第十三章:16
「話すことなんぞない」
さし当たり中に入ることは出来たが、店主は客人を迎え入れる風でもなく、寧ろ酷く迷惑そうなしかめっ面を晒している。当然のごとくに。
「この間の礼をしようかと、顔を出してみた。あんたと彰が芝居を打ってから、いつかあんたを殴ってやろうと思っていたんだがな」
中は相変わらず薄暗かった。だがそれ以上に、前に来たときよりも荒れていた。カモフラージュのために置かれた数種の「商品」――手入れのされない中華包丁、鍋などの金物が、実に陳列台ごと破壊されて、地面に散乱している。いくら表向きとは言え、割れた壷をそのままにしておけば店としての体裁も整わないはずであるが、そんな配慮すら見受けられない。《南辺》に良くある廃墟の一つに迷い込んだ、と錯覚するに足る荒れ様だった。
「売り物は大事にしなくちゃダメだろう」
「売り物、か」
店主の口元が、痙攣したような笑みを浮かべた。口の端から、残り少ない歯が覗いた。前のように、腹に一物抱えた者の笑い方ではない。心底疲れきったというような、全く覇気が感じられない振る舞いだった。
「表はこんな有様。あのとき、お前んトコの坊主と一芝居打って、あの刀をやって。だがそれで終わりだ。あれ以来、表も裏も何も売れん。まあ、あの刀だって只でくれてやったんだがな」
「只とは」
「あのお嬢ちゃんとの対局がなかなかに面白くてな。つい刀の代金を只にしちまったんだよ。この歳であれだけ熱くなれるっていうのも、今までなかったからの」
「そりゃまた、豪気なものだ」
ついつい皮肉な響きになってしまったのは仕方がないだろう。あの刀が只だったのならこんな茶番はない、俺は道化か――などと言いたくなるのを喉元で堪えたのだから。
つま先に何かが触れた。黒金仕立ての鉄瓶が、湯の注ぎ口を上にして転がっている。軽く蹴飛ばすと金具がからりと鳴った。
「あんたらと繋がりを持ったために――」
言いながら店主は近くの椅子を引き寄せ、座り込む。卓に手を突きながら、そろそろと腰を下ろした。ひどく緩慢で、どこか痛めている箇所をかばうような動作。
「連中に目を付けられた。表はおろか、中の武器庫も全部だ。『OROCHI』の注文を受けて物を売り捌いていた、なんてどこから洩れたか知らんが、そのせいで全部壊された。わし自身も、よう命を取られんかったと不思議なくらいでな。だが次はそうもいかんだろ、だからもう関わりたくない」
帰ってくれ、と言った声は聞き取れないほどか細いものだった。店主自身、よほど痛めつけられたのだろうということは想像できた。以前のような狡猾さや老獪さ、自信に裏打ちされた尊大な態度は欠片もなく、そこにいるのはやけっぱちになった、街でよく見かけるスラムの老人だった。
「ま、まあそうは言ってもさ、ほら。俺らは『OROCHI』じゃないし」
燕が横から口を出すのに、店主は視線だけこちらによこす。
「『OROCHI』じゃない?」
「省吾はもともと関係なかったんだし、俺もあそこを抜けた身だ。別に気にすることはないんじゃないか?」
「抜けたって言うても、お前さんそもそも『OROCHI』だったんか? 全然見覚えがねえが」
店主が言うのに、燕はちょっと不可解なものでも見るように顔を顰める。
「俺、ここで槍買ったんだけど。覚えてない?」
「知らんの」
「一度会ったことあるんだけどなあ……じゃあこいつで思い出せないか? あそこにゃ、毛色が違うのは俺と雪久ぐらいのものだろう」
そう言って自身の赤みがかった髪を引っ張るが、店主は興味無さそうに目を背けた。
「知らん。わしゃ色盲じゃ」
果たして燕は、苦虫を噛み潰したような顔になった。どうにも割り切れない思いを抱えた者の表情で、忌々しくも困惑した色を浮かべた。
「どこで槍を買ったって?」
省吾が言うのに、燕は肩を竦めて
「こういう扱いは、さすがに堪えるね。アイデンティティを否定された気分だ」
「髪色がアイデンティティというのも、安っぽい話だが」
「それもそうだ」
苦笑をこぼし、燕は「続けてくれ」と促す。
「まあお前たちが今、『OROCHI』であろうとなかろうと、一度でも奴らに関わりを持っていることは確か」
店主が話を進めた。
「今だって、誰かが密告しにいったかもしれん。臆病者と言えば良いさ、こんな所にいられたら今度は本当に殺されるかもしれん」
「ならば、殺されないうちに話を終らせるとしよう」
これ以上の愚痴に付き合ってもいられない。省吾は強引に店主の話を遮った。店主が不服そうに見上げるのに、呼気の間すら与えずに言葉を被せた。
「手短に言う。ここに契木はあるか」
何のことか分からないのか、それとも微妙な発音が聞き取れなかったのか、店主は目を瞬かせて聞き返した。
「何だって?」
「契木。骨董屋営むなら、古い武器にも詳しかろう。どうだ、あるか」
「おい、貴様」
三白眼でねめつけて、凄まじく唸るような声で詰め寄った。立ち上がり、店主は省吾の襟首を掴み、老人には分不相応な力で締め上げてくる。
「人の話を聞いていたか?」
「ああ、そうか。商売道具は全部駄目になったんだな。じゃあ取り寄せるなりどこかで作るなり、いずれにしても早めに用意してもらいたいのだが」
「そうじゃねえよ。頭が沸いているのか? 今この瞬間にそういう話を持ってきて、ちらとでも話すこと自体が迷惑なんだよ。わしの話を理解していないのか? お前さんらの事情が、そのまま災厄になるってことを、足りない頭でも分かるように説明したつもりだがな」
そして短く、付け加えた。
「失せろ」
それが悲痛な者の叫びであるように、冷淡に響いた。それ以上語るべくもないシンプルな言葉と共に、店主は省吾を突き放した。
「あんたの酷い北部訛りは、確かに理解し辛いが……」
傍らで燕が狼狽しているのにも構わず、ゆっくりと襟を正して省吾は言った。
「それよりも、負け犬の理屈など理解以前に、まず耳に入らない。あんたの事情は、一応は聞いたけどそいつが明確な理由になるとは思えないし、当然聞き入れるつもりはない」
燕はもはや、この世の終りというぐらいの狼狽振りだった。店主は剣呑な雰囲気を漂わせて唸った。
「一度、痛い目見んと分からんかの」
「痛い目とは」
「跳ねっ返るにゃ、代償というものが必要だということだ。あんま聞きわけねえようなら、分からせてやろうか?」
老人の手が懐に伸びた。襤褸を纏った内側で、金属を握る気配を感じ取る。燕がすぐに身構えて、右腰に吊ったナイフに手を伸ばした。
「やめておけ、虚仮脅しは」
だが省吾は、恐ろしいくらい平静に言い放った。構えを取ることもせず、近くの椅子を引き寄せて座る。
「そういうときは、やたらと懐に手を突っ込まないことだ。お里が知れるというか、もうそれだけで分かる。腕に覚えがある奴なら絶対にやらないことを」
老人が差し向けた強張った面に、つと冷や汗めいたものが一筋流れた。懐に突っ込んだ手は微かに震えを帯び、いくら虚勢を張っても誤魔化しようのない色を瞳に湛えている。いくら捨て身になろうとも埋めようのない、力の差を感じ取ったようだった。
「武器が戦するんじゃない、戦うのは人だって。あんたそう言っていなかったか。出来もしないなら最初からするなよ。この距離なら一挙動、道具を出す前に片がつく。出した瞬間に小手を極めるなり、当身を食らわすなり方法はいくらでも」
さらに付け加える。
「あんたには、一応の義理はあるからな。あまり殴らせるな」
「そう、思っているなら……」
観念したように店主は手を引っ込めて、力無く肩を下ろした。
「さっさと帰ってくれたらありがたいんだがな。さっきも言ったように、どこで誰が見ているか分からん」
店主が腰を下ろしたのを確認して、ようやく燕も構えを解く。