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監獄街  作者: 俊衛門
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第十四章:35

 ユジンの体が、宙を舞った。

 省吾はその方向を見る。孔翔虎に弾き飛ばされたユジンは空中に投げ出され、地面に落ちるところだった。華奢な身体が、地面を叩き、跳ね返り、その一部始終を省吾は目にした。

 省吾、走る。ユジンの元に駆け寄ろうとするに、孔翔虎が立ちはだかる。

「どきやがれ!」

 契木を水平に打った。分銅が鉄の手に阻まれ、跳ね返るに、もう一度振りかぶった。

 巨体が動いた。体当たり。孔翔虎の肩が、省吾の胸を打った。

 鉄に弾かれた省吾の体は呆気なく吹っ飛ばされる。壁にぶち当たる。

「痛っ……」

 背の骨と内臓はらわたの、両方に痛みを得る。苦い鉛の味がこみ上げて、喉に胃液を溜める。どうにか起き上がるが、視界が一瞬揺らぎ、足下が崩れかかった。

 孔翔虎が踏み込む。拳を打った。

 崩拳伸びる。寸での差で省吾、身を捻る。胴体ぎりぎりの箇所を拳が通り過ぎ、掠めた鉄指が肋骨に響く。 

 さらに崩錘と掌打、連続して襲う。

 首をひねる。拳の圧を頬に受けた。手刀と冲捶、鞭打を打ち込み、そのたびに鉄の腕がうなり、しなり、空を穿つ。大槍めいた突きと、風鳴りすら聞こえる掌底に慄き、省吾はなす術なく下がった。

 左。拳が貫いた。 

 耳元を過ぎる――空気が破裂した。鼓膜を劈き、肌を焼き、その感覚に気が狂いそうになる。

 離れた。逃げる省吾を孔翔虎が追う。迫り来る鉄を見、幾度となく抱いた恐れを噛み締める。

 分銅繰り出す。三度打ち込んだ。三度とも全て孔翔虎の手が弾き、拳を振るう。鉄の腕と、拳が、すぐ目の前で空を裂いた。

「この野郎」

 省吾、大きく後ろに飛んだ。孔翔虎の間合いから逃れ、契木を振りかぶる。

「いい加減に!」

 踏み込んだ。振り下ろした。分銅が大きく半円を描いた。速さを増した分銅が、孔翔虎の顔面を捉えた。

 蟷螂手。奇妙な手形が、分銅を絡め取った。

 それを見るや省吾、契木を返す。踏み込み、石突を突き出した。

 捉える、胸板。孔翔虎の体に突き立つ。堅い手応えを得る。力付くで押し込め、鉄板のその先を穿つように体ごとねじ込んだ。

「その程度か」

 孔翔虎の声。それと共に手が伸びる。省吾の首根っこを掴み、体を引き寄せ、足を払った。

 足場を失う。投げ出され、天地が返り、地に叩きつけられる。起き上がろうとした瞬間、目の前に功夫靴の爪先が迫った。

 身を逸らす。鼻先を過ぎる。熱を受ける、肌の表面。無我夢中で省吾は契木を振り回し、立ち上がると同時に潰走する。孔翔虎の突きと蹴りが襲いかかるのに、なりふり構わずに逃げる。だが、少し走るともう後ろから、孔翔虎が迫ってくるのを感じた。

 突き出す、孔翔虎の崩拳。受け流す、省吾――契木の先を拳と交わせ、体を開いて捌く。契木を返し、分銅を回して打ちつける。繰り返し、打ちつけ、しかし鉄の腕と肘に阻まれ、跳ね返るばかり。まるで響かない手応えに一種むなしさを感じつつも、そうやって打ち据えるしかなかった。分銅と石突が鉄の体に当たる度、孔翔虎は手刀と裏拳で弾き返し、間隙を縫って拳を突き出す。省吾は徐々に、壁に追いやられる。

 掌打――孔翔虎の左腕から。省吾の銅に伸びる。

 掌を契木で受ける。カーボンの本体が歪んだ。勢いそのままに孔翔虎は体を進め、頂肘を突き出す。省吾の胸に刺さるに、呼吸が断たれた。

「あごぁっ」

 自分でもあきれるほど妙な声を出し、省吾は吹っ飛ばされた。壁に背中を打ちつけて、その衝撃で呼吸が戻る。腹の中が再びかき混ぜられて、今度こそ胃の酸を吐き出した。

 前蹴り。鉄の脚が伸びた。壁伝いに逃れ、脚を避ける。流れた蹴り足は壁を打ち、亀裂を生んだ。

「くそ……」

 肩で息をする省吾に、孔翔虎は冷たく一瞥をくれる。

 胸を押さえた。痛みは、防具など何の意味もなさないほど響いている。いやむしろ、防具のおかげで痛みを得るにとどまっていると言えるかもしれない。防具がなければおそらく、一撃で内臓ごと打ち砕かれているはず。

 だが、だからといってそう何度も食らうわけにはゆかない。これ以上受ければ、もう身体は保たない――省吾は立ち上がり、契木を正眼に構えた。孔翔虎が目の前に立ち、その距離は3歩と満たない間合いにいた。

 睨み合った。省吾が構える先、孔翔虎が馬歩式の体勢を取り、そのまま両者とも一歩も動かずに対峙した。互いに互いの間合いを測り、打ち出すタイミングを計る。半歩、もう半歩。少しずつ、近づきながら。

 踏み込んだ、両者。契木と拳とが交わる。

 その直前、横から影が割り込んだ。孔翔虎の横面を弾き、一瞬だけ動きを止める。

 割り込んだその者と目が合う。血走った目と、険しい表と、全身で棍を打ち下す少女の姿を見た。

 孔翔虎が腕を伸ばした。ユジンの棍を掴み、投げ飛ばした。ユジンの小柄な体が地面を転がるのに、省吾はすかさず助け起こす。ユジンを引っ張り、孔翔虎の間合いから逃れた。

「もうやめろ、お前」

 省吾はユジンの両肩を掴み、ほとんど抱き止めるような格好で体を支える。そうでもしなければユジンはその場に崩れ落ちてしまいそうだった。

「動くなよ、そんな体じゃもう」

「一度でいい、省吾」

 ユジンは消え入りそうな声で言う。そうしている間にも、孔翔虎はこちらに向き直り、構えを取っていた。

「何て?」

「一度だけ、あいつの動きを封じて。そうすればせめて、傷を負わせるくらいは出来るから」

「何を言って――」

 孔翔虎が踏み込んだ。省吾とユジンは左右に飛んだ。震脚の衝撃で砂埃が舞い上がり、視界が塞がれる。覆い隠した土塵の中で、孔翔虎がユジンの方に向くのがわかった。

(一度だけだと)

 ユジンはすでに構えを取っている。己の身ごと武器にして仕留めるという気概すら見えた。棍を向け、孔翔虎と対峙して、まさしく飛び込む寸前だった。

(動きなど)

 孔翔虎が歩を繰り出すのを見た。省吾は孔翔虎の背後から近づき、契木を振りかぶった。

(勝手なことを)  

 ぐるりと契木を廻す。鎖が転回する。分銅が勢いづく、その直後。

「はっ!」

 放った。契木から振り出された分銅が、水平に切り裂く。うなる鎖が、孔翔虎の首に巻き付いた。

 引き込む。孔翔虎の首を締め付ける。虚を突かれた孔翔虎が、上体を仰け反らせた。それが合図だった。

「ああああああっ!」

 ユジンが叫ぶ。叫びながら踏み込む。身を投げ出すように前に出、棍をしごいた。

 突き立つ。孔翔虎の右目を穿つ。人工のガラス球を刺し、めきりと何かが潰れる音がした。右目から透明の液が流れ出、孔翔虎の体が崩れかける。

 ナイフを抜いた。省吾はダガーを逆手に、孔翔虎の首に突き刺した。鉄を砕く手応え、その先にある柔い何かに届いた感触を得る。強く、押し込め、さらに力を込めた。

 巨体がくずおれた。孔翔虎は膝を崩し、まるで祈るかのような格好で手をつく。うずくまった格好のまま、動かなくなった。

 それを見るや、ユジンが倒れこみそうになる。省吾は慌てて駆け寄り、ユジンの体を支えてやった。

「大丈夫か」

 ユジンの体を抱き止める。細い肩がひどく熱っぽく、脈打っていた。荒い呼吸をそのままに、省吾の腕の中でぐったりとしている。

 無理もないことだ。この少女はずっと機械どもを相手にしていたのだ。こんな小さな体で。

「無茶するなって言ったのは誰だったか」

 省吾が指摘すると、ユジンは恥じるように顔を背けた。省吾から身を離して自分の足で立とうとするが、まだ足下がふらついている。

「やめておけば良いものを。お前一人いなかったところで、俺だけで下せたのに」

「大苦戦しておいて何言ってんの。私も、人のことは言えないけど」

 ユジンが孔翔虎の方を見るのに、つられて省吾も目を向ける。地面にうずくまるようにして伏せる孔翔虎は、よく見ればあちこち傷がついていた。皮膚が破け、ところどころから地金が覗き、しかしそうまでしてもこの男は倒れることがなかった。機械故に頑丈で、どこまで痛めつけても決して倒れることがない。最後の最後まで抵抗を続けた証でもある。

「このぐらいはしないと」

 ユジンが唐突に口にした。

「あなたには並び立てないからね」

「どういうことだ? 並び立つって」

「省吾だけじゃなくて、雪久にも、レイチェルにも。機械と戦うのに、足だけは引っ張りたくないからね」

「いや、でも」

 ユジンは薄く笑みを浮かべて言った。

「いいじゃない、倒せたんだから。これで少しは今までの借りを返せたってものよ」

「そんなもの」

 省吾はつと、顔を背けた。あまりにも勝手な理論だった。ユジンに貸しなどほとんどなく、むしろ借りを作っているのは省吾の方だというのに。

「それで死んだらどうするつもりだったんだ」

 この少女は、どうしてこうも自分一人で抱え込むのか。まるで自分のことなどどうでも良いという風情でもって。

(どうしてそこまで)

 省吾は顔を上げた。一言、文句を言ってやるつもりだった。

 だが、ユジンの顔を見たときに、その表が驚慄に満ちていることに気づく。ユジンの視線は、省吾の後ろに向けられていた。

 振り向いた。その瞬間、目の前に影が立つのが分かった。  

 反射的に身を捻る。鼻先に熱を受け、風の圧を感じる。猛る拳が、省吾の顔をかすめ、通り過ぎるのを見た。

 間髪入れず、手刀。

 一閃、水平に振り抜かれる。省吾の額を切る。

 離れる。ユジンをかばうような位置につけ、ナイフを抜く。

「貴様っ」

 歯を食いしばった。すでに満身創痍とも言える孔翔虎の巨体がそこにある。立ち上がったその姿は、人ならば到底立っていられないだろう程に傷を負っている。そんな傷など何も意に介さないというような圧力が、孔翔虎の体から発せられていた。

 孔翔虎は首に突き立ったナイフを抜き、絡みついたままの契木を引きちぎった。鎖と杖に分離されたそれが地面に落ち、孔翔虎によって踏み砕かれる。

「しぶとい奴」

 ダガーを逆手に保持して右半身に取る。何度目か分からない、背筋の粟立ちを感じる。情感よりも、ただ背の冷たさだけが先行した。心がこれ以上の恐れを抱くことを拒否しているかのように、もはや感じ得ることすら感じない。

「……負けない」

 孔翔虎が呟いた。誰にでもなく自分に、意図せずに漏れ出た風な声音を。

「まだ、負けられない」

 低く、奇妙に咳音が混じった声。何かしら声帯を痛めつけたのか、傷つけたのならば省吾のナイフによってだろうか。それだけしても、この男には効果がないというのだろうか。

「ユジン、下がって――」

 言い終わらぬうちに、孔翔虎が突っ込んできた。

 身構える。息を止める。その瞬間、孔翔虎の肩が打ち当たる。体が飛ばされ、地面に後頭部を打ち、一瞬意識が途切れかかる。

「このぉ!」

 ユジンが向かう。棍の突きが、孔翔虎に向けて放たれた。

 孔翔虎の手が突きを捌く。孔翔虎はそのまま体を入れ込み、体当たり。ユジンの体が飛ばされ、廃墟の壁と衝突した。

 省吾が立ち上がって見るが、ユジンはくずおれたまま動かない。気を失っているようだった。省吾は走り、ユジンの元に行こうとするが、孔翔虎が行く手を阻む。

「楽に勝たせてはくれないということか」

 残された武装はナイフのみ。それも、特別なものではない、普通のナイフだ。一度でも鉄に突き刺せば刃がこぼれる。だが何度突き刺してもこの男は倒れることはないように思われた。

「絶望的だな」

 呟いた、その瞬間。孔翔虎が踏み込んだ。右の冲捶が、轟然と省吾の顔面に突き込まれた。 

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