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監獄街  作者: 俊衛門
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第十四章:26

 徒労ばかり、覚えていた。

 何度、棍を届かせたのか分からない。何度届かせても、まるで効果もなく、何も響かない。これという有効打もないまま、時間だけが過ぎていった。むなしく、空を切り、弾かれる。攻撃とも呼べない攻撃ばかり。徒労ばかり、ただ焦りばかりが、募る。

 こちらの打ち込みなどまるで意に介さないかのように、孔翔虎は拳を振るう。孔翔虎は早い連撃と重い突きを織り交ぜ、打ち込む。ユジンはその一撃一撃を避け、弾き、防ぎながらも棍と蹴足を見舞うが、何一つとして芯を打てる気がしない。ユジンと連は並びながら走り、走りながら攻撃するも、度重なる疲労がすでに攻撃を鈍くさせ、乳酸が溜まった脚は鉛のよう。慣れたはずの棍もひどく重く、振るうたびに背中の筋肉が燃え、痛みを訴えた。

「あと、どれくらい――」

 隣で連が走り、走りながら訊いてくる。さしもの連も、疲労の色は隠せない。

「走って」

 走って。ただ走って。それだけしか頭になく、それだけしか言葉にできない。無我夢中で棍を振り回し、拳を避けるだけで精一杯だった。

 孔翔虎の蹴りが伸びた。ユジンの胴に蹴り込むのを、ユジンは飛び下がりながら避けた。

 その、間隙を突き、崩錘。孔翔虎の裏拳が叩き伏せるのを、ユジンは棍で防ぐ。最大限力を込めて衝撃に備えるが、力に押し切られ、体を崩した。

 ユジンが崩れたところに、孔翔虎の体当たり。右肩をぶつけてきた。成す術なく弾かれ、ユジンは3メートルほども吹っ飛ばされた。地面に、背中を打ちつけ、後頭部に衝撃を受けた。

 ユジンが起き上がった瞬間、視界に白刃が煌めく。孔飛慈が突っ込み、剣を振り下ろした。下がり、上体を逸らして避けたところに、孔飛慈は連続で突く。4度、突き込まれた剣を棍で弾き、さらに斬りかかるのを横に飛んでやり過ごす。空振りした剣が空を裂き、銀色の円弧を描いた。

「なあ、まだやるの?」

 孔飛慈が薄笑いを浮かべて、剣先を突きつける。刃には、血がにじんでいた。避け損ねてどこか切ったのか、間違いなくユジンの血だろうが、しかしどこを切られたかなど分からない。痛みすら、感じない。もはや感覚すら鈍っているのだ、疲労で。

「なかなか楽しいけどさ、もうそろそろ飽きてきちゃったよ、あたし」

 ユジンの後ろには、孔翔虎が立っている。どれほど時間が経っても、孔翔虎の放つ殺気は衰えず、そうして立っているだけでもぴりぴりと背中を刺激してくる。

「まだよ」

 誰にでもなく、つぶやく。

「まだ、倒れては」

 もう少しなはずだ。そこにたどり着くまでが問題だ。そこに着きさえすれば、倒れても良い。私ごと、そこで潰せば良いのだ。それまではダメだ。なんとしても持たせなければ。やられてたまるか――。

(だからっ)

 孔飛慈が動いた。

 影が踊った。横から飛び出した連が、孔飛慈に飛び蹴りを放った。

 足の裏が、孔翔虎の横面を捉えた。孔飛慈の顔が一時、傾いた。

 間髪入れず、ユジンは振り向き、孔翔虎めがけて突きを放った。その突きを、孔翔虎は難なく防ぐ。

 背後から、孔飛慈が飛びかかる。剣を横薙ぎに切ってくるのを、皮膚一枚の差で避けた。棍を掬い上げ、打ち込むのに、孔飛慈が一瞬ひるむ。その隙にユジンは走った。連がそれに続き、孔飛慈から離脱する。直後、ビルの陰から襲撃部隊が銃弾を浴びせる。最後の、銃撃だった。そこから先は部隊が足を踏み入れない場所だった。なぜなら――

「着いたよ」

 走りながら告げ、ユジンはかかるビルを見る。南ではありふれたコンクリートの構造体が、兄妹にとどめを刺すための最後の牙城。

 ビルに飛び込んだ。何もない、がらんとした空間が迎える。その中央に、ユジンと連は立った。孔飛慈が先に、続いて孔翔虎が飛び込んでくる。

 ユジンと連、それぞれ構える。連は孔翔虎に、ユジンは孔飛慈に。背中を接し、二人して対峙する。

(この中では援護はされない)

 すなわち、自分頼み。

(そしてここが最大の山場)

 もし失敗すれば後はない。

 だが、それさえ越えれば。

(私なんて、どうなってもいい)

 成功しさえすれば。それが、重要だった。

「最後だよ、連」

 囁きめいて、ユジンが言う。緊張した面もちで、連が頷く。連の頬に、汗が伝うのが見える。唾を飲み込む音が聞こえる。 

 飛び込んだ、二人分。

 剣が走る。ユジンの目の前。刃が迫る。

 振り抜いた。棍を回し、無我夢中で剣先を弾いた。勢いそのままに、孔飛慈の側面に回りこむ。体を反転し、がら空きの少女の背中を打った。

 孔飛慈が体を崩した、直後。孔翔虎が迫る。体ごと肘を叩きつけてくる。そこに、横から連が飛びかかり、孔翔虎の顔面を蹴り付けた。

 孔翔虎の手が空を撫でた。連が蹴りつける足を、なんと空中で掴み取った。狼狽する連を、そのまま投げ飛ばす。軽い小柄な体が空を舞う。

 同時に迫る、拳と剣。ユジン、身構えた。

 直後、銀色が目の前を通過した。孔飛慈の肩に突き刺さる――遊撃隊の矢。もう2本、機械どもに降り懸かる。振り向くとビルの入り口にクォン・ソンギが立っていた。

「早く!」

 クォン・ソンギの声。表情は伺えない。ユジンは声の方目指して、走った。

 目の前に壁が立った。いつの間に孔翔虎が立ちはだかり、行く手を阻んだ。ユジンが構えるより先に、孔翔虎は構えを取った。

 発砲音。それに伴い、孔翔虎が振り向く。孔翔虎の後ろには連が、そしてその手には電気銃が握られている。鉄線が、孔翔虎の首筋に刺さっている。連が何の迷いもなく引き金を引くと、電流が孔翔虎の体を流れた。

 孔翔虎の膝が崩れた。その隙にユジンはその場を離れた。連もまた銃を放り投げ、入り口に向かって走る。後ろで怒号が聞こえる、前方のクォン・ソンギが機械たちに射かけている。鼓動が早なっている。足の筋肉が悲鳴を上げている。動け、と命じながら走る。動け、動いて私の足。あともう少しだから。

 走った、その勢いのままビルの入り口を飛び出した。同時に、振り向いた。ビルの中にはまだ、兄妹の姿があった。

「今!」

 叫んだ、瞬間。ビルの壁に亀裂が入った。

 最初はかすかな爆発。コンクリートが弾け、柱が吹っ飛んだ。

 亀裂が大きくなる。壁が崩れる。ユジン、走った。なるべく遠くに。

 大きく爆ぜた。ビルの二階、三階、四階、と。五階建てビルのすべての階層から火の手が上がってゆく。コンクリートが剥がれ、柱が崩れ、構造体が崩れてゆく。

 やがて全ての階層で炎が爆ぜた。火炎と、遅れて響き渡る爆音が、鼓膜を劈く。コンクリートの壁が吹き飛び、外壁がもろく剥がれ、柱が傾くのが見て取れた。石造りが、足下から崩れていった。

 黒煙、砂埃、コンクリートの破片。ビルが消えてゆく。爆破によって自らを維持できなくなった構造体が、地面に吸い込まれるように。激しく、脆く、潰れてゆく。

 煙を吸い込む。細かく砕けたコンクリートを喉にへばりつかせる。ユジンはせき込む、身を伏せる。

 瞬間的に視界を煙が覆い尽くし、やがて世界を飲み込んだ。


 爆音がした。それは大きく、成海の街を震わせるに足るものだった。

 省吾がその方角に目を向けた。廃墟群の中に、ひときわ目立つもの。黒灰の煙が、舞い上がっているのを見た。砂の煙、それも大量の。建物一つ分を崩落させたような、そんな粉塵の塊だった。

 周りの難民たちも省吾と同様に空を見上げている。立ち上る塵に、皆一様に不安な面持ちでもって見送っていた。不安を抱くことで生きていたような街の難民でも、ビル一つ消えるということがどれほどの異常事態なのか、理解できないことはない。誰一人として、黒煙立ち上る《南辺》の一角から目を離さない。

(あいつら……)

 嫌な胸騒ぎがした。ビル一つ吹っ飛ばすなど、並のギャングはまずやらない。何の得にもならないことを、ギャングは率先して行うことなどない。そんな連中、一つしか心当たりがない。

 「また蛇かえ?」

 露天の男がため息交じりに言うのが聞こえた。敷き詰めたござの上にしなびた野菜を並べ、背後に停めた三輪のトラックには、すでに売り物にもならないような葉物野菜が積み上げられている。男は、やはり不安そうに見上げ、嘆息しながらいくらでもない売り上げの金を、いそいそと仕舞い始める。

「蛇とは」

 省吾はそれとなく訊いてみる。露天の男は少ない髪を掻き掻き、呆れた口調で言った。

「蛇っつったら、蛇だ。あんたはこの街は初めてけ?」

「そういうわけではないが。その蛇がどうしたって言うんだ」

「知らんよ。ギャングどもが何かおっぱじめてんだ。西の龍と、揉めているってんが。俺らにゃあ関係ねえけどよ」

 巻き込まれるのは御免だ、と。男はやたらとため息をつく。ため息の仕方も、堂に入っている感があった。

「龍と揉めて、か」 

 どれほど警告したところで、『黄龍』が大人していることなどなく、したがって彰たちが大人しく待っていられるはずもない。彼らは並のギャングとは違い、また彼らが相手にしているものの大きさを鑑みれば――否、そこまで考えずとも、予感はあった。どうしようもない嫌な気配だ。考えるまでもない。

 露天の男がゴザの上を片付け始めるのに、省吾は呼び止めた。

「ちょっと、いいか」

「何だよ。もう今日は店じまいだ」

 煩そうに男は手を振る。省吾はその手をつかみ、無理やり向き直らせた。

「何だってんだ」

「たいしたことじゃない。あの車を売ってくれないか? 商品ごと」

 省吾は三輪トラックを指差した。正直、上の商品などどうでも良いのだが――腐りかかった野菜を商品と呼べるか甚だ疑問ではあるが――積荷を降ろしている時間はなさそうなのでそう願い出る。男はバカにしたような目でもって、省吾を見た。

「積荷買うってならいいけど、車は商売道具だかんな」

「そこを何とかならないか」

「ならん。上に載ってる奴ならいくらでも」

 押し問答をしている暇はない。省吾はぐちぐち言ってる男に、ドル札を突きつけた。この街では流通しないが伝説めいた価値を秘めている、アメリカドルを。果たして男の目が、見開かれた。

「こ、これアメリカ――」

 続きを口にしかけるのに、省吾は男の口を塞ぐ。

「仕舞え。ここでは目立つ。いいか、商売道具というなら俺がその分も補償する。これだけあれば、商品分とあわせても釣りがくるだろう。これで、お前のボロ車を買うってんだ」

「買うって、これ本物なんけ?」

 男は震える声で言った。無理もないことだが、教科書どおりの反応だ。

「紛れもなく本物だ。あとで赤い髪した男を寄越すから、そいつに渡せ。この街で流通する軍票に換えてくれるから。とりあえずこれを払うから、これであのボロ車は俺のものだ。いいな?」

 本当は力づくで奪い取っても良かったのだが、今はあまり面倒を起こしたくはない。というよりも、そんな時間はない。一刻も早く、行かなければ。

 男がひとつ頷いたのを受けて、省吾は車に乗り込んだ。錆び付いたドアはなかなか開かなかったが、乗ってみれば以外につくりがしっかりしているように思えた。

 エンジンを吹かした。車体全体が振動で揺れた。間に合えと念じつつ、省吾はギアを入れ、アクセルを踏んだ。

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