第十四章:3
「闇雲に探していたのでは、消耗戦になりかねない。あの兄妹をぶつけるのも、確実に奴らを討てるという、確実な場面で行う」
「そうかい。お前のやり方など知らんが、しかし彼らを貸し出したのも、ただというわけではないのだからな。最低でも南の連中の、気勢を殺ぐぐらいはしてもらわないと」
「分かっている。そのための策だ」
「そうか、まあ期待しているよ」
女は、その言葉を額面通り受け取ることなど到底できないような、酷薄な笑みを浮かべた。おそらく、ヒューイには本心などまるで晒すつもりなどないのだろうと思われた。
それでも良いのだ。もともとストリートでは一人だったのだから。誰に本心を晒すことなどもなく、また誰も本音で語ることはない。
ヒューイが木人に向き直った時、
「ああ、その兄妹だが」
女は、今思い出したというように言った。
「あいつらに用があるのか」
「そう、本当は二人の様子を見に来たんだが。お前を見かけてつい余計な時間を取ってしまった」
「そりゃ邪魔して悪かったな。奴らは地下の競場にいるからさっさと――」
いきなり、気配が消えた。振り向いた先に、女の姿が無かった。
左肩に殺気を感じた。何か巨大なものが、突然ヒューイの背後に生まれた、そんな感覚だった。背中が粟立ち、血が逆流する心地に、見舞われた。
あわてて振り向いた、その先で。木人がめきりと音を立てて割れた。
割れたのだ。縦方向に、何かに斬り裂かれたように。二つになった木人が、左右に分かれ、地面に落ちるその木片を踏みつける影を、ヒューイは見つめた。
「楽しみにしているよ、ヒューイ・ブラッド」
棘を帯びたような、厳かな声音でもって女がそう告げた。いつの間にか手にしている長刀を、木人の残骸につきたてて、
「おまえがどこまでできるのか、見物させてもらう」
「……約束は守れよ。西を束ねて、南を平定すれば」
「わかっている。お前を東に迎え入れよう。ただし」
女は、含みを持たせるように微笑を浮かべた。
「あいつに勝てたならば、だがな」
「あいつとは、レイチェルのことか」
女が背を向けるのに、ヒューイは思わず聞いた。女は少しだけ振り向いた。口元に笑みを残したままで、愉快そうに言う。
「いずれ分かることだ。倒されるにしても簡単に倒されることのないようにしろよ」
去り際、そう言い残して女は部屋を出た。
ヒューイは切り倒された木人を見た。等しく断面はなめらかで、力で割ったのではなく刃物で斬ったのだという風だった。女が持っていた長刀はそれほど大型のものではないのにも関わらず、樫材の木人を一刀のもとに両断するなど、そんな芸当ができるものがこの街に存在するだろうか。
「一基いくらすると思っているんだ」
などとぼやきながら、ヒューイは残骸の片方をつま先で蹴ると、元木人の片割れは重そうな音を立てて転がった。
「簡単に倒されるな、などと」
つま先を、その片割れと地面の間に差し入れた。勢いをつけて蹴りあげた。
一瞬だけ立ち上がった、その木人の上段に向けて、ヒューイは回し蹴りを見舞った。フック状に振り回されたつま先が、人体ならば後頭部に位置する箇所に突き刺さった。果たして半分の木人は衝撃で吹っ飛び、壁際に転がる。
「馬鹿にしやがって」
そう、一人ごちるが、しかし東の連中から見ればそういう認識なのだろう。西も南も、取るに足らないゴミためで、それだからこそ半ば象徴化された「皇帝」などを配していられる。
東から見れば俺はそういう奴らの一人――そういう意識であるなら、そんな目では見られぬようにしてやる。ヒューイが西と南を平定し、東の『マフィア』に近づけば、連中ももはやヒューイをストリートの破落戸とは見ない。
(俺はこんなところでは終わらない)
そういう思いは、今でも残っている。スラムに放り出され、ただ食い殺されるのを待つよりも、自ら食いつぶし、殺さなければならないストリートから、なにも変わっていない。この街ではそれなりの地位でも、所詮は特区の一区画、そこで幅を利かせているだけの一ギャングの副官に収まるだけの一生は御免だった。次は『マフィア』と、最終的にはその『マフィア』すらも踏み越える。南の征伐は、そのための布石に過ぎない。
倒されることなどない。
ヒューイは汗を拭いながら、卓上の携帯端末を取った。デジタル表示の時刻が、もうすぐ12時を指そうとしている。タッチスクリーンを操作して、電話をかけると、ほどなくして電話口から目当ての人物の声が聞こえる。
「バートラッセル、まだ起きているか」
「俺に安眠なんて言葉はねえさな、ボス」
明らかに不機嫌そうな声。気むずかしさを絵に描いたような、バートラッセルの渋面が目に浮かぶようだった。齢50の彼は『黄龍』の中でも古株で、この《西辺》の生き字引のような男だ。当初はレイチェルについていくものと思っていたが、どういうわけか彼はヒューイにつき、ヒューイに全面的な協力を申し出た。最初はヒューイ自身も疑っていたものの、今ではそれなりに信頼を置いている。
「木人が壊れた。新しいものを手配しろ」
「そんなこと、給仕の誰かにやらせてくださいよ、こっちゃそれどころじゃねえんで」
どうも、バートラッセルの様子がおかしい。どこか切迫しているような風情すらある声音で、少しばかり違和感を覚えた。
「何かあったのか」
「何かもクソもねえさね。あんたが丸太人形叩いている間に、南の奴らが」
「どういうことだ」
つられて、ヒューイの声も緊張の色を帯びたものになる。別に誰が聞いているわけでもないのに、我知らず声のトーンを落として訊いていた。
「3分前の報告でさ。南の奴らに、うちの拠点が一つ潰されたって、そういうことですわ」
「潰された? 襲撃を受けたのか」
端末をそのままに、ヒューイは上着を引っ掴んだ。稽古着の上から羽織り、靴を履き替えた。廊下に出て、まっすぐ会議室に向かう。
「あの『STINGER』の馬鹿どもがやったのか?」
「詳しいことは分からんよ。ただ、赤いコートの奴らだったということだ」
赤い、ということは。
「すぐそっちに向かう」
電話を切り、端末を仕舞った。
(どういうことだ)
この街で、目立つ赤を身につける者は限られている。少数であっても、敵に回せば厄介な存在。南で一番幅を利かせている、ジャップどものギャング――ただ頭の和馬雪久は、機械たちに、あの兄妹に襲わせたばかりだった。仕留め損なったとはいえ、雪久一人が潰れたらあのチームは立ち行かないはず。
(いくら何でも、早すぎる)
雪久と、『OROCHI』のほとんどの戦力は潰したと思っていたのに。あの兄妹たちの詰めが甘かったのか? いやそれよりも。
「クソったれが」
先ほどの、女の言葉を思い出していた。簡単に倒されるな、と警句めいた台詞が響いていた。あの女は、もしかすればヒューイが負けると踏んで、あのようなことを言ったのだろうか? どうせ倒されるから、少しは粘れと、そういう意味で。
ヒューイはもう一度端末を取り、片っ端から召集をかけた。黒服たちを束ねる幹部連中と、私服兵のリーダーたち。西にいる者たちすべてに向けてメールを流したところで、ヒューイは端末のパネルを閉じた。
――簡単に倒されるなよ。
「倒されなど、しない」
自然、そう呟いていた。半分は自分へ向けた言葉だった。あの連中、ジャップどもにやられることなどないし、奴らが出張るのも許さない。
「倒されなど」