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監獄街  作者: 俊衛門
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第十六章:13

 時間はそれほどかからない。

 目覚めてからの時間を、省吾は計っていた。体感だから、正確であるかは分からないが、おそらくはそうだろうという時間。人間がもともともと持っている体内時計に耳を傾け、あるべき用に身体を動かすことが、武術家にとって必要なことだ。

 しかし、疲労のせいでその周期もどこまで狂いなく動いているか分からない。省吾の中の、体内リズムが正しければ、もうそろそろお迎えのときだ。例の責め苦への。

 ふと、靴音がした。それはかすかで、遠すぎる音だ。

(来たか)

 どうやら体内時計に狂いはない。それが喜ぶべきかどうか分からないが。

 だが、次には奇妙な感覚を覚える。靴音はあまりにも静かだった。ここに来る看守どもは遠慮会釈なく足音を響かせるのに、この気配はまるで自ら足音を殺しているようだ。正直言って、よく耳を澄ませていなければ分からない。

(近づいてくる)

 あと、五メートルといったところだろうか。四メートル、三メートル……扉の前で止まった。

 開錠の音。鉄の扉が開く。

「お迎えにあがりました」

 予想外に高い声音を受けて、省吾は飛び上がった。

 小柄な陰。フードを目深にかぶったその人物は、少年のような声をしている。

 俺は幻でも見ているのか。そんな風に思っていたのが、顔に出ていたのだろうか。陰の主は深くため息をついた。

「拷問で正気を失ったのですか? 私です、連ですよ真田さん」

 そう言ってフードを少しだけ上げると、やたら目つきだけ鋭い少女の顔と対面した。それを見て、省吾はいよいよもって諦めの表情を濃くする。

「そうか、お迎えか。まあそうなることぐらい分かっていたし、むしろ遅すぎるぐらいだ」

 天井を仰ぎ、省吾はどうにでもなれと仰向けに寝転がった。

「こんな街で生きたにしちゃ、長生きした方か」

「真田さん、ですから――」

「それにしても、今際に見るのが何でお前の顔とは、どうにも合点が行かない。幻だとしても、もう少しましなものはないのかよ」

「お望みならば送って差し上げても良いのですが、それは主命に逆らうことになりますので」

 少女が見下ろしてくるのを、十二、三秒ほど見つめた。段々と視界がはっきりしてくると、それがどうやら幻ではないということが分かる。

「……連か?」

「先ほどから、そう申しているでしょう」

 弾かれるように省吾は半身を起こした。

「お前、どうやってここに」

「足跡をたどって来たまで」

 連は再びフードを被り直す。その姿を見れば、紛れもなく連だった。目元が見えない、口元だけのぞく姿の方が、省吾にとってはなじみが深い。

「金大人は以前、《東辺》を調べたことがあるそうです。ここは表向きは製薬会社ですが、その実マフィアとの関連も噂されている。このビルを調べ、調べた結果この場所にあなたがいるらしいということを突き止めました」

 連はこともなげに言うが、突き止めるとか突き止めないとか、そんなに簡単にできるものとは思えない。

「それでここに来たのは?」

「あなたを助けるためですよ、当然。金大人から、そのような命を受けました」

「何であいつがそんなことを」

「私に訊かないで下さい、私は分かりませんので。とにかく、ここを出ます」

 言うと、連は省吾の足にかけられた鎖を引っ張った。足輪の、鍵の部分に峨嵋刺を突き立て、二度三度、突っつき、回しているうちにかちゃりと音を立てて輪が外れた。

「ここにいられる時間も少ないので。急ぎますよ、立てますか?」

「ああ、いや……」

 拷問は足を重点的にやられたものだから、そうそうすぐには回復しないだろう――そう思い、ふと足を見る。あまり気を払わなかったが、火傷でぼろぼろになっていた皮膚は、きれいにはがれ落ちて真新しい皮膚がのぞいている。

 そろそろと立ち上がると、問題なく足がついた。二度ほどその場で足踏みしてみるが、痛みもなく、骨のゆがみもない。あれほど手ひどくやられたにも関わらずだ。

(こんな短時間で)

 省吾はなにやら、自分の足が自分のものでないかのような感覚に陥る。

「早くして下さい」

 連がせかしてくるのでとりあえず牢を出る。廊下に出たところで、連が思い出したように懐に手をやった。

「あと、丸腰では心許ないでしょうから、これを。気休めかもしれませんが」

 そう言って差し出したのは、白鞘の長脇差だ。1尺と5寸ほどの半端な長さの刀を受け取る。

「もうちょっとましな武器はないのかよ」

「贅沢言わないでください。これでも調達するのに一苦労だったんですから」

 省吾はため息をついて、長脇差をベルトに手挟んだ。  


 牢を出てからすぐに通路に出る。その間二人はずっと壁を伝うように歩いていた。

「こんな風にしなくてもいいんじゃないのか?」

 省吾は連の後ろをついてゆく。

「あれが見えませんか」

 連は上の方を、顎先で示した。天井に等間隔に黒い角型の箱が設置されていて、レンズの眼を向けてにらみをきかせていた。連の動きはいちいちカメラの死角に入り込むためのものなのだ。

「とにかく、ここを出るまでは私に従って下さい」

 そう言われてしまえば、省吾も従うしかなくなる。ため息をつき、しかしそれ以上は何も言うことなく、連の後ろに付き従う。こんな年端も行かない少女に対して従うしかできない自分を、少々情けないと思いながらも。

 三度、角を曲がり、三度とも見つかることはなかった。四度目の角を曲がったところで連が制止の合図を出した。

「止まって」

 連は声を抑え、うなるようにささやく。角から少しだけ頭を出せば、黒服姿の男どもが数メートル先にいるのが確認できた。

 二人だ。壁際に立ち、四方に注意を巡らせている。武器は、ここからでは見えないが、拳銃の一つや二つは持っていることだろう。警戒しながらこちらに歩いてくるのが分かった。

 省吾は腰の長脇差に手をかけた。

「ここはまずいな。どこか迂回できるところは」

 省吾がそう言って振り向いたとき、連の姿が消えていた。

 慌てて前を見る。すでに連は飛び出した後だった。

 連が飛びかかる。高く跳躍する――まるで宙に浮いているがごとくに感じた。男はいきなり目の前に陰が飛び出してきたことに驚いて、棒立ちになっている。

 その男の顔面めがけて連が蹴りを放つ。右足裏が男の鼻面を踏み砕いた。男の体が吹っ飛ぶ。

 すぐさまもう一人が反応する。銃を抜く、その右手を連の左脚が弾く。銃を叩き落とした。

 狼狽するその男の顔面に、連の蹴り足が迫る。拝礼をするように深く上体を折り曲げ、その勢いを利用して背中側から蹴りを放つ――まるでサソリが毒針を突き刺すかのごとく。足裏が男の顎先に刺さり、声もなく倒れた。この間10秒ほどしかかからない。

「銃を」

 連はすぐに男たちのスーツの裏をまさぐり、拳銃を換えの弾倉を差し出した。あまりのことに省吾はそれを受け取れないでいた。

「お前――」

「何をしているのですか。刀では心もとないでしょうから、使って下さい。あなたは撃ち方をご存じなのでしょう」

 急かされて省吾は拳銃と弾倉を受け取る。左の腰に弾倉を手挟んで銃は右手に握った。

「いつだか手を合わせたときもあったが」

 銃は旧式のベレッタ。何度か手にしたことはあるが、撃つのは久しぶりだ。スライドの動作を確認して、銃身を確認する。

「テコンドーか? お前の技」

「テッキョンですよ。それよりも早く」

 連が先導するのに、省吾は慌てて後を追った。

(また妙な武術を)

 テッキョンについて、省吾はあまり詳しくない。もともとは朝鮮に伝わる遊技だったはずだ。片足で立ち、もう一方の足で相手を蹴り倒す遊びだが、起源がいつであるか定かではなく、伝承者も少ない。近代になって空手やテコンドーの影響を受けて格闘技として再構築されたが、蹴り技もオリジナルの影響を受けてか足刀や臑でなく踏みつけるような蹴りが多い。

 この少女は確かに今までも徒手空拳を用いてはいたが、省吾の記憶の限りでは連は徒手を主にしてはいなかったはず。峨嵋刺やら、仕込みナイフやら、電気銃やら。それらを使わないということは。

「お前、武器はどうしたんだ」

「峨嵋刺はほとんど使い果たしました。ナイフと電気銃は壊れましたので、手持ちの武器はあまりありません」

「それってほぼ丸腰でここに乗り込んだということか?」

「丸腰ではありません。ナイフと、峨嵋刺も少し。あとそれなりのものは持っていますので」

 連は驚くほど冷静にそう言ってのけた。連にとってそれはさしたる問題ではないということなのだろうが、普通ならばそんな状態でこんなところに赴くなど、できるわけない。

「お前、どうして」

 口に仕掛けたとき、連が手を広げて制止の合図をとる。そうされるまでもなく、通路の向こうから複数の靴音が近づいてくるのがわかった。

 後ろを向く。黒服たちが三人、こちらにかけてくるのが見える。囲まれた。

「伏せて!」

 連が叫んだ。懐からゴルフボール大の黒い球を取り出す。省吾が身を低くするかしないかのうちに、連がそれを左右に投げ込んだ。

 一瞬の間。次には閃光ほとばしらせて黒球が爆ぜた。真白い火花が切り裂き、白煙が立ちこめ、黒服たちの姿を覆い隠した。

 すかさず省吾が銃を構える。両手でグリップを保持、銃口を上向かせて三連射。煙の中の陰を撃つ。男たちが倒れこむのを煙越しに見る。

 煙が晴れた。

「大丈夫ですか」

 連がこちらに向く。その両手には峨嵋刺とナイフがそれぞれ握られていて、刃が血に濡れていた。足下に黒服の躯が転がり、それらはきっちり喉をえぐられていた。

(あの一瞬で)

 確かにこの少女ならば一人でも乗り込めるのだろう、たとえ丸腰でも。相手の虚をつき、素早い身のこなしでもって急所を打つ。それはいうほど簡単にはできないが、それをしてしまうのが連であり、それならばと妙に納得してしまう。

 とはいえ、数に押されては意味がない。

「来たぞ」

 背後からまた黒服たちが駆けてくる。各々がT字の銃身のSMGで武装している。二人して逃げるその背中に発砲してきた。銃弾が省吾の頭上をかすめ、耳元で銃弾が唸る。身を低く走り、角を曲がったところで、五メートル先にまた黒服たちがいるのを認めた。

 構える。ベレッタを両手で握り込み銃口を向ける。

 黒服たちが銃口を向けるのと同時に発砲する。五連射撃ち込み、数メートル先で男たちが崩れ落ちる。それでも後ろから援軍が駆けつけてきて、こちらに向けて撃ってくる。曲がり角に隠れて遮蔽物とした。

「応戦しろ」

 省吾がいうよりも先に連は黒服から奪った銃で、後ろから迫ってくる黒服たちに向けて発砲する。ただしかなり危なっかしく、両手でしっかり握っているにも関わらず銃撃の反動で両手が上下してしまっている。どうも連はナイフは得意でも銃は苦手のようだ。というよりも、そもそも撃ったこともないのだろう。

「あの閃光弾、どれぐらいあるんだ」

 撃ちながら省吾が怒鳴る。連は慣れない銃の反動に四苦八苦しながら答えた。

「あと3、4というところです」

「じゃあ二個だけ使え、ここで」

 省吾は一度隠れて、長脇差を抜く。左手に持ち、体の前で保持する。

 連はそれを見て銃を置く。ナイフと峨嵋刺を手に、白兵戦に備えた。省吾がなにをしようとしているのか、瞬時に理解したようだった。

「投げろ」

 省吾がいうのと同時に連が閃光弾を投げ込むーー前方と後方。火薬が弾け、煙が膨れ上がった、その俊寛に飛び出した。敵の群、黒服たちめがけ。

 銃を構える。発砲。一番手前の男が倒れる。

 隣の男が反応する――銃を向ける。

 撃つ、その瞬間。省吾は間を詰め長脇差を袈裟に斬る。男の小手を切り落とす。すぐさま身を反転させてその背後の男を斬り伏せる。くずおれる、黒服の背後に向けて二発撃った。廊下の角で二人倒れるのを見る。

 銃撃。後ろから。煙が晴れてその合間から黒服どもが発砲してくる。あわてて省吾、遮蔽物に隠れる。その瞬間。

 連が飛び出した。

「おい、馬鹿無茶するな」

 省吾が止めるまでもなかった。連が投げた閃光弾は空中で弾け、廊下いっぱいに閃光が広がる。それを合図に連は跳躍した。

 ステップ気味に走る。いとも簡単に銃撃の中をくぐり抜け、連は瞬時に間を詰める。狼狽する黒服どもの合間をすり抜けながらナイフと峨嵋刺を振るった。

 煙野中で銀色の線が複数走った。刃の軌道が三度四度と乱れ打ち、遅れて血の狼煙が吹き上がる。続けざまに切りつけ黒服どもが倒れる。

 あまりの早業に声も出ないでいると、連が乱れたフードを整えながら声をかけた。

「何をしているのですか、真田さん」

 おまけに全く息が乱れていない。省吾はようやく我に返り、走り去る連に追いついた。

「相変わらず、すばしっこいな」

「どうも」

 走りながら連が言った。

「目標が定まらなければ、銃も当たらないものですよ」

「悪かったな遅くて」

 少しだけ燗にさわったが、ともかく省吾は走った。

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