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監獄街  作者: 俊衛門
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第十三章:17

「ともかく、今伝えたことが全てだ。それ以上のことはない。他を当たってくれ」

「そういうわけにもいかないな。他の道具屋など知らないし」

「なら諦めるんだな。そんな特殊なモンは、どっちみち用意出来ん」

「道具屋なら作れそうなものだ」

「だから、何度言ったら――」

 語気を荒げた店主の言葉を、一枚の紙幣が遮った。最初、突きつけられた札を、店主は怪訝顔を以って迎え、それが驚愕の表情に変わるのに時間は掛からなかった。紙幣に印刷された、歴代大統領の誰かの肖像画に店主の目が釘付けになるのを受けて、省吾は紙幣を机に置く。

「こんな街じゃやっぱり珍しいか? アメリカドルというものは」

「軍票とチャイナドル以外を」

 何とも畏れ多いものでも触れるかのように、店主は震える手つきで紙幣を手に取った。

「目にするなんてこたあ、多分難民にゃ一生ねえこったな」

 店主の反応は、模範的な程予想通りだった。チャイナドルや台北ドルといった東アジアの通貨が、この紙幣一枚でどれほど賄えるのかなどと考える機会すらなかった人間だ。当然、反応も違ってくる。

「お前さん、こいつをどこで……?」

「どこで、なんてどうでもいい問題だ。ただ仕事を受けてくれるなら、そいつと。あとこの街からの逃亡資金も合わせて、前金で払う。どうだ?」

「どう、と言われてもな……」

 今度は明らかに疑いの目を向ける。これまた当然過ぎる反応だった。身分としては省吾も難民である以上、アメリカドルを用意できる道理などないのだから。

「まあ、あんたも危ない橋を渡っとるんだろうが……こいつは……」

「心配しなくとも、そいつの出処はそんなに危ない所じゃない。ここらじゃそんなものが手に入るのは『黄龍』絡みぐらいだが、『黄龍』とも関係のない金だ。受け取ったところであんたに火の粉がかかることはない」

「じゃあ何だって言うんだ」

 飽くまで引き下がらない。安心できる金じゃなければ、どうあっても受け取らないつもりのようだった。

 街で生き抜く知恵と言えた。躍らされ、翻弄されて、とばっちりを食わないための生き方。決して出自の分からないものには触れない、力の流れには常に気を配る、強いものには逆らわない――本来人はそうあるべきで、難民ならば尚更だった。

(生き抜く知恵、か)

 その法則をことごとく無視する連中とつるんできたから、店主のごく当たり前の振る舞いにも新鮮味を覚えるのだろうか、などという考えがふと頭をよぎる。力で劣ろうが、相手の背後が分からなかろうが、刃向かうことが前提として在る。そういう連中。そういう連中と、長く居たのだ。

「その金の出処は、『黄龍』みたいなギャングの絡みとは違う」

「じゃあどこだよ。まさか『マフィア』絡みじゃねえだろうな」

「そういうギャングとかを飛び超えたところだ。あんた、監察官の噂を聞いた事はあるか」

「一応な。まあ噂だろう、そんなもの」

「まあ、もっとも。だが、火の無いところに煙は立たないものだ」

 省吾の言葉に、怪訝な顔で店主は首を傾げた。やがてその目が、まさかという色を帯びた。それが潮時だった。次に口を開きかけた時に、省吾の手が店主の胸倉に伸びた。

「跳ねっ返るには代償が必要、とな。さっきあんたが言ったように、そこから先は口にしないこと、それが賢明だ。分かるな?」

 普段の二割位の力で引き寄せた。それでも襟首で頚動脈を締め付け、喉元に拳を重ね置く。それだけで店主は苦痛に顔を歪めている。

「あんたの言うような危うさは無いが、それでも変に勘繰る奴の口を塞ぐ位の危険はある。あまり詮索するなよ。あんたは黙って仕事をすれば良い」

「だ、だがあんたの依頼だって、充分連中に睨まれるぐらいのことはっ」

 少し、力を入れすぎたかもしれない。それともこの程度でも老体には堪えるのか、店主は苦しそうに喘いで言った。

「だから逃亡資金を上乗せしてやる。この街の難民共はどこにも行く当てなどないだろうから、上の連中にわけも無く脅える。だが、その連中の目が届かなければしめたもの」

「馬鹿にすんなや、小僧。この街出たところで、どこも似たようなモンじゃろうが」

「まあ、特区のどこもが最悪というわけじゃない。場合によっては、特区以外の場所、そうだなどこかの華僑コミュニティにねじ込む事も可能だ」

「本当け? そりゃ」

「本来なら駄目だろうが、一度ぐらいは出来ないことはない」

「だが、だからといって……」

 まだ迷っている風情だった。店主の迷いは好い条件を選ぶという類のものではなく――むしろどちらが好条件なのか火を見るより明らかではあるが――それよりも根が深いところにあるようだった。どれほど条件が揃っても、心の奥底に根付いた観念がそれを邪魔していた。

「別に『黄龍』が追ってくるはずもない。このドルだって、どこで換金しても足は付かない。これはこの街には存在しない金だ、奴らに洩れる心配はない」

 更に、身を乗り出して言った。

「いい加減腹を括れ。あんたをそんな目に遭わせた連中に一矢報いる機会、これを逃したら一生負け犬だ。最後ぐらい、手向かってもバチは当たらんだろう」

 店主は、目の前の紙幣を凝視したままだった。おそらく頭の中では色々な葛藤渦巻いて、それが故に体の動作を忘れているかのような固まり方だった。

「……とりあえず、あんたの望みの物はここにはねえよ」

 目線は紙幣に向けたままで店主が言った。おそろしく小さい声だった。

「どっかに外注出すしかねえが、そこだって奴らの手が伸びているか分からん」

「自前で作れないか」

「単純なものだから、出来んことはねえが……」

「ならば、作ってもらおう」

 省吾はもう二枚、紙幣を足した。一枚は10ドル、一枚は100ドル紙幣。

「納期はどれほどだ」

「一週間といったところか。まあ、急ぐがな」

「是非そうしてくれ。それと、それが出来上がったらすぐに連絡してくれ。テストしたいから」

 そう言って、もう一枚100ドル札を追加した。


「契木ってなんだ?」

 店を出てしばらくしてから、燕が聞いた。

「そういう武器があるんだよ。上州の拳法に伝わる物で、一度だけ使った事があるんだがうまく行くかどうかは出来次第だな」

 壁に寄りかかりながら、省吾は合成水を飲み下した。

 屋台の立ち並ぶメインストリートから、大分離れた裏路地だった。狭い路を、裸足のままの子供達が嬌声を上げて駆け回っている。ギャングや銃声とはほど遠い光景が、ずっと前からそこにあったかのような錯覚があった。レンガ造りも鉄筋も縁遠い土壁は、戦後の急造住宅である。子供達は難民の子で、いずれは親達と同じ運命を辿る。確定された未来であるはずだが、今このときだけはそうした未来ともかけ離れて見える。

「答えになってなってねえし。どういう物なんか、って訊いてんだが」

「それは出来上がったら教えてやる……それより、あの店でどれぐらい使ったかな」

「300は使ったんじゃないの? いくら何でも、あれだけ札ちらつかせりゃ自然に首が縦に動くってもんだ」

 ボトルに溜まった生温い合成水を、舌の上で転がした。乾燥してささくれたようになった舌に、カルキの味を感じ取った。細かく詰まった喉に流し込んだ頃には、ボトルはすでに空になっていた。

「それにしても……」

 と燕は、煙草に火を点け、

「あんな金、良く持っていたものだ。『OROCHI』にいた頃に白人の商店襲ったときだって、アメリカドルにお目に掛かることなんて少なかったのに」

「普通は流通しないだろうな、この街では。だから、効き目はある」

「まあな。だけどよくあんな金があったものだ。あれが監察官の報酬ってわけか」

「それだけ危険が付きまとうということだ。現金手渡しでドル札を二枚、自分の命と引き換えに。お前がこれからやる仕事というのは、そういうことだ」

「先ず体内の薬を全部出しきらないことにはね。それに、他に選択肢がないわけだから。俺には」

 燕は半分ほどになった煙草を、名残惜しそうに投げ捨てた。

「で、どうするのさ。その契木たらいうのが出来るまで。また稽古続けるの? そうしている間に機械共が現れたらどうするのさ」

「その時はその時。今ある武器で何とかするしかない」

 白人の一団が、路地の向こうから歩いてくる。子供達が足を止め、見てはいけないものに遭遇したかのようにそそくさと建物の中に逃げ込んだ。

 省吾は襟を引き寄せた。白人達は省吾の顔など一度も見ずに、騒々しく会話を交わしながら通り過ぎた。会話が一瞬だけ耳に入る。けれどすぐに声は遠ざかる。通り過ぎるまで、省吾と燕、二人して黙っていた。

「街の情報は――」

 白人達の姿が闇に消えるのを確認してから、口を開いた。

「中々俺達には回って来ないからな」

「賭けってことか。大した博打だ」

 燕は新たに煙草を取り出そうとして、しかし思いとどまって結局箱を仕舞った。

「そこまでして、あいつら倒す必要あるのか?」

「言っただろ、自分の命と引き換えだと」

「それにしたって、ちょっと準備が雑じゃあないか。大枚はたいて武器を今から作って、そんなに使ったこともない物であいつらに対峙するつもりか?」

 路地に影が落ちてきた。もう既に薄暗く、辺りが群青に染まるほどの闇が広がりつつあった。夕闇が覆うのが、このところ早くなってきた気がする。帰るぞ、と声をかける。 

「何か、焦っている? 省吾」

 燕の問いかけに、答えるつもりはなかった。冷え込んだ路地を足早に駆ける。

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