第十四章:19
「戦うのが怖いんだよ」
唐突に言ったことを、舞はうまく理解できなかったらしい。呆けたような顔で、ヨシのことを眺めた。
「ああ、つまり」
と、ヨシは苦笑して
「俺が戦いにいかないのは、何も力がないだけじゃない。どうしても、土壇場で尻込みしちまう」
「殺されるかもしれないという恐怖は」
舞は目を逸らした。
「誰にでもあるものです」
「そういうんじゃない。何というか……殺すのも怖いんだよ」
広間の片隅である。遊撃隊が出立してから、随分経っていた。彰とレイチェル、その他の連中も全て発ち、残りはいつもの居残り組で、当然のごとくヨシもその中の一人だった。
「いざ殺すってとき、ナイフなり刀なりで刺し殺そうとするとできなくなる。これを突き出せば相手が死ぬってわかると、ね。足がすくむというか、震えがくるというか。まあ要は腰抜けなんだが」
ヨシは頭をかきながら茶をすする。今頃はユジンたちが命を削っているだろうと考えると、少々の後ろめたさはあった。が、留守を預かる以上は下手に動くこともできず、動けないならば結局はここでじっとしているより他ない。そうなるとやることなどなく、仕方なしに同じく暇を持て余している舞を相手に、茶などを飲んでいる。今、アジトに残っているのはヨシと舞、怪我で動けないものやその救護にあたるものが数人。それと、レイチェルから「絶対に出すな」と言われた雪久だけだった。
「殺すのが怖い、ですか」
舞は両手で湯呑みを包み、注意深く口に運んだ。
「情けない話なんだけどさ」
「そんなことはありません。むしろそれが正常なんです」
舞は湯呑みを、卓に置いた。
「人を傷つけたり、殺したりすることを怖いと思うことは」
「そうかね。ふつうは、殺されることが怖いから殺すんだろう。殺すことそのものが怖いなんて」
「人は、人を殺せないようにできているんですよ」
さも当然かのように、この娘は言う。ヨシが意味を飲み込みかねていると、舞はさらに続けた。
「人を殺すことは、実は相当なストレスを溜めることです。種を保全する本能が働くのでしょう、だから戦争におけるPTSDはゲリラに殺されるかもしれないという恐怖の他に、敵兵を殺さなければならないというプレッシャーが、同時にかかって起きるものです」
「人の良心って奴か」
ヨシは肩をすくめた。
「そうかね。それにしちゃ、この街の連中は簡単だけどね。殺るか殺らないかは、コーヒーに入れる砂糖の数ぐらいの感覚みたいだけど」
舞はゆったりとした動作で湯呑みに手をかけた。
「戦うことができる人は、その良心を押さえ込む術を知っているのでしょうね。神に祈るか、思いこみを強くするのか。または共通のスローガンを唱え、皆が皆その目的に酔ってしまえば良い。後から過ちと気づいても、そのときは気づかずに戦争に向かわせる。何百回と繰り返してきた試行ですよ」
この少女はどこか達観して、冷めた風ですらある。年はそう変わらないはずであるのに、まるで人生を何度も繰り返しているかのような落ち着きぶり。それが、少女らしい脅えた顔と交互に覗かせる。彼女の、本当の姿はどちらか、などと愚にもつかないことを考えさせられる。
「あるいは、そもそもそんな恐怖を感じない人も、いるかもしれません。殺すことが自然になりすぎて」
「それは」
舞と目が合うのに、ヨシは慌てて目を逸らし、茶をすする。
「どうにもならんね」
「どうにもなりませんよ、そんな人は。あなたはちゃんと恐怖を自覚している。それは大切にしてください。そうでないと、そこにいる人みたいになってしまうかもしれません」
「そこにって――」
舞の視線の先をたどった。ヨシの背後に雪久が立っているのを見た。
「随分な言いぐさだ」
雪久は睥睨するような視線で、舞を見下ろしている。ヨシは狼狽し、向き直った。
「あ、雪久。これは、その」
「言うまでもなくあなたのことですよ、雪久」
ヨシは言い訳を考えていたのだが、舞は何ら憚ることなどないという態度で、そう言ってのける。何も特別なことなど口にしないという様に、一言だけ発し、湯呑みに口をつけた。
「別にそのぐらいは言われ慣れているが、お前にそれを言われると、少しばっかり気分が悪ぃな」
「是非にと頼んだわけではないのだから、そのときは耳を塞いで聞かないふりをしてください。私の口は、勝手にあることないことしゃべりますから、迷惑にならないように」
「口さがない」
雪久は腰にトンファーバトンを提げている。動く度にカーボン同士がぶつかって、カチャカチャと音をたてる。
「ご大層な哲学、興味深いけどことこの街にゃ当てはまらない。良心だ本能だ、そんなものは犬に食わせるものだ。あまり、妙なことを吹聴して回んなよ、舞。無事に生きていたいなら」
「そうですね。あなたは正しいよ、雪久」
舞は、空になった湯呑みを置いた。雪久は鼻を鳴らし、ヨシの方に向く。
「レイチェルがいねえな。彰も」
雪久の目が問いつめるような鋭さをかもした。誤魔化しが入る余地など一切ないという風情、ことと次第によってはヨシの脳天に警棒を試すことに躊躇いがない、そういう目をしている。
ヨシは身震いした。
「今は、西へ」
それだけ告げる。雪久が訝しげに目をすがめた。
「西?」
「ああ、その、ヒューイを討つってことらしくて」
「そうかい。じゃあユジンは? あいつも《西辺》か?」
「いや、ユジンは遊撃隊と、その」
言うべきかどうか、ヨシは判断に迷ったが、雪久のひと睨みでそれも無駄だと悟った。
「機械どもを討ちに」
「そうかい」
雪久はそれだけいうと、広間を出ようとする。ヨシはあわてて呼び止めた。
「ちょ、どこに行くんだ?」
「どこに行こうと」
雪久は振り向きもせずに言う。
「俺の勝手だろう」
「そうはいかないよ。レイチェル・リーから、あんたを出すなって言われてるんだしさ」
「お前が言われてようと関係ない。俺のしたいようにする」
「ダメだって。どうせあんた、そのまま機械どものトコに、行くつもりだろう。それだけはダメだって、外に出すなって言われてんだよ」
「だから関係ない」
雪久が行こうとするのに、ヨシは駆け寄り、雪久の肩をつかんだ。
いきなり喉に圧迫を感じた。雪久の左手がヨシの首をとらえ、丁度喉仏がある場所に、親指が添えられる。そのまま握れば、気道を潰すことができる、そのぎりぎりを見極めた握り方だ。
「あんまうるさいことにしたくないからよ。お前みたいなんでも、うちの者だから、手に掛けると色々厄介なことになる」
雪久の手に、徐々に力がこもった。
「だからそれ以上は言うなよ。お前どうにかしちまう前に。いいな」
喉が圧し潰されて、声を発することができず、ヨシはひたすら頷いた。雪久が手を離すとヨシはせきこみ、喉を押さえてうずくまる。
舞が歩み寄った。雪久の前に立ち、行く手を阻むかのような位置で相対する。雪久はひどく顔をしかめて、舞を睨んだ。
「お前も、行くなとか言うのか」
「言ったところで、あなたは聞かないでしょう」
舞は平然と言ってのける。雪久の圧力にも動じている様子はなかった。
「聞かないはず。雪久は、誰がどう思っても関係ない、そうでしょう? レイチェル大人がどういう思いで、あなたをここに縛り付けたのか、その意味だって分かろうとしないはずですから」
「姉御が思うことがあって、それが何で俺にいちいち降り懸かんなきゃならない。あいつの軍門に下ったわけじゃない」
雪久がトンファーバトンに手を添えている。今すぐ抜くというわけではないが、さりげなく触れたという感じに。バトンの表面を指でなぞったり、弾いたりしていた。
「ここは俺の軍だ。俺が決めることだ」
それを聞くに、舞は黙って道を開けた。
「第5ブロックです。機械たちと、ユジンさんたちが今、戦っています」
雪久の指が、止まる。バトンから手を下ろした。
「確かだろうな」
「こんなこと、嘘は言いません」
雪久、まだしゃがみ込んでいるヨシを睨みつけ
「案内しろ」
そう短く告げた。ヨシはどうにか立ち上がると、雪久はさっさと広間を出てしまう。
「10分後に地上だ。遅れるな」
雪久の声が聞こえるのに、ヨシはうんざり気味に舞に言った。
「あんなこと言わなくても」
「仕方ないですよ。私の言うことなんて聞きませんから」
「でも、レイチェルが――」
「私が教えたのですから、私のせいです。あなたが責めを負うことはないですよ」
「そんなことを気にしているわけではないんだけど」
「教えなければ」
舞は、遠くを見つめるような目をする。
「私を殴ってでも行ったでしょうね。彼は、そういう人間です」
それが当然である、という口振りだがヨシには信じられない。ギャングに囚われた彼女を救い、ギャングを潰したのは他ならぬ雪久だ。そうまでして救い出した彼女を殴る? あれほどの戦闘を繰り広げて助け出したというのに、雪久の彼女に対する扱いは一体何だというのか。
「それよりも、10分か」
ヨシは我に返った。雪久が10分と言った以上、少しでも遅れると雪久はすぐに機嫌が悪くなる。
「すまない。俺、行ってくる。なるべく早くに戻ってはくるけど――」
「ごめんなさい、行く前に少しだけ、私の部屋に来てくれませんか?」
舞が申し訳なさそうに言った。
「渡したいものが、あります」