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監獄街  作者: 俊衛門
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第十六章:8

 一晩明けた日の朝。成海の象徴、電波塔直上に朝陽がかかったころに動き出す。この街でもっとも危険で、もっとも安全な《東辺》、その中心部にあるオフィスビルが林立し密集する一区画があった。

 路があった。広い道路がビルの合間を縫うように縦横に走り、その道路に鉄筋の伽藍が陰を落としている。

「カリ・アームズ・コープ」

 傍らにいた男が、その名を口にした。小汚いつなぎに身を包んで、紺色の作業帽をかぶっている四十手前にはなるだろう、黒人の男だ。

「もともとは医療器械のメーカーだが、最近じゃ生体部品とバクテリアを利用した分子機械まで手がけている。世界中の医療の現場でカリ社の製品を見ないときはない、つまりはそういうバカみたいにデカい企業だ」

「当然、中に潜入することなんて不可能に近い、と。そういうことですね」

 連はかかるビルを見上げる。全面磨き上げられた鏡のようで、薄青いガラス壁を成していた。いかにも空間を切り裂くナイフめいたフォルムで、その大仰な姿にも関わらず洗練された構造物といえる。

「まあな。業者は入ることが出来ても、当然だが入り込める場所なんてたかがしれている。噂じゃ『マフィア』どもは地下に潜っているって話だけど」

 と、黒人男は眉をひそめた。

「本当に入り込むつもりか?」

「そのために来たのですから」

 連は当然、そう応えるが、男はため息混じりに言った。

「南の奴らはわかんねえな」

「あなたたちは自分の仕事をしてください」 

 連はそういって、ひときわ大きなスーツケースを取り出した。

 裏口ゲートに、業者のバンで乗り付けて、認証を受けてからビルの中に入る。連のことは特に詮索もされずに通された。そのまま正面玄関まで連れて行かれる。

 正面はまるでホテルのロビーを思わせた。三階部分までの吹き抜けがあり、スーツと白衣の職員たちがせわしなく行き来している。中央には黄金色をしたオブジェが鎮座していた。DNAの二重螺旋を模しているのだろうか、二つの黄金のポールが、くねくねと互いに絡み合うように屹立している。

 スーツの男女、白衣の職員たちは皆一様におくの方に向かい、なにやら物々しい門をくぐって中に入っている。どうやらカードで認証するものではなく、生体――指紋やら網膜やらで認証して中に入るものであるらしい。登録されていなければ、当然中にはいることは出来ない。

(さて……)

 連は男たちから一人離れると、すぐに近くのトイレに飛び込んだ。男用トイレなのは抵抗があったが、この際ぜいたくは言っていられない。個室に入ると、ケースからヤスリと錐、ナイフを順番に取り出す。手には絶縁グローブをはめ、最後に『STINGER』の証であるパーカーを羽織った。

「行きますか」


 両手両足には鎖が巻き付いている。がんじがらめに固定されて、イスに縛り付けられ、身動きがとれない状態だ。

 上半身に、衣服を身につけることは許されない。鎖が直接肌を圧している。もがけばそれだけきつく締まるので、省吾はもうじっとしているだけしかできない。

「民生用の分子機械というものは、軍事用のそれとは比べものにならないが。それでも再生力は、ヒト本来のものに比べればはるかに優れている」

 正面にクロードが座る。省吾とは五歩の距離を挟んで対面していた。省吾の横には黒服どもが、左右に控えている。

「だからこんな真似しても、かなり耐えることが出来るんだよ。たとえば」

 クロードは傍らの男に合図した。男はうなずき、省吾のむき出しになった背中に焼きごてを押しつけた。

 果たして、じりじりと焼ける音とともに異臭を漂わせる。省吾は熱さと痛みをかみ殺しながらじっと耐えた。

「問題はない。数百度の温度ならば、耐えることは出来る。ただし痛みだけはどうしようもない。どれほどつらかろうと、痛みが軽減されることなどない」

 じりじりじりと主張してくる熱さに、声を上げそうになる。そこで無様に叫んでしまえば、奴らの思うつぼである気がして、絶対に声に出すまいとこらえる。そんな省吾を見て、クロードは不満そうな顔をした。

「どうした。痛いならさっさと吐いた方が良い。お前の雇い主は、今どこにいるのか」

「知らん……」

 その一言、漏らすだけでも多大な労力が必要となった。

「頑固だな。どれほど痛めつけても、壊れることはないと高をくくっているのかもしれないが、それは間違いだ。生命力の強さは、そのまま苦痛に比例する。身体が死ぬことを選びたくなるほどの痛みでも死ねないという、それがどういうことか分からんでもないだろう」

 クロードは次に、左隣の男に目配せした。黒服はすぐに、省吾の左足に鉄輪を装着させた。

 よく見ればそれは万力のようになっている。脛を左右に挟み、内側にはぎざぎざとした突起が植え付けられている。万力には、ハンドルがついていてそれを回せばそのまま閉じるつくりになっているようだった。

「たとえばこういうこと。これはスパニッシュ・ブーツと言って――まあ靴には見えないだろうが。完全な機械ならば、こんなものを履かせたところで効果はないが、お前さんの今の状態は、ほんの少しだけ身体が丈夫なだけの生身だ。そう、こうやって」

 クロードがうなずく。すると黒服の男が万力のねじを締め付けてゆく。

「ここまでくれば、分かるだろう。そら」

 黒服が最大限にねじを回すと、脚がだんだんときつく締め付けられる。

「吐く気になったか?」

 万力はもう、骨を圧するぐらいにまで締めつけている。突起はなおも深く食い込み、筋肉と骨の両方が最大の痛みを訴えていた。もう少し回せば、簡単に骨が砕けてしまいそうだった。

「強情張らずに言った方が良い」

「知らん」

 その瞬間。ついにねじは最大にまで締め付けられた。万力が無慈悲に骨を押しつぶし、脛がひしゃげる。省吾は、それでも声だけは出すまいと耐える。歯を食いしばり、唇を噛み、しかし口の端から唸り声が洩れる。

「痛むかい? 安心したまえ、四肢は切断でもしなければセルが時間をかけて修復してくれる。内臓も、重大な器官が破壊されなければ少しの傷なら治せる。死ぬリスクはきわめて低いが、裏を返せばいくらでも痛めつけることが出来るということだ」

 その状況を、クロードは楽しんでいるかのようだった。声が幾分弾んでいる。

「さあさ、次はどうする? 指を潰すか足を射抜くか。それよりも早くギブアップした方が良いと思うが?」

 黒服の一人がまた焼きごてを押しつけた。省吾は苦悶の表情を浮かべ、身をよじっている。

 そんな省吾の様子を壁の向こうで見つめる者がいた。埋め込み式のマジックミラー越しに、麗花と一人の男が見据え、省吾とクロードのやりとりを眺めている。

「ずいぶん粘るものだな、あの男」

 スーツ姿の、白人男が漏らすと、麗花はそちらの方を見ずに言う。

「あれだけ痛めつけても吐かないということは、監察官には何も知らされていないということでしょうか」

 麗花は、ちょうど省吾が指先を万力で潰されるのを目の当たりにする。さすがに省吾も我慢しきれなくなったようで、鎖に縛られたままのたうち回っていた。

「それにしても、ずいぶん脆いものですね」

 麗花が口にすると、男は好奇の目を向けた。

「ほう、脆いとは?」

「セルによって肉体を修復するといっても、足も手も簡単に潰れてしまう。あれではふつうの生身と同じでは?」

「何だ、心配しているのか? 麗花。お前の身体も同じく脆いんじゃないかって」

 男はまるで、おもしろいものを見つけたというような笑みを見せる。

「あの男に埋め込まれているのは医療用だからな。せいぜいが修復する程度のもの。お前の身体に入っているのは軍事用だから、そもそも質が違うよ。生体と金属の混合を生み出して、組織そのものを強化する。今、お前に同じ事をしたところで簡単に手足がどうにかなるということはない」

「そもそも私は、捕まるようなことはありませんから」

 麗花の言葉に、男は笑いで応じた。

「ただ、孔翔虎らに比べると、やはり脆さは目立つかもな」

 と、男はタバコを取り出して火をつける。煙を吸い込んで吐き出すと、狭い室内に煙が充満した。

「セルは分子機械といっても、その実あれは生物組織に近い。義体技術が機械そのものを埋め込むのに対して、セルは人体構造に依拠しつつも強化するというものだからな。お前の身体だって、人体のそれに近いものだ。生物のなめらかさを重視すれば、機械の耐久性はある程度犠牲にならざるを得ない」

 ひと吹い、ふた吹いするとタバコはもう半分ほども灰になってしまう。

「切れ味鋭い刀が実は脆いように、ひとつの特性に着目すればもう一つが犠牲になるなんて良くあること。それでもお前の身体は、奴よりは頑丈だよ、麗花」

 そういって男は、用済みの吸い殻を投げ捨て二本目に手を伸ばすのに、麗花がきっと睨みつけた。

「脆いというのであれば、そのような毒物も慎むべきでは? 皇帝エンペラー

「何だ、麗花はこの煙は嫌いか? 血煙を浴びるのは平気だろうに」

「茶化すのはやめてください」

「冗談だ」  

 麗花がきつく言うと、男は残念そうにタバコを仕舞う。

 ミラーの向こうでは、省吾が鉄の靴を履かされていた。隙間から熱湯を注がれていて、その熱湯は靴にたまり、皮膚を爛れさせるのだ。すでに熱さで、省吾は苦悶の表情を浮かべている。

「おう、あれは熱そうだな。完全な義足ならともかく、セルは人間の感覚を残しているからな、あれはくる」

 そういいながらも、男――皇帝エンペラーは楽しげだった。拷問風景が、何か特別なものにでも見えているのだろうか。麗花にとっては、そんなものは特に珍しいものでもないし、皇帝エンペラーとてその光景を見慣れていないということはないはずなのだが。

 やがて省吾は動かなくなった。ぐったりとして、気を失っている。

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