すでに本部内に数多く存在する」

「手回しの良いことだ」

「あなたの真似をしただけですよ。どこにも知らされず、どの国家の承認のないまま、特区に密使を放った。あなたは連合を裏切り、本来のご自分の執務を放棄して、違法行為を働いた。あなたがそうなさるのであれば、我々がしてはならない道理はないでしょう」

「先に、無法を働いたようなものに言われるのもしゃくなものだ。それが私のすぐそばにいたのだということも、気に入らないな。何よりもそれに気づけなかった私自身に」

 アラン・ロスが突きつける銃口を、漠然と見つめていた。それはあまりに脅威じみているのに、不思議とそれを感じることはない。常日頃から、いつかはこうなるのだと思っていたからだろうか。自分は誰かに始末される、そういう死に方しかしないと、ある程度予測はしていたから。

「あなたの目論見ははずれましたよ、ミスタ・ザウード。あなたの放った監察官は、もはやほとんど残ってはいない。特区内の我々の協力者が始末しました。国連内のあなたの協力者も同様」

「それでも」

 ザウードは最後に発した。

「それでも、お前たちがそのように行い、振る舞うのであれば、それに抵抗する力もまた存在する。私一人を殺したところで、何かが終わるとは思うなよ、アラン・ロス。お前が思うほどにこの世界は単純ではない、私が終わるようにお前も終わるときがくる、そしてその時はもう間もなくだ!」

 空気の抜けた音がした。

 ザウードの胸の中心で血飛沫が散る。二度、三度とサプレッサー付きの銃口が火を噴き、それに伴い気の抜けた空気音を響かせる。銃弾がザウードの胴に突き立ち、赤い霧を飛び散らせた。

 崩れ落ちる。ザウードは膝を突き、顔を上げた。ロスが見下ろして、銃口を額に突きつける。

「後は――」

 ザウードが何かを言い切るより先に、銃弾が彼の脳を吹っ飛ばした。


 風が吹いた。

 いきなりの突風に帽子が飛ばされそうになり、慌てて帽子の縁を押さえる。風は一陣、吹き込むけれども、それはすぐに収まる。奇妙な風だ。

「どうかしたのかい」

 傍らにいた燕が声をかける。それを受けて女は向き直った。

「風が」

「は?」

「いや、なに。風向きが変わったような気がしてね」

「何あれか? ハンドラーになるには天候の心配もしなきゃなんか? 今日は北風が吹いているから潜入はほどほどにって」

 燕は最大限に呆れた顔でもって答える。ハンドラーは肩をすくめて帽子を深くかぶりなおした。

「そういうことではないよ。あと人前でハンドラーとか言うな。お前のことが周囲に分かってしまうだろう」

「実感、わかないから。省吾と同じか、あるいは省吾の代わりだなんて。どうも俺には荷が重すぎる気がするんだけどねえ」

「何も難しいことはない。私の言うとおりに動けばいいだけだ。まだ時間はあるのだから、少しずつ覚えていけばいい」

「そうかい、まあどのみちどこにも行き場がないんだから、それもしょうがないけどさあ……」

 何やら不満げな燕を後目に、ハンドラーは東を見据える。何気なく目を落としたその先、成海のランドマーク、魔窟の象徴とも言える電波塔が、遠くにそびえているのを見やる。今ここからでは小さくかすむそれが、いやに存在感を放っている。

 しばらくそれを見つめていた。風が吹き、路地の埃を舞い上げ、同時に建物の合間を走る電線が揺れてうなりを上げる。それがいつもの、この街の風景。何もおかしなことなどない。

 それはこれからも、当分はそうであり続けるという気配を残した、そういう日常の光景。

 けれども、それこそが違和感でもあった。もどかしさを抱えながら、女はしかしそれを胸中にしまいこんだ。


 その日のことは一つの終わりで、一つの始まりでもある。内包する火種と、外から炙られる炎、二つの熱は一つの街に注ぎ込まれる。


 まさしくその日が、そうであったと。この日を境に、変わったのだと。気づいたところで、奈落は変わらず。ただ火種を注ぎ続け、新たな熱を生み出す。

 今も昔も繰り返された、最もシンプルな掟の元に。



 監獄街 第二部:完

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