第十五章:3
陽の光が差してきた。
午前5時、ネオンが消えてゆくのと同時進行に照らし出される時刻。辺りを覆い隠す闇は取り払われ、きらびやかさは灰色となる。その灰色の構造物も朱に染まる朝焼けが、この日の朝だった。《東辺》の中央に聳える尖塔を浮かび上がらせる紅い陽が斜めに降り、突き刺すような日差しとさせる。
朱色の朝、それを象徴するかのように、ひとつ号砲が発せられた。
はじめに煙の筋。空を裂くような軌道で飛ぶ弾頭が、ビルの壁面に突き刺さった。
爆炎が咲いた。火炎が膨れ上がり爆風が拡散し、ガラス窓を犠牲にビル壁を抉り、壁が打ち崩れる。それを合図に突如として静謐な空気は打ち破られた。
二発。今度は同時。菱形をした砲弾が連続して刺さり、連続して爆発を奏でた。『黄龍』の本部、ちょうど黄金に輝く龍の尾を打ち砕き、オブジェが崩れ落ちるところを、リーシェンは双眼鏡越しに確認した。
「おい見たか、今の今の」
トラックの上から黄が興奮気味に話しかけてくる。肩にドイツ製RPGを担いで。
「命中したぜ、おい。なあ、おい。次、あの頭、いくぜ。見てろ、なあ」
「あんま調子乗らない、黄。私ら囮だから」
リーシェンがいうよりも前に、黄がRPGをぶっ放す。弾頭がビルの入り口付近で落ち、停めてあった車が爆発した。
「あー、惜しい」
黄が次弾を込めようとするが、リーシェンは肝を冷やしながら怒鳴った。
「黄、そろそろ中に入るですよ! 黒服どもがやってくる前に」
「んだよ、いいとこなんだから邪魔すんな」
「作戦の邪魔は黄、ですよ! 私ら囮言っている、ビルの破壊が目的じゃないよ。最初の2発打ち込んであとは攪乱するって言った!」
「まあ待て。ちょっとでも援護してやろうっていうわけだからよ、ビル半分でもぶっ壊せば部隊が楽できるようにって……」
「絶対、あなたが遊びたいだけでしょ」
「黙れ小僧」
号砲。弾頭の火薬の量は減らしており、射程が伸びる分破壊力は落ちる。そんなものではビルを破壊することなど出来ないし、援護にもならない。それだというのにこの男は――
「早くするです、早く」
ビルの合間を塗って黒塗りのセダンが走ってくるのを受けて、リーシェンは叫んだ。黄は砲撃を止め、トラックの中に入る。
リーシェン、アクセルを思い切り踏み込んだ。黒い車めがけて走り、車体に打ち当てる。いかにも頑丈そうなプジョーが跳ね飛ばされた。
車の中から黒服たちがサブマシンガンの一斉射撃を加えた。トラックの荷台に突き刺さり、甲高い音を立てる。リーシェンはひたすらに逃げ、道をふさいでくる車すべてにトラック本体をぶつけた。
「おい、殺す気か」
荷台から運転席に通じる窓越しに、黄が怒鳴ってくる。窓を開け、腹ばいになりながら黄は助手席側に這い出てきた。
「あんまりむちゃくちゃ走らせんなよ」
「あなたがもたもたしてるがですよ」
リーシェンが怒鳴り返す、同時にハンドルを右に切る。ベンツ2台と黒服2、3人をはね飛ばして角を曲がり、全速で駆けた。後ろから『黄龍』の車が追いかけてくる、小銃を撃ち込んでくる。銃弾が右のサイドミラーを撃ち抜き、リーシェンは思わず身をすくめる。
「応戦! 早く!」
リーシェンが叫ぶ。黄は助手席に座るとUZIを取り出し、追いかけてくる車に銃弾を浴びせた。マガジン一本まるまる消費し、引き金を引きっぱなしで撃ち尽くす。それでも追ってくる、黒服たち。
「このまま走るですよ!」
100メートルも先に黒服の車が道路を塞いでいた。よく見れば黒塗りのセダンは幾重にも鉄板を重ねた、簡単な装甲を身にまとっている。車の陰に黒服たちが小銃を構え、射撃を加えた。銃弾が防弾仕様のフロントガラスを叩き、重ね重ねて金属音を奏でさせ、防弾であるにも関わらずガラスに白い亀裂をいくつも生じさせた。
「突っ込むですよ、黄、頭低く!」
リーシェンが怒鳴る、黄が身をこわばらせる。トラックは勢いのまま突進する。
砲撃が合図だと知っていた。煙が一筋、空を横切り、ビル壁面に砲弾が突き刺さる。それを目にした瞬間に扈蝶はサーベルを抜いた。左手にはUZIピストル、撃鉄を引く。
「行くよ」
扈蝶は車に乗り込む。ほかの襲撃隊も乗り込んだ。車を発進させ、ビルの陰から飛び出して、本部ビルの前に躍り出た。頑丈なジープが3台立て続けに本部の正面ゲートに突っ込み、警備の黒服たちをはね飛ばした。
全員が車から飛び出した。扈蝶は真っ先に躍り出て、駆け寄ってきた黒服たちに向かう。
銃撃。UZIピストルを撃ち尽くした。Tの字型のマシンピストルが間断なく鳴り響き、黒服たちを撃ち抜いた。
駆ける。黒服たちが一斉に射撃する。扈蝶はマシンガンを撃ちながら射撃をかいくぐり、黒服たちに迫る。走る、縮まる、黒服たちの領域に踏み込む。
扈蝶、飛びかかる。手前の男、今まさに拳銃を向け、引き金を引こうとする瞬間だった。
サーベルを降り抜いた。一瞬遅れて男の右手が落ちる。呆気にとられているその顔にさらに一刀浴びせ、返す刀で隣の男の喉を裂く。この間2秒、声もあげずに黒服たちが崩れ落ちる。
跳躍した。
横薙に斬る。二度、三度。刃が走り、サーベルの餌食になった黒服たちが折り重なって倒れてゆく。さらに走り、走りながらマシンピストルを撃った。近づく黒服は切り伏せられ、遠くの敵はマシンガンの餌食となり、無我夢中で撃ち、サーベルを振るう。
正面、黒服が突っ込んできた。銃剣を備えたカービンを腰だめに、身体ごと突撃してきた。
飛び上がる、扈蝶。銃剣の刺突を避けるべく高く舞い上がった。
男の頭上を飛び越える瞬間、空中で身をひねり、無防備な男の脳天めがけて引き金を引く。熱した鉛の突端が吐き出され、男の頭頂にめり込み派手に脳髄を撒き散らした。
着地。次へと向かう。
「簡単にと、思わないことね」
人知れず呟いていた。己を奮い立たせるためのものだった。自己暗示にも近いもの、私を止めようなど思うな。私を誰だと思っている、かつて『黄龍』では誰にも捕まえることの出来なかった最速の剣士を、見くびるなと。
遅れを取るものかと。
身を翻した。
走り、飛び跳ね、舞うように人間をすり抜ける。撃ち、斬り裂き、貫いた。扈蝶が振るうサーベルが、元同志たちの顔面を断ち割り、首を裂き、腕を飛ばす。血を浴び、鉄の味を舌先に覚え、ぬめる刀の柄をより強く握り返した。
回廊の奥からさらに銃撃が響いた。扈蝶、一旦引くに、後方支援の襲撃部隊が射撃を加えた。
ふと、後方支援組から陰が飛び出した。今朝合流したばかりのイ・ヨウが、グレネードランチャーを抱えて狙いを定める。
「撃て、撃て撃てぇー!」
イ・ヨウが大筒をぶっ放した。榴弾が回廊奥の黒服たちを吹っ飛ばすのを受けて、扈蝶は回廊のさらに奥を目指した。左手のサブマシンガンで撃ち、右手のサーベルで近くの敵を薙払い、後方支援を受けながらさらに進む。
(ここで足止めできても、どれだけ持つか)
サーベルを振るいながら、扈蝶は思う。黒服たちはバートラッセルによって誘導されているとはいえ、本部にはまだ黒服が多く残っている。
(こちらの兵力は僅か、勢いだけでどれだけいけるかわからない……)
自動小銃の射撃音がした。後方、黒服の一人がM4カービンを構えているのを見る。すぐに壁に身を隠し、逃れる。
「敵の数はどれくらいだよ?」
扈蝶の元にイ・ヨウが駆けつけてくる。この男、以前は射撃のやり方など知らなかったはずだが、今はなかなかどうしてさまになっている。機械たちとやり合って、銃の扱いに慣れたのだろうか。
「本部内の黒服も、把握できるだけで300ぐらいはいるはず」
「だいぶいるじゃん」
「これでも少なくなったほうですよ。バートラッセルが号令をかければ、その倍以上にはなる」
UZIピストルの弾倉を装填しすると、扈蝶は壁から少しだけ身を乗り出す。通路を挟んだ廊下の奥で黒服たちが集まってきているのが見える。
「あまり時間は掛けられない」
扈蝶はサーベルを握りこみ、そして
「援護、お願いします」
意を決して飛び出した。
火を噴く、同時。M4の3点バーストとUZIのフルオートが交錯した。
ライフル弾が扈蝶の肩と腰を掠める。扈蝶の9ミリ弾が黒服の足を貫いた。黒服の体が一瞬だけ傾ぐ。
そこへ飛ぶ。間合いに踏み込み、サーベルを振り抜いた。刃の先が男の頸動脈を捉え、血が噴水めいて飛び散った。細かく紅い霧が扈蝶の頬を浸し、白い肌を汚す。
後方支援組が駆けつけ軽機関銃の射撃を加える。扈蝶は遮蔽物に身を隠し、刃にこびりついた血脂を拭った。少し刃がこぼれていたが、今研ぐわけにも行かず。廊下に結集してきた黒服たちに銃撃を加えた。
「早くしなければ」
焦燥があった。早く、決着をつけなければならないという焦りが。足止めにも限界がある、長くは保たない。
「レイチェル大人……」
一人ごち、扈蝶は飛び出した。