第十五章:9
「叫ぶな、馬鹿」
レイチェルは彰に歩み寄るなり呆れ気味に言い放つ。
「無茶をして」
「そっちこそ。苦戦していたみたいだけど?」
「お前ほどじゃあないよ」
その場に座り込みたい衝動をなんとかこらえて、彰は膝に手をついた。喘ぐ息が、自分の意志とは関係なく吐き出される。
「これで全部か?」
彰はスコーピオンを捨てると拳銃を引き抜いた。スライドを引くと薬室に銃弾の送り込まれる手ごたえを得た。
「全部じゃないだろう」
「まあ実際、まだ残っているわけだからな」
最後の一人が――そう告げようとした、次の瞬間。いきなりレイチェルが彰を突き飛ばした。
抗議しようとしたとき、発砲音が響いた。
耳元を鉄の唸りが駆け抜けた。彰の、右の耳に装着したヘッドセットが砕け散り、背後の壁に孔をあける。すぐにレイチェルが向き直り、応戦。3発撃つがすでにその方向に敵の姿はない。だが敵の姿は見当がつく。
(来たか!)
彰、砕けたヘッドセットを投げ捨てると右に散開。レイチェルも同様にヘッドセットを捨てた。一方が破壊されたのならば、もはやつけている意味はない。彰が目で合図すると、レイチェルは同時に左に走った。
柱に背をつけて周囲に視線を走らせる。下手人の姿は、見えない。
レイチェルと顔を見合わせた。ハンドサイン、進行方向を示す。
重低音が響いた。
柱の一部が削り取られる。彰の潜む柱だ。顔を出す気にもなれず、ナイフの鏡で背後を見る。数メートル先、遮蔽物の陰にスーツの裾がはためくのを認めた。しかしそれも一瞬だけで、すぐにまた引っ込んでしまう。
柱を挟んで、レイチェルがサインを送ってくる。
回り込め――
彰は頷き、大きく迂回した。ヒューイが潜んでいると思われる場所、その背後に回り込むつもりで、慎重に柱から柱へと移動した。
その瞬間、銃弾が走る。彰のすぐ目の前をよぎった。柱に着弾するに、慌てて彰は身を隠す。銃弾は正確に彰の頭を狙っているように思われた。
迂闊に近づけない――。
背中がじんわりと冷えてくるのが分かった。今更ながらに怖れが、駆け巡る心地だった。俺は今とんでもない奴を相手にしているのだという事実、まさしく実感として。
生唾を飲み込む。その音が想像以上に大きく、ヒューイに知られるのではないかと思うほどに。
最大限、身を低く保った。柱の陰から様子を伺い、機を見て飛び出した。
柱と柱の合間をすり抜け、ヒューイのいるであろう場所まで2メートルほど近づく。そこからまた覗き込む。ヒューイの姿はまだ見えない。
(向こうからは見えるか――)
彰はちらちらと様子を伺い、隣の柱に移動する。柱の合間から、少しだけヒューイの姿を確認できた。左肩、それだけでも十分だ。
狙いをすませる。照準合わせる。
引き金を引く。
グロック拳銃が跳ね上がった。彰が放った銃弾が左肩を撃ち抜いた。ゆっくりと倒れ込む、スーツの姿。それにより全身が明らかとなる――浅黒い肌、縮れた髪、大きく孔が空けられた頭蓋骨――すでに死体となった黒服の姿を。
(囮っ……)
その瞬間、彰の右方向から銃声が響いた。
身を隠すが、間に合わず被弾。右肩と足を撃ち抜かれる。防弾の肩には骨の衝撃、そして無防備な足には銃弾が叩き込まれ、肉を抉った。たまらず声を上げ、しかし目だけは銃撃の方向を見据える。柱の陰で銃を構えるヒューイの姿を見、その方向に向けて3発撃った。彰の弾は一つも当たることなく柱を穿ち、ヒューイはまた遮蔽物に隠れた。
「彰!」
レイチェルがどこかで叫ぶ。その声の方向で銃声が聞こえる。ベレッタ拳銃とマグナムで撃ちあい、しかしすぐに鳴り止む。彰はその隙に逃げようとするが、撃たれた右足が動かない。焼けるような痛みを主張する、用を成さない足を引きずりながら何とか移動した。
銃撃。彰の潜む柱を削る。応戦する間もなく次撃。壁に着弾。彰はしゃがみ込み、何とか体勢を立て直す。
床には血を引きずった痕がべったりと残されている。これではどこに潜んでいるのかばればれだ。それを辿ってヒューイは、こちらの位置を割り出すだろう。
(足、というのはなあ、どうも)
彰は撃たれた足に手ぬぐいを巻きつける。血を止めるように、きつく縛った。痛みのせいで脂汗が、額と掌に浮かぶ。そうしている間にもヒューイが近づいてくるのが分かる。
立ち上がる。右足を地面に接する。すさまじく鋭い痛みが走った。痛みとともに異物感がする。彰の足は石だった。全く動かせる気がしない、意識の通りに歩くことも出来そうにない。膝から下が、変に冷えてゆくようだった。
銃声が、彼方で響く。コンバットマグナムとベレッタ。どこぞでやり合っているのだろうか。
レイチェルが撃っている間はまだ、ヒューイの気はそちらに向いているだろう。その間に彰がヒューイの後ろを取ることも出来る。だが、レイチェルの銃はリヴォルバー。一度に撃てる数は決まっているし、携行できる弾数も必然的に少なくなる。レイチェルが引きつけていられる時間は、少ない。
それまでに辿りつけるだろうか。この足で。
撃っては撃ち返し、また撃つ。リズミカルに9ミリとマグナムがやり合う音がする。しかし明らかにマグナムの方は、撃ち返す間隔が広い。
(オートマチックにしろって、強く言うべきだったかなあ……)
とはいえ、使い慣れない自動拳銃など使わせてそれでトラブル起こされても仕方ない。今はレイチェルが撃ち尽くす前に、行くべきなのだ。彰が、ヒューイを狙える位置まで。奴の背後まで。
歩く。壁に体重を預けて少しでも右足の負担を軽くする。半身を見て様子を見ると、はるか彼方、柱の合間で動く影を確認できた。
そこまで行けばいい、今はそのことに集中するべきだ。
少しずつ、少しずつ、体重を移動させ、柱から柱に移動する。痛みを必死に、頭の中から締め出そうとした。足はかろうじて動く、ということは骨を打ち砕かれたわけではない。だから動く、動けるはず。痛みなど忘れろ、痛みなどない。神経が訴える痛覚など遮断させろと。
少しだけ走った。5メートルほど、ヒューイの方に近づいた。
いきなり銃弾が走った。彰の潜む柱に着弾する。彰が撃ち返す、彼方でマグナムの銃声が響く。ベレッタの銃声が遠ざかるのが分かる。元いた位置から動いているのだ。
辿りつけるか。
どう辿りつくか。
ナイフの鏡面で見る。ヒューイの姿がちらちらと目に映る。あまり悠長なことはしていられない。
マグナムの銃声がした。
それに被せるようにグロックを撃った。
ヒューイのいる方向に向けて5発。それが終わればすかさず柱に隠れる。ただし、近くのではない。最大限の力を振り絞り、7メートル先の柱まで走った。柱の陰に転がり込むと、先ほどまで彰のいた場所に銃弾が降り注いだ。柱に着弾する、銃弾の方向からヒューイの位置を割り出す。ちょうどフロアの真ん中辺りだと思われた。
次にマグナムの銃声に耳を傾ける。ヒューイと対峙して、入り口側。今のレイチェルの位置だ。
(ヒューイの位置は中央、レイチェルは入口……)
そしてヒューイが撃ち込んだのは、ヒューイから見て背後。ヒューイはレイチェルと彰を、前方と後方の位置と思っているはず。今の彰の位置は、そこではない。レイチェルと、彰と、ヒューイが思う彰の位置は、三角形の位置だった。三角形の真ん中に、ヒューイがいる。
もしヒューイが彰が動かないものと思っていれば――ヒューイが認識している彰の位置と、彰の今の位置ではかけ離れている。彰が今の位置から近づいてゆければ、ヒューイの虚をつくことが出来る。
(動かなければ、だけど)
ヒューイが今の位置から動いてしまえば、意味がない。
だから早く辿り着かなければ、ならない。
(動けよ、俺の足)
これが終われば、足など動かなくなっても構わない。今だけは痛みを忘れなければならない。
(動け)
駆ける。すり足気味に、足音を立てないように。柱の陰を利用しながら移動する。銃声が近づくにつれて、段々と目的地に近づいているのがわかる。もうすぐそこに来ているのだと分かる。
息を吐いた。二度、三度、細かく呼吸して後、息を止める。
飛び出す。
走る。
柱の群れを駆け抜け、中央に躍り出る。ヒューイの背後に飛び出した。彰の存在に気づいたヒューイが向き直り銃口を向けるのを見た。
発砲。双方とも。
彰の銃弾がヒューイの銃を吹っ飛ばす。ヒューイが目を見張るのに、彰は素早く照準を合わせ直す。
二射目を撃つ、その寸前。唐突にヒューイが近づいた。一歩で間を縮めたと見た瞬間、ヒューイの長い右脚が空を切る。鋭く硬い革靴の先が彰の手を叩き、銃を弾きとばした。
彰が下がる、と同時にヒューイがさらに繰り出す。左脚がゴムのようにしなり、その先が彰の右横面を捉えた。
首ごともぎ取られたかのような打撃、脳を思い切り揺さぶられる。目の前が白くなり、すべての感覚が断ち切られる。
気づけば彰の目の前にコンクリートの床が近づいていた。何の抵抗も許されず、彰は崩れ落ち、地面に倒れ伏した。