第二章:9
救護室、といっても粗末なものだった。
錆びたベッドが6つ並べられただけの部屋は、カビと土の臭いを含む。マットレスは埃にまみれ、ところどころスプリングが飛び出ていた。
ベッドの一つに、放り投げるように省吾は寝かされた。
「いってえな!」
少年の一人に、睨みつけた。
「大人しくしな。もうすぐ彰が来るからさ」
少年の1人が、広東語で言った。
屈強な体つきである。盛り上がった上腕が、シャツの袖からのぞいている。
「なんだか凄い戦いでしたね。真田さんって言ったっけ?」
もう1人の、白い無地のシャツを着た少年がなれなれしく話しかけた。
こちらは貧弱そのものだ。細い肩と首に乗っかった顔は、幼い。声変わりをしていないところを見ると、まだほんの子供のようだ。
「何だよ、お前は」
「ああ、ごめんなさい。僕は孫 龍福って言います。歳は真田さんの方が上みたいだけど、団員歴から言ったら僕のほうが先輩になるのかな?」
「何言ってんだ?」
「まあ、いずれにせよ僕らの仲間になるわけですから、よろしく真田さん」
灰色の瞳に湛える光に邪気は無い。顔を近づけたので、思わず身を反らした。
「仲間になるって何だよ。俺は入るなんて言ってねえぞ」
「え? でも入団テスト合格したじゃないですか」
「いやあれは成り行き……」
「合格で間違いないよ」
入り口に、彰が立っていた。
「あ、彰」
「孫、李ご苦労だった。ついでにその御仁に傷の手当をして差し上げろ」
「了解っす!」
孫は軍隊式に敬礼をすると、電光石火の動きで省吾の衣服を脱がしにかかった。
「てめ、何をする!」
抵抗するも、屈強な方の李という少年に押さえつけられ、動けない。
「心配しなくても、ちゃんと傷の手当しますよ。僕、これでも医者の息子だったんで」
取り出したものは……鍼だ。それを省吾のむき出しの腹につき立てる。
「何やってんだ?」
「我が家系に伝わる秘術です。打撲傷なら、大抵これで治ります」
そんな馬鹿な、と言った途端。
わき腹の痛みが、スッと引いたのを感じた。
「あれ」
「怪我を治すのには結構時間がかかるんですが、とりあえず今痛みを和らげました」
続いて水月、首筋と雪久に打ち込まれた部分に次々と鍼を刺していった。痛みが嘘のように消える。
「終わりました。しばらく安静にしていてくださいね」
そう言って孫は救護室を出た。李も後に続く。2人の後姿を笑顔と仏頂面が見送った。
「孫は腕利きの鍼師でね。李と2人で鍼灸院をやっている」
「……ああ、そうかい」
今はそれどころではない。
「さて、真田君。日本語でいこうか。改めて言うよ、はじめまして」
彰は右手を差し出した。が、省吾はそれには応じない。
「あれ、握手は万国共通かと思ったけど」
「……その妙なアクセサリーをした奴にする礼は持ち合わせてない」
省吾が顎で指し示した、それは右の中指にはまっている指輪。何の変哲もない指輪だが、省吾は見抜いていた。
「あはっ、やっぱり分かった?」
彰はそういって指を折り曲げる。すると、指輪内側から針が飛び出した。
暗器の一種である。通常は針に毒を仕込み、握手と同時に命を奪う。
「俺こういうの作るのが好きでさ、護身用に一個どう?」
何度も指を曲げ伸ばし、針を出したり引っ込めたりした。
「さっきの閃光弾も、お前が作ったといったな」
「そう、マグネシウム式のね。ここには旧軍の物資がいろいろ残ってて材料には困らない」
「そうかい、お陰でひどい目に遭ったよ」
ため息をつきながら省吾は目をこする。だいぶ視界が晴れた。
「ま、とりあえずテスト合格おめでとう。晴れて君もメンバーだな」
「だから、何度も言っているように俺は入る気はねえって」
「じゃあ、何でここに来たんだい?」
「いや、それは……あの朝鮮人に言われて仕方なく」
省吾は言いよどんだ。視線をはずし、額から出る汗を手の甲で拭う。
そんな省吾の反応を、彰はにやつきながら見ている。
「へー、じゃあユジンの言うことは聞くんだ」
「そうじゃねえよ」
「ふーん」
彰は腕を組み、優美な物腰でベッドの縁に寄りかかった。滑らかな指先を顔面に這わせ、メガネの蔓を押さえる。
「何だよ、その目は」
「べつに〜。まあでもしばらくは養生のためここにいた方がいいよ」
「その必要はない。お前らの世話には……」
立ち上がった瞬間、肋骨が軋むような痛みを感じた。思わず声が漏れる。
「ほら、やっぱりダメじゃん。それに、ここを出たら外は不発弾だらけの《放棄地区》だし、やめといたほうがいいよ?」
わき腹を押さえてうずくまり、脂汗を流した。
「……それでも、あんな奴と同じところにはいたくない」
「え、雪久のあれを気にしているの? あれはいつものことさ。新参者にはああやって敵愾心を煽ってやる気にさせるん……」
「そうじゃない」
痛む体を、何とかベッドに持っていき、腰掛けた。
たとえ、あの罵倒が嘘だったとしてもどうしても許せないことがあった。
――「先生」を侮辱した、それだけでも省吾にとっては万死に値する。
「よっぽどいいお師匠さんだったんだね」
彰はそういって背を向けた。
「ゆっくりしていきなよ。雪久とあんな立ち回りした君を、襲おうなんて奴はいないからさ」
そう言い残し、立ち去ろうとする。
その背中に、省吾は問いかけた。
「……あの目は何だ」
彰は立ち止まった。
「よく分からないな、俺も。何でアイツにあんなものがくっついているのか。この街で初めてアイツに会ったときから、アイツの目はあんなだった。一度、何でそんなものがついているのかって、聞いたことがあるけどアイツは何も話しちゃくれなかった」
背を向けたまま、彰は答える。その背中を、ただ省吾は見つめていた。
沈黙が流れるが、長くは続かなかった。
「でもまあ、ここに集まる奴って大体そんなのばかりだ。皆、過去に口を閉ざしたがる。君がお師匠さんのことを話さないのと同様に、ね」
そういうと彰は振り向き、微笑んだ。
「だから、過去のことは詮索したりしないよ。俺も君も、その方が都合がいいだろ」
じゃあまた、と扉を閉め彰は部屋を後にした。