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監獄街  作者: 俊衛門
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第十四章:9


 左半身に足を取る。

 膝を落とした構え。立ち位置と足の開き、腰の収まり具合を確認しながら、腹の座りの良い場所を探す。腹、胆田、腰を、どこにどう据えれば一番自由に動けるのか。自分にとって最大の場所というものがある。その位置を瞬間的に割り出し、形作ることが求められる。その形も、得物によって違う。剣なら剣、杖なら杖、無手で臨むならば無手の形がある。得物の長短、軽重、硬軟と、持つものによって構えも間合いも違うのは当然のことだ。

 しかし、実は同じでなければならない。剣なら剣ではなく、杖を持っていても剣と同じく、体術であっても剣と同じく、全ての理合は通じている。同じ理合を体現するためには、長い得物を短く、軽い得物を重く扱う。

 その兼ね合い。矛盾する二つのことを、同時に行わなければならない。だから、新しい武器というものは特に確認を必要とする。道具屋から仕入れた契木を取り、省吾は左手を本身に添え、右手で棒の先を握った。

 しばらく、構える。目の前に孔翔虎の姿を思い浮かべる。あれから10日は経っているが、孔翔虎の像は全くぶれない。人造皮膚に埋め込まれた、隆々たる鉄の筋肉。鋭い眼光と、決して揺らぐことのない足場も、鮮明にイメージ出来た。

 一歩、踏み出した。右足。棒を振り、像のこめかみを打った。素早く棒を引き戻す。手を入れ替え、突きに転ずる。棒の先端が孔翔虎の喉を貫いたところで、像が掻き消えた。

「調子は良いようだな」

 燕が声をかけた。寝起きなのか、赤い髪がところどころ跳ねている。いかにもけだるそうに、燕は欠伸をひとつ漏らした。

「眠そうだな」

「堅い場所で寝るのは慣れているつもりだったけどね。どうも外で寝袋にくるまって、というのは眠りが浅くなる。今までどれだけ恵まれた場所にいたか、って話だよ」

「眠れる場所など、そのうち選べなくなる。今のうちに慣れることだな」

「そうする」

 燕は、省吾の手の中にある棒を見た。

「それが契木って奴か。見た目ただの杖だけど」

「あのドル札が効いたみたいだ。実際の契木よりも物は良い」

 省吾は棒を翳して見る。確かに見た目は杖である。ただし、中身が違う。稀少なカーボンを使用した棒本体、その中には、本来の契木の特長ともいえるものが収まっている。そのためかいくらか重いが、障害になる程ではない。

「最初の一発を、奇襲的に使うことが出来る。あの爺も、最後に良い仕事をした」

「その爺さん、もう街から出たんかい」

「朝一番の便でな」

 この街の難民にとって、成海を出るということがどれだけの意味を持つものか。地獄を抜け出せると同時に、新たな地獄に突っ込む可能性だってある。それでも今いる地獄から抜けられる分だけ、まだ希望がある。最悪か悪いかのどちらかを選ぶのであれば、悪い方を選ぶだろう。

「とりあえずは『黄龍』の目からは逃れられるだろうよ」

「その、『黄龍』だけど」

 燕は話を遮り言った。

「どうも嫌な動きをしている。『OROCHI』本隊が拠点に襲撃かけ始めたってんで、黒服どもを増強しているようだ」

「当然だろうな」

 省吾は契木を逆手に持ち、右半身に構えた。棒を滑らせ、棒を両端一杯まで握る。左足を踏み出し、左半身に切りつつ正面打ち。大きく棒がしなり、空気を切る音がした。半身を交互に繰り返しながら、棒の両端を入れ替えて打つ、杖の基本打ちだ。

「やられっぱなしで黙るとは思えない」

「機械どもを、また差し向けるのも時間の問題だな。下手に動くなって、警告したというのに」

「あんなものを真に受けるとは、思っていなかったさ」

 省吾はそう言って構えを解いた。棒の感触を確かめられたので、それで十分だ。

「彰だってすでに、尻に火がついている状態だろう。怪しげな女一人、警告発したところで効果が現れるとは思えない」

「だけど、こっぴどくやられたんだから。大人しく戦力を整えるのが得策じゃないのか」

「そう悠長なことも言ってられないのだろう。最初から、『OROCHI』も『STINGER』も少数だ。龍を討つには、短期決戦より他ない。地下に潜ったとしても結局はじり貧だ。何しろ地力が違う」

「真珠湾を一気に叩いて、ケリをつける。ミッドウェーにまで持ち込まれたらアウトというわけか」

 皮肉っぽく燕は言って、肩を竦めた。

「先に機械を叩こうという魂胆かね、この襲撃は。拠点を襲えば、機械どもも動くだろうということか」

「動いたとしても、それで話半分だがな。何か策はあるのだろうけど……」

 省吾は契木に肩紐を括りつけた。金の輪に棒本体を通し、留め具で棒を固定してある。いざというときには紐を引きちぎってしまえば、固定金具が外れ、そのまま棒を使うことが出来る。

「だが、どれほど策を巡らせてもあの機械どもを殺すのは、結局は正面切っての戦いになる。策はあくまで、機械と生身の差を埋めるのみ。単純に力の勝負となれば、あるいは」

「そんなこと言ったって、機械は機械だろうが」

「機械だと思わずに臨む」

「なんだそれ、どういうことだよ」

 燕が不思議そうな顔をするのにも構わず、省吾はねぐらとしている簡易テントの入口幕を開け、麻の袋を引きずり出した。

「機械と生身の違いは、もちろん理解している。体のつくりが違うことは、あくまで攻める上で考慮に入れるべきで。対するときは一人の男、武芸者と立ち会うというつもりでやる。相手が機械だとそればかり意識すれば、委縮してしまうからな。」

 果たして燕は、冷ややかさをはらんだ目でもって、省吾を見た。

「お前はそういうこと言わないと思っていたよ」

「何がだ」

 麻袋から、省吾は鞘に収まったナイフを取り出した。鞘を払ってみると磨かれたダガーの剣身に、省吾の顔が写る。両刃は斬るよりも刺突に威力を発揮し、鉄の体に止めを刺すにはこの方が都合が良い。

「そういう、精神論みたいなことをさ。省吾はもっと、現実的なのかと思っていたけど」

「武は多分に、精神論じみているものだ」

 袋の中には他に、道具屋で仕入れた簡易防具が入っている。チタンを重ねた籠手と脚絆、衝撃を和らげるためにウレタンとゴムを詰め込んだ胴。気休めかもしれないが、一応は孔翔虎の打撃対策のつもりだ。黒い地金に朱の線が入った籠手を巻き、ズボンの裾を引き上げ脚絆を履く。胴をシャツの下に着け、都市迷彩のジャケットを羽織った。

「武術は別に不思議な力ではない。あるべき理屈と正しい身体操作を駆使した科学だ。だが、それを扱うのは人であり、殺し合いに用いるとなれば、そういう不合理なお題目も必要になる。理屈では割り切れない不安や恐怖を拭うためにはな。倫理や道徳、時には神仏の名を借り、心を鎮めあるいは奮い立たせる。精神論とはそのための装置だ」

「それ、省吾の哲学なの」

「いや、師の受け売りなんだが」

 技術体系と精神論は左右の二輪である、と常々言われていた気がする。どちらか一方だけでも、偏れば車は進まない。技術は技術として確かに有り、それでも心はそれとまた別箇にある、と。思えば先生のその言葉を、実践出来たためしなどなかった。どちらかに偏り、心と技とを行ったり来たりしている。そのたびに思い出し、出来ない自分を責めたりもする。

 しかしそうやって思い出せるだけ、まだ良いのかもしれない。戦いを繰り返していただけでは、その言葉の意味を噛みしめることも出来なかった。皮肉にもこの数日の停滞が、先生の言葉を思い出させる要因になっていた。

「武術というものを扱う以上、人がひどく脆くて弱いものであることを自覚せざるを得ないとな。脆弱な人間が武術を作り、弱さを知っているからこその教えと、まあそんなようなことを」

 ダガーナイフを腰に括り付けた。左と右に二本ずつ。さらに左肩に一本、左右の脚に一本ずつ。計七本のナイフを、纏う。少しずつ少しずつ、血の匂いと戦場の気配を身につけてゆく気配を感じながら、最後に契木を背負った。

「尋常な心構えじゃ効かない相手だ。だから、もっともらしい理屈で考えるよりは、気楽にぶつかるぐらいで丁度良い」

「そんなものか」

 燕は、どこか納得行かない風だった。そんなものだ、と省吾は返しておいて、《南辺》を向いた。土壁の廃墟、集合住宅群の中に、所々抜きんでた鉄筋の構造が聳え、日の光もままならない過密建築物の森を見据える。

「で、そんな格好して行くからには」

 燕は瓦礫の上に腰掛けて、省吾と同じく《南辺》のビル群を眺めている。おそらく省吾とは違う思いで。

「ヒューイが機械どもを動かす可能性があるなら、こちらも探索に向かわないとならないだろう」

「何か手伝うことでもあるかい?」

「お前はあの女の下にいてくれれば良い。色々と世話になった」

「どうも。といっても世話されたのは多分俺の方だけど」

 そうしている間にも、やはり戦場の気配は続く。気配は、《南辺》から漂ってくるものだった。省吾を引き寄せるかのようで、しがみつけて止まないというもの。そこから逃れることは不可能であるらしい。

「それじゃあ」

 省吾が言うと、燕は黙って頷いた。

 省吾は背を向けた。


 省吾の姿が見えなくなるまで、燕は《南辺》を見ていた。二度と戻ることはないだろうと思われた南の風景を、特に目に焼き付けたいわけではなかったが、しかし戦友が向かう先が、彼にとっての死地になりうると思えばこそ、目を離してはならない気がしていた。見送ろうと見送るまいと、結果は結果として有るだけである、ただそれだけであるのにも関わらず。

「行ったか」

 頭上から声が降ってくるのに、燕は顔を上げた。黒づくめの衣が風に返り、目深にかぶった帽子の陰で女の唇が歪むのを見た。

「あんたは見送らなくてもいいのかい」

「別にそんな必要はないからな。どうせすぐ顔をあわせることになる」

「それは」

 燕は、ため息混じりに言った。

「笑えない冗談だな」

 女は帽子をとった。長い髪がこぼれ、風に棚引く。かすかに石鹸の香りがした。晒した顔には、省吾を驚かせた火傷の痕などなく、傷一つないまっさらな肌をしている。

「それがあんたの素顔というわけか」

「正真正銘のな。これはほとんど人には見せないのだが」

 女はビル群を眺めたまま言う。その目には憂いめいたものも悲哀もなく、無表情に省吾の行った先を見据えていた。

「人が悪いよな。省吾にはあんな悪趣味な面をかぶっておいて、その顔は見せないのか」

「あいつに今、この面を見せるわけにはいかないからな。もっとも、これを晒すのは何もお前が初めてではない」

「そうか、レイチェル・リーに見せたってんだったな」

「驚いていたよ、相当。初めて鏡を見た子供のような反応だった」

 冗談のつもりなのか、女は愉快そうに笑みを漏らした。

「そりゃそうだろうよ」

 呆れながら、燕はつぶやいた。

「自分と同じ顔が目の前にあれば」

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