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監獄街  作者: 俊衛門
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第十四章:33

 契木を脇に構える。分銅の側を背中に、石突を孔翔虎の方に向けている。

 脇構え。相手に身を晒し防御を捨てた位となる。己が命を差し出す代わりに、必ず相手を殺す身構えで対する。それ故に相手から受ける圧力は、正眼につけた時よりも強く、直接的だ。今尚圧し付ける孔翔虎の殺気に、省吾は必死に耐えた。

 前後で、対峙する。孔翔虎の正面と背面、それぞれ省吾とユジンがつけている。脇構えに構える省吾と、棍を水平に保持するユジン――そのいずれに対しても何ら構えることなく、たたずむ孔翔虎。どちらが先に動こうとも、またどのように仕掛けようとも、変わらず自分はそのままで居続ける。そんな意思表示であるかのような無構えを示していた。

(ユジンがどれほど動けるか……)

 見ていたわけではないが、省吾たちが来る前も相当な戦いだったのは分かる。ビルを飛ばした瞬間を目の当たりにしなくとも、ユジンを見ればその辺は容易に想像出来た。平然を装っても、疲労の色は濃く、身体のあちこちに痛みを引きずっているのが見て取れる。

(長くは、かけまい)

 省吾、半歩前に出る。孔翔虎の左手がわずかに動く。あの手から繰り出されるのは、拳か、掌か、あるいはまた奇妙な手形で捌くか。

 否、考えても仕方ない。警戒はしても、それに囚われ過ぎてはいけない。

 息を吐く。呼気が、細く鋭い糸になったかのような心地になる。細かく詰まった気道を空気だけが無理やりこじ開けるかのように漏れ出ているかのような。

 ユジンと目が合う。互いに合図する。小さく頷き、それで十分だった。

(いざ――)

 踏み込んだ。前方に倒れ込むように、勢いをつけ、飛び込んだ。

 孔翔虎、動く。腰を落とした体勢で、地を滑るような歩を繰り出した。

 それと同時、ユジンが走った。駆けながら棍を振りかぶり、孔翔虎の背に向けて渾身の一撃を浴びせた。

 孔翔虎が足を止めた。

 刹那、契木を振り抜いた。杖の先端から、分銅鎖が飛び出し、うなりを上げる。分銅が孔翔虎の顎を狙い打つ。

 衝突。孔翔虎の肘によって阻まれる。分銅が跳ね返り、孔翔虎が鋭くねめつける。その視線とかち合い、冷たい汗が吹き出る。

 杖を返し省吾、刺突。杖をしごき、槍の要領で突く。その突きを孔翔虎は蟷螂手で捌き、拳を打った。

 危うくかわす。崩拳が横髪を擦る。間近で聞く、機械の唸り。戦慄する。

 瞬間にユジンの棍が走る。棍の先が孔翔虎の肩と胴を二連、打ちつけた。

 崩錘。孔翔虎の腕がユジンの面を打ち抜く。

 ユジン、鼻先でかわした。孔翔虎が追うのに、省吾は契木を振りかぶる。鎖を頭上で旋回させ、勢いよく振り下ろした。分銅が孔翔虎の首筋を穿つ。孔翔虎は猛り、右の手刀を繰り出し、省吾の首の皮膚を削った。

 ユジンが飛び出す。叫びを上げ、ひどく耳に障る気勢を発する。体ごと突っ込み、棍を打ちつけた。

 孔翔虎の蟷螂手が躍る。柔らかく、棍の打ち込みを捌き、絡め取る。そのまま棍を引き寄せ、ユジンに肉薄した。

 省吾、ナイフを抜いた。孔翔虎の顔面めがけて投げ打つ。回転する刃が孔翔虎とユジンの目の前を通過した。

 孔翔虎がひるんだように見えた。それが狙いだった。いかに機械といっても、意識は人間。人間ならば、突然のことに注意をそらされることなど多々ある。

「やっ!」

 ユジンの蹴り。孔翔虎の喉に刺さり、機械の身体に叩き込んだ。すでに幾度かの攻撃のせいで人造皮膚は捲れ、中の鉄がむき出しになっている、その央心に向けての蹴りだった。

 孔翔虎の体が仰け反る。棍を離し、たたらを踏んだ。それが機会だった。

 省吾、契木を振り抜く。孔翔虎の右足に向け、分銅を飛ばした。果たして鎖が鉄の足に絡まり、孔翔虎は片足をとられる格好となる。

 思い切り引く。重い車を引っ張る手応え。右足を引き上げられ、孔翔虎が転倒した。

 省吾、ナイフを抜く。倒れた孔翔虎に迫る。

 孔翔虎が起きあがろうとする。すぐにユジンが押さえ込む。棍を孔翔虎の首に押し当て、体重をかけた。

 そのままユジンは省吾の方を見た。今、というように。

 ダガーを逆手に持つ。左手を束頭に添える。仰向けの孔翔虎の、人造皮膚が破けた胸部に向けて、突き下ろした。

 孔翔虎の脚が空を掻いた。

 一瞬だった。一瞬の間に描いた右脚の弧が、空間を切り閃いた。強烈な回し蹴りが省吾の手元を叩き、ナイフが弾き飛ばされる。骨ごと響く痛みに顔をしかめると、孔翔虎は馬乗りになっているユジンを押し退け、投げ飛ばした。ユジンが倒れるのに、慌てて省吾は助け起こす。

 孔翔虎が立ち上がる。足に絡み突いた鎖を外し、投げ捨てた。省吾は新たにナイフを抜き、逆手に構える。

「なかなか隙を見せない」

 ユジンの息が荒くなっていた。ここまでずっと動き通しということもあるだろうが、なにより孔翔虎の打撃を受けているのだ。打撃の対策はそれなりにしているだろうが、それだとしてもここまで受ければ、おのずと。

「もうお前は休んでいろ」

 省吾はユジンをかばうような位置取りで、孔翔虎と対峙する。およそ5歩ほどの間合いを取っても、孔翔虎の拳はますます威圧感を増して、どれほどの距離を開けても意味がないように思われた。

「あとは俺が」

「偉そうに指図するのはやめてよね、省吾」

 言ってるそばからユジンは苦しそうな顔をしている。右手で棍を構えるが左手で腹を押さえている辺り、もう限界なのではと疑うほどに。

「指図じゃないが。ただ、そんな状態でやり合えるような奴じゃない」

「倒すって、言ったでしょ? じゃあ倒すしかないよ。あなた一人じゃ心許ないし、援護ぐらい必要でしょう」

「だが――」

 発するより先に、孔翔虎が駆けた。山が動き、岩のごとき一撃を打ち出す。省吾とユジン、それぞれ左右に飛び、避ける。孔翔虎の側面につける。

 振り向く、孔翔虎。冷たい眼差しと向き合う。背中が凍り付く。

(まずい)

 離れた、その瞬間。顔に鉄の塊が迫った。孔翔虎の必殺の冲捶が打ち込まれる。

 首をひねる。頬に熱を受ける。摩擦で皮膚が焼け、鼓膜に風切る音が響く。

 足下が崩れた。少しかすめただけで、省吾の脳が揺さぶられた。踏みこらえる、瞬間、孔翔虎の肩が迫った。

 弾かれた。巨体がぶつかり、省吾の軽い体はあっけなく吹っ飛ばされた。地面に倒れ伏したところ、孔翔虎が見下ろす瞳と目が合う。

 声があがった。ユジンが、孔翔虎の背後から近づき、棍を打ちつけた。二度、三度と叩きつけるのを、孔翔虎はうるさそうに手で払いのけた。

 ユジンが突く。孔翔虎の喉を狙う。孔翔虎が体を開くのに、突きが流れる。孔翔虎はそのまま身を寄せ、ユジンの足を払った。

 ユジンが倒れる。孔翔虎は地に伏したユジンを踏み砕こうと、脚を持ち上げる。

「このっ!」

 省吾、飛び出した。ほとんど無策に近い、自棄気味の体当たりを繰り出す。孔翔虎の腰にとりつき、ナイフを突き立てた。鉄に阻まれ、切っ先が欠けても、何度も突き刺した。

 孔翔虎はそんな省吾の首根っこをつかみ、投げ飛ばした。3メートル離れた地面に投げ出され、省吾はしたたかに肩を打った。

「省吾!」

 ユジンが立ち上がる。孔翔虎の拳をかいくぐり、契木を拾った。逃げながらユジン、契木を投げて寄越した。

 省吾、手を伸ばす。契木を受け取る。ナイフを捨てると、契木を旋回し、勢いをつけて分銅を叩きつけた。

 鈍い手応え。孔翔虎の横面を分銅が捉えた。孔翔虎の身が傾ぐのを見た。

 刺突。孔翔虎の額に、ユジンの棍が突き立つ。孔翔虎の身が反り返る。ユジンがさらに叩きつける、飛び上がりながら体ごと打ちつけた。

 鈍く鳴る、金属音。首を打たれた孔翔虎が、膝をつく。省吾はとどめとばかりに分銅を打ち据えた。

 だが、その打ち込みは難なく弾かれる。飛んでくる錘を手刀で切り落とし、孔翔虎は立ち上がる。迫るユジンに前蹴りを浴びせるのに、ユジンは慌てて距離を取った。

 やがて孔翔虎は再び構えをとる。それと同時に、省吾もユジンもその場で身構えた。

「ちょっとは痛がれよ」

 知らず、省吾は口走った。どれほど手を尽くしても、まるでこちらの武器が意味をなさないかという絶望を味わうだけの作業でしかないように、思われた。

(このままでは打つ手はない) 

 すでに、何度も打撃を受けている。

(ナイフはあとどれくらい――)

 加えて、武装自体も少ない。ナイフを、同じペースで消費すれば、すぐに残りも使い果たすと思われた。

(それに、ユジンももう……)

 疲労のせいか、ユジンは立っているのがやっと、という風情だった。孔翔虎の背後に立つユジンと目があったが、もはや目の焦点も定まっているかあやしい。だが彼女には、どれほどやめろと言っても聞かないだろう。だから早めに仕留めてしまいたいのに。

(やれるか)

 石突の先端は孔翔虎に向いている。手にした当初はその重量感に驚いた契木が、今では何とも頼りなさげに見えてしまう。しかしそれに頼るしかないという現実も、またある。ナイフがそれほど多くはないということを鑑みれば、どうあっても分銅で叩き潰すしかないのだ。

 半歩ずつ、前に出る。段々と孔翔虎との間が、縮まる。互いに互いの制空圏が近づき、拳と分銅の間が交わろうとしている。間合いでは圧倒的に契木の有利、それはユジンの棍も同じことだ。決して入らせない、その意気こそが今持てる全てのものだった。

 低く、構える。孔翔虎。省吾は契木を強く握った。

 一歩、それが合図だった。入ってくる、分銅の間合い。孔翔虎が前に出た。

 気勢、それとともに省吾は飛び出す。それを受けて、ユジンも飛び込んだ。脇構えの契木を振り抜き、棍がうなりをあげる。孔翔虎が動き、左の掌が差し出される。

 その瞬間、衝撃が生まれた。


 風が吹いている。廃墟群に吹きさらし、砂塵を舞い上げた風は、湿った冷気をはらんでいた。

 誰も彼もが凍えそうに震えている。難民たちは少ない衣をありったけ着込み、首筋を押さえながら足早に駆け去る、ストリート。いかにもな寒さを、これから来る冬の足音と捉え、これからの季節をどう過ごそうかと考えているーー寒さも暑さも感じぬ我が身には、季節の変わり目などという風情とは縁遠く、気候などなんら関係ない自分には想像もつかないことだ。

 下界をのぞき込む。足下では、機械たちと戦う、二人の男がいる。『疵面』と『千里眼』、彼ら二人にはきっとこの風の冷たさなど分からない。どれほど冷え込んでいたとしても、戦いの最中で感じ取る暇などなく、逆に熱にうなされていることだろう――戦場の熱に。同じく気温を感じない自分と照らしあわせると、それはそれで奇妙な合致であるといえた。

 もっとも、今は寒さを忘れているだけという彼らと、寒さ自体感じない自分とでは、実際はかなりの差がある。

「血が騒ぐか、麗華」

 そう告げる声が背後から響き、女は振り向く。まるでなかった気配が唐突に現れた心地にさせる、紺のスーツに身を固めた男。屈託なく笑い、いかにも人畜無害そうな風情を醸すこの男は、しかし目だけはいやに鋭く光る。

「何が、でしょうか」

 麗華と呼ばれた女は咳払いをひとつ、した。自分の思惑が気取られることがないよう、平静を装ったつもりだった。目の前の男は相手が生身の人間だろうとなかろうと、思惑を見透かしている感がある。

「何が、血が騒ぐと」

「違うなら別にいいんだが。何となく、そう思っただけだ」

 どこまでが本気なのか、検討もつかない。この男は自分の意図がまともに伝わらずとも構わないとばかりに、真意をぼかしてくる。まるでそうすることが一つの地位であるかと振る舞っているようだった。

「ご冗談を」

 返答のしようもなく、麗華は顔を背けた。黙っていれば男の意図する方向に向かわされそうな気がした。

「血が騒ぐようでは、そもそもが三流です。戦いの場で、努めて冷静であろうとすればするほど、そのようなことはない。ただ自分のすべきことを行う、それだけです」

「そうか、まあそういうことにしておこうか」

 ネクタイをゆるめて、男は麗華に倣うようにビルの下をのぞき込んだ。

「それで、使えそうかあの二人」

 ちょうど下界から孔飛慈の金切り声が上がる。悲痛さや、驚懼といったものとは無縁の、怒りに満ち満ちた声音をしていた。

「兄の方はともかく、妹は苦戦しているようだが」

「あの程度で根を上げるようならば、それまでということです。『千里眼』を備えていようと所詮は生身、そんな相手を前に倒れるようであれば、もはや次はありませんね」

「そうかい。しかし、兄の方も圧勝とはいかないみたいだが……ええと、どこだ」

 男はビルの周囲を見回したが、孔翔虎の姿はここからは見えない。加えて、あちらは相当に静かなものだった。『疵面』、真田省吾ともう一人、『OROCHI』の女が対峙しているはずだったが、いずれもここからは存在自体が見えない。

「まあ、良い。あと少しすれば決着なんておのずとつく。今は奴らのお手並み拝見といくか」

 そう語る男はひどく楽しげで、深刻さなど毛ほども伺えない。いかにも勝負の行方はコインの裏表程度にしか考えていないという風情で、下界を眺めている。

「もし、あの二人が」

 唐突に、麗華が問うた。

「倒されるようならばどうしますか」

「心配しているのか? お前自らが推薦したんだろう、あのヒューイに」

「テストも兼ねてのことですから。あの兄妹は、いわば実験機体です。もっとも、だからといって生身の『疵面』や『千里眼』が勝てる道理もありませんが」

「お前個人としては、どうだ? もしかして『疵面』の方を気にしているんじゃないか?」

 ひどく、的確に抉ってくる。そういう印象だった。この男はやはり、私を試している。そうでなければここまで的確ではない、そう感じるに足るものだった。

「……ご冗談を」

 自分がどんな顔をしているのか、分からなかった。ただそう返すのが精一杯で、麗華は顔を背けた。

「まあ万が一そんなことになれば、こちらとしても手は打つさ」

 男は愉快そうに顔をゆがめ、麗華の顔を眺める。

「あの機体を速やかに確実に回収、そうしなければ色々とうるさい奴が出張ってくるからな。奴らの周りに常に目を光らせておけ」

「仰せのままに」

 そういって、麗華は発する。

「――皇帝エンペラー

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