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監獄街  作者: 俊衛門
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第十五章:12

 二足飛び越える、間合いを潰し自らの身を差し出すための歩を繰り出す。レイチェルが踏み込む先――正面向かい合うその領域に入った瞬間、ヒューイがビルジーを打ち出した。

 間一髪、かわす。体を開いた瞬間にヒューイの指先が首筋をかすめる。レイチェルその手を取り、体を入れ込み手首を極めて後方に投げた。

 手応えが消えた。なんとヒューイ、空中で一回転してレイチェルの投げを相殺し、そのまま着地してのけたのだ。あっけに取られるレイチェルに縦拳を続けざま三連打ち込む。狼狽しいしい拳を捌き、後退しながらレイチェルは距離を取った。

「くそっ」

 そして飛ぶ。レイチェル、跳躍気味に横蹴りを打つ。

 同時に躍る、ヒューイの右脚。フック気味の蹴りがレイチェルの蹴りと交錯した。互いの脚を弾き合い、二人して体勢を崩す。

 離れた。互いに距離を開け、互いに構えを取ったまま膠着。

 だが今度はその時間も長くはない。滑りよるようなステップでもってヒューイが間を詰める。彼我の距離が一足まで縮まり、その位置ですかさずヒューイ、ビルジーを放つ。レイチェルが弾き落とすと見るやヒューイが体を転回させ、裏拳を放った。

 頬をかすめた。拳の圧がレイチェルの顔を捉え損ねた。

 レイチェル、両の掌を交互に突き出す。ヒューイの両手が正確にレイチェルの掌底を弾き、弾くとともに縦拳。

 レイチェルの腕が空を撫でた。掌を差出し、縦拳と交差させる。拳を受け流してやるとヒューイの体がつんのめり気味に崩れ、崩れた瞬間にヒューイの体を押し込む。果たしてヒューイは5メートルほど後方に吹っ飛んだ。

 化勁である。相手の力を吸収し、その方向をずらしてやることで相手を崩す。太極拳の技法だ。

畜生ボー・シット!」

 起き上がってすぐに、ヒューイが向かってきた。右の拳を体ごと叩きつけてくる、それより早くレイチェルが蹴り込む。低い、踏みつけるような蹴りでヒューイの脛を打った。

 ヒューイがバランスを崩した、瞬間。最大限の勁力をこめた掌を打ち込んだ。

 みしり。そんな音がかすかに聞こえる。掌底がヒューイの胸に深く刺さり、胸骨の割れた手応えをその手に感じた。

「かっ……」

 ヒューイが絞り出すような声をもらす。目を見開き、胸を押さえ、体を折りながらヒューイが後退する。好機。

「崩!」

 叫び、気勢を発し、勢いそのまま踏み込んだ。レイチェルが渾身叩きつけた掌が、しかし次には空を切る。

 下を見る。ヒューイがしゃがみ込むような低い体勢を取っている。レイチェルが離れる、間もなく。ヒューイがレイチェルの腕を取った。

 体をひきつける。腰を跳ね上げる。見事なまでの一本背負いが炸裂した。レイチェルは宙を舞わされ、次の瞬間には地面に叩きつけられた。

 呼吸が止まる。コンクリートの地面に打ちつけられた衝撃で、体がばらばらになるような心地を覚えた。全身に痺れが伝播して、一瞬目の前が真っ白になった。

 レイチェルはなんとか起きあがろうとするが、その目の前に磨き上げられた靴のつま先が飛び込んでくる。避けきれずまともに顔面に受け、レイチェルは今度こそ完全に倒れ込んだ。

 ヒューイが馬乗りになる。レイチェルの喉に手をかけ絞め上げた。

「この街の頭なんてもんはよ」

 レイチェルの首を絞めながらヒューイが呟く。

「単純に力と力だ。のし上がるにはそれなりに金も必要、物量もいる」

 力が、徐々に強くなる。だんだんと目の前が暗くなってゆく。レイチェルは必死に抵抗しようとするが、もはや手に力が入らない。

「のし上がんなきゃよ、ストリートでくたばるんだ。あんたの下じゃない、誰かの下でもない、ここで俺が支配する。そのために連中を利用してなにが悪いんだ、レイチェル・リー。何が!」

 ヒューイが必死の形相でもって絞める、その顔も声も遠ざかってゆく。感覚をおぼろげに辿りつつ、完全に途絶える最後の一線を踏み越える、その間際。すべての残された感覚を右足に込め、膝をかいこみ、脚を放り投げる感覚で蹴りを放った。

 無我夢中で振り上げた右足はヒューイの背中を打つ。一瞬だけヒューイの右手が緩む。最後の力を振り絞ってヒューイの右手を払いのけ、左脚でヒューイの胴を蹴り込んだ。ヒューイが体の上から転げ落ちるに、レイチェルは起き上がり後退する。

「この、おま……お前はっ」

 大きくせき込みながらレイチェルは怒鳴った。

「お前はっ、利用されているのはお前の方だっ。この馬鹿者」

 呼吸を整え――それでも息は苦しいままだ――心臓の鼓動を無理矢理に納めようとした。呼吸を操り、気を静めるために、腹の中のものをすべて絞り出すような呼気を連続で行う。

「あんな連中に踊らされて哀れな奴。私を殺して西を掌握したところで、所詮切り捨てられるのはお前の方だ。それがわからないか」

「だったら何だ? 理想を掲げているだけよりはましだろう。今あの連中に利用されたとしいても、貴様がいたままでは喉笛に食らいつくことも出来ない」

 レイチェルが構えを取る、よりも早く。ヒューイが飛び込んだ。

 ビルジー。レイチェルが身を逸らして避ける。

 続けざまヒューイ、踏みつけるようなストンプキックを放った。膝関節を踏み折る低空の蹴り、慌ててレイチェル、脚を引き関節を守る。そのせいで一瞬だけレイチェルは体を崩した。それが災いした。

 ヒューイの左脚が躍る。膝を曲げず、伸ばした脚をそのまま叩きつける半月蹴りがレイチェルの横面を捉えた。

 顔面弾かれる。レイチェルの体が大きく揺らぐ。膝をついた、レイチェルの頭上にヒューイが鉄槌を振り下ろす。

 とっさに受ける、レイチェル。ヒューイの腕を取り、体を引き寄せヒューイの脇に潜り込み肩を密着させて足払い。果たしてヒューイの体が宙に投げ出された。

 仰向けに転ぶ、ヒューイ。すぐに起きあがる、距離を取る。レイチェルが向かうより先にヒューイが飛び込んでくる。そうすることしか知らないというようながむしゃらな突進だった。

 フックキック。ヒューイの左脚がレイチェルの首を刈る。

 冷静にレイチェルは蹴りを捌く――間合いに入り右の掌でヒューイの膝を押さえる。そのまま右足に腕を絡め、引き倒した。地面に転がったヒューイを踏みつけるが、それより早くヒューイが立ち上がる。そして再び向かう。

 右蹴りが伸びた。遠い間からの鋭い蹴りを、レイチェルは難なく弾き落す。ヒューイは蹴り足を戻さず、三連続蹴った。右脚一本で中段と上段の横蹴りを打ち込んでくるのを、手刀で弾き、いなし、それでも蹴りはレイチェルの顎先と肩を掠めた。

 ヒューイが飛び上がった。空中で左脚をかいこみ蹴り込む。つま先がレイチェルの額に伸びる、体を開いて蹴りを避ける。

 ヒューイが着地すると同時にレイチェルが距離を詰める。

 扣歩こうほでもってヒューイににじりより、軸足に自らの脚を重ね、そのまま体を開いた。レイチェルの脚と体に絡め取られたヒューイが転倒。転がるヒューイにレイチェルが馬乗りになる。

 だが乗ろうとした瞬間、ヒューイが仰向けのまま蹴りを放った。レイチェルの顎をかすめるに、脳を揺さぶられ一瞬だけ意識を失いかける。その隙にヒューイ、起き上がり縦拳。飛び退きながらレイチェル、拳を避け、大きく下がった。

(埒が明かない)

 徐々に疲労はたまってくる。それはヒューイの方も同じはずだった。互いに手を出し、捌き、しかし先に手が鈍った方が負ける――。

 レイチェルは拳を握った。軽く、指先を折り曲げる程度の握り方だが、それだけでも掌に比べたら威力は格段に上がる。呼吸が乱れてきているのを気取られぬよう細かく静かに呼気を発し、意識を集中させる。そうしなければ疲れの色を表に出してしまいそうで。

(まだ――)

 じりじりと間をつめてゆき、彼我の距離が二歩というところまで縮まる。踏み出せば、攻撃が届くという距離。

 だがそれでいいのだ、ヒューイに打ち込ませる、それが目的。そのためには自分の身を晒すぐらい、わけない。

 脂汗がにじんだ。

 背筋がささくれ立つのを感じる。

 息を止める。

 再度、ヒューイが踏み込んだ。

 左手前の構えより最短の軌道で打ち込む、ビルジー

 レイチェル踏み出す、と同時に体を転回させる。右手でヒューイのビルジーを円く捌いて攻撃を逸らす。と同時にヒューイの側面に回り込む。完全にヒューイの死角をついた形となった。

(ここでっ)

 渾身、レイチェルは拳を叩きつける――裏拳。ヒューイの顔面に打ち込む。

 寸前、ヒューイの手が阻んだ。レイチェルの裏拳を受け止め、腕を絡め取る。すぐに体を向け、呆気にとられるレイチェルの胴に縦拳を叩き込んだ。

 鉛の塊めいた衝撃を得る。内臓に響くような痛みにたまらず呻き声が漏れる。

 レイチェルが体をくの字に折り曲げた、瞬間。ヒューイが膝蹴りを放った。固い膝がレイチェルの顔面を弾き上げた。

「がっ……」

 一瞬目の前に星が瞬き、口の中で血の味が爆ぜた。意識を手放しかけるのをこらえ、すぐに体勢を立て直す。再びの構えをとったところに、ヒューイの靴先が迫る。

 前蹴り。ヒューイの早い蹴りがレイチェルの胸に突き刺さった。とっさに受け止め、衝撃を殺すも、すぐにヒューイは脚を引き戻して廻し蹴りに変化させる。下がり、やりすごすレイチェルの頬をヒューイのつま先がかすめた。

 ヒューイが踏み出す。予備動作の一切ない掌底が差し出された。レイチェルがいなすのに、さらに二撃、三撃と打ち込む。連続して拳を繰り出すに、段々レイチェルは捌ききれなくなってくる――

(このっ)

 前に出る。ヒューイの拳を打ち落とした。

 一瞬だけ間が詰まる、その時。ヒューイの右肘が切り裂いた。

 額に衝撃。骨と骨がぶつかり、目の前に火花が散る。一時意識が途絶えかけ、足下がぐらつき、たまらず顔を伏せた。

 ヒューイが蹴りを放つ。レイチェルはすぐに飛び下がり、間合いを切る。すぐにヒューイが飛び込んだ。

 突き、双方。拳が交じわる、弾き合う。すぐにまた次撃。レイチェルの右腕とヒューイの左肘がぶつかり合い、押し合い、すぐに離れる。

 飛び込む、レイチェル。右の蹴り。ヒューイの胴をとらえる――とらえ損ねて空を切る。わずかにレイチェルがバランスを崩した、そこにヒューイの前蹴りが迫る。早い蹴りが。

 突き立つ。レイチェルの肩にヒューイの革靴がめり込んだ。レイチェルが後退した、と同時。ヒューイが踏み込んだ。

 ビルジー。

 喉に衝撃。すぼめた四指がきっちりレイチェルの咽頭をえぐり込み、気道を潰した。

 空気が漏れるような声がした。それが自分の声だと自覚したときには、地面が近づいていた。我知らず、膝を折り、祈りでも捧げるみたいにうずくまる。衝撃の瞬間に呼吸が打ち止められ、意識が遠のき、呼吸がよみがえったときにはもうレイチェルはほとんど地に伏した状態だった。

 立ち上がろうとした瞬間、顔面に強烈な蹴りを浴びせられる。弾き飛ばされ、衝撃のままに吹っ飛び、今度こそ完全に地面に伏せられた。

「こうなると無様なものだ、『飛天夜叉』」

 ヒューイ、レイチェルの首筋を踏みつけながら見下ろしてくる。靴底に鉄のプレートでも打ちつけてあるのか、肌にひやりとした感触を得る。

「西の龍の、殺しても死なない女。それでも所詮、ストリートのくされギャング一匹。そういうことだ、今も昔も。俺たちをしばるルールなんて」

「あんたも、そうなるっていうのか」

 徐々にヒューイが体重をかけてくる、苦しい息の中で、あえぐようにレイチェルが発した。

「ストリートのガキでしかない男は」

「むろん、折り込み済みだよ。だからこそ力を手に入れるんだろう、この街では。あんたも、俺も」

 ちょうどヒューイの踵がレイチェルの頸動脈を押しつぶす格好となっている。血の巡りがせき止められるにつれて、レイチェルは目の前が暗くなってゆくのを感じた。

「あんたはそうじゃない、そういう決まりとかルールとか、俺たちがストリートで当たり前に振る舞うことを全部なくしようとしている」

「気に入らない、のか」

 その暗くなる視界の端に、リヴォルバーの銃身が写り込む。レイチェルが捨てたマグナムだった。ヒューイの後ろ、少し手を伸ばせば拾うことができそうな距離にある。レイチェルはそろそろと右手を伸ばした。

「別に、いいさ」

 そのレイチェルの手を、ヒューイは思い切り踏みつけた。何か盛大に砕ける音がして、レイチェルは思わず声を上げる。

「ただな、ここじゃ身ひとつ、腕ひとつ。俺たちは常にそういうルールで動いていたんだ。俺たちが共有する価値といえば、綺麗事じゃないもの、本物一つあればいい。それを否定するってことは、存在自体の否定だ。お前も、俺も、そうやって生きてきた連中のすべてを」

 ヒューイは足を離すと、地面の銃に手を伸ばす。マグナムのリヴォルバーを開き、また閉じてから銃口を向けた。

「流儀に逆らえば死ぬ、これもひとつ、俺たちが共有しているはずのことだ」

 撃鉄を起こす。そこから銃弾が吐き出されるまでに数瞬とかからないはずだった。

 銃口と対する。引き金が引かれる。

 銃声。

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