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監獄街  作者: 俊衛門
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第十三章:19

「義理堅いのは、同胞に対してのみよ。それで連中に恩を売った気になるのは、間違ってる」

「なにも奴らのためだけじゃない。考えてもみろよ、もし金の言うように《北辺》にも新たな勢力が生まれているならば」

 彰はつと、身を乗り出すようにユジンの目を見る。防衛本能が働いて、ユジンは無意識に顔を背けた。

「何よ」

「つまり、俺たちにも脅威になるということだ。西の連中とやり合って、それが終わった後だった絶対に疲弊しているはずだ。そこに北から来られてみろよ」

 火をつけないまま煙草をくわえて、彰は物欲しげにライターを弄んだ。未練ばかりが目に付いた。そんなに吸いたければ今すぐ火をつけて見ればいい、と言いたくなる。その結果がどうなるかは知らないが。

「ただでさえ、俺らはこの街じゃ新参者だ。西や北からの得体の知れない連中を相手にしなきゃならない。少しでも、街を知っている奴がいればそれも違う」

「だから救うっていうの? 今の守りを崩してまで」

「情報は多いに越したことはないだろう。それに守りは崩れない。遊撃隊をうまく使えば」

「その遊撃隊とうまくいっていないんじゃない」

「だからそのための派遣でもあるわけだ。連中取り込む意味もあるって、今言っただろ」

「そんなのうまく行く保証ないじゃない。あの娘が自らを犠牲にしたからって、別にそんなこと根拠にならない。遊撃隊にそんなポーズをつけたところで」

 彰の手が止まった。ライターを胸ポケットにしまって、おもむろに眼鏡を外した。

「それだけってわけでもないさ」

「でもあの娘の行動を見て、そうするって決めたんでしょう? 何で彰も雪久も、あの娘のことなら従うの? 昔の仲間だかなんだか知らないけど、今の仲間はどうなのよ」

「やけにからむね、ユジン。舞が何か、お前にとって気に入らないことでも?」

 問いつめるような視線で彰は見据えてきた。いつもレンズ越しに見ていたその目が、少し鋭さを増しているようにも見える。

「気に入らないっていうか、多分皆思っていると思うけど」

 同じくらいの鋭さが口調にこもった。意図したものではなかったが、殆ど問いつめるような声音になってしまった。

「雪久も彰も、ここのところ変。レイチェル・リーやあの娘の言うことを聞いて、他の人間の言うことにそれほど耳を傾けない。今の仲間なんてどうでもいいって、そういう風に思ってはいないんだろうけど、でも殆どそうとしか思えないんだよ最近」

 彰は怪訝そうに目を眇めた。意外というよりも、心底意図が分からないというような表情だった。

「いつ、俺らが皆をないがしろにした?」

「雪久も彰も、相談ごとは全部レイチェル・リーに持ちかける。レイチェル・リーに持ちかけた上で、遊撃隊に話をする。私たちの頭を飛び越えて」

「そんなこと。『黄龍』のことはレイチェルが詳しいから、そうしているに過ぎないだろう。《西辺》や、『マフィア』についてだって、他の連中がそこまで知っているとは思えないけど」

「でも今まで敵だったんだよ? レイチェル・リーとは。それにあの娘も――」

 名前を口にしかけたが、躊躇われた。ややあってから、口を開いた。

「突撃隊の、あの『ファング』の妹。二人には昔の仲間なんだろうけど、残念ながら私はそう思えないよ」

彰は少しばかり首を傾げるようユジンの顔を覗きこんだ。

「なるほどね。最近何か様子がおかしいと思ったらそういうことか。俺と雪久に対する不満っていうこと?」

「多分、皆思っているよ。口には出さないけど。身内の足並みが揃うわけがないのに、他所の連中と一緒に出来ないって」

「そうか。それは、何と言うか……」

 彰の表に、困惑が浮かんだ。おそらく、この類の指摘は彰自身初めて受けたのだろう。全く予期しないところから自身の弱みを掬い上げられ、それを目の当たりにして初めて思い当たる節がある。そういう顔をしていた。

「すまないね、その……至らないところがあった」

「今まで気づかなかったのもある意味すごいけどね。いいよ、良かれと思ってのことなんでしょう? でもあなた、少し気負いすぎなところがある。昔の仲間もいいけどさ、少しは今の仲間を頼ってもいいんじゃない?」

「そいつは」

 と彰は、眼鏡をかけて言った。

「お互い様じゃあないか? ユジン。俺から見れば充分、お前も気負いすぎだ」

「私が? いつ」

 今度はユジンが困惑する番だった。彰は、やっぱり、というような顔を浮かべる。

「ほら、やっぱり自覚ない。こんな夜中に押しかけるぐらい、余裕無くしているってのに」

「しょうがないじゃない。今は――」

「非常時だからって?」

 先手を打たれて、言葉に詰まった。してやったり、と彰が微笑を洩らした。形勢逆転だった。

「ユジンはそればっかりだね。ここ最近、ずっとそんな調子じゃないか。さっきだっていきなり怒鳴りこんでくるから。誰かと思ったよ、眼ぇ血走らして鬼のような形相でさ」

 そう言われると、急に気恥ずかしくなってきた。それ以上口を開けばますます深みに嵌るような気がして、押し黙るより他なく、口を閉ざした。

「余裕がないのは、誰も一緒だな。状況が状況だから、そうなるのは仕方ないけどね」

 彰は欠伸をひとつして、机の上を片付け始めた。時刻はもうそろそろ深夜3時を回ろうとしている。

「もう寝たほうが良い。あんまり夜更かしすると、美容に良くない」

「大きなお世話よ」

 ともあれ、ユジンもさすがに瞼が重くなってきた。足元に転がっている円筒状の物体を蹴飛ばさないように、注意して立ち上がる。

「北の捜索隊、俺の方で選んでおくから」

「いい、それは私の方で選ぶ」

「そう? ユジンの方も大変だろうから、やっておくけど」

「私が選びたいの。悪いけど、彰じゃ正確に戦力を計れないだろうし」

「気負い過ぎるなって言ったばっかなのに」

 苦笑しながら彰が言うのに、ユジンは溜息をついた。

「何でもかんでもやらせるわけには、いかないよ」

 

 部屋に入り、簡易ベッドに潜り込んだと思ったら、次の瞬間にはもう目が覚めた。まるで眠っていなかったのではないかという感覚だったが、それどころかよほどの熟睡だったらしい。時計を見ると長針は9時ちょうどを指している。

 ユジンは半身を起こし、ベッドに腰掛けた。まだ頭の中にもやが掛かっている気がした。意識の半分が夢の中を漂っていたが、天井を見つめているうちに段々と視界が晴れてくる。

 軽くのびをして、体の末端に血を送り込むと、ようやく意識がはっきりした。と同時に、体中のあちこちが痛みを訴えてきた。それが、異様に硬いパイプベッドのせいだけでないことは、良くわかっている。

「こんなの久しぶりだわ……」

 ひとりごちて、ため息をつく。昨日のことを思い出していた。記憶が、単に絵面としてだけでなく感触として蘇ってくる。言うまでもなく韓留賢と手を合わせたときによる打撲と、筋肉痛によるものだった。立ってみるが足が言うことを聞かず、相当の時間をかけて立ち上がった。まるで足腰が何か別のもので出来ているようだった。

「お目覚めか、ユジン」

 入り口の方から声がした。見れば韓留賢が戸口に寄りかかって、後ろ向きになって立っている。

「随分ゆっくりだな。あんまり起きてこないから、そのまま死んだのかと思った」

「ちょっと、勝手に入らないでよ」 

 ユジンはあわてて毛布を引き寄せ、肌を隠した。いつもは部屋着に着替えてから寝るのだが、昨日は服を半分脱ぎかけた状態で眠ってしまったのだ。今、ユジンの身を包むものは木綿の肌着とシャツのみで、引き締まった脚と細い腰が露わになってしまっている。

「入っていないし、見てもいない」

 目を合わせず、韓留賢が言う。まるで興味もわかないという口調だった。

「それと、部屋を全開にしたまま言うことでもないな、ユジン。ここがストリートなら組み敷かれても文句は言えない。自己防衛が出来ない方に落ち度がある」

「わかったからドア閉めてよ、着替えるから」

 その言葉に、韓留賢は案外素直に応じた。後ろを向いた格好で、扉を閉める。

「言っとくけど」

 と完全に閉まる前に、やや強い口調で投げかけた。

「覗いたら殺すよ」

「誰も覗かないから心配するな」

 そうはっきり否定されるとそれはそれで腑に落ちないものがあるが、ともかくユジンは扉に背を向けると、おもむろにシャツを脱いだ。扉が開いていないのを確認するとブラを取り、ややためらわれたがショーツも脱ぎ捨てる。身体を拭きたかったが、韓留賢の手前いつまでも裸でいるのも抵抗があったので、素早く新しい下着を身につけた。シャツを着、ジーンズに脚を通し、ジャケットを羽織ってから広がった髪を後ろで束ねた。それでようやく一息つく。

 脱ぎ捨てた服をまとめて、部屋を出た。ドアを開けると、韓留賢が細い瞼をさらに細くしてユジンを見た。

「終ったか」

「終ったよ。だからもう期待するようなことは起こらないから、安心して自分の部屋に戻りなよ」

「期待など何もしていないが……どこへ行く」

 ユジンが抱える丸めた衣類を見て、韓留賢が言う。少し咎めるような含みがあった。どこへ行こうと勝手だろうとぶちまけてやりたいところだったが、あいにく疲労と体の痛みでそこまでの気力は残っていない。

「洗濯。汲みおきの水、使うから」

「地上に出られない以上、水は貴重なんだがな」

「シャワー我慢しているんだから。洗濯ぐらいさせてよ、同じもの毎日着ていたら気持ち悪くて仕方ないよ」

「贅沢だな、女という奴は」

「男が無神経すぎるだけよ」

 とはいえ、水が少なくなっているのも確かだった。飲料水として確保した水は一人ずつ割り当てられ、生活に使う水は雨水を濾過して使っている。しかしその雨がここ最近降らないので、貯水槽の中身も減る一方だった。

(家に戻れたら――)

 口には出さないが、思っていることは皆同じはずだった。《南辺》の集合住宅も相当なものだったが、地下暮らしよりはよっぽどマシだと。濾過した水で体を拭いてもまったく汚れが落ちた気がしない。硬いベッドの上では体も休まらない。第一、日の光もここ数日、まともに見ていない。こんな生活がいつまで続くかと思うと、気力も萎えるというものだ。

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