第十四章:17
「つかず離れず」
つい5時間前に、彰から言われたことだった。
「奴らを仕留めるのに、矢と銃弾を浴びせるが、それで決定打を与えるわけではない。あくまでも、目くらまし。だから近づきすぎてはいけない」
「そんなことを、わざわざ言われるまでもない」
クォン・ソンギは彰に、そう反論した。
「射手が間合いを生かして遠くから射かける、それが遊撃隊の強みだ。近づいて戦うのは、玲南や金大人の仕事で、そうした戦いとは、遊撃隊は無縁だ」
「そう。だけど、あの機械どもとなれば話は別。どれだけ離れていても、連中には通用しないことだってある。前の戦いも、そうだったはず」
彰が言うのに、クォン・ソンギが言葉を詰まらせる。彰は気にする風でもなく続けた。
「後方支援組にはあんた達遊撃隊の他に、こちらから部隊を向かわせる。けど、襲撃隊の半分は西へ向かわせるから、ほとんど遊撃隊頼みになる。だからじゃないけど、あんた達には一人でも欠けてもらうと困るんだ。あの4人がもし取りこぼして、ヤられたとしたら。そのときは、あんた達は速やかに離脱してくれて構わない」
「逃げろと?」
戦いの前に逃亡を示唆する指揮官などどうかしている。そう思ったが、どうも彰は本気で言っているらしい。
「もちろん、逃げることなどないとは思うけどね」
彰が意味深に笑ってみせる。
それが、出立直前。そんなことを思い出しながら、クォン・ソンギはビルの屋上にいる。弩で狙いを定め、その照準の先に孔翔虎の姿があった。
ユジンが棍を振り回しているのが見える。孔翔虎は右腕で棍を捌き、捌きながら拳を浴びせている。
ユジンが離れた。それが狙い目だった。クォン・ソンギはさっと手をあげた。
遊撃隊が一斉に射かけた。鉄を貫く特別な矢が、四方から放たれる。複数の銀線が中央に収束し、一気に弾けさせた。孔翔虎が一瞬こちらを睨んだが、すぐさま飛びかかってきた玲南に対した。
「移動する」
クォン・ソンギが、無線に指示を飛ばす。無線はそれぞれ、遊撃隊のインカムに通じている。返事を待つことなく、クォン・ソンギはその場から離れた。遊撃隊も後に続く。
その、直下。
ユジンは孔翔虎と対峙する。背後には玲南、縄標を振り回し、今まさに飛びかかるところだった。
一歩、踏み出す――玲南、標を投げつけた。菱形の標がまっすぐ飛び、孔翔虎の首筋を掠める。
孔翔虎、踏み込む。玲南に向けて拳を突き出した。玲南はすんでのところで避けるに、さらに次撃見舞う。渾身の掌打。無骨な腕が襲う。
ユジンが飛んだ。玲南との間に割り込み、孔翔虎の掌を受け止めた。左腕が棍とかみ合う、衝撃で棍がゆがんだ。ユジン、踏みこらえ、棍を跳ね上げ孔翔虎の顎を打つ。孔翔虎、右手で防ぎ、再び突き。崩拳がユジンの頬に触れ、摩擦で肌が焼ける。耳元で空気が破裂し、鼓膜を刺した。
離脱した。孔翔虎の側面に回り込み、棍を横薙ぎに払う。わずかに届かず、先端は孔翔虎の前髪を揺らす。孔翔虎が向き直り、前蹴り。鼻先を孔翔虎のつま先が通過した。
「玲南、今!」
ユジンが下がった、同時に叫んだ。後ろから玲南が駆け、縄標を投げつけた。
ひゅるりと風を切る音。菱形が飛来する。孔翔虎の顔面に伸びる。孔翔虎が手刀で弾き落とし、対峙するのに、玲南は縄を繰り付け、引き寄せた。
背中に回す。回転させる。勢いづいた標を投げつけた。
金属音。標が孔翔虎の肩に突き立つ。衣服を裂き、皮膚を破き、先端が金属を穿った。孔翔虎、忌々しく唇を噛み縄標を引っ掴む。玲南が引こうとするのに、縄を引きちぎった。
ユジン、駆ける。棍を担ぎ、孔翔虎の背中に叩きつけた。孔翔虎が振り向くのに、もう一打。右腕で防がれ、左の手刀が飛んできた。顔を逸らし、打ち込みを避ける――顎を掠め、衝撃が脳を揺さぶる。一瞬、足下が崩れかける。目の前に孔翔虎の拳が差し出されるのに、無我夢中で飛び下がった。
壁に背をつけた。巨体が迫ってくるのを見た。空気がそのまま圧力を成し、壁となって押し寄せるかのようだった。
掌底が飛んでくる。ユジン、身をひねり、横に飛ぶ。コンマ何秒かの差で直撃を避けた。孔翔虎の掌打が壁にめり込むに、土壁に蜘蛛の巣みたいな亀裂を生じさせた。ユジンが距離を取るに、孔翔虎が追いかける。
「伏せろ!」
後ろから怒号。反射的に、ユジンは身を伏せた。
直後、頭の上を標がかすめた。ユジンの後ろ髪を何本か犠牲にして飛来したそれが、孔翔虎の肩に突き刺さる。標の主は縄を引き、標を引き抜く。また間髪入れずに投げ打つ。標の先端が孔顔面を捉える刹那、孔翔虎、手刀で弾き落とす。玲南が駆け、縄を手繰り頭上で旋回。勢いをつける。
投げた。遠心力で威力を増した標が、空気ごと切り裂いた。孔翔虎は標を叩き落とし、玲南の懐に入る。崩拳を、突き出した。
玲南が飛ぶ――直上。土壁の凹凸を足がかりに、駆け上り、孔翔虎の背丈を越えた。
「はぁ!」
気勢を発する。玲南、直下に向けて、縄標を叩き付けた。標が、孔翔虎の脳天を捉える――わずかに逸れる。孔翔虎のこめかみを傷つけた標を回収し、玲南は着地。また孔翔虎が向かってくるのに、縄標を左手側から放った。孔翔虎が防いだ隙に、玲南は離れる。ユジンと並び立った。
「助かったよ」
ユジンが言うのに、
「貸しだぜ」
玲南は短く応じる。ユジンは孔翔虎と向き合い、玲南は後ろに控える。
孔翔虎が駆けてくる。どれほどの距離も関係ないというような、迷いのない歩を繰り出す。ユジン、構える――彼我の距離が縮まる。
「ユジン、肩」
玲南がユジンの肩を叩いた。
それが合図だった。ユジンは身を屈めた。玲南、ユジンの肩に足をかける。ユジンが立ち上がるのと同時に、肩を足掛かりに、玲南は飛び上がった。ユジンが立ち上がる勢いと玲南の跳躍とで、勢いを増し、玲南は高く舞い上がる。舞い飛びながら、玲南、縄標を右脚に絡ませ、向かってくる孔翔虎の頭上を越えた。孔翔虎、驚き露わに、玲南の方を振り向いた。
好機だった。ユジンは棍を突き出した。玲南は廻し蹴りを繰り出した。脚に絡まった縄標がほどけ、飛び出した。
金属音が重なる。ユジンの棍と、玲南の縄標。それぞれ突き立つ。玲南の縄標は孔翔虎の腕に阻まれたが、ユジンの棍は背中を穿った。まるで岩を突いたような感覚が、手の中に戻り、ユジンは棍を強く握りしめた。
玲南、間を詰める。縄標を手繰り、水平に振り抜いた。孔翔虎の横面を捉える――捉え損ねる。孔翔虎がそれよりも早く、動いていた。真っ直ぐ玲南の懐に飛び込み、カウンター気味に頂肘を加えた。玲南、慌てて飛び上がり、打ち込みを避ける。その玲南を、孔翔虎が追う。
ユジンが踏み込む、3歩。棍を肩に担ぎ、打ち据える。孔翔虎の肩を叩き、さらに棍を回し、下から払い上げた。孔翔虎が向き直り、拳を打つ。反転し、ユジン、孔翔虎の胴を打った。硬い肉体に棍が跳ね返される。
手刀。孔翔虎の左腕が、唸る。ユジンの目の前に、揃えた鉄の指が突き出された。身を逸らして手刀を避けたところに、孔翔虎の蹴り脚が迫る。
何かに、首根っこをつかまれた。いきなり後ろに引っ張られる。孔翔虎の蹴りが流れる。
「大丈夫かよ」
引っ張ったのは玲南だった。縄標を短く持ち、迫る孔翔虎に投げつけた。孔翔虎がひるんだ隙に二人して離脱。距離を取る。
「全然効いてねえよ、あの野郎」
玲南は予備の縄標を抜いた。ユジンは棍を下げ、玲南に言った。
「移動する」
そう言うと、ユジンは立ち上がった。
「走って!」