第十六章:4
リーシェンが駆けつけた時には、すでに酒盛りが始まっていた。
「おう、遅えよ」
黄がまず声をかけ、杯を掲げる。すでに空の酒瓶が何本か転がっていた。
「ごめんです、ちょっとバタバタしてて」
「まあいいから、座れ座れ。お前の席はそっちだ」
ディエン・ジンが杯を傾けながら言う。促されるまま座ると隣のイ・ヨウが、瓶を傾けてきた。リーシェンの右が黄、左がイ・ヨウで、そこから一人分のスペースを挟んで、ディエン・ジンが座り、円陣を組む形となる。その一人分の空白を見れば否応なく、自覚させられた。そこはリーシェンから見れば向かい側、いつもはヨシが座っているところだ。
ヨシの死を、リーシェンはユジンから聞いただけだった。遺体は誰かに持ち去られてしまい(乱入者がいたということだったが)埋葬も出来なかった。だから、ヨシが死んだと聞かされても正直言ってぴんとこなかった。
今でははっきり理解できる。寂しげなスペースがなによりも、如実に物語っていた。
「無理して前線に出て来るから、あの野郎」
黄が手酌で酒を注ぎ、一気に飲み干した。
「弱えくせしてよ」
「まあ、でもあいつのお蔭で機械倒せたようなもんだろう。真田の旦那に刀渡したの、あいつだってんじゃんか」
ディエン・ジンがしんみりと言った。
「その真田も、行方不明だがな」
とイ・ヨウ。南から西へ奔走したにも関わらず、あまり疲れの色は浮かべていない。
「まあとりあえず……そろったし」
黄が杯を取ると、酒を注ぎ、ヨシの席に置く。そして4人そろって杯を掲げ、一気に飲み干した。こんな街での、気休め程度の手向けだった。
「しかしまあ、あんまり勝った感じはしねえな」
黄が言うと、ディエン・ジンはかぶりを振る。
「勝ちといっても、いろいろ失い過ぎたし、なんせギリギリだったし。そんな雰囲気じゃねえさね」
「おまけに妙な連中に邪魔されたですし」
実は、リーシェンはあまり酒が強い方ではない。最初の一杯は飲み干したものの、あとは唇を濡らす程度に、ちびりちびりと飲んでいる。そんな風に飲んでいれば、いつもならば黄が勝手に酒を注ぎ、潰れるまで飲まされるのだが、今日はそんなこともない。黄も静かに飲んでいた。
「あの連中、噂じゃ『マフィア』だってんだけど。どうなん、その辺」
ディエン・ジンが切り出した。
「噂も何も、確定だろうよ。ヒューイの後ろ盾が《東辺》、奴は捨てられたんだ」
イ・ヨウは一気に杯を煽った。この面子では一番酒が強い。
「そもそもどうしてヒューイは『マフィア』とつながり、あったですかねえ」
酒の強さが力量に比例しているのか、などと考えながらリーシェンは全く減らない自分の杯を眺める。
「そんなの知らん、があの機械どもを貸し出す代わりになにか条件でもつきつけてたんじゃないか」
「条件ねえ……まあどうでもいいが」
ディエン・ジンが酒を注ぎながらぼやく。
「あの機械ども、かなり手ごわかったんだろ? あんなのが東にはまだいるのかい」
「いるだろうな、それこそ人間が太刀打ちは出来ない。俺は直接対峙したわけじゃないが、それでも何度か死にかけたし」
そういえば、この中で機械とやり合ったのはイ・ヨウだけだと気づく。
「どんな感じ、でした?」
「どんな感じも、遠くから射撃加えるだけでも相当なプレッシャーだ。ユジンたち、よく間近で打ちあえたと思うよ。韓留賢も」
そこまで口にしかけて、しかしイ・ヨウは押し黙った。黄が顔をしかめて悲痛そうな面持ちになる。
「大分悪ぃんだってな、脚」
すでに韓留賢のことは、リーシェンも聞いていた。脚を砕かれ、一命を取り留めたものの、もう一生歩くことは出来ないと医者に言われたらしい。この街でかたわになるということは、つまりはまともに暮らせない難民がさらにハンデを背負うということは、それはもう生き行くのが困難ということであるのだ。
「どうするですかね、韓留賢」
「抜けるんじゃね?」
と黄が言う。
「抜けてどうするですか」
「さあな。女のとこにでも転がり込むか……」
「女って」
「あれ、リーシェン知らなかったんか? あいつ女いるってこと」
え、とリーシェンは声を漏らしたが、ディエン・ジンもイ・ヨウも別に動じない。逆に、何をいまさらという目で見られた。
「確かなんですか、それ」
「女を見たことはないけどな。たまに連絡とってんの見るし、あいつも認めてるしよ」
黄はそこまで言ってから、盛大な溜息をついた。
「まあったくよ、斬った張ったやってる間によくもまあ」
「うらやましいんけ?」
ディエン・ジンがにやけながら言った。
「女抱きたいなら、どっかで買ってくりゃいいやねえか」
「先立つものがなきゃしょうがねえだろうが」
「そんじゃ、残りモンで我慢するっきゃねえな」
ディエン・ジンが思いついたように言う。
「ユジンに頼んだら一回ぐれえはヤらしてくれんじゃねえか、なあ?」
「確かに、そこらの女で済ますよりは手頃かもしれんな、黄。一度やってみたらどうだ?」
イ・ヨウもそれに便乗する。二人は冗談ぽく言っていたのだが、黄はわりと真剣な目をして詰め寄った。
「おい。まさか俺にアレを抱けっていうのかい」
「アレって……」
どこかで聞かれていないか、リーシェンは一瞬だけ辺りを見回してしまう。
「ダメけ? まあお前が実行しようとすりゃ、3秒で殺されちまうだろうからな」
「命がけの割には、得る物も少ないさな」
ディエン・ジンとイ・ヨウの軽口に対して、黄は少しばかり腹を立てたようだった。
「馬っ鹿、あんなんはたとえ裸で目の前にいてもごめんこうむるね。ギャングの女相手にした方がまだヤれる」
「そうかい? あれはなかなかいい女だと思うぜ。まあ雪久にぞっこんだってから、そもそもヤるヤらないとか以前の問題だし」
ディエン・ジンが杯を傾けた。イ・ヨウが何やら思案顔で首をかしげ、やがて口を開いた。
「なあ、その、雪久に入れあげてる、ってのは」
「ああ、あんたは後から来たかんな。知らんだろうけど、そういうことだよ。ユジンの奴、雪久に惚れてんだけど、肝心の雪久が相手をしねえってんで」
「そうか? 俺はてっきり、真田のこと好いているのかと」
イ・ヨウが言うのに、ディエン・ジンと黄がぎょっとして顔を上げた。
「お前、それはさすがにどうかと思うぞ」
「ん、そうかね。俺の勘違いか……真田が行方不明ってなったとき、ユジンがかなりムキになっていたみたいだったから、孔翔虎に。てっきりそういうことかと」
「あいつは何にでもそうなるんだよ。普段は冷静でも、ちょっとしたことで周りが見えなくなるし。雪久絡みだろうと真田絡みだろうと、仲間のことになると特に余裕がなくなる」
「真田を仲間と認識しているってことは、つまりそういうことじゃないのか?」
「男として見ているかどうかってのは、また別だろうが」
黄が言うと、イ・ヨウは納得したようなしないような顔になった。
「そうかね、ちょっと見た感じだったら随分息が合っているようだったけど……」
「そんなこた、どうでもいい。あいつが誰に惚れてようとなんだろうと」
黄は一気に酒を煽り上げた。
「じゃあよ、残りの一人は? 『牙』の妹。あいつなら殺されるこたねえだろ」
ディエン・ジンは完全に酔っているようだった。
「さっきからお前は俺をいけにえにでもしようとしてんのか、そんなことしたら今度は雪久に殺されるだろ」
「決死の覚悟で挑んでみるんも、いいんじゃねえか? その場で殺されるか、後で殺されるかなら、まず一発決めてあとくされなく死ぬ方がいいんじゃね?」
「馬鹿かてめえは。そんなん言うならお前やれよ」
「別に俺はそこまでしてヤりたかねえし」
さっきからヤるだのヤらないだのと、リーシェンにはとてつもなく想像の範疇外のことで、話題に入りづらい。さすがに何のことを話しているのかはわかるのだが、リーシェンにそんな経験など皆無だ。もちろん、経験してみたいという気はあるが、差し迫ってしなければならないことだ、とかそんな風に感じたこともない。どこか遠い世界での出来事であるかのように感じられる。
「まあ、さっき真田の旦那のことが出たけど。俺はあの『牙』の妹は、旦那に惚れていると見た」
「何で? 真田さんに?」
ディエン・ジンが言うことに、リーシェンが訊き返す。黄を見ると、黄も以外そうに眉根を寄せていた。
「何でまたそんな珍説が出て来るかね」
「あいつの刀、『牙』の妹の所有物だとよ。何かあるたびに貸し出すんだとか。それ聞いたときに、絶対そうだと思ったけど」
「んだって、別にあの妹と省吾って、一緒にいた時あったかね? 彰とばっかいるイメージしかねえけんど」
「さあな、そもそもあの妹が雪久のことどう思っているんかもわからんし。というかジン、なんでそのこと知ってんだ」
「そのことて」
「だから、その刀がどうしたとか」
「聞いたんだよ、あの娘に。ヨシに、持っていくように頼んだんだって」
ディエン・ジンが口にした瞬間に、場の空気が静まり返るのが分かった。
「落ち込んでいたぜあの嬢ちゃん、自分のせいでヨシが死んだんじゃないかって」
「そんなこと、今さら」
イ・ヨウが静かに言って、あとはしばらくの間沈黙が降りた。
「……これからどうするんですかねえ」
そうひとりごちて、リーシェンは杯の中の酒を飲み下した。