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監獄街  作者: 俊衛門
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第十四章:24

 二人分、影が飛びかかる。同時に二つ分、長尺の武装が空間を薙払う。白刃と黒光りするグラスファイバー、上下左右に走り、その一つ一つがうなりを上げ、空を裂き、しなり、伸びる。

 一人分、拳を振るう。掌で払い、肘で打ち付け、脚を踏みしめる。交わる、拳と刃、掌と棒。弾き、打ち据え、離れる。

「はっ!」

 ユジンが踏み込む、気勢を発する。発する気が、体の内で爆ぜた。

 爆ぜた気を棍の先に乗せ、水平に打った。伸びる先端を、孔翔虎の蟷螂手が阻む。半円に捌き、手を滑らせて、ユジンの棍を封じた。そのまま引き寄せ、ユジンの手元を掴む。ユジンが離れようとするところに、足払い。ユジンが転倒する、孔翔虎が踏みつけようと脚を持ち上げる。

 再びの影が躍る、孔翔虎の目の前。韓留賢が飛び出した。脇構えから、苗刀を斬り上げる。苛烈な打ち込みを、孔翔虎が下がり、避けるのに、韓留賢刀を返し、袈裟に斬る。刀は、衣の端を切り、かすめる。孔翔虎は間合いの外に逃げた。

 ユジン、立ち上がった。背中と足が痛みを訴えてくるのを無視して、駆けた。どれほどの打撃を受けたのか、それによって体が限界なのかもしれないという――そういう考えごと、頭の中から追い出した。痛みも恐怖も何も、全て忘れるように、叫び、棍をしごいた。鋭い突きが、孔翔虎の後頭部に突き刺さり、孔翔虎の体が一瞬傾いだ。

 好機と見た。韓留賢、飛び上がりながら斬りこんだ。

 孔翔虎が踏み込んだ。振りかぶった韓留賢の懐に飛び込み、肘を打ちつける。韓留賢が体を折る、血が混じった唾を吐き、崩れたところ、さらに孔翔虎の掌底が胸に刺さる。韓留賢は刀を落とし、壁際に飛ばされる。どうにかして立ち上がったところに、孔翔虎が迫った。 

 待てと、ユジンが叫んだ、瞬間。孔翔虎の蹴りが炸裂した。地面を擦るような低空の斧刃脚が、韓留賢の膝を踏み砕いた。

 めきりと、案外脆い音がした。韓留賢の右の脚が折れ曲がるのに、韓留賢は獣めいた悲鳴を上げた。砕かれた脚からは、骨が突き出、赤黒い血が溢れ出た。孔翔虎の脚と比べれば、まるで針金めいてすら見える、韓留賢の骨。それが何の現実味もなく、呆気なく晒された。

 韓留賢が崩れ落ちた。孔翔虎がとどめを刺そうと、拳をふり上げた。

 銃声が鳴った。孔翔虎の肩と背中に着弾する。見れば、イ・ヨウがビルの陰から銃を構えていた。

 ユジンは駆けだした。孔翔虎が銃に気を取られた隙に、背後から近づき孔翔虎に打ちつけた。

 棍が空を切る。寸でのところで避けられ、孔翔虎の頭部を捉え損ねる。孔翔虎は距離を取ると、韓留賢が落とした苗刀を取った。片手に持ち、中段に構えた。

 後ろが気がかりだった。韓留賢は折られた脚を抱えてうずくまっている。うなり声は、必死に痛みをこらえている証拠だった。今すぐ処置しなければ、韓留賢は一生立つこともままならない体になるかもしれない。そうでなくとも出血したまま放置すれば危険だ。

 だというのに、ユジンは動けない。目の前にある刃が、圧倒的すぎた。孔翔虎の持つ圧力そのままに存在感を増し、刃の先がどうあっても無視などできないほどに、寸分違わずユジンの喉元を狙っている。まるで刃が火を噴きそうな、そんな風情。身を竦める。

 孔翔虎が動いた。轟然と踏み込み、刀を横薙ぎに斬った。ユジン、下がりながら避ける――空気が爆ぜるような音を聞く。 

 刀を返す、孔翔虎。三度、振り回し、斜めに斬りつけた。韓留賢のそれとは違う、猛る太刀筋だった。両手持ちの刀を、片手で振り回し、斬ると言うよりも叩き割るような斬撃を、繰り出す。降りかぶり、斜めに斬り、ユジンが下がったところを両断に斬った。

 刀を避ける、紙一重。半身に切ってやり過ごし、棍を突き出す。孔翔虎の顎に伸びる。わずかに数ミリ、皮膚を削り取った。次撃が来る前にユジン、棍を逆手に持ち替え、斜めに掬い上げる。孔翔虎の肩をかすめた。

 離れた。ユジン、棍を降りかぶる。孔翔虎は刀を斜めに切りつけた。

 両者が両者とも打ち据えた。苗刀と棍が交わり、ぶつかり、弾けた。ユジンが棍を返し、刀を斜めから弾き、刃筋を反らしながら斬撃を受け流す。孔翔虎が刀を降り、薙ぎ払うのに、ひたすらに棍を旋回して刃を避けた。刀の圧力に押し負けないよう、棍を握り込み、全身の力を込める。それでも膂力の差は如何ともしがたく、徐々にユジンは押されてゆく。

 孔翔虎の体が、ふいに沈んだ。刀を脇に携え、突っ込んでくる。

 悪寒が走った。ユジンの、全身の神経がざわめき、皮膚が粟立つのを感じた。これ以上踏み込むことを、体が拒否した。

 大きく、後ろに飛び退いた。間を取った、その瞬間。孔翔虎が横薙ぎに斬った。

 刀の先が、ユジンの腹を切り開いた。ジャケットとボディーアーマを裂いた。緩衝材が飛び散り、ゴムとウレタンの板を斬り、その下にある麻のシャツを斬る。肌を露出させ、冷えた外気をその身に受けた。もうあと一寸孔翔虎の踏み込みが深ければ、あるいはもう数瞬ユジンが飛ぶのが遅ければ、確実に肉を斬り裂いた、そういう距離だった。

(全然防げてないしっ)

 彰が絶対大丈夫と言った耐圧ジャケットが斬り裂かれたのに、ユジンは心の中で悪態をついた。次に襲いかかる刃から逃れ、ユジンは下がるのに、孔翔虎は刀を突き出す。

 三度、銃声がした。銃撃の嵐が、孔翔虎に降り注ぎ、着弾する。白い衣を焦がし、続いて上からステンレス矢が降ってきた。孔翔虎、刀で矢を弾き、弾きながらビルの陰にいるイ・ヨウを睨みつけた。忌々しく舌打ちし、イ・ヨウに向けて刀を投げつけた。回転しながら刃が飛んでくるのに、イ・ヨウは慌てて身を隠す。果たして刀は、ビルの壁に突き立った。

 ユジンが駆ける――棍をしごく。再び拳を握った孔翔虎が、震脚を打ち鳴らして踏み込み、右拳を突きだした。棍と拳が交わり、互いに逸れるのに、孔翔虎は肘を折りたたみ、突き出す。ユジンは棍を回し、もう一方の先端を打ちつけた。

 互いにぶつかる――肘と棍。ユジンの棍と孔翔虎の頂肘が、かち合った。

 衝撃が、全身を伝う。手と、腕と、肩と背中を、痺れさせるのを、ユジンは耐えた。痛みも、痺れも、全て脳から追いやり、目の前の巨体と押しあった。

 孔翔虎の左手が、差し出された。掌を打ちつける鞭打が、横から打ち出される。ユジン、寸でのところで避ける、鼻先に衝撃を受ける。

 下がった。三歩、飛び退き、下がりながら棍を薙払う。孔翔虎が追ってくるのに、ユジンは足を止め、前に飛び出した。

 拳が迫る、寸前に。ユジンが飛び上がった。高く舞い上がる。孔翔虎の頭上を飛び越えるほどに、高く。空中で身を捻り、孔翔虎の背後に着地。そのまま駆けだした。

「誰か韓留賢を!」

 ユジンが言うと、襲撃隊がビルの陰から飛び出し、韓留賢の元に駆け寄った。それを確認するや、ユジンはそのまま駆け出した。後ろから孔翔虎が追ってくるのに、振り向かずに路地に飛び込む。背後で遊撃隊の矢が弾ける金属音が響き、ビルの屋上からはクォン・ソンギの怒声が聞こえる。そんな全てが、まるで自分とは遠いところで起こっているような錯覚に陥る。ただ前に、ユジンの頭にはそれだけしかなかった。前に、向かい、前に、走る。私はそれだけでいい、と。あるべき場所に、導くことしか頭になく、そしてそれはもうすぐなのだ。

(前に――)

 だが。孔翔虎は呆気なく、追いつく。走りながら踏み込み、拳を打ち出す。左拳がユジンの肩を掠めた。

 ユジンは向き直る。骨の軋みと、神経の高ぶりをそのままに棍を構えた。孔翔虎の間合いに飛び込む。

 その路地を挟み、メインストリート。

 玲南と連、併走するその後ろから、孔飛慈の剣が空を斬り裂く。走りながら突き、斬り、薙ぐのを、玲南と連は危うく避け、切り返しながら進んだ。

「さっきからちまちまと」

 呼吸が荒くなっているのがわかった。玲南の意思とは裏腹に、呼気は激しさを増し、胸郭が上下する。もう、体力は限界に近かった。

「うざいんだよ、てめえっ」

 一気に、玲南は下がり、標を投げつけた。標がまっすぐ、孔飛慈の顔に伸びた。

 孔飛慈、剣で防ぐ。標を弾き落とした。それを認めるに、玲南は手元を繰り、縄をしならせた。標が意志を持ったように躍り、地面を跳ね返る。そのまま縄を引くと、果たして縄標が孔飛慈の剣に巻き付いた。

 孔飛慈が狼狽していると、後ろから連が突っ込んできた。峨嵋刺を両手に携え、体ごと打ち当たる。背中に、突き立った。孔飛慈が暴れるのに、さらに峨嵋刺を引き、肌を斬り裂く。白い衣の下の白い肌が、真一文字に切り開かれるに、鈍い地金を露出させる。孔飛慈が廻し蹴りを打つのに、連は離脱し、蹴りを避けた。

「なろっ」

 孔飛慈は縄を引っ掴み、剣を引き抜いた。玲南が引き返すのに、剣で縄を斬った。

 孔飛慈、縄を投げ捨て、剣を振りかぶり、玲南に迫る。剣を横薙ぎに斬ってくるのを、玲南かろうじて避けた。

 新たに縄標を抜き、対する。標を投げつけた。

 剣が弾いた。玲南の標を叩き落とし、孔飛慈が懐に入る。かかる距離を一歩で縮め、突き刺した。

 剣先が突き立った。玲南の右肩――鎖骨の下から肩胛骨まで、長穂剣が突き貫く。剣の半ばまで、肉に埋まり、痛みよりもまず驚きが先によぎった。

 孔飛慈が蹴り飛ばしながら剣を抜く。空中を血の筋が曳き、肉にまみれた刃が陽光に照らされた。そこで初めて玲南は痛みを自覚した。

「くぅ……」 

 傷を押さえてしゃがみこんだ。肩から先の神経が焼き付く心地だった。精一杯痛みを噛み殺しても、流れる血の分だけ痛覚がいや増してゆく。

「ざまないね」

 孔飛慈が勝ち誇った笑みで見下ろした。玲南が立ち上がろうとすると、孔飛慈が蹴り飛ばし、踏みつけた。抵抗するが、もはや全身に力が行きわたらず、ただ痛みしかなかった。どうあがいても、抜け出せる気がしない、その時。

「そこから離れろ!」

 後ろから連が駆けてくるのが見えた。峨嵋刺を二つ、投げ打ち、果たしてそれは孔飛慈の肩を掠める。孔飛慈が振り向いた瞬間、連が飛び蹴りを放った。体ごとぶつかる蹴りに、孔飛慈がよろける。その隙に玲南は這い上がり、離れた。

「大丈夫ですか」

 玲南の前に、連が立つ。玲南をかばう位置につけた。

「大丈夫に見るかって……」

 少し動けば、血が溢れてくる。出血は思いのほか酷い。意識が少し朦朧としてくるほどだった。

「あとは私がやります。玲南はそこに」

 そう言って素手で相対する。玲南ははっとして訊いた。

「あんた、まさか峨嵋刺」

「今投げたもので全てです」

 孔飛慈が剣を構える。連は右半身に、腰を落とした。

 孔飛慈の刺突。剣がうなりをあげた。剣先が触れる、直前。連が身を捻り、避ける。そのまま空中で飛び上がり、孔飛慈の顔面を蹴った。足裏で踏みしめるような蹴り、それにより孔飛慈の顔が一瞬弾かれた。

 連は着地し、そのまま地面に手をつく。右手を支えに、逆立ち気味にまた蹴りを放った。左の足裏で孔飛慈の胴を蹴り、剣を避けながら今度は右足で腿を蹴る。孔飛慈がバランスを崩したところを、足払い。水平の蹴りが脚を刈り、孔飛慈がよろめいた。

 立ち上がると同時、連の跳び蹴り。空中で旋回し、右足裏を孔飛慈の顔面に叩きつけた。まともに食らった孔飛慈は、しかしそれほど効いていないらしく、ひと睨みすると剣を振りかぶり、斬りつけた。 

 直線に伸びる剣に、自らの身をこすりつけるような距離で。連は剣先を避けた。上体を柔らかくしならせ、孔飛慈の側面に回り込む。孔飛慈が振り向くより先に、腰を廻し、孔飛慈の膝裏を踏みつけた。ふいに、孔飛慈の足下が崩れ、それと同時に上体が傾く。孔飛慈の頭が近づいたのへ、連の右足が襲った。顎を捉え、孔飛慈がのけぞった。

 離脱する際、連は懐から閃光弾を取り出した。取り出してから着火まで数秒とかからない。導火線に着火したそれを、孔飛慈に投げつけた。

 マグネシウム光が爆ぜ、煙が景色を塗りつぶした。孔飛慈の姿を覆い隠した煙の中に、屋上の遊撃隊が一斉に射かけるのを見た。連は素早く離れ、玲南の元に駆け寄る。

「こっちへ」

 連が導くのへ、玲南はどうにか立ち上がり、ビルの陰に移動する。煙の中では、矢と銃弾を受け、剣を振るう孔飛慈の影が確認できた。

「その傷では、もう無理です」

 連は懐から止血剤を取り出すと、玲南の衣服を引き裂き、肩を露出させた。すばやくゲル状の止血剤を塗りたくる。ひんやりとした空気と冷たい薬が、痛みで熱っぽくなった肌に染み渡ってゆく。

「あとは私がやりますから。玲南はここにいて」

「一人じゃダメだ」

 煙が晴れるのを見た。中央に立つ、孔飛慈。あれほど銃撃を受けても、まるでダメージを負っていない。

「それに、あんた武器もない。あんな軽い蹴りでどうにかなると」

 そこまでだった。玲南が言い終わらないうちに、連は飛び出した。孔飛慈の剣に真っ向向かい、刺突する剣先をかわして飛び込んだ。

 中空で、連の体が転回する。剣を避けながら、連は側転気味に回り、脚を伸ばした。勢いづいた胴廻し回転蹴りが、果たして孔飛慈の顔面を捉える。孔飛慈は一瞬ひるむが、すぐにまた剣を振るう。連続の刺突を、連は飛び跳ねるような足捌きでもって逃げ、肌が擦れるぎりぎりの距離で見極めながら避ける。首と、顔面と、肩を傷つけ、掠らせた。

 玲南は予備の縄標を抜こうと手を伸ばした。その途端、右肩にすさまじい痛みが走った。思わず傷を押さえると、止血剤など何の意味もないかのように血の筋が流れた。

 もう、右腕を動かすこともままならない。失血のせいか、指先が痙攣するように震えていた。焼き付く痛みが、腕全体を麻痺させている。苦痛をどう我慢しても勝手に声が漏れ出てしまう。背中を脂汗が濡らしてくるのがやけに寒々しく、傷口だけが燃えるような熱を主張してきている。

「畜生……」

 かすむ視界の中に、連の姿を見る。剣を掻い潜って蹴り足をぶつけ、何度も飛び跳ねる連。蹴りをかわし、受けながら刺突を繰り出す孔飛慈――影が交わり、離れ、また重なるのを見る。あっというまに二人して走り、路地に消えた。

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