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監獄街  作者: 俊衛門
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第十六章:6

 刃を引き抜くと、刃紋の美しさが際だつ。完全に鞘から引き抜くと、しなやかな刀身が、まさしく自らの意志で屹立しているかのごとく天を衝いた。

 舞は、刀を水平に傾けたり刃を返したりして、刃こぼれや曲の有無などを逐一チェックする。ユジンはそれを後ろから見ていた。

「……機械と戦った割には」

 舞は刃の方を自分の方に向けている。刃に写り込んでいたのは、実年齢よりもさらに幼く見える舞の横顔。顔立ちと反比例して、なぜか目つきは冷静さを露わに、老成さえしているようにも思える。

「ずいぶんと綺麗ですね。多少の刃こぼれと少しの曲り、もっと痛むかと思いましたけど」

 舞は刀を寝かせて、正座する自らの膝に刀身の腹を押し当てる。そうすることで刃の曲りを矯正しようというのだろう。日本刀というものは、以外に柔軟なものだ、と思う。

「真田さん、連れ去られたそうですね」

「何だか知らない連中に、邪魔をされて」

 どう答えれば良いか、考えて、結局は普通に答えるしかなかった。ぱちりと小気味良い鍔鳴りの音を響かせて、舞は納刀し、剣を右側に置いて向き直る。

「あなたはそれでも、この刀を届けてくださったのですね」

「省吾が、それを持って行けと言うから。私はそんな刀なんて、どうでも良かったのに」

 何となく、舞と顔をあわせづらくなり、ユジンは顔を背けた。何せあの一件以来なのだ、舞とこうして対面するのは――あのとき、ひどい言葉を投げかけてしまったときからユジンは舞を避けている。もっとも、機械たちに掛かり切りであったというのもあるのだが。

「私も、できれば刀よりも自分の身を優先してほしかったですね。でもあの人はそういう人ですから」

「何がわかるっての、あなたに省吾のこと」

 それでも、前ほど苛立ちは感じない。衝動に任せてあの言葉を吐いたときよりは、冷静に対していられる気がした。

「あなたほどには、分からないでしょうけど。あの人の人となりは、想像がつきます。誰とも交わらないと言いつつも、誰かが助けを求めたら手を伸ばさずには居られない。あなたもそうやって助けられたのでは? だからあの人を、同じように助けたいと思っている」

「私はっ」

 ふとよみがえった、省吾の言葉が耳をついた。

 ――惚れた女に。

 顔が熱くなるのを感じた。最後に別れたときから十時間ほどは経過しているのだが、それだけで忘れるなど不可能というものだ。一旦鎮めようと深く息を吐き、気を落ち着ける。あまり大げさに深呼吸すれば舞に悟られそうであったが、時すでに遅し。舞は、まるで慈しむような眼でもってユジンに笑いかけていた。

「きっとあの人は、あなたを大切に思っている。命をかけても良いと、おそらくそのつもりで向かって行ったのでしょうね」

「う、うるさい」

 どうして舞はここまで堂々としていられるのか、少々疑問だった。いつも彰の後ろに隠れておどおどしているという印象が強かったから、物怖じしない今の舞は少しばかり不気味ですらある。

 いや、『STINGER』との同盟話をまとめたのは舞であると聞いていた。案外こちらの方が、舞の素なのかもしれない。ユジンが強く出られないから、それが態度に現れているのか。

「この刀ですが」

 ふと舞が手元の刀を――省吾自身が”焔月”と呼んでいるらしいその刀の束をなでた。

「これの所有権は、真田さんには無いんです。私が管理して、都度貸し出すという約束で」

「……それは聞いたわ。ヨシから」

「あの人には気の毒なことをしました」

 舞の目元が寂しげに揺れ、しかしすぐに言葉をつなぐ。

「私が貸し出して、そしてあの人が返しに来る。そしてまた、あの人が使いたいというときには私が貸す。そういう取り決めです。あの人は決してこれを、自分のものにしようとはしない」

「どうしてそんな面倒なことに?」

「あなたも分かるかもしれませんが」

 困惑気味に舞は微笑んだ。

「少し頑固なところありますから、真田さん。だけどそれだけ義理堅い。必ず助けるといったら助け、口では何でもないそぶりを見せても、仲間を見捨てることはない。そういう人だから、あなたはあの人に惹かれたのではないですか」

「私は」

 何故、この少女の言葉にいちいち心が揺れ動くのだろうか。もしユジンが強く出れば、たちまち口をつぐんでしまうかもしれないこの子に。

「省吾には、助けられてばかりだったから」

 だけど、この子の言う通りだったのだ。改めて、言われるまでもないことなのだ。ユジンに危機があれば必ず省吾は駆けつけ、省吾がピンチのときには真っ先に駆けつけたいと思っているのが、偽りならざる心なのだ。

 それをどこかで違うものだと思っていたが、そうではない。そうではないことに気づいてしまった。

「あの人も、同じ気持ちでしょうね」

 舞はやはり、寂しげな笑みを浮かべたまま言った。

「少しうらやましいです」

「あなたに、そんなこと指摘されるなんてね」 

 ユジンはもう、この少女に対してどうこうしようという気は失せていた。

「一体どうして、あなたはそこに気づいていたの?」

 ユジンはつと、疑問に思って聞いた。

「私はあなたに突っかかって。それも全部が全部、雪久があなたのことを目にかけているから。だからそれが気に食わなくて、私は。だからあなたに……」

「本気の嫉妬から来るものであれば、あの程度では済まないものです」

 悲観も激昂もなく、舞は淡々として応える。

「人の心というものは、もっと深いところで憎しみを抱けば、言葉だけでは足りません。あなたの言葉には、それほどの本気も伝わってはいませんでしたから。それこそ南の片隅で客を取らされていれば、そんな人間の機微を感じる術も、自然に身につくものです」

 ちくりととげのような痛みが胸を突く。『BLUEPANTER』に囚われて、そこで身売りさせられていたことなど、この少女には何の非もないことなのだ。それどころかユジンも、一歩間違えればそうなっていてもおかしくなかった。否、ユジンのような全く何も無かったということが、そもそも奇跡じみている。この街で、この時代に生まれておいて。

 それなのに私は――

「真田さん、助けられませんか?」

 舞はユジンの心の内を、知ってか知らずか、ともかくそう言い出した。

「彰には言ってみた。でもだめだって、そもそも東には近づけないらしいから……」

「でも、助けたいのですよね」

 舞はもう一度、念を押すように聞いてくるので、ユジンはややあってからうなずいた。

「それは、そうに決まっている」

 ユジンが答えた。

「まだ何も返していない、何も報いていない。私が彼にしてもらった、何分の一でも応じたい。だからこのままあきらめるんなんてしたくない、したくないから……」

 最後にはユジンは、声を絞り出す事模できなくなっていた。

 そんなユジンに対して舞は、大きくうなずき、そして。

「だそうですよ、金大人」

 ユジンの背後に視線を落として言った。ユジンもつられて振り向く。

 いきなり目の前に壁が立ったかのような錯覚に陥った。

 それが仁王立ちする金の体であると認めた。頭二つ分高い位置から金は、笑いながら見下ろしてくる。

「……いつから居たの」

「最初っからだがな。普段ならお前さん、とうに気づいていただろうに」

 からからと笑いながら舞の横に腰を下ろす。

「よっぽど気が回らなくなってたみたいだな、え? そんなに気をもまなくてもいいものを、さっきも相当、彰に迫ったみたいじゃねえか。そんなに余裕がないんか、真田のことになると」

 にやついている金を前にして、体温が急激に上がっていくのを感じた。最初から、ということはつまりあれもこれも聞かれていたということで――ということは――

「あっ、あのね。ちょっと誤解しているみたいだけど、金」

「何がわかるの――と来たもんだ」

 気色悪い高音を発して、金がユジンの声を真似て見せる。全く似ていない。

「全くよぉ、聞いてるこっちが恥ずかしくなっちまったよ。若いってのはそれだけで特権だな、おい」

「いや、だからそれは」

「しかしあれだな、『OROCHI』の棍術使いは『千里眼』に惚れているってもっぱらの噂だったが、その辺どうなんだよ?」 

 と、金は隣に座る舞に話を振る。わざとらしく舞は思案するように小首を傾げてみせた。

「想いの丈を見失うなんて、よくあることですよ金大人。憧憬や忠心が、すなわち恋心であるかのように錯覚してしまう、つまりはそういうことなのでしょう」

 てっきりたしなめてくれるものと思っていたが、あろうことか便乗してきた。これで二人の標的は絞られて、ユジンは抵抗する術をなくしてしまう。

「ほほう。しかし実際は真田の方に向いていた、と」

「まあ、雪久はああいう人ですから、まるで他人のことなんて無頓着ですからね。想いを向けたとしても、行き場などありません。でも真田さんはユジンさんのこと、ずいぶん気にかけていたようですし」

「なるほど、女も惚れるってものか。やりやがるなあいつ」

「ええ、罪な人です」

「いい加減にしてよ」

 つい大声を出してしまう。金は生温かい目で見て、そして。

「お返しですよ、ユジンさん」

 舞は、してやったりというように、いたずらっぽく笑った。

「これでおあいこです」 

 この一言で、ユジンが投げかけた言葉――侮辱めいたユジンの言葉は、なかったことにと、そういう意味だった。舞の方から、ユジンに対して、これで終わりなのだと、そう暗に告げるよう

「いいじゃねえか、こんな街で惚れた腫れたなんてあり得ない、なんてよく言われるけどよ。そういう余裕も大事なもんだ」

「だからって……ああもうっ」

 ユジンはもう、否定する気も失せていた。抵抗すれば深みにはまり、この二人はますます勢いづくだろうから、否定のしようがない。

 かといって肯定すれば、それはそれでますますつけあがらせるだけだ。もう勝手にしてくれ、そんな心地で天を仰ぐ。

「あなたって、どっちが素なのかしらね」

「どっちと言いますと」

 舞は微笑みながら聞き返す。

「その、今のあなたと。いつも彰の後ろに隠れているあなたと」

「どっちも私ですよ、ユジンさん。あなたが真田さんに見せる顔と、ほかの誰かに見せる顔が違うように」

 そんなにあからさまに変わった覚えはない、と言い返せばまた金に何を言われるか分かったものではないので、仕方なしに黙った。

「いいことだと思うぜ、ユジン。そういうのも」

「あんたはもう黙っていてよ」

 ひとつため息をついた。かなわない、と心底そう思った。この少女、宮元舞という少女には、どこかしら得体の知れない何かがある。それは常に感じているものであれば、実はそうではない。そのときどきに顔をのぞかせて、普段は引っ込んでいる。

 そういうものなのだろう、省吾やレイチェル、金が常日頃から剣呑な空気をまとっているわけではないように、この子もまた異質な力を持っているのだろう。そうだという確たる根拠などないが。

「ま、冗談はさておき」

 金が急に真顔になって向き直った。それとともにゆるい空気が、打って変わって張りつめてくる。

「お前の望み、一つかなえてやるよ、ユジン」

「え」

 ユジンが問い返す、間もなく金は続ける。

「つまり、真田省吾の居場所を突き止め、奴をここに連れ返す。『千里眼』や『飛天夜叉』が動かないのであれば、独自でやるしかない。その独自の部分を、買って出てやるというのだ」

「でも、それって」

「もちろん、単独行動だ。だが何がいけない? 俺は確かに『千里眼』に兵を貸したが、従うと決めた訳じゃない」

 なにやら納得できるのかできないのかわからない理屈だが、それを良しとするのは立場的にまずい気がしたが、しかしそれ以上に。

「気持ちはありがたいけど、でもあなたに無理をさせるわけにもゆかない。探すなら私一人で探す。個人的問題にあなたの手を煩わせるほど、私は落ちぶれてはいない」

「なあに気にすんなって。いいもん見せてもらった礼だよ」

「いやだから」

 金は隙あらばからかおうとしているようだ。律儀にそれに乗ってしまう自分も自分であるが。顔が熱くなってくるのを顔を背けて誤魔化すが、多分誤魔化せてはいない。

「ただし、探索したところで真田にたどり着ける保証はない。彰の言うとおり、あいつはすでに生きていない可能性だって十分ある。そこのところは、覚悟しておけよ」

「それは……」

 一瞬だけ躊躇しかけたが、すぐに飲み込む。

「分かっている」

「よろしい。さて、ここで問題だが」

 と金は人差し指を立てて言う。

「さっき、お前たちが戻ってきたとき、何人が戻ってきた? 負傷した者、死亡した者、しかし遊撃隊以外でもう一人、お前と一緒に機械どもに対峙した奴がいたはず。そいつはどこに行ったと思う?」

 問いかけは、やがてすぐに一つの答えにたどり着く。ユジンはあっと小さく声を上げた。

「連――」

「うちの優秀な忍びは」

 金は、得意満面で言う。

「一体今、どこにいるんだろうね?」

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