第三章:2
二人は地上に出た。
最初に省吾が案内された、地下補給基地へ続く階段。その通路がある廃ビルの中に舞い戻ったのだ。
ずっと地下にいたためか、崩落した壁の隙間から差し込む光も眩しく感じる。
「《放棄地区》を出るまで、案内するわ。不発弾が危ないし」
そう言ってビルの二つしかない出入り口の一つ――東側の通用口から外に出た。
その時。
「待て」
100メートルほど歩き、その場で省吾は立ち止まった。先を行くユジンに、声をかける。
「何かおかしい」
「え? 何が」
ユジンは首を傾げる。
「何が……ってなんとなく」
言葉では表せなかった。ただ、来た時と空気が違った。鋭い冷気が肌をなぞるような、身体の芯が凍りつく感覚が省吾を襲う。
省吾はこの感覚を知っている。彼自身、渡り歩いた幾つもの死地。そこには必ず、この空気が現出していた。
「伏せろ!」
省吾は駆けだしていた。その勢いのままユジンを押し倒す。
「え、ちょっとなに……」
当惑するユジンの鼻先を
銃弾がかすめた。
倒れこむ、二つの影に降り注ぐ鉛の雨。
規則的な連射の銃声がいくつも重なり、不協和音を奏でる。銃火が空を飛び交い、弾丸が地面に刺さるたびにぱっと土煙をあげた。
省吾は耳を澄ませて銃口の位置を探る。視覚には頼れない。頭をもたげようものなら頭蓋は破壊され、脳を撒き散らすことになるだろう。
「こっちだ。ついて来い」
ユジンに告げ、自らは匍匐前進で銃弾から逃れる。
10メートルほど進んだところに戦車が廃棄されていた。敵の予測位置とは反対の影に身を潜めた。
「青豹どもめ……」
ぎりっと唇をかむ。戦車の影から様子を伺った。
「敵は、おそらく10人。得物はSMGだな、どうやら」
「なんで、ここがばれたの?」
ユジンは狼狽している。
「そりゃお前の家を突き止めるくらいだしな。100人いればそのぐらいは可能だろう」
「でも、ここは《放棄地区》よ。簡単に足を踏み入れられるところじゃ……」
「甘めえよ。これを見な」
足元の土を掬って、ユジンに見せた。
やわらかい、水分を含んだそれはどうみても掘り起こしたあとの土である。
「ご苦労なこった。いちいち地面をかきわけながら歩いたんだろうよ」
「そんな……どうやって」
「でかいスポンサーがついていると見た」
不発弾の探索など、専用の機器がなければ出来ない芸当である。街のギャングにそれほどの設備があるとは思えない。それを準備できるとなれば、その後ろ盾はよほど強力なものである。
「厄介だ」
と省吾は呟く。
不利な状況だ。二人とも武器はない。徒手の心得はあるが、これだけの間合いを取られたら成す術はない。懐につめる前に撃たれるであろう。
「どうしようもないな……」
頭を抱える省吾に、ユジンは円筒状の物体を差し出した。
「なんだよこれは」
「覚えている? 雪久との戦いで彰が出したもの」
「それってまさか」
黒い紙を幾重にも巻きつけ、ビニールテープで固定してある。上部からは導火線が伸びていた。おそらく、中は火薬とマグネシウムが詰まっているのであろう。
「閃光弾か」
「私たちは緊急用に一つずつ持っているわ。これを敵の方に投げて。ひるんだ隙に基地に戻りましょう」
「ナイスアイディアだ。だが一つ気になるのだが、「戻る」ってのには俺も含まれているのか?」
「当然よ」
ユジンは声を殺している。
「奴ら、あなたも狙っている。それは分かるでしょ?」
ごくり、と唾を飲み込んだ。確かに、自分に降りかかる殺意を感じ取ることが出来たからこそ、初弾をかわすことが出来たのだ。
「仕方ない。で、どうやって使うんだ」
「まあ、任せて。これを……あっ」
ユジンが突然、声を上げた。
「どうした」
「……火を忘れた」
こんな状況であるにも関わらず、脱力を禁じえない。
張り詰めた緊張の糸が解け、省吾は盛大なため息をついた。
「あのなあ……」
がっくりと肩を落とす。
「ごめん、出かけにライター置いてきちゃった」
片目をつぶって舌をちょん、と出すユジンを見ると怒る気にもならなかった。
「……もういい、ちょっと貸せ」
ユジンから閃光弾をもぎ取り、頭上に掲げた。
戦車の、ちょうど砲台のあたりから導火線だけを敵に晒す。
(うまく当たるか……)
そのままの体勢でいると。
ちゅん、という音がした。銃弾が空を切り裂く音だ。
その弾は導火線に触れ、着弾熱によって火がついた。
「どうやら、向こうにはいいスナイパーがいるようだな」
ちりちりと導火線は火花を散らす。それを思い切り、敵のいると思しき箇所に向かって、
投げた。
3秒後。ぱん、という火薬の爆ぜる音。その後、複数人の叫び声が聞こえた。成功である。
「行くぞ。奴らが視力を取り戻す前に中に入るんだ」
省吾は走った。ユジンもそれに続く。
敵方は撃ってこない。マグネシウムの光に当てられ、目も開けられない、と言う状況だろうか。その隙に一気に走り去ればとりあえずは安心である。
ビルの入り口まで駆け、省吾は中に転がり込んだ。
「よし、あとは……」
地下まで行けば、と口を開いた瞬間ユジンがいないことに気がついた。
「おい、どこに行ったんだよ」
まさか、と思い外を見やる。
戦車からビルまでのちょうど中間地点、ユジンが倒れていた。足から血を流している。どうやら、いち早く回復した敵の一人に撃たれたようだ。
「ユジン!」
省吾は叫んだ。後方から銃声が単発で、再び聞こえ始めたのだ。ユジンの周りに、一つ、二つと着弾する。ユジンはというと、なんとか立ち上がろうとするたびに転ぶ。赤い水溜りが、徐々に拡がっていった。
(奴ら回復してきた)
自分で経験したから分かる。彰の閃光弾を浴び、完全に視力を取り戻すまでに約2分。それまでに駆け込む必要があった。だが
(ここに来てとんだアクシデントだな)
徐々に、銃声が増えてくる。
ふと、ある考えが頭に浮かんだ。
――放っておけばいい。
もともと、望んでユジンと関わったわけではない。勝手に自分を助け、勝手に引っ張りまわした。そんな女を助けて自分に何の益があろうか、と。
――所詮は、赤の他人だ。
自分が生きることだけを考えればいい。今までそうして来た。確かに恩人ではあるが、そのために自分を危険にさらす理由にはならない。
――そう、放っておけば……
一瞬、背を向けた。だが。
「……ちっ」
なにかが、省吾の心の奥底で疼いた。ほんの些細な戸惑い。それが省吾を踏みとどまらせた。
(放っときゃいいんだって、あんな女!)
自分に言い聞かせるも、足が逃げることを拒んでいるかのように動かない。
「くっそ、面倒くせえな!」
体を向きなおした。だっと駆けだし、ユジンの元に向かう。降り注ぐ銃火の中に、省吾は身を投じた。
「ジョーか? ケネスだ」
ケネス・コリーは電話をかけた。
右の肩にVz61を担いでいる。別名、「スコーピオン」。小型、軽量のチェコ製SMGである。
『見つけたか』
電話口からジョーの声がする。平静を装っているがやや興奮気味の声だ。
「西方、旧陸軍基地跡だ。朴 留陣の姿を確認した」
『殺ったのか?』
「いや、すまん、仕損じた。あと一歩のところで奴らどっかのビルに入り込んだ」
『ふん、まあいい』
ジョーは落ち着いている。
「どうする? 追撃するか?」
『いや、今すぐ各分隊に連絡して一気に攻め落とす。それまでお前らは待機していろ』
「分かった。ああ、それからジョー」
ケネスは、にやりと笑った。
「一緒にいた男が、例の傷の男だった。“クロッキー・カンパニー”の格好じゃねえけど、お前の言ったとおりの風貌だったぜ」
『そうか』
電話の向こうで、ジョーも笑っている。その様子をケネスは容易に想像できた。
『やはりいたか……『疵面』め』