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監獄街  作者: 俊衛門
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第十四章:34

 刃の勢いが衰えた、気がした。

 孔飛慈は剣を下ろして、雪久とにらみ合う。雪久との距離は10歩ほど。縮められない距離ではなかったが、孔飛慈はもう手を出してはこなかった。

「機械だから疲れないかと思ったが」

 バトンの先で額を小突き、首を回しながら雪久は言った。

「そうでもない、ってか。まあ無理もないだろうけどな、あれだけ無駄に動き回っちゃ」

 どんなに無駄な話をしても、やられる心配はない。そう確信していた。目の前の機械がどのような動きをしてもすぐに対処できる自信が、雪久にはあった。だからこそ雪久も構えを解き、孔飛慈に身を晒すかのように、無警戒さを表す。

「でも、何もしないんじゃ俺が楽しくないぜ、孔飛慈。あんたを喜ばせてはやりたいけど、こういうのはお互いが楽しくなきゃならない。互いに高めあって、気持ちよくしてやらなきゃ、損だぜ」

「あんたとはごめんだね」

 ようやく、孔飛慈が発した。うめくような声だった。

「こんな裏切り者とは」

「裏切り、ってか」

 ふと雪久は手の中でバトンを回した。ゆっくり、右と左、バトンの感触など今更確かめるまでもないが、雪久はそれでも手持ち無沙汰に回す。

「やっぱあんた、あそこの出身なんだなあ。兄の方も一緒か」

 孔飛慈の目の色が変わる。明らかな敵意の塊だった。

「兄妹ってことは、同じプールか。どうせそこで良いように弄られたんだろ。その代償として、これか。《東辺》の奴の言いなりで」

「あんたに何が分かるんだよ」

 孔飛慈が噛みつくのを、雪久はただ薄ら笑いを浮かべて流した。

「分からないね。あんなところに押し込められたまま、連中に尻尾振るしか能のない犬ども。同じ犬でもまだ牙があれば良い方だが、いまのあんたにゃそれすらもない。ただの野良犬の方が、噛みつく余地はあるものを」

 一歩、雪久は近づいた。それでも構えを取らない。剣から注意をそらすことはなかったが、避けられないということはありえないと、思った。

「だからお前らには、俺を潰すことはできないんだよ。どんなに嫌でもあそこに留まり続けて、今も首輪つけているお前らに」

「随分調子くれてんじゃん、『千里眼』」

 孔飛慈が剣を差し出した。

「この間と違って」

「前回はたまたま調子が出なかっただけだ」

 雪久はバトンを前に突き出す。ようやくの構えだ。

「今はそうじゃない」

「へえ、そうかよ」

 孔飛慈が言った、それと同時に、二人して動いた。

 剣先が躍った。螺旋の軌道を描きながら、抉るように突き込まれた。

 雪久、難なく避ける。バトンの先で剣先を弾くに、剣が流れる。そのまま雪久踏み込み、左のストレートを放つ。孔飛慈の顔面に向けて見舞った。

 いきなり孔飛慈、頭を引いた。と思ったら、頭突きを繰り出した。 

 雪久の左拳にぶつかる。ちょうど突き出された拳に、真正面から当たりにいく格好となった。

 衝突と同時。雪久の腕がごきりと嫌な音を立てる。

「なっ」

 手首。衝撃が骨に伝播した。骨が砕けた音の次に、何かがちぎれたような感触を、腕の中に得た。

 腕を見る。差し出した利き腕が妙な方向に曲がっている。粉砕された腕を前に、声を失う。

 孔飛慈が浮かべる、薄い笑み。その瞳とかち合う。初めて、背筋が凍り付く。

 孔飛慈の掌が飛んだ。 

 左の掌底が、雪久の左半面を叩いた。ちょうど『千里眼』にかぶせるように、掌を放ち、果たして孔飛慈の手が雪久の眼球を覆うようにして打撃を加えた。

 一瞬、左目の視力を失い、眼球が顔にめり込むような心地がした。顔が弾かれ、雪久は上体をのけぞらせた。

「あ……がっ」

 たたらを踏んだ。何が起こったのか、理解しかねた。足の先からの感覚が無くなったようだった。腰が砕けたように、尻餅をつき、折れ曲がった手を伸ばす。

「え、あれ」

 どうなっているのか、頭では理解しても身体のほうがついてゆかない。一体どうして自分は倒れているのか? なぜ腕が壊れたのか? そして左目が見えないのはどういうことなのか?

(なにが、どうなってんだ?)

 雪久はとりあえず立ち上がろうとしたが、孔飛慈が雪久の喉に剣を突きつける。

「散々叩いてくれちゃって、あんな蚊の刺したようなパンチ」

 見下ろす目はやけに冷たく、孔飛慈は嘲りと怒りを内包したような面でもって、対した。

「てめえ、何しやがって」

 雪久が呻いた、その瞬間にようやく身体の方が痛みを発してくる。手首は激しく神経を刻むように、左目は熱い鉄の塊でも押しつけられたような熱感を得る。久しく味わうことがなかった痛みだった。

「どうもこうもないね。あんたそのグローブ、大したモンだけどもさ」

 孔飛慈は雪久の腕を蹴りつけ、思わず声を漏らす。

「あたしをヤるなら、手首も固めとくべきだったね。拳ばっかり堅くても、根本が柔っこいからちょっと力加えりゃすぐへし折れる」

 雪久は左目から手を離した。二度ほど、まばたきをしていみる。その瞬間、すさまじい痛みが走った。目の中、というよりも頭の奥が詰め物をされたかのように重く、燃えるように熱い。当然のごとく左目は全く効かず、薄く何かが見える程度でほとんど見えない。

 雪久は起きあがろうとした。その瞬間、孔飛慈は剣を振り下ろした。

 雪久、飛び退くが避けきれず、額の先を剣がかすめた。そのまま後退するのに、孔飛慈がさらに追ってくる。剣を、突き出し、刺突してくるのに雪久、バトンで剣を弾いた。

 剣が切る、雪久の右肩。先端が切り裂いた。

 刻まれる。思わず、身体を折る。右腕全体が痺れ、バトンを落とした。孔飛慈が剣を引き抜くのに、血の筋が棚引いた。雪久は傷を押さえる。まるで想像だにしなかった、神経を切り刻む痛みを感じた。

「どうしたよ、『千里眼』」

 孔飛慈が薄く笑みを浮かべた。ぞくりと、雪久の背筋が凍り付いた。

 振り抜いた、孔飛慈。剣を水平に切り、剣先が喉に伸びた。雪久が下がると、さらに縦横切りつけてくる。雪久はなんとか上体を逸らし、かわすが、避けきれずに剣先を肌に刻みつけ、肩と頬、首の皮を切った。

(掴めない――)

 まるで距離が測れない。目測で避けようとしても、紙一重で切られてしまう。『千里眼』が使えないからという問題ではない、片目では遠近感覚が全く分からないのだ。

「どうしたどうした、さっきの意気はさぁ!」

 孔飛慈が突き込む。雪久が下がる。首に傷を受ける。

 ふと、背中に壁を感じる。雪久は追いつめられた。

「この……」

 右半身のまま構えた。左手はだらりと下げたまま、右だけでなんとか拳を作った。その右拳も、出血のためか小刻みに震えている。何とか止めなければならない、弱みを見せてはならないと思っても、身体が言うことをきかない。己の意志とは裏腹に、腕も足も、何もかもが竦みあがっている。

「誰が誰を悦ばせるって?」

 孔飛慈が剣を回した。縦に、斜めに、刃を走らせる。手首で回転を加えるたび、剣先が唸る。

「言ってみなよ、さっきの。人形って誰のことさ、なあ?」

 ひゅん。

 刃が間近で鳴った。額に風を受け、数瞬遅れて白銀めいた毛が何本か舞う。それが自分の前髪であると気づくのに、時間は掛からなかった。

「所詮はあんた、その程度。そんなんであたしにでかい口叩こうってどうかしている。馬鹿じゃない? あんたなんか『千里眼』効かなきゃただの人じゃんかよ」

 孔飛慈の冷めた声音が、これから切り刻むという予告であるかのように響く。もはや雪久自身には何の興味もないという口調で、切って捨てることに躊躇いはない。もう、孔飛慈にとって雪久は戦う対象ではなく、据えもの切りの獲物であるような態度でもってーー

 その声だけで、十分だった。雪久の肝を冷やすには。戦慄し、恐怖で縛り付けるにはそれだけで良い。

 握る拳が、震え。踏み出す足には全く力が入らない。さきほどまではどれほどの剣が降り懸かろうとも大して影響などないはずだった、今は違った。

(どうした)

 まともに孔飛慈の方を見られない。もし目を合わせれば、その瞬間に貫かれる気がしていた。

(何で――)

 とにかく今はここを動かなければ。すでに雪久は剣の間合いに入っている。背後には壁が聳え、退路はない。なんとかして、今すぐにでもここから逃れなければならない。なのに。

(何で、足が動かない!)

 剣が伸びた。雪久は首を傾けた。

 頸動脈の上――通過する長穂剣の刃。肌一枚の危うさでもって避けた。

 雪久、しゃがみこむ。孔飛慈の懐に向けて飛び込もうとするが、足がもつれた。その場に倒れ込むに、孔飛慈は下に向けて突いた。

 雪久が逃げる。四つん這いになって、ほとんど地面を転がるようにして逃れた。後ろから切りかかってくるのを、雪久は獣みたく手足を動かして逃げる。

「あはは、何それ。何その格好」

 孔飛慈はその様子を見て笑い、笑いながら斬る。右に、左に。刃の薄い長穂剣が、肌を切り、細かい傷を刻みつけてくる。

 雪久はどうにか立ち上がった。立ち上がった瞬間、目の前に剣先が閃いた。仰け反り、避けるが、やはり目測を誤り肌を切る。雪久の肌には細かい傷がいくつも刻まれていた。

「逃げてるつもり? それ。往生際が悪いね」

「うるさいっ」

 足下の石を、雪久投げつけた。孔飛慈が怯んだ隙に逃げる。足を引きずりながら、あまり早くない速度で。

(まずった――)

 左目は、『千里眼』は全く動く気配がなかった。衝撃でどこかの回路がずれたのか、あるいは壊れたのか。しかし、もし壊れたのだとしたら大量に出血すると思われた。今のところはただ見えないだけ、だがその見えないことが致命的過ぎる。

「逃げんなよ、マスカキ野郎」

 やおら、孔飛慈が剣を投げた。先端が雪久の右腿を傷つけるに、雪久は倒れこんだ。尻餅をついた状態で後退し、壁際まで下がる。孔飛慈は剣を拾い上げ、雪久を見下ろす。

「畜生……」 

 どうしてもっと早くにとどめを刺さなかったのか。一度目に『千里眼』の特性を見抜かれた上で翻弄された。二度目はしかし、前回とは違う動きを見せることで優位に立てた。

 ならば、有利なうちに仕留めることが出来たはず。なぜ俺はそれをしなかった? 見えるうちに。

「畜生!」

 足下の石を投げつけた。何度も何度も、ちぎっては投げを繰り返した。孔飛慈はうるさそうに飛んでくる石を弾き、切り落とし、徐々に雪久に近づいてくる。

 やがて孔飛慈は雪久の目の前に立ち、剣を突きつける。

「首輪がついてるって誰のことだよ」

 薄く血の跡が曳く、刃の先を、雪久は見つめた。赤黒さが染み込んだ白銀を眺めていると、気が狂いそうになる。

「あそこを抜け出したらそんなに偉いの?」

 孔飛慈が冷たい眼差しを向けてくる。目に映るものは何の価値もないと認め、相手にもそれを強要してくる目だった。凍り付いた目は、幼い少女めいた面差しとは対照的に鋭く、突き刺す。

「あんたは良かったかもしれないね。けど、だからなんだよ。たまたま運良くあそこを出れたかもしれないけど、ほとんどの連中はそうじゃない」

 孔飛慈が言うことの半分も頭に入らない。ただ刃の先を見て、ただ戦慄する。今の雪久に出来ることなど、限られている。

「選べない奴もいる、選べた奴もいる。ただそれだけ、たまたまついてただけだろう。あたしとあんたに、どんだけの差があるっていうんだ!」

 孔飛慈、剣を振りあげた。背筋が凍り付いた。

 一気に振り下ろす。剣先が切り閃いた。

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