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監獄街  作者: 俊衛門
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第十三章:20

「それよりも」

 と韓留賢は言い、

「昨日のことは、考えたか」

「何、昨日のことって」

「遊撃隊のことだ。奴らを従えるか、あくまで説得するか」

「まさか、それを言うために待ち伏せていたの?」

 韓留賢は渋面をつくり、わざとらしく肩を竦めてみせた。

「さっきから聞いていれば、お前はどれだけ自分に自信があるんだ。覗くなだの待ち伏せただのと」

「そういうことで言ってんじゃないよ。というか、自信があろうとなかろうと普通は警戒するでしょう。こんな街で、私がどんな思いで操を守ってきたかあんたには分からないでしょうけど」

「そんな自慢にもならんこと、どうでもいい。それで、どうするつもりだ」

 あっさりと斬り捨てる韓留賢に、ユジンは憮然として応えた。

「後にして。今はそんな気分じゃないから」

「そうやって後回しにしても結論はでない。今決めろ」

 なぜかしつこく食らいつく。一瞬、北に送り込んでやろうかと思ったが、そういうわけにも行かない。韓留賢には守りの要となってもらわなければならず、残念ながら欠かすことの出来ない人材だった。

「じゃあ言うよ。あんたの提案は破棄だ。あくまで説得する」

 やはりというか何というか、韓留賢の表に失望の色が浮かんだ。

「何故」

「何故って? 逆に何で力で従わせようというの? 私たち、一介のギャングを相手にしているんじゃない、機械だよ? 足並み揃えて、全員で掛からなきゃ多分敵わない。そういう相手だってのに、またさらに圧力かけて、それで遊撃隊は納得しないよ」

「だがその説得も、うまくいく保証などない。無為に時間をつぶすよりは、可能性が高い」

「私はあんたと違うよ、韓留賢」

 ほとんど精一杯の声を振り絞るように言った。少しでも気後れしたらつけこまれる、そういう恐れがあった。

「私のやり方で、説得してみせる。どうせ雪久みたいに出来ないんだから、無理してやることはない」

「無理しなければ」

 韓留賢は、馬鹿馬鹿しくて見ていられないというような顔をする。

「出来ないこともある。自分に出来ることを、とか自分に合わないことはやらない、などとそれは余裕のある奴がいう事だ」

 そして憤ってすらいる。あえて表には出さないが、ユジンの態度に対して、少なからず怒りを覚えている。そういう表情だった。冷徹さを湛えた無表情の、眼だけがかすかに色を成し、燃えている。

「今は何だ? 戦時だろう。そしてこちらが劣勢、はっきり言って地盤を整えるという段階ではない。無理やりだろうと何だろうと、こちらから打って出なければならないときに何を悠長な」

「心配なの? 韓留賢は」

 その韓留賢の怒りに、巻き込まれぬように、ユジンはやんわりと言った。

「奴らに、機械たちにやられちゃうかもって、南が全部『黄龍』に掌握されるって。そういう心配なら、私もあるよ。でも敵は『黄龍』だけじゃない、そこを何とか越したとしても次にまた敵が来る。そのためには、地盤は大事じゃない?」

 韓留賢は、まるで煮えた湯を溜め込んでいるかのように顔を強張らせている。いざその鉄面皮を剥がせば、途端に噴出しそうな、熱い湯。相手が相手ならそのまま掴みかかりそうな風情だった。女だから遠慮しているのか、そのようなことはせず、ただジッと肚に納めている。

「甘い事って思うだろうけど、今のままじゃどの道自滅する。だからこれは必要なことなの」

「いずれ……」

 韓留賢が唸った。獣じみた声だった。

「いずれ奴らは敵になるのにか。元々敵同士で、偶々共通の敵がいただけで。今を越したとしても、また敵同士に戻るのにか」

「それは――」

「いや、もういい」

 韓留賢は背を向けた。これ以上我慢しておれぬ、という風にも見えた。

「もし、私のやり方が気に入らないなら無理強いはしないよ。他の皆にも無理は言わない。私の方が間違っていたら、ここに攻め込まれて皆死ぬ。それが嫌なら私は引き止めたりはしない」

「そうやって、最後にはどうせお前一人で行くつもりなのだろう」

 背中越しなので、どのような表情をしていたのか分からない。ただ去り際の声は。

「それが心配だと言うのに」

 か細く鳴くようで、痛みすら伴わせる声音をしている。


 洗い場に滅多に人がいることはないのだが、そのときは先客がいた。

「……あ」

 その人物がユジンの顔を見ると、あからさまに表情が固くなった。一瞬見て、すぐに視線を伏せさせる。宮元舞は、あかぎれた自分の手を見つめ、押し黙っていた。

「見られて困るものなら、夜のうちに洗った方がいいよ」

 舞の背後には水を溜めた桶があり、その中に肌着が浸かっている。定期的に取り替えてはいるのだろうが、それでもあまり使い古した下着など見られたくはないはずだ。

「それとも、私が嫌なのかしら」

「そ、そういうわけじゃ」

「いいよ。洗い物そんなに多いわけじゃないし、終わったらすぐ帰るから」

 ユジンは舞の隣に陣取り、桶を掴むと蛇口をひねった。細く糸みたいに水が流れ、プラスチックの底を叩く。いくら洗濯物は少ないといっても、これでは水が溜まるまでに時間がかかってしまう。

 ユジンは蛇口の縁に腰掛けた。

「ねえ、彰から聞いたんだけどさ、あんた」

 そう話しかけると、舞は何か危険でも迫ったみたいにぴくりと肩を振るわせた。いちいち反応が過剰過ぎる、などと思いながらユジンはさらに続ける。

「自分の身柄、『STINGER』に預けたっていう。もし、私たちが失敗したら、自分の首をかけるって言ったって」

 初めて舞が顔を上げた。どうして知っているのか、という顔をしていた。

「彰も『STINGER』から聞かされたんだって。驚いていたよ、自分に何の相談も無かったってショックみたいで。それ、雪久に言われてやったの?」

 舞はまた目を伏せ、己の小さな手に視線を落とした。細い指先に精一杯力を入れ、水の中で肌着をすり合わせながら洗い、洗いながら舞は言った。

「それは、私の独断です。交渉しろとは、雪久に言われたのですが」

「そう。何で雪久があなたに頼んだのか知らないけど、つまりあんたの中じゃ、自分の身と私たち『OROCHI』は等価ってわけなのね」

「そういうわけじゃ……」

「じゃあどういうわけだってのよ。勝手に私らの命運賭けて」

 舞の手が止まった。唐突に自分のすべきことを忘れてしまったかのような動きだった。

「自分にどれだけ自信があるのか分からないけど、自分の身柄を質に入れるなんて、よほどの価値がなければ意味がないよ。あんたにそれだけの価値があるってなら別だけどさ」

 ちらと舞の横顔を見た。てっきり恐怖に震えているのかと思ったが、目に怖れの色はなかった。幼い目元は、しかし光を失ったような虚ろさを以て、じっと手元を見つめるばかり。ほとんど上の空と言った風ですらある。

「金が何を考えてあなたの案を採ったのか知らないけど、少なくとも普通のギャングにその手は通じないよ」

「分かっています」

 意外にしっかりした返答に、少々面食らいながらもユジンは訊いた。

「分かっているなら、何であんなことを。『STINGER』はそれでいいかもしれないけど、本当ならその場でヤられちゃっていてもおかしくないってのに」

「私には」

 舞が唐突に言った。今まで聞いた中で一番はっきりした口調だった。

「私には、他に方法がないから」

「方法? 交渉をまとめる方法のこと? 相手に条件とそれに見合う対価を示して、自分の有利な方向に導くのが交渉のやり方だってのに、見合うかどうかなんて分からずに自分を人質にするのが方法?」

 口調が荒くなっている。抑えなければと思っても、まるで別の誰かが喋っているように言葉がこみ上げてくる。

「博打でうまくいけば世話ないよ。たまたま上手くいったからって、次にどうにかなるなんて保証はないよ。そんな綱渡りでどうにかなるなんて思わないことね」

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