序章:2
《成海市南辺第3ブロック 化学プラント“クロッキー・カンパニー”》
難民には、行政特区内で生活のための仕事をあてがわれる。それは大抵、戦勝国の産業の下請けだ。
行政特区は国連の管轄ではあるが、各都市は大国の委任統治下にある。大国は主要産業の工場を行政特区に移し、人材は現地で調達する。人材とはすなわち難民。彼らを安く雇用し、自国産業の礎としているのだ。
省吾が初めてこの工場に勤めるとき、工場長を名乗る男がアジア人たちを相手に熱弁をふるった。
「貴様らは」
訛りのある英語で、男は語りだした。ひどく耳障りな濁声で。
「人間じゃねえ。本来ならクソみてえな敗残国で、泥水すすりながら生活し、ゴミの山でくたばる。地面をはいつくばる、蛆虫みたいな野郎どもだ。それをこの俺が慈悲深くも拾ってやりお前らに仕事と三度の飯をやろうってんだ。感謝しろよ、豚ども」
豚、という単語だけ聞き取った。
省吾は男の姿を、まじまじと見る。でっぷりとした肥満体系。工場内の温度とあいまって、しきりに汗を噴出している。
――一どっちが豚なんだか。
「おい! なんか言ったか!」
聞こえたようだ。とりあえず目をそらすが、男は省吾の前まで歩み寄りその髭面を突き出した。顔が近い。
「もういっぺん言ってみろ」
しばらく黙っていたが、やがて一言だけ
「豚」
とつぶやく。瞬間、省吾は殴られ床に転がされた。
日給数ドルの安い賃金で、一日12時間以上働く。過酷な肉体労働にかり出され、それで一日が終わる。
よくある難民達の末路だ。
「最悪だ」
あてがわれた寮の一室、6人部屋の北側の隅が省吾の居場所だ。埃まみれのベッドに寝転がり、叫んだ。
「若えもんは贅沢だな」
向かいのベッドは、難民船で散々悪態をついた老人である。歯の無い口を歪ませて、投げやりな感じの薄ら笑いを浮かべている。
「言ったって仕方ねえべよ。わしらが生きていくにゃこうするしか。でねえととっくの昔に野垂れ死に……」
「うるさい、クソジジイ。黙れクソジジイ」
クソジジイなどと二回も言われ、老人は不機嫌そうに鼻を鳴らし部屋を出た。
疲れ切った、綿のような体をマットレスに預けた省吾は、そのまま夢の世界へと向かった。
夢の中では、省吾は少年であった。
そこは焼け野原と化した故郷。廃墟の平野から天に向かって突き出す鉄骨は、救いを求める亡者の腕のようだった。
西の空が朱に染まっていた。血の様に赤いその空を輸送用のヘリが行き交っている。側面部には一様に「UN」の刻印があった。
「少年老いやすく学なりがたし」
沈む日を眺めながら、その女は言った。詩を吟ずるかのようなよく通る声だった。
「先生、それどういう意味?」
12歳の省吾は尋ねる。「先生」というのはこの女のことだ。戦後、焼け跡を徘徊していた省吾を拾った、いわば彼の親代わりである。何度名前を聞いても教えてくれることはなく、仕方なく彼は「先生」と呼んでいた。
「人間、若いうちは時間がたっぷりあると思って学ぶことを怠ってしまうが、すぐに年月が過ぎて年をとり、学ぶことが出来なくなってしまう。だから若いうちから勉学に励まなければならない、という意味」
省吾には難しすぎたようだ。意味が分からない、としきりに首をかしげている。
「要するに、若いうちにちゃんと勉強しとけってことよ」
「先生」は微笑む。その笑顔が眩しくて、省吾は顔を背けた。
「勉強なんて……」
省吾の声は暗く、沈んでいる。
「もう学校もなくなっちゃったし、しても意味ないよ。受験する必要もないし」
「勉強ってのはそういうものじゃないのよ」
「先生」は省吾ほうに体ごと向き直り、彼の背丈に合わせてしゃがみ込んだ。
「勉強って学校の勉強のことだけじゃなくてね、生きるための術を学ぶものなの」
「生きる……ための?」
「そう。こんな時代になっちゃったけど、だからこそ一人で生きて行くための術を学ばなければならない。たとえ絶望の淵に立たされたとしても、それが身についていれば強く生きることも出来る」
女は、省吾の目を覗き込んだ。その瞳に、幼き日の省吾の姿が映っている。
「私が、教えてあげる」
目が覚めた、そこは何もない闇。
同室の難民達は、皆寝静まっていた。
省吾はかつての師を思い出す。
「先生……」
――先生、あんたにはいろいろ教えてもらったよ。でもここではあんたの教えはまるで役に立たない。一人で生きてゆけるはずだったのに……ここでは他人に縛られることでしか生きていけない。
あんたは言った。絶望の淵でも強く生きていける、って。でも絶望が今そこにあるのに、俺は一人では生きられない。飼い慣らされた弱さ。
強く生きたい。あの日からそう願っていたのに。翼をもがれた鳥のように、俺は地面をのたうち、悶え死ぬ。なんと無力な、卑小な「生」か――
情けねえな。
省吾はかび臭い毛布をかぶった。
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