第十四章:20
小銃が体に慣れてきた感じがした。
銃などろくすっぽ撃ったことがない。難民に銃など行きわたることなどなく、そもそも戦中世代に銃を撃つ機会などあるわけがなかった。だから、彰が銃を手配したときも、最初は何事かと思ったぐらいだった。軍用銃に触れたことなどもなかったので、最初はそれがひどく手には入りにくい稀少なものであるかのように感じた。
『10メートル、2ブロック右。その先12……』
インカムから入る通信通りに、旧型の台湾製小銃を抱えてイ・ヨウは走る。あれほど高級で貴重だと思っていた銃も、よくよく聞けば一挺あたり数十ドルほどの値で買えると知った、良くある銃だ。ゲリラが好んで使う、カラシニコフのコピー銃。もっとも安価で、もっとも普及されている、そんなものを今までひどく値打ちものだと思っていたなんて。
『20メートル。左。交戦中』
銃の仕組みも、知ってしまえば単純なものだった。とてつもなく精密で複雑だと思っていた機構も、一度分解して組み立てれば簡単なものだ。銃はどんな環境でも対応できるように作られているのだと、彰は言っていた。弾丸の底を叩き、火薬を破裂させて撃ち出すだけの動作に、神がかったものを感じて恐れをなしていたなど、笑える。
『左、曲がり。待機』
インカムの指示通り、イ・ヨウは角を曲がった。インカムの指示は屋上の遊撃隊からのものだ。クォン・ソンギら遊撃隊は先回りして、わざわざビルを上がり頭上から射かけている。矢の威力を上げるためだという。
路地の陰から、様子を伺う。孔翔虎と韓留賢が争っていた。拳と刃が5度ほど交わった後、韓留賢が離脱。それを合図に、遊撃隊の矢が一斉に襲いかかった。
イ・ヨウ、構える。機械どもに向けて10連射、撃った。腕の中で銃が暴れるのに、銃身を上から押さえつけての射撃だった。狙いの正確性など度外視した無茶苦茶な射撃だが、今はそれで良い。銃撃で倒せるものではないのだから。
孔翔虎、拳で矢を弾き、銃弾の嵐を避けながら、韓留賢に向かう。韓留賢が走り出すのに、孔翔虎もそれを追う。
「行くぞ」
イ・ヨウはほかの連中に声をかけた。弾倉を換え、走る。
並行し、路地。
韓留賢が駆けるのに、孔翔虎がすぐ後ろについてくる。体の上下動のない、地面を滑るような走り方だった。攻撃も移動も寸部の隙もない、身のこなしをする。
孔翔虎が追いつく。崩拳を打つ。韓留賢の肩を掠めた。たったそれだけでも、骨がたわみ、筋肉が断ち切られたような心地がした。
韓留賢、足を止め、向き直る。諸手に構えた刀の先を、孔翔虎の心臓に向けた。
(形意拳と、蟷螂拳。他にも何か……)
てっきり八極拳ばかり遣うものと思っていたら、そうでもない。近接技法の多い八極拳だが、この男は中遠距離の拳も織り交ぜてくる。さっきから見ていれば、崩拳や蟷螂手、さらに掌の使い方を見る限り、孔翔虎は相当数の拳法を体現しているようだった。
(八極拳だけならば、間合いの取れる武器で何とかなると思ったが。そうでもない、となると)
考えを巡らせている間に、鉄の躯が迫ってきた。孔翔虎が踏み込み、掌底を放つ。韓留賢は下がりながら応じた。苗刀の柄で受け、流す。続き、孔翔虎の脚が伸びてくるのに、韓留賢体を翻し、転身。孔翔虎の側面に回り、苗刀を斬りつける。
孔翔虎が身を沈めた。懐ににじり寄り、蟷螂手を差し出して韓留賢の手元を抑えた。刀の打ち込みを止められる。
韓留賢が退くのに、孔翔虎がさらに迫る。体を密着し、関節を極め、地面に引きずり倒した。韓留賢は腕の自由を奪われたまま完全に腹這いになる。留めとばかりに、孔翔虎が拳を振り上げた。
ひゅるりと縄が鳴った。孔翔虎の顔面に、標が飛んでくる。顔を背け、孔翔虎が標を避けた瞬間、腕の拘束が緩んだ。韓留賢は何とか腕を抜き、孔翔虎の手から逃れ距離を取った。
「手ぇ煩わせんなよ」
玲南、韓留賢と並び立ち、標をたぐり寄せながら毒づいた。
「正直、あんたと組むってだけで拷問じみてるってのに」
「そうかい」
韓留賢、短く言って飛び出した。
孔翔虎が踏み込む。踏み込みの震脚で地面を打ち鳴らし、裏拳を放つ。崩錘と呼ばれるその技法は、腕全体を鞭のようにしならせて打つ。拳が韓留賢の鼻面に伸びた。
身を沈めた。鼻先三寸で崩錘をかわし、今度は韓留賢が孔翔虎の懐に入った。孔翔虎が目を見張る、その顔に向けて、斬りつけた。
孔翔虎の右腕が空を撫でた。五指をすぼめた蟷螂手が刀を防ぎ、噛み合う。そのまま押し合い、膠着する。鉄の腕に食い込んだ刃がぎりぎりと軋み、機械の腕に内蔵されたモーター駆動の音が耳に障る。その、孔翔虎の背中越しに、玲南が駆けてくるのが見えた。
縄を回す。遠心力で標がうなった。そのまま玲南、標を放つ。腕にからまった縄が解け、孔翔虎の首筋めがけて一直線に飛んだ。
標が刺さるより前に、孔翔虎が振り向き標を弾いた。玲南は走りながら縄を操り、背中に回して勢いをつけ、再び標を打つ。
標が刺さる、膝。孔翔虎の体が一時、傾ぐ。
韓留賢、離脱。下がりながら、横薙に斬った。
剣先が捉えた、孔翔虎の首。皮膚を刻み、人であれば頸動脈が通る辺りが切り開かれる。金属が覗き、鈍いエナメル質の色をした細かい線がいくつも走っているのを認めた。
間を取る。刀を担ぐ。忌々しく、舌打ちする、孔翔虎――踏み込む、迫る、白い衣。韓留賢、苗刀を浴びせるに、孔翔虎の崩錘が刃を払いのける。刀が流れたところに、孔翔虎の頂肘。韓留賢の胸を打ち、体ごと飛ばされる。胸骨がきしむのを感じた。
駆け出す、玲南。標を手繰る。縄を右腕に絡ませ、大きく張り出し、回転力を上げて叩きつけた。
孔翔虎の手が伸び、標を掴んだ。そのまま縄を引くのに、玲南のバランスが崩れ、倒れる。その玲南に向けて、孔翔虎が轟然と突きを放った。玲南、受けきれず、壁際まで飛ばされた。追い詰められた玲南に、さらに孔翔虎が拳を浴びせる。
韓留賢、駆ける。孔翔虎の背中に斬りかかった。
孔翔虎が向いた。振り向きざま手刀を振り抜き、刀を弾いた。刀身が流れ、柄握る手にささくれだった痺れを伝える。体勢を立て直し、再び斬りかかろうとした時に、孔翔虎の肘が飛び込んできた。胸を打つ、瞬間。苗刀の柄尻で受け止める。孔翔虎さらに転身、崩錘を打つのに、韓留賢は間合いの外に退く。前髪を揺らした拳、すさまじい風の圧を顔に受けた。
「あまり手をかけさせるな」
玲南を助け起こして韓留賢が言った。
「貴様と組むのも、正直苦痛なんだから」
舌打ちし、玲南が立ち上がる。
「礼は言わないよ」
縄標を手に取った。短く持ち、回した。標の回転速度を上げる。
韓留賢も苗刀を頭上に翳し、構えを取る。左半身となり、肩先と切っ先をまっすぐ孔翔虎に向けた。孔翔虎が踏み込んでくるのに、韓留賢は真っ向から突っ込む。
2区画。
ユジン、壁伝いに駆ける。孔飛慈と対し、かかる剣先を弾きながら、走った。
「まだまだ全然じゃない? まだまだ」
孔飛慈、嬉々として飛び跳ね、剣を突き込んだ。喉を正確に狙う刺突が2、3度と連続して襲う。まさしく剣そのものが意思を持つかのように、うねり、走った。ユジンは棍の央心を軸にして廻し、両端を打ちつけて剣先を弾く。弾くたび孔飛慈は、さも楽しくて仕方がないというように笑う。
「あんたみたいなの、いいよ。そういうの大好きさ。でもまだいけるでしょ? まだヤれるでしょ? ヤれるって言ってよ、あたしが面白くない」
5度、6度、突く。速い連撃はさらに加速し、剣はいよいよ勢いづいた。棍で弾けば弾くほど剣の速度が増しているような気さえする。手首を柔らかく返し、腕と体とをしならせ剣の速度を上げる。刃の煌めきが栄え、目の前に差し出されるたびに瞼を刺してくるような閃光に、思わず目をすがめる。
9度、10度。
大きく、下がった。ユジン、棍を長く持ち、叩きつけた。剣と接触し、刃が大きく逸れた。
踏み込む。
棍をしごく。棍の突きが、孔飛慈の顔面に伸びた。孔飛慈が避けるのに、少女の耳元を棍が通り過ぎた。
転回する。棍を廻し、横に打ちつける。孔飛慈の首筋を狙う。
空振り。孔飛慈の姿が、消えていた。ユジン、目を見張るに、上空から声を聞く。
「ははっ!」
孔飛慈の笑いが響くのに、背筋が粟立つのを感じる。反射的に身を引いた。
剣が走った。上空で身を捻り、横薙に斬る。ユジンの目の前に、剣先が降り懸かった。ユジンの前髪を散らし、額の傷に、また新たな傷が刻まれた。
「いつもみたくさ、簡単にやられないから、あんたらいいわ」
孔飛慈、着地した。血に濡れた剣先を、恍惚とした表情で眺めて言う。
「ギャングどもなんて、簡単にぶっ壊れちまうからね。どうせ壊すんなら、骨のある奴ヤりたいじゃん?」
「そうね」
ユジン、血を拭う。一気に、駆けだした。棍を振り下ろし、ふつふつと沸く苛立ちごと打ちつけた。孔飛慈が下がったところ、棍の先端を突き出す。突端が孔飛慈のこめかみを擦り、孔飛慈が間合いの外に逃れた。
「私も壊してやりたいよ」
駆け出す。ユジン、棍を水平に打ちつけた。
いきなり、孔飛慈が剣を投げた。剣の間合いよりも遠い場所から、何のためらいもなく、投擲する。ユジン慌てて歩を止め、剣を避ける。肩口に、刃が当たり、薄く刻みつけた。
孔飛慈は剣の柄についた長い剣穂を手繰り、剣を回収する。ユジンの歩が止まったところで、再び間合いに踏み込み、剣を突き出した。白刃が間近に迫り、ユジンの顔がはっきりと剣身に映り込んだ。
顔を背ける。首筋を刃が通過する。ユジンが下がったところに、また再び孔飛慈が迫った。その距離、半歩。
「屈んで!」
後ろから声がした。ユジンは指示通りに、屈んだ。
ユジンの頭を飛び越えて、金属が飛来した。
銀色が閃く、二つ分。峨嵋刺の輝き。
連が放った峨媚刺が、孔飛慈の肩に突き立つ。孔飛慈が足を止めるのに、連の小柄な影が躍った。飛び上がり、孔飛慈の顔面めがけて蹴りを放つ。脚が車輪めいて廻り、つま先が孔飛慈の顎を捉える。少女の人造膚に、小さな傷をつけた。
連、着地。新たに峨嵋刺を抜く。孔飛慈が剣を突き下ろすのに、身を返し、剣先を避け、懐に潜り込んだ。峨嵋刺で突き、孔飛慈の喉を狙った。
孔飛慈、下がる。連が追う。
剣が走る。孔飛慈の突きが、連の喉に伸びた。
一瞬、連の体が沈んだ。剣が流れた。連はそのまま、低い体勢から脚を伸ばし、孔飛慈の胴を蹴り込む。蹴った反動を利用し連は横に飛び、一気に間をとった。
「安い挑発に乗らないでください」
連は峨嵋刺を抜き、ユジンの前に立つ。
「あなたらしくもない」
「あう……」
返答に困っていると、孔飛慈が駆けてくるのが見えた。間合いを飛び越え、瞬間的に間を縮め、ユジンたちに刺突を浴びせる。ユジンと連、それぞれ横に飛び、剣を避けた。孔飛慈が向き直るより先に、ユジンは路地に駆け込んだ。孔飛慈が追ってくるのに、無我夢中で走った。
「あの機械、兄の方よりもすばしっこいです」
連が走りながら言った。2人併走して、入り組んだ小路をゆく。背後では、孔飛慈が駆けながら、屋上から降ってくる矢を剣で切り落とし、弾いているのが見えた。段々とその姿が大きくなってきて、追いつかれるのは時間の問題だった。
「このままでは、こちらが保ちません。少々遠回りですが、ここでアレをやっておいた方が良いかと」
「アレを?」
「私の武器では、決定打に欠ける。少しでもあのスピードを殺さないことには」
連は走りながら話す。全く息に乱れはない。並大抵の体力ではなかった。
「わかったわ」
ユジンは後ろを気にしながら答えた。
「私が先導する」
言うと、連は頷き、離れた。
ユジンが角を曲がる。すぐに、孔飛慈が追ってくる。
その先は行き止まり。ユジンは壁を背に、向き直った。まっすぐ突っ込んでくる孔飛慈に対し、棍を斜めに傾け半身をとる。
跳躍――孔飛慈が刺突する。体ごと剣を突き出した。剣先が迫る。
気を吸い込む。ユジン、吸気を腹に落とし込む。丹田に、力が満ちる感覚になる。
気勢――叫んだ。体の中で爆ぜた熱が、喉を突き抜け、裂帛の気合いを生んだ。爆発する呼気をそのままぶつけるように、棍を振りかぶり、真っ向から叩きつける。勢いをつけた棒が剣を弾いた。
孔飛慈、剣を廻し、再び刺突。ユジンは棍を廻し、先端を打ちつける。連続で廻し、剣先を左右、弾いた。
孔飛慈が踏み込む。二歩、前に踏み込み、水平に斬った。
ユジンが下がる。紙一重、刃から逃れた。孔飛慈が剣を返し、また再び振るう。ユジンの、ジャケットの裾を切った。
孔飛慈が跳ねた。距離を詰め、一気呵成に飛び込んだ。
刺突。剣が伸びる。切っ先がユジンの瞳に写り込む。
ユジン、棍を地面に突き立てた。棍の尺を利用し、棒高跳びの要領で、孔飛慈の頭上を飛び越えた。剣をかわし、下界に孔飛慈の後頭部を臨む。
着地。
孔飛慈が振り向いた。剣を、振りかぶるよりも前に、ユジンは棍を斜めに差し出した。孔飛慈の首に押し当て、密着した。
そのまま押し込む。孔飛慈が暴れるのに、さらに脇に棍を差し挟んで動きを封じる。壁際に追いやり、押し付けた。
「何すんだ、このっ」
孔飛慈が押し返す。すさまじい力だった。見た目の華奢さとはまるで違う、大きな獣を抑え込んでいるようなものだ。
だが一瞬で良い。動きを止めさえすれば、あとは。
「そのまま」
連の声。ユジン、力を込める。
連が飛び出す。峨嵋刺の代わりに、電気銃を構える。銃を両手で保持し、足を止め、孔飛慈に狙いを定めた。
発砲する。カートリッジの発射ガスが噴き出して、銃口から二本の鉄線が射出された。ユジンの頬を掠めたそれは、孔飛慈の首筋に突き立つ。
ユジン、離れた。
連は引き金を引いた。
鉄線全体に、青い電光が走った。電気銃から伸びた電撃が孔飛慈の体を焼き、電流が包み込んだ。
電光が消えた。孔飛慈が膝をついた。約5万ボルトの高圧電流が、機械の体全体を伝い、回路を焼く。孔飛慈は屈みこんだまま、動かない。
ユジン、棍を振り下ろした。先端が孔飛慈の頬を捉えた。孔飛慈が倒れ伏すのに、また叩きつけた。
孔飛慈の左手が、棍を防いだ、それと同時に孔飛慈、勢い良く立ち上がった。剣を水平に振るい、斬りつける。寸でのところを避け、刃は瞼の上を通過して睫毛を揺らした。掠めた剣先が皮膚を傷つけ、目の上に熱を受けた。