第三章:1
ようやくの再開です。
4日目。省吾は身支度を整えていた。
「本当に行っちゃうんですか?」
孫は少し、表情を曇らせた。
「仲間になってくれれば、心強いのに」
「それだけは御免蒙る」
ぶっきらぼうにそれだけ答えた。
「お前には世話になったからな、いずれ借りは返す。お前の店にも寄ってやってもいい。だがここにはもう戻ることは無い」
「そんなこと……」
それっきり孫は押し黙った。
「省吾」と、背後から彰が呼びかける。『OROCHI』のメカニック担当ともいえるこの優男は、その奔放な性格からかもう省吾を下の名前で呼ぶようになった。その馴れ馴れしい態度が、気にくわない。
「名前で呼ぶんじゃねえよ」
省吾があからさまに不機嫌な声を発しても、彰は涼しい顔である。
「ユジンが呼んでもなにも言わないのに?」
微笑しながら、右手に抱えた灰色の布を差し出す。
「外は危険だから、これを着ていくといい。倉庫内に余っていたやつだ」
渡されたそれを、広げてみる。
グレーの、ロングコートである。羽織ってみると裾は膝まであり、すっぽりと省吾の身体を包み込む。大き目のフードと広い袖口、まるで『スターウォーズ』シリーズのジェダイの衣装のようである。
「俺らのチームジャケットと同じ、超剛性繊維で出来ている。お近づきの印に進呈するよ」
「なぜ、俺に?」
訝しげな顔をする省吾に
「心配しなくても、見返りにチームに入れとかは言わないよ。個人的なプレゼントと思ってくれ」
彰は笑った。
「なにせ、俺にとって尊敬に値するからね。君は」
なにを気味の悪い、と軽く悪態をつきながらも素直にそれを受け取った。工員狩りが終わらない今、省吾自身も追われる身である。降りかかる火の粉を防ぐための手段は、多いに越したことは無い。
立ち去る省吾を、彰と孫が見送った。
「ここの存在は」
微笑を真顔に変え、彰は言った。
「誰にも口外してもらいたくはない。そうなると俺らは……」
「心配するな」
背中を向け、省吾は手を振る。
「難民の気持ちは、分かっているつもりだ。こんな穴倉で細々とギャングの真似事やっているお前たちを売るほど、俺は非情ではないさ。もう会うこともないだろうが元気でやれ」
では、と立ち去る省吾をユジンが追った。
「まあ……俺らは難民とは違うんだけどね、意識の上では」
ぽつりと洩らした彰の声は、おそらく省吾には聞こえない。
「いいのか、行かせても」
アジトの宿直室は雪久の個室と化している。そのベッドに横たわる雪久に、燕は声をかけた。
「あいつ、もしかしたら『BLUE PANTHER』に寝返るかも。もしくは『黄龍』に情報を売るか……いずれにしろ、ここを出るってことは俺らの敵になりうる」
「大丈夫だ」
雪久は身を起こした。
「あいつは戻ってくる」
「なぜそう言いきれるんだ」
「だってよ」
にい、っと歯を見せて雪久は笑った。
「俺との決着がついていないからな」
普段は濁った、混沌とした暗闇のような雪久の目。それが輝いている。
燕は、思った。子供が、店先のショーウィンドーで新しい玩具を見つけたような、そんな目だ。
廃棄された軍用列車の間を、省吾とユジンが歩いていた。
錆付いた鉄の車両には窓一つない。頑丈な装甲に覆われ、40ミリ機関砲の砲座が上部に備え付けられている。側面部の焼かれた痕が生々しい。
「……もう一度、考えてもらえないかな」
省吾は先ほどから黙ったままである。重苦しい空気に耐えられず、ユジンが切り出した。
「なにをだ」
「だから……」
ユジンは駆けた、と次の瞬間。
省吾の正面に立ち、向き合った。両眼をしかと見据えて。
「仲間になってもらいたい、って話。私たちにはあなたのような人が必要なのよ。だから」
「うるせえな……」
省吾は作業ズボンのポケットをまさぐる。ドル紙幣を数枚出した。
「ほら、薬代だ。これで足りなきゃ残りはいずれ返す。これでこの話は終わり……」
「馬鹿にしないで!」
ユジンが悲鳴に近い声で叫んだ。広大な地下空間に反響し、こだまする。
「そんなことはどうでもいいの。私は……」
「お前」
半ば呆れた声で、省吾は問いかけた。
「なぜそれほどにこだわるんだよ。そもそもどうしてあんな奴についていけるんだ」
あんな奴、とは雪久に他ならない。
「あいつがどういう素性か知らんがな、難民を侮辱するような男だぞ。そんな奴の下についていって、お前は何がしたい?」
何気なく、聞いているつもりではあった。
だが、ユジンの表情に省吾は少なからずひるんだ。
キッと真一文字に結んだ唇。そらすことなく、省吾の目を射抜く瞳。省吾の心の、奥深くを見つめるかのような濁りのない眼が、眩しい。
「省吾は、何のために生きているの?」
「はぁ?」
「省吾の生きる意味って、何」
「いや、質問を質問で返すなよ。その前に……」
「答えて」
有無を言わせぬ、固い意思をこめたユジンの声。省吾はついに視線をそらした。
「……そんなもんねえよ。生きることに意味なんかない。ただ生きる、それだけだ」
「この街の難民は」
ユジンはふと、目の力を緩めて口調を和らげた。
「皆そう思っている。いいえ、そう思わされているわ。白人たちによって、生きる意味なんて考える余裕すら奪われてしまっている」
だから、とつないだその顔はいつもの柔らかな表情を見せていた。
「雪久は『難民』って言葉を嫌うのよ。生きる意味のない、家畜のようにされてしまったこの街のアジア人たちと一線を画している。そして省吾、あなたにも難民ではなく一人の『人間』として生きる意味を持って欲しい。だからあんなきついこと言ったんだと思う」
「なんかそれ、すごいこじつけだな。というより拡大解釈か」
ようやく、ユジンの顔を見る余裕が出来た。
「じゃあお前はあるってのかよ。その、生きる意味とやらが」
「あるよ」
ユジンは、微笑を浮かべた。
「この街を、アジア人たちが平和に暮らせる場所にする」
「……はあ?」
なんとも、間の抜けた声を発してしまった。
省吾は、驚いている。と言うよりも呆れている。それが表に出たのか、ユジンはくすりと笑った。
「なあに、その顔」
「あまりに突拍子も無いことを言うからだ」
そんな呆けた顔も元に戻った。
「ちんけなギャングの小娘が、随分と大風呂敷を広げるものだ」
「そう? でも何もしないよりましよ」
「何を馬鹿な」
そう鼻で笑った。
「できることとできないことの区別はつけろよ」
「できるかできないか、じゃないわ」
ユジンが柔らかにいった。
「やるかやらないか、よ」