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監獄街  作者: 俊衛門
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第十六章:12

 リィド・スールという人間ほど、このカリ・アームズ・コープの廊下が似合わない者はいないだろう。当年きって五十六歳、体力も容姿も衰えた中年。白衣姿、あるいはスーツに身を固めた、そういうフォーマルな格好の男女が行き交う中を、一人だけよれよれの作業着を着て徘徊する様は明らかに場違いといえる。

 といっても、それが清掃業者の格好をしていればどうか。少なくとも周囲の人間はリィドのことをそういう風に見る。わずかな塵が許されないクリーンルームに出入りするでもなければ、清掃業者なんてものは毎週変わる。それほど珍しいことなどないのだ。

 だから、リィドがおよそ清掃業者に似つかわしくないタブレット端末を持っていたとしても、それを見咎めるものはいない。

「1時間か……」

 リィドは誰に言う出もなくつぶやいてから、端末の画面をなぞる。黒い画面を背景に、暗号コードがひっきりなしに流れている。

 その画面が唐突に途切れ、回路図めいた地図が現れた。入り組んだ線と長方形が連なる図の所々に、赤い点が散らばっている。点は明滅し、そして画面上に数ミリ間隔でランダムに並んでいるのだ。

 リィドは口元を押さえ、辺りを気にしながら、袖に仕込んだマイクに向かって小声で話す。

「おい、まだ終わらないのかよ」

 その声を、連はヘッドセット越しに聴く。狭いダクトの中、配管づたいに這うようにして進んでいる。人一人やっとというスペースを行くには、連ほど小柄な人間でなければまず進めないだろう。小柄で、かつそういう場所が慣れている者である必要がある。

「急いではいますよ」

 言いながら連はダクトを抜けた。その先は天井裏、まだまだ先は長い。

 1時間ほど経っていた。ここに潜り込んでから――カリ・アームズの職員トイレから天井裏に入り込み、ひたすらガス配管と配線を伝って、天井裏やら柱の中、狭い空間をあらかた這い回ってからの時間だ。その間ずっと休めてはいない。

「早くしてくれよ。それでなくとも時間がかかりすぎだ。あんまり長いと怪しまれる」

 リィドの切迫した声が耳元でするのに、連はあくまでも冷静に返した。

「大丈夫です。ここに潜っていられる時間は把握しています」

「把握していりゃいいってもんじゃない。さっさと仕事終わらせてくれってんだ」

「言うまでもなく」

 連は舌打ちしたくなる気分をこらえた。 

 管が入り組む構造体だった。それにからみつくコード類は、まるで血管と神経の複合であるかのようである。普通の人間ならばこんな隙間、進むのも困難だろうが、連は小柄な身体を生かしてすいすい進む。

 ただ、目的の場所にたどり着けるかといえばそうでもない。闇雲に探すには、このビルは大きすぎた。オフィスというオフィスにはすべてセキュリティがかかっており、白衣の職員に混じって黒服姿の男が行き来している。歩き方を見れば、訓練を受けたプロであることは明白だった。迂闊に下に降りれば奴らの餌食になる。

(だからといって)

 それだからといって引き下がれるはずもない。真田省吾が金にとって重要なのかどうかは分からないが、少なくとも一度受けた以上は遂行しなければならない。

 連はノートを取り出した。紙面には回路図が書き込まれている。その一部分に印を付け、さらに回路に新たな回路を書き加える。実のところ、闇雲に動いているわけではない。この天井の配線、配管、その意味を知る意味でも、この徘徊は必要なことなのだ。

 やがて目的の一つにたどり着く。配線に混じって鎮座するのは、金属の箱だった。

 アイボリーの配色に塗られ、他の配管等と比べればずいぶんと新しく見える金属箱。近づけばそれは機械が詰まったボックスだということが分かる。触れれば熱を持ち、かすかに振動していることから、それが動いていることが分かるのだ。

 連は外箱を開とすぐに、複雑な回路と配電盤がお目見えする。それらを確認すると、連はあらかじめ渡された円筒の物体を取り出す。こちらは透明のプラスチックの中に、電気回路の基盤が入っている。円筒形の頂点にはスイッチがあり、赤いランプが灯っている。

「仕掛けます」

 マイク越しにそう言うと、連はスイッチを押した。途端、ランプが点滅する。円筒の表面には液晶にデジタル表示が浮かび上がり、カウントを始める。カウントがゼロの表示になった途端、ランプが赤から緑に変わった。

 これで、プログラムの書き換えを行うらしい。いわばハッキングの機械であるが、原理はよく分からない。ただ、このアイボリーの金属箱が廊下のあちこちにある立ち入り禁止エリアへの電子扉を開くものだということだ。この機械は一時的にそのセキュリティを麻痺させる。これをどこで手に入れたかと言えば、こういう回路も《北辺》では手に入るらしい。何とも理解しがたい話だ。

「セット完了しました」

 連が言うと、マイク越しにリィドが指示をとばしてくる。

「よし、降りてこい」

 その声を受けて連は、天井の一部にナイフを突き立てた。天井はパネルをつなぎ合わせたつくりになっていて、隙間に刃を通してやると以外に簡単に板をはずすことが出来る。パネルをずらして、注意深く下界をのぞき、誰もいないことを確認してから下に降りた。

「ひやひやさせんなよ」

 リィドが声をかけてくる。タブレット端末を胸に抱えて、周りをきょろきょろと見回しながら言うと、これから何かしようとしていると自ら告白するような振る舞いだ。

「ありがとうございます。この先は」

 連は廊下の壁に手を突く。すると、壁がするりと開いた。隠し扉だ。

「私一人で行きますので」

「そうしてくれ。もうこれ以上は付きあえん」

 リィドは清掃業者の帽子を目深にかぶった。そして連に折りたたみの衛生電話を手渡す。

「で、逃走ルートだけど。ここに来るまでに仕掛けてはいたんだよな?」

「はい、要所要所に」

「ならば、あとはこいつで所定の番号押して発信すれば起動する」

「分かりました」

 リィドは電話を、半ば投げるようにして手渡した。

「ここまで誘導ありがとうございます。私はこれで」

「あんまり深追いすっと、っても手遅れだがよ。せいぜい『マフィア』に捕まらんようにな」

 リィドは立ち去りながら言い、連はその背中を見送った。


 表の廊下と違って、裏は入り組んでいる。一言で言えば迷路のようだ。パーテーションいくつも並べたような壁、人がすれ違えばそれだけで幅一杯になりそうな狭い通路。もし、侵入者がここを通ったとしても、簡単には抜け出せない。そういう作りをしている。こんな構造は、ビルの外側だけ眺めただけではまず分からない。

 息を潜めた。ここを探索しようとしても、闇雲に探す羽目になるだけだ。もっとも効率の良いやり方はほかにもある。

 壁に背をつけて、耳を澄ませると、遠くで人の気配がするのが分かった。気配とは、靴音だったり、衣擦れの音だったり。それははっきりと分かるほどのものではないが、かすかに感じられるものだ。

(半径、十メートル以内……)

 この感覚の鋭さが、連が忍びなどと呼ばれる所以でもある。焼け野原で、水の在処や人の有無を知るためには必要な能力だった。もともと感覚が鋭敏なのか分からないが、ともかくこの力はありがたい。

 一歩、壁から離れた。身を低く、歩き、徐々に歩を早める。腰を沈めて摺り足気味に駆け、目的の場所まで。音が段々と近づいてくるにつれて速度を増す。

 角を曲がった、その瞬間。黒服の男、二人と対面した。

 一人が振り返ったと同時、飛び上がる。三歩ほどの距離を踏み越え、男の顔面に跳び蹴りを叩き込んだ。

 男の顔が弾け飛んだ。それを受けてもう一人が銃を突きつける。

 着地、それとともに連が放つ、後ろ回し蹴り。左の男の右手を叩き、銃を弾き飛ばす。男が目を見開いた、その顔面に膝蹴りを飛ばす。慎重の差をもろともしない跳び上がり気味の蹴りが、果たして男の顔面に突き刺さった。

「SHIT!」

 最初の男が起きあがろうとするのに、連はすかさず男の喉に峨嵋刺を突きつける。それだけでもう、男は動けなくなる。

「動かないで、声を出さないで。もし死にたくなければ」

 切っ先が皮膚に埋まり、一筋血が流れた。その先押し込めば一番柔い部分に到達する。数ミリ動かせばすなわち切っ先は肉を裂き、動脈を破る、その手前で止めている。

「案内を頼みます」

 男がうなずくのに時間はかからなかった。

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