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監獄街  作者: 俊衛門
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第十四章:30

 一定時間、睨み合っていた。

 孔翔虎が半身のまま、構えも取らずに対するのに、省吾もまた構えを取らない。互いに無構えのまま、時間だけが過ぎた。

 攻めあぐねていた。動けばその瞬間にやられるという懸念が、自身を縛り付けている。八極拳は後の先を取り、相手が動くと同時に仕掛ける。拳も剣も、同じだ。下手に動けば、その瞬間に打たれることは必定だった。

(だが、攻めなければこちらも) 

 だからといって、じっとしている訳にもゆかない。省吾は糸口を探る。この男を、どうにかして動かせないものか。動きを誘い出すためには、こちらが攻める気を見せなければならない。待ちに徹すれば相手に付け入る隙を与える。先を取るには攻めを見せ、しかし相手の誘いにも乗らず、じっと耐える。決して待たず、しかして手も出さず。静かな攻防が、行われている。 

(一撃でも食らえば……)

 対すればそれだけ、孔翔虎の拳の圧を意識させられる。機械の体、その威力を、まざまざと見せつけられ。その圧力と対峙し続けることは、相当の胆力が必要となる。

(意識すれば負ける)

 機械ではある。しかし、機械であることに囚われすぎてはいけない。圧力に押しつぶされそうな心を鎮め、己を奮い立たせた。機械だと思うからいけないのだ。ただの人と人、拳と杖。常に思い描く戦いの絵図を、思い浮かべれば良い。

 冷えた汗が頬を伝う。杖を握る指が、次第に堅さを帯びてゆく。強く握りしめすぎている自分に気づき、手のひらから力を抜く。

 呼吸が荒くなる。自分の意志とは反して、全身の神経が逆立つようだった。明らかに、目の前の男に恐怖する我が身を叱咤する。

(始まりもしないうちに恐れるなど)

 半歩、孔翔虎が近づく。省吾は左手を杖にかける。

 同時に動いた。

 孔翔虎、腰を落とし、体ごと迫る。猛然と突っ込み、震脚を鳴らし、距離を縮めて拳を突き出した。

 省吾、杖を突き出す。逆手に持った杖を、体を入れ替えつつ下からすくい上げる。杖と拳が交わり、体を押し込めた。拳の軌道が逸れ、杖を孔翔虎の右肩につけた。二人して密着し、肩と杖とで押し合う形で膠着する。

 省吾、離れた。力ではまず押し負ける、体の競り合いはもっとも避けたいところだった。杖で押しながら後ろに跳び、間合いを切る。

 その直後、孔翔虎が追ってくる。

 省吾、慌てて杖を打ちこんだ。手を滑らせ杖を切り返し、孔翔虎の横面を打った。

 孔翔虎、手刀で杖を弾く。そのまま体を入れ込み、頂肘。省吾の胴に刺さる。肺腑が打ちとめられる心地とともに、数メートルも飛ばされる。地面に転がり、背中を打ちつけた。肋骨と背中、同時に痛みを受けた。

 すぐさま省吾は立ち上がるが、すでに孔翔虎の姿が迫っていた。

 孔翔虎が打ち込む。右腕をしならせ、崩錘。省吾は上体をそらして避ける。鼻先を、孔翔虎の裏拳が過ぎ去る。

 間髪入れずに、掌底、さらに肘――二連続、降りかかる。省吾は杖の先で捌き、掌と献肘を避け、間合いを切ろうと後退する。だが、孔翔虎の拳の制空圏内からなかなか抜け出すことが出来ない。

 ふと、背中に壁を感じる。いつの間にか追いつめられていたようだった。省吾は正面を見据える。孔翔虎が拳を打ち出した。

 右半身のまま、飛び込んだ。拳の打ち込みを避け、体を預けるように前に出る。勢いそのままに、孔翔虎の顔に杖の先を差し出した。

 孔翔虎の上体がわずかに仰け反った。その機を逃さずに省吾、体を入れ込み、孔翔虎の脚を払った。

 機械の体が傾く。省吾はナイフを抜いた。孔翔虎めがけて、突き立てる。

 左目を突き刺す寸前、孔翔虎は省吾の手を取った。左腕を省吾の手に絡めると、腰を密着させ、投げ飛ばした。

 叩きつけられた。肩から落ちるのに、骨と関節を直撃した。痛みを堪えて体勢を立て直したところ、鉄の脚が迫る。

 飛び起きる。孔翔虎の蹴りを、寸でのところで逃れた。そのまま精一杯間合いを取り、拳の圏内から逃れ、構え直す。すぐに反撃されると思ったが、孔翔虎は悠然と立ち上がり、低い構えを取った。省吾はナイフを収め、杖を順手に取る。

「なるほど」

 孔翔虎は首筋を撫でつけながら言う。

「刀では不利と悟ったか。杖で崩してナイフで止めを刺す、と」

 まるで構えを取ろうとしない孔翔虎に対して、省吾は半歩だけ近づいた。

「いかにもな浅知恵だ。あの女といい、貴様といい。腕は認めるが、如何せん生身と機械では差がありすぎる」

 いつでも潰すことが出来るという余裕の表れなのか、孔翔虎は全く構えることがなかった。孔翔虎が話す間にも、省吾は少しずつ近づき、機をうかがう。

「だがここで殺すにはあまりにも惜しい」

 じり、ともう一寸、歩を詰める。

「ここで退けば、命までは取るまい。ヒューイから殺すように言われてはいるが、東に行って相応の手術を受ければ」

「喋るな」

 ぴしゃりと、省吾は言い放つ。孔翔虎の表情が一瞬、強張る。

「俺はお前を殺す気でいる。無論、殺される覚悟も出来ている。今、俺とお前は殺し合い演じているんだ。余計なことを言う暇はないはず」

 口の中が乾ききっていて、無理に舌先を動かさなければ何も発することが出来ない。妙にかすれた声が出てくるのを何とか誤魔化すために、省吾は低く押さえつけるような声を搾り出した。

「やり合うなら、無駄口叩くな。情けなどいらない。戦う以上は」

 孔翔虎はため息をついたように見え――そもそも息などするかわからないが――ようやく構えをつくる。低く腰を落として拳を握り締める。

「ならば、もはや」

 何も言うまい。そういう風情で孔翔虎は対した。それに伴い鋭さを帯びた視線が、省吾に突き刺さった。

 そうして再びの膠着があった。省吾と孔翔虎、両者の距離は10メートル以上は離れ、その状態のままにらみ合う。今度はかなり長い、せめぎ合いだった。前に出る呼吸を伺いながら、しかしそれ以上に孔翔虎の圧力をひしひしと感じ、それ故になかなか攻めることができない。

 近づけない。そう思った。八極拳は近接技が多い。修行者は遠距離の技を磨くために、蟷螂拳などを併習するらしいが、それにしても懐に入り込み、近い間合いを保ったまま相手に対することができる、これは一重に孔翔虎の実力だろう。実際、八極拳は二度、手を合わせればそれで事足りるとされる拳だ。近づき、懐に入り、打ち込めば、終わる。省吾自身も、防具を身につけていなければ先ほどの肘で終わっていただろう。今ですら、肋骨に楔でも打ち込まれたような、痛みを引きずっている。

(ならば、こっちは懐に入らせてはいけないな。早々に決着をつけるか、あるいは――)

 孔翔虎が半歩、歩を進める。思わず省吾、一歩下がる。どうあっても孔翔虎の圧力に、飲み込まれそうになってしまう。だが、下がってはいけない。前に出るんだ、前に。

 孔翔虎が踏み込んだ。地を滑るような足捌きで、瞬時に間を詰めた。

 省吾、振りかぶる。杖――否、契木を。ここから先は、ただの杖ではない。

「はっ!」

 思い切り振り下ろした、途端。先端から黒い錘が飛び出した。正確には棒の先が割れ、中に仕込んであった鉄が外に振り出された。

 孔翔虎、足を止める。黒球が孔翔虎の顔を直撃した。顔面を弾かれ、孔翔虎の体が傾ぐのを受け、省吾は分銅を引き寄せる。頭上で回し、さらに叩きつけた。

 孔翔虎が下がる。黒錘はわずかに鼻先をかすめる。省吾、舌打ちしつつ、鎖を引き寄せた。

「契木……」

 孔翔虎がうめいた。右の頬に、分胴が擦れた痕が残っている。省吾が再び契木を構え直すその先を、忌々しく見つめていた。

 四尺の棒の先端に分銅鎖をつけた武器、それが契木である。上州の拳法に伝わる捕物武器で、分銅で打ち、棒で突き、鎖で絡め捕ることを主眼としている。本来は杖の先端にただ鎖を取り付けただけのものだが、仕込杖よろしく杖内部に分銅鎖を収納したこの契木は、奇襲を目的に特別に作らせたものだ。その場合は振り杖とも呼ぶ。

 本当ならば、最初の一撃で顔面を叩き、潰してしまいたかった。奇襲をかけたときにある程度ダメージを追わせ、そのまま引き倒して留めを、そういう絵図だったのだが、それも叶わなかった、となれば。

(短期決戦か)

 省吾は契木の先端を向ける。鎖がついていない方は、石突を施している。鎖の側を後ろに引き、脇構えに近い格好になった。

 半歩、踏み出した。合わせて、孔翔虎が歩を進める。間合いを詰める、互いに。一歩ずつ間を潰し、踏み越える距離を互いに測った。

 汗が伝う。指に力が入る。自分の鼓動が脈を打ち、暴れている。深く息を吐き、心を鎮め、やがて呼吸を止める。その状態のまま、膠着する。

 孔翔虎の拳が向く。省吾は契木をより強く握る。

 動いた。

 同時だった。互いに引かれ合うかのように、二つの影が急速に近づいた。

 孔翔虎が突っ込んでくる。省吾は契木を振り抜く。遠心力を得た分銅が、孔翔虎の面に伸びる。

 孔翔虎の手が躍る、空間をなぞる。手刀が錘を弾いた、と共に震脚。踏み込む。

 拳。轟然と突きこまれる。対し省吾、契木を切り返し、拳を迎える。杖の先で冲捶を押さえ、そのまま突きを放った。

 孔翔虎、手を差し出す。蟷螂手が契木を巻き上げた。棒を絡め、掴み、引き寄せ、右の崩拳を放った。

 省吾、入り身になる。拳を避け、ちょうど両者がすれ違うような形になった。

 契木の先を回し、杖を握る孔翔虎の手首ごと巻き込む。本来は掴んできた相手の手を絡める、合気の技だ。杖を返し、関節を極めた。

 孔翔虎が手を離した、瞬間。分銅鎖を横に振り抜いた。わずかに届かず、孔翔虎の顎をかすめる。もう一度、下からすくい上げて打つ。半円状に分銅が軌道を描き、孔翔虎の顔の皮膚を削った。

(こなくそっ)

 歯噛みする、息を吐く。未だならぬ、紙一重の距離。その届かぬ間をかみしめ、距離を埋めるべく省吾は向かう。

 距離を取る、孔翔虎。構えを取ったまま後退する。省吾は契木を振りかぶり、追う。彼我の距離は、二足一刀。刀よりは遠い、鎖の間合い。この間は、外せない。

「せいやっ!」

 息を吐く。叫びを上げる。呼気をぶつけるように分銅を叩きつけた。孔翔虎の脳天めがけて、これ以上ないほどの力を込めた。

 孔翔虎、寸前でかわす。分銅は肩に当たり、跳ね返る。

 孔翔虎が放つ、前蹴り。省吾の胴を蹴り込んだ。入身になり、蹴りを避けながら省吾は契木を蹴り足の膝裏にあてがう。ちょうど孔翔虎の足を取った形になった。

 体を押し込み、孔翔虎の重心を崩す。さらに抵抗してくるのへ、省吾はより強く押した。

 巨体が転倒した。孔翔虎が仰向けになるのに、省吾はナイフを抜く。そのまま倒れた身体に馬乗りになると、顔面めがけて、刃に体重を乗せるように突き下ろした。

 堅い手応え。果たしてナイフは孔飛慈の腕に阻まれた。鉄の肘に、刃が三分の一ほど埋まり、耳障りな金属の擦れる音が響いた。

 孔翔虎が払いのける。省吾はその場から退く。ナイフは、孔翔虎の腕に刺さったまま。

 立ち上がる、孔翔虎。ナイフを忌々しげに抜き、踏みつぶした。

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