第三章:3
地下の階段はおよそ10メートル。
下りきった後、アジトまで1キロほど、ある。
その間、省吾はユジンをずっと背負い走った。
銃弾が左足を傷つけていた。応急処置はしたものの、大した止血は出来ない。一刻も早く戻り、適切な手当てをする必要がある。
(なんで俺がこんな女を)
走るたび、ユジンの体から血が失われていく。背中に掛かるユジンの指先から徐々に体温が消えていくように感じた。
「……省吾」
肩ごしで、ユジンの声。吐息のような弱弱しい声だ。
「もういいから……あなたは逃げて」
「うるせえな黙ってろ。その程度の傷で死にはせんよ」
軍用列車の列を抜け、省吾は再び戻った。
「お帰りなさい、というムードじゃなさそうだねこりゃ」
出迎えた彰は、一瞬で事態を把握した。
「左足だ。9ミリ弾による裂傷。傷口は洗ったが消毒しなきゃならんだろうな」
そういってユジンをおろした。ぐったりとした彼女を孫と李に預ける。
「孫」
「大丈夫です」
孫はにっと笑った。
「外科手術も、一応心得ています」
そいつは頼もしい、と口を開きかけたが
「真田!」
左頬を殴られたことによって、言葉を発することが出来なかった。
右に倒れこみながら、その不意打ちの犯人を睨む。
「なにすんだ!」
闖入した第三者、その正体はチョウだった。
「真田……てめえ」
褐色の肌がやや紅潮している。腕の表面に血管が浮かぶほど、力をこめていた。
目が、血走っている。肩と声を震わせ、最大限の怒りをこめた視線を送る。
「ユジンを……よくも」
「落ち着けよ、チョウ」
彰が間に入った。
「省吾のせいじゃない。むしろ彼のおかげでこの程度ですんだんだ」
「うるせえ!」
彰を押しのけ、省吾の胸倉をつかんだ。
「ユジンにあんな怪我負わせやがって、オレがいればこんなことには……」
「放せよ」
省吾はチョウの腕を取った。右方向に身をよじる、と。
それにつられるようにチョウの体が浮かび上がった。小手を取り、肘を固めて体の旋回で投げる、合気を応用した護身術である。チョウは左肩から地面に落とされた。
「惚れた女を守れないのが悔しいか」
地面に張り付いたチョウに、省吾はそう言い放った。見下ろすように。
「ふ、ふざけんなよ、オレは」
立ち上がり、チョウは再び拳を振り上げる、が。
「まあそうだろうな」
省吾は背を向けた。
「おい、ちょっと待……」
「分からんでもないよ。女一人守れず、何が武術家だよ」
最後の一言はチョウに向けたものではなかった。省吾はなにやら怒鳴るチョウを無視して、一人歩き出した。
「またお前か」
救護室の前に、雪久がいた。土壁により掛かり、腕を組んでいる。
「心配か? ユジンが」
「そうじゃない。ただ、俺のせいでこうなったからな」
省吾は雪久と目をあわそうとしない。
「お前は、チョウと違うんだな。俺を責めることはしねえのか」
「ユジンが撃たれようと、殺されようとその責任は全部あいつに帰結する。誰のせいとかじゃねえよ」
「ふん、いかにも機械的な模範解答だ」
省吾は救護室の扉に手をかけた、そのとき
「この街で生きるってことはそう言う事だぜ、真田」
その声に、ドアノブにかけた手を放す。
「戦う、逃げる、生きる、死ぬ。すべての運命はてめえで決めることだ。俺はこんなチーム作っているけど、どうするかは各人自由に決めさせている。ここに残るも、逃げるも、な」
雪久は顔を上げる。省吾は、その闇色の目を見据えた。
「お前は、どうだ。ただの難民のお前はただ与えられた家畜としての生を全うするか、それとも人間として生きるか。お前だって、決める権利はあるんだぜ」
雪久の問いには答えず、省吾は扉を押した。
部屋の中央、三番目のベッドにユジンはいた。むき出しになった左足に、包帯を巻いている。
「終わりました。応急処置が良かったんで大したことなかったです。真田さんのおかげですね」
「あ、いや……」
なんとなく、ユジンの顔を見づらい。
「孫……悪いけどな」
「わかってますって」
道具一式を片付け、李を連れ立って孫は救護室を後にした。
顔を背けたまま、省吾は重い口を開いた。
「その、なんだ。さっきは……」
「ありがとう、省吾」
謝罪の言葉を、述べようとした。が、ユジンがそれより先に謝礼の言葉を発する。驚いてユジンを見た。
「え?」
「助けてくれて」
ユジンはそういって微笑んだ。
「あのまま、省吾が行ってしまっても私はかまわなかった。この街では良くあることだもん、省吾が無事ならいいって思った。でも、あの銃撃の中私を助けてくれた。自分の危険を顧みずに……」
「そうじゃねえ」
省吾は気恥ずかしくなって顔を右に向ける。
「あのまま死なれたら気持ちが悪かったから、そんだけだ。借りも返してねえし」
「そういうことにしとくわ」
クスリとユジンは笑う。
「……なんであんた、この街でそんな目が出来るんだ」
目を背けたまま、省吾は聞いた。
「おまけに、俺なんか気にかけて。なぜそうまで人を信じることが出来るんだ」
「なぜといっても。やっぱ同じアジア人だし……」
「俺は、俺たちは!」
省吾は声を荒げて、いった。
「俺たち日本人は、お前たち朝鮮人を殺したんだ! あの『釜山事件』で!」
それが起きたのは、戦後間もない2029年の冬であった。
敗戦により、旧大韓民国は混迷を極めた。難民の続出による食糧問題や、暴動。その中で一部の旧日本兵による、朝鮮難民の虐殺事件が朝鮮釜山で起こった。
かつての同盟国軍人からの突然の裏切り。難民たちの誰が予想しえただろう。敗残兵たちは女子供を含む、約100人の難民に銃を向けたのだ。
すでに両国は崩壊した後であったので、その軍人たちは軍法会議にかけられることは無かった。しかし、両民族の対立感情はこの事件を機に一気に悪化した。
「あんただって、知っているだろう。なのになんで平気な顔で和馬や九路とつるみ、さらに俺を仲間にしようとなんかするんだ。俺は、お前たちの仇だぞ!」
もちろん、その事件に省吾は関わっていない。だが今まで、会う朝鮮人たちは必ず「釜山事件」を引き合いに出し、省吾に危害を加えた。省吾自身、それはある程度仕方がないことと思っていた。悪いのは自分たちだ、と。
しかし、目の前の女はどうだろう。そんな事を口に出すどころか、「日本人」である雪久と彰を「仲間」と呼び、さらに省吾をそれに加えようとしている。
「一体なぜ……」
「最初はね」
ユジンは口を開いた。
「憎かったわよ、もちろん。私もあそこにいたから。あの事件でお父さんとお母さんが殺された。私とお姉ちゃんは日本兵に連れられて女衒に売られた……」
ユジンはうつろな目をしていた。遠くを見据え、思い出すように、ぽつりぽつりと話す。
「12歳の時、私は逃げ出した。お姉ちゃんは代わりに殺され、私は一人ぼっちになった」
「それなら……」
「でも、雪久と彰に会ってみて分かった。あの軍人たちと、彼らは違う人間だって。本当に信頼できる仲間となら、民族同士の対立は関係ないってね」
ユジンは再び、微笑する。
「俺が……その軍人たちと同じ人間かもしれないぞ」
「同じじゃないよ」
ユジンの目が、きらきらと光った。
「私には、分かる」
救護室から出ると、相変わらず雪久がいた。
「話は、済んだか」
「和馬」
雪久の顔を見ることなく、省吾はいった。
「俺に武器をくれ。ありったけの長脇差をな」
「ここは、銃以外だったら大概そろうぜ」
雪久はポケットに手を突っ込んだまま、動かない。下を向いているから顔は伺い知れないが、おそらく笑っている。
「勘違いするな、俺はお前らとつるむわけじゃない」
立ち去る省吾は背中で語る。
「ただ、このままじゃ収まりがつかねえからな。やり残した事が二つある。ユジンに借りを返すのと……」
「返すのと?」
雪久が聞き返す。省吾は振り返った。
「お前と決着をつけることだ」