第十五章:7
落雷めいた音だと思った。
扈蝶がいる位置はビルの一階部分。奥の方まで来たといっても、外が騒がしくなればその喧噪の一部は耳に入ってくる。今はイ・ヨウと一緒にフロア奥のレストランに身を潜めていたが、雷鳴はどれほど奥に隠れていようと関係ないかのように劈いてくる。
「何事?」
イ・ヨウがいぶかしんで頭をもたげた。また大きな雷が落ちるのに、イ・ヨウはあわてて身を低くする。
「砲撃みたいだけど」
扈蝶はおそるおそるレストランから顔を出した。敵の姿はいない。あたりは静寂だった。銃声は遠くの方で鳴っており、ときおり悲鳴じみた声が混じる。いずれも正面ロビーの方向だった。
二人して顔を見合わせた。
「行ってみる?」
と扈蝶。イ・ヨウは懐疑の目を向ける。
「大丈夫かよ。あの音、砲撃っぽいが」
「だからそれを確かめに行くのよ」
轟音が響き、その音は先ほどよりも近づいているようだった。扈蝶はサーベルを一本納め、もう一本を逆手に握る。
イ・ヨウはカウンターから躍り出ると、先頭に立った。扈蝶はイ・ヨウに続き、音のする方に向かう。黒服たちの怒号、悲鳴、銃声が近くなり、それらが最大限になった瞬間に二人はロビーへと到達した。
異様な光景が出迎えた。
正面玄関を鉄の箱が突き破っている。そんな印象を抱く。角張った車体だった。かつての紛争で市街地の掃討戦に使われた装甲車が、目の前にある。正面に鎮座するそれに向けて黒服たちが射撃を加えるが、まさかそんなことで分厚い鉄板が貫けるはずもなく。抵抗むなしく黒服たちはことごとく、車両搭載の20ミリの重機関銃の餌食になっている。
「何あれ」
たぶん、今の自分は相当な間抜け面なのだろうな、などとどうでもいいことが頭をよぎった。それほど予想外だった、こんなものが出てくるということだけでもわけがわからないのに、それがどうして黒服を攻撃しているのか?
黒服たちを全員退かせると、車体のハッチを開けて中の人間が顔をのぞかせる。まだあどけない少年の顔だった。イ・ヨウは遠慮のそぶりも見せず装甲車に近づき、少年に声をかける。
「おい、何してんだお前」
声をかけられた方が振り向く。その顔に、扈蝶は見覚えがあった。確か彰が北辺に向かわせた、『OROCHI』の構成員だ。
「お前ら北にいるはずだろう」
「さっき戻ってきたんだよ」
少年はいかにも疲れているという顔だった。
「強行軍だよ、こっちはろくろく寝てない。彰から来いって言われたから来たけどよ」
「それは、まあ……お気の毒というか」
扈蝶は目の前の少年に同情を禁じ得ない。心当たりがありすぎだった、色々と。
「それで、この車は?」
「買ったんだよ、その北で」
少年が車上から飛び降りると、中からまた別な少年が顔を出す。
「なあこれすごいな? すごいなこれ、機関銃も砲も全部遠隔なんけ? けた違いだなおい」
興奮気味に飛び出したのは、黄とか呼ばれる本名不詳の少年。
「すごいのは認めるですが、黄に変なおもちゃ与える良くない。調子に乗るから」
ぼやくように言って、黄に続いて降りてきたのはリーシェンとかいう、まだ12、3歳ほどの少年だ。この二人は囮部隊だったはず。
そして。
「まあいいじゃねえか。黒服ども退かせりゃ、それで」
間延びした声とともに現れたのは、ろくろく手入れもされない長髪頭と、無精髭の男。ずいぶん前に北に消えたその朝鮮人は、扈蝶の姿を認めるとおおと声をあげた。
「あんたレイチェル・リーのとこの」
「扈蝶です、金大人」
まさしくそこにいたのは『STINGER』の頭を張る、これまた本名不詳の、ただ金とだけ呼ばれる男である。それほど長い間ではなかったが、随分と久しく見えた。
「元気してたかい、俺がいねえってんで女連中は寂しがっているんじゃねえかと」
「……この装甲車はどうしたのですか」
金の軽口を軽く流してやると、金は「つれない」とかなんとか朝鮮語で言ってから装甲を叩いて見せる。
「これな。《北辺》で仕入れてきたんだ。本当は救援というか、あの辺の連中に同盟を申し出たんだが」
「うまくいかなかった、と」
「うまく行かないと言うか、そこら辺はあとで話す。で、手ぶらじゃ戻れんだろうと思ってこいつを、な」
何でもないように金は言うが、扈蝶は少し背中が寒くなる心地がした。
「こんなもの、おいそれと手に入りませんよ。我々のルートを通じたとしても、せいぜい輸送用が関の山。あの何もない《北辺》で手に入れた、なんて」
「信じられんか? だがまあ事実は事実、そんで今はそんなことどうでもいい」
金は扈蝶の背後に、軽機関銃を向け、そして。
「来てるからよ、敵が」
銃撃を加えた。ちょうど回廊の角を曲がった黒服4人ばかりが折り重なって倒れる。あわてて扈蝶は車両の陰に隠れた。
「ここまでどういう経緯なんだよ?」
金は軽機関銃を撃ちながら聞く。
「機械どもやった、ヒューイをやれば完了、今はその最後の詰め。そういうことだ」
と、イ・ヨウ。サブマシンガンを撃ち、回廊をかけてくる黒服たちに対する。黒服たちはめいめい散らばり、廊下の角に潜んで応戦していた。
「なるほど。それで彰が慌ててるわけだな」
金ははたと、撃つ手を止めた。
「呼ばれたからにゃ、それなりの働きみせなきゃよ。嬢ちゃん、敵はあとどれくらいだ?」
「あ、えっと」
いきなり話をふられて、扈蝶は少しだけ言いよどんでしまう。この鉄の化け物にすっかり圧倒されてしまっていた。
「親衛隊は上層階、下の階にいるのは200前後といったところです」
「なるほど。ってことは全然やれない数ではない、と」
金は意味ありげににやりとし、軽機関銃を置いた。
「おい、お前」
とイ・ヨウを指名して、
「このミニミ、お前にくれてやるよ。だからついてこい」
「ついてこいって何するつもり」
「決まってる」
金はのっそりと立ち上がると、その場で軽く飛び跳ねた。
「奴らを潰すんだ。俺と扈蝶が先行すっから、後ろから支援しろ。決して俺らに当てるんじゃないぞ」
イ・ヨウが何か言いかけるよりも先に、金が駆けだした。あっと言う間に回廊の奥まで走り、仕方なく扈蝶とイ・ヨウも後を追う。
「あのおっさん、どういうつもりなんだ畜生」
イ・ヨウは慣れない軽機関銃をかつぎ上げて、息を切らせながら走った。
「あんなもの、北で手に入るのかよ。一体あいつ何やって来たんだよ、なあ扈蝶?」
「そうね……」
走りながら扈蝶は答えるが、扈蝶の気になる点は他にあった。
回廊の角にさしかかると、金がそこに待機していた。二人を手招きして、回廊の奥を見よというように指さす。今まさに廊下の向こうから黒服たちが駆けてくるところだった。
「いいか、援護しろ。そして扈蝶は俺に続け、目に入る奴は全部叩っ切れ。俺も全部蹴倒す」
金が腰を上げた。
「待って、金大人。あなた膝を――」
膝を砕かれたままでは。そう問いかける間もなく金が飛び出した。
黒服が銃を向ける。
後方で発射音が響く。イ・ヨウのミニミが火を噴き、先頭の黒服に着弾する。黒服たちがひるんだ、その一瞬の隙をついて金が躍り出た。三歩で飛び込み、瞬間に間を詰め、その懐に潜り込む。
金の脚が転回した。
右脚の上段蹴り。刃めいた軌道が男の首を刈った。そのまま蹴り足を戻さず左の男に横蹴り。脚が深く水月に刺さった。骨砕ける音がして男は体を折り曲げ、そのまま果てる。
金の蹴り足を見た。
ズボンの裾から鈍色の地金が覗いている。金の脚は、破壊されたはずの脚は、どういうわけか金属の部品に置き変わっている。扈蝶はそれを畏怖の気持ちで眺めた。
「快調快調」
金は呵々と笑うと、蹴り脚をかいこみ空中に向けて2、3発蹴りを繰り出して見せる。ちらちらと裾から金属が垣間見えた。
「あの、金大人。その脚は」
「おお、これな。北に行ったときちょっと、手ぇ加えてみた」
「機械の脚なんてどうして手に入るんですか」
回廊の向こうから足音が近づいてくる。扈蝶は取り合えず金を物陰に引っ張り、自身も隠れた。
「そんなもの禁制なはずでは」
「《北辺》ってとこは」
金がにやりとして言う。この状況を楽しんでいた。
「なかなかに面白いとこだぜ。こっちの常識なんて通用しねえ」
「だからって」
銃撃音が遮った。また新たな黒服の集団が銃弾を浴びせてくるのに、イ・ヨウがミニミで応戦する。
「詳しい話は後だ、嬢ちゃん。あんたも俺も、今すべきことは、だろ?」
銃撃音が増す。イ・ヨウがミニミを撃ちっぱなしで撃っても、向こうは手勢を増やしてきている。廊下の端と端で撃ち合い、それでもイ・ヨウでは手に余る。そんな状態では。
様々な疑念は、飲み込まざるを得ない。扈蝶はサーベルを抜き、両手に携えた。金は軽く口笛を吹いた。
「最初に俺が行く」
言って、金は閃光弾を取り出した。
「行け!」
投げ込んだ。数秒おいて破裂し、それとともに二人、飛び出した。
金が先行。爆煙の中に飛び込んだ。閃光を受けて目をやられた黒服二人が棒立ちに立っているのが見え、それが彼らの命取りになった。
「せいっ」
叫ぶ、それと同時。金の右脚が踊った。前蹴りで先頭の男の顎を砕き、間髪入れずに左脚を打ち込む。つま先がもう一人の顔にめりこみ、眼底が砕ける不穏な音を響かせて男が吹っ飛ぶ。その間2秒。
駆ける、金。わらわらと飛び出てくる黒服に向かう。
脚が回転した。
先頭の黒服が吹っ飛んだ。
さらに踏み込む。軸足を入れ替え、舞踊めいたステップを踏みながら金の脚が縦横に走り、一気に3人を打ち倒す。引き金を引く暇もなく、前衛が軒並み打ち倒されるのを目の当たりにした後衛の黒服たちが動揺の色を浮かべた。
そこへ扈蝶が飛び込む。銃の間を踏み越え、戟尺の間。剣の領域へと。間を詰め、交差したサーベルを開放するように、左右に凪ぎ払った。
銀が走る。一瞬遅れて血の霧が弾ける。手前2人の喉を掻き切り、切られた2人は銃口を向けた格好のままくずおれた。
二人、銃を向けるのを見る。左。間合いは三歩。
跳躍した。一気に間を飛び越え、左のサーベルを突き出した。喉を貫くと同時、隣の男を切り伏せる。頸動脈を切られた男は派手に血をまき散らして倒れた。
その後方。回廊の端で男が銃口を向けるのを見た。身構えた、次の瞬間、男の頭が粉々に吹っ飛んだ。振り向けばすぐ後ろでイ・ヨウがミニミを構えて、その銃口からは硝煙が棚引いている。
「済んだか」
金が声をかける、その足下に頭蓋を砕かれた躯が転がっている。
(なんてこと)
戦慄する思いだった。ただの蹴撃で銃を持った人間5人を打ち倒すなど。いくら武に長じていようとも可能であるかと言われればそれは否、だろう。
(この威力と早さ、銃を撃つ間も与えないフットワーク。これが機械の脚のなせる技……)
驚嘆と懼れ、頼もしさ反面恐怖する。そんなごちゃ混ぜな感情も、次の瞬間には掻き消える。回廊の奥からまた黒服たちが現れ、銃撃を加えてくるのに、慌てて扈蝶は身を隠した。
「連中もなかなか」
金はといえばそれほど堪えてもいないらしく、余裕の表情だった。黒服たちの数が増えてゆくのに、楽しんでさえいるようで。
「簡単には突破させてはもらえませんよ」
扈蝶は黒服の躯を引っ張り込んだ。死体から拳銃と弾倉を抜き取る。クーガー8000、扈蝶には少々手に余る得物だが贅沢は言えない。サーベルを鞘に納めてから銃をしっかり両手で保持し、黒服たちに向けて発砲する。通路を挟んで向かい側では、イ・ヨウが同様にミニミを撃ち返していた。一つ撃てば10も100も撃ってくるのでろくろく狙うこともできず、銃口の先だけ出して応戦している。
「手はあるのですか?」
銃撃を加えながらなので、怒鳴り気味に言った。黒服たちの銃声と相まって、鼓膜が麻痺したように耳鳴りが止まない。反動と銃の重さに、すでに右手が耐えきれなくなってきたが応戦しなければ黒服たちの接近を許すだけなので撃たないわけにはいかない。
「手なんかねえよ」
金がおもむろに手榴弾を取り出した。扈蝶の見たことがない型式のものだ。
「正面突破だ。それしかねえだろ?」
「いや、それはそうですけど――」
金は廊下の向かい側にいるイ・ヨウに合図を送る。手榴弾を見せて、親指を黒服たちの方向に向ける、単純なサイン。イ・ヨウは黙って頷く。
「数えろ、行くぜ」
金が言うと、扈蝶は銃撃の手を止めた。サーベルを左手に携えて白兵戦に備える。
「走れ!」
金が投げ込んだ、数秒おいて爆音が響いた。金が飛び出し、イ・ヨウと扈蝶がそれに続く。黒煙の中に飛び込み、サーベルを振り抜いた。