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監獄街  作者: 俊衛門
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第十三章:14

 断固とした、一歩も退かぬという意志の固まりだった。あるいは口を挟むことも許されない、強固な空気を伴っていた。それまで煙に巻いたようなことしか言わなかったのに、真に彼女自身の言葉で喋っている。そう思わせる、強い調子だ。

「街は、お前一人に合わせてなどくれない。誰も自分の歩みでは歩かせるなんてことはない。中途半端につかず離れずやっていても、両方手に入ることはない」

「貴様にそんなこと……」

「関わるのが怖いのか? お前の師の時のように」

 心臓が脈を打った。ゆるりと向き直った。血が駆け巡り、皮膚を痛いほど刺激する。明らかに熱を帯び、高ぶる気を抑え、言った。

「関われば、関わるだけ嫌でも背負う羽目になる。そこから逃げることしか出来ない臆病者が、下手な言い訳を考えても結局は我が身可愛さでしか――」

 振り向いた。杖の先端を、喉元に向けた。手を出せば確実に突ける、という距離だった。

「さっきから聞いていれば。契約書に嫌味を聞き続けるなんて事は書いていなかったはずだが?」

「どうした。真理を突かれて焦ったか」

「口が過ぎるんだよ。そろそろ黙らないと、そうでなくとも気が立っているんだ。俺は」

「気が、何だって?」

 女の唇が、薄い笑みを湛えていた。これ以上ない侮辱を体現するかのような嘲笑だった。

「少々腕が立つとはいえ、これで動揺するようでは未熟もいいところ。そんな状態では何度やっても同じことだ」

「黙れと言っている……」

 指先と足裏の筋が緊張するのがわかった。苛立ちが募り、我知らず刃めいた瞳を眇めて睨めつけた。

 女の唇が動いた。

「いいだろう。黙らせたければ黙らせれば良い。出来るものならば」

 そこまで訊いたときには、体が勝手に動いていた。飛び込み、間合いを詰め、女の横面を杖で横薙ぎに打ちつけた。

 女が下がった。空を斬った。杖を左右持ち換え、再び打ちつける。左手を杖の表面に滑らせ、斜めの軌道で打ち込む。

 女が間を詰めた。まるで挙動を感じさせない、緩く地面を滑るように歩を繰る。省吾の懐に入り込み、手元を抑えた。

 女の手が、やんわりと省吾の小手を握った。背筋に粟が立った。振り払おうとした手を、逆に固められ、そのまま後方に向かって引き倒された。

「野郎っ」

 すぐさま立ち上がる。女はまだ、悠然と構えている。省吾が突き込むのに、体の捌きだけで避け、背後に回りこむ。

 振り向きざま、両断に叩きつけた。女が何かで杖の打ち込みを阻んだ。

 鎖。ぴんと張った、クローム加工の黒光りする分銅鎖で防がれる。一旦引き、再度打ちつけるが、それより先に女が分銅鎖を投げつけ、杖に絡みついた。

 しばらく、鎖で引き合った。相当な力で鎖を引くが、びくともしない。女は、息一つ乱れていなかった。

「これしきでもう終わりか」

 余裕の笑み。ますます、癪に障る。女が引き合う鎖の先に、明らかな侮蔑の視線がある。馬鹿にするな、お前なんかに――。

「勢っ」

 踏み込んだ。勢いのまま、女の胴に前蹴りを放った。女が体を折った瞬間、鎖が緩んだ。杖を引き抜き、下から掬い上げるように打った。女が仰け反り避ける。更に後退するのに、省吾は上段に構え、打ち込む。

 唐突に、鎖が躍った。女が引き寄せた鎖が、空中で円を描いた、かと思うと真っ直ぐ省吾の足元に向かって投げつけられた。

 反応する間もなかった。気づけば鎖が、足に絡みついていた。女が鎖を引くとともに、省吾の右足がとられる。バランスを崩し、転倒を余儀なくされた。慌てて起き上がろうとするが、それより先に女の手が省吾の足首を掴む。アキレス腱を捻り、足首を極めた。すさまじい痛みが全身を駆けた。

「案じているのは、自分の身か?」

 抑え込んだ状態で、女が問うた。

 「お前は本当に他人の身を案じているわけではない。結局関わりを持てば、それだけ自分が苦しいから、それが嫌なだけだ」

 冷めた声音で、そう囁いた。反論しようにも、極限まで伸長された腱の痛みに耐えるのがやっとで、口を開けば吐息のような声しか出ない。もがけばもがくほど、より強く関節が締め上げられる。

「痛みも、苦も、背負う覚悟もないくせに。口だけはそれなりだな。まるで自分一人で立っているかのように振る舞う奴ほど、何も持っていないというのに」

 独り言のようだった。あるいは一人嘆くかのような、投げやりな口調だった。黙っていると、女はようやく手を離した。

「覚悟がないのなら関わりなど持つな。未練がましく、引きずられてはこちらも迷惑だからな」

 そう言って踵を返し、

「孔翔虎を斬る。お前はその役目を果たすことだけ、考えればいい」

 仰向けのまま、女の後ろ姿を見送った。女の姿が見えなくなってから、燕が手を差し伸べてきた。

「よく分からんが、大変だな省吾も」

 今のやり取りが、どういう意図の元に為されたかなどと、燕には理解の及ばないことだったのだろう。完全に置いてきぼりを食らったという顔をしている。

「そりゃあどうも」

 細かく詰まったような喉からやっと発した。燕の手に掴まり、そろそろと立ち上がる。関節を捻られた割には、痛みはなく、支障なく立ち上がることが出来た。明らかに手の内で加減していると分かる、その気になれば一線を越えることもできたが、あえて痛めず手の内で終わらせる。そういう極め方だった。

「くそっ、あの女」

 砂混じりの唾を吐き、舌打ちする。己の不覚はもとより、手心を加えられること自体が屈辱的だった。否応なく自分はエージェントであり、調教師ハンドラーの手の中にいるのだと自覚させられる。

「省吾も訳が分からないところがあるね」

 燕は興味なさげにそんなことを言う。

「ユジンが心配ならそうだって言えばいいのに。変に理由づけるから」

「それは――」

「ああ、いいっていいって」

 燕はニッと歯を見せて、含むところがあるような笑みを浮かべた。木槍を布に包み、既に終わる準備をしていた。

「無理に口にしなくてもいいから。省吾がどうしたいかなんて、省吾にしか分からないんだし、そうしたいなら俺は自分の心に従えばいいと思うよ。俺は反対しない」

 そういって槍をかつぎ上げた。早々と、引き上げようとしている。

「ゆっくり、決めればいいと思うよ」

 省吾は模擬ナイフと鎧通しを外し、ザックの中に入れ、杖を拾い上げた。

「俺の心に、か」

 どうしたいのか、何をするのか――実のところ、自分でも何をしているのか分からなくなる。『OROCHI』と共に戦って、それでも彼らの一部になろうとは思わない。

共同戦線を張り、ユジンと協力することもあり、助け、助けられ、それでも「仲間になろう」という誘いははねのけている。

 一切は、かせだった。与えられた役目と、自らの目的を果たす――そのためには、むしろそんなものは邪魔なのだ。

 だから、枷となるものは排除する必要があった。そしてそれは簡単なはずだった。切り捨てて、省みない。今まで散々やってきたことだ。

 それなのに。

(あの女の言う通り、だろうな……)

 半端な関わりだと、思う。すべてを保留にして、曖昧な状態にしている。最終的に、力となるには『OROCHI』に入ればいいのに、それをしようとしない。

「ゆっくり、決めればいい」

 だが、街は省吾一人にあわせてなどくれない。

「お前に言われるようではな、まだまだだ」

「それはどういうことだよ」

「そのままだ。女の色香に当てられた奴が、先輩風吹かしても説得力は無いわな」

 言うと燕の顔がみるみる真っ赤になった。恥とも怒りとも、あるいは両方がない交ぜになった表情だ。

「いい加減、その話はやめてくれよ。思い返すだけで情けなくなる」

「まだ笑い話にはならないか」

「ああ、出来れば一生思い出さずに墓場まで持っていきたいね。笑い話? まあ確かに笑えるだろうよ、当人以外はな。俺としては、もう」

 ついに燕は頭を抱えてしまった。盛大にため息をついて、身悶えるほどに天を仰いだ。よほどショックが、大きいらしい。

「ならば、燕を黙らすには今度からこの話でいこう」

 外道、鬼畜、と燕が投げかけるのにもかまわず、ふと女が残していった物が目に留まった。

「決定力不足、か」

 砂地に半ば埋もれた黒鉄の万力鎖を拾い上げた。大抵この手の鎖は護身用であるが故に短めに出来ているが、省吾はいつも二尺以上の長い鎖を身につけている。女が残した万力鎖も、同じように長いものだった。意外なところで嗜好が似通っていたことに、少しだけ忌々しく思うが、それよりも。

「燕よ、一ついいか?」

「何だよ」

 すっかりふてくされたように燕が応える。

「あの機械共、何が一番効くと思う?」

「抑え込んで刺す、ってお前が言ったんじゃないか」

「ああ、そうなんだが。それだけだと少し」

 心許ない、気がしていた。女に指摘されるまでもなく、うまく機械の「隙間」を狙うことが出来るかどうかは五分五分だった。何せ、「鉄腕」と違って人造皮膚で覆われているから見ただけでは「隙間」はわからない。否、「鉄腕」の時ですら、雪久の「千里眼」の助け無しに駆動部を破壊する事は出来なかった。

「確実に上手く行く、という確証はない……」

「じゃあ何、この訓練は? 俺は投げられ損なのかよ」

 信じられない、ジーザス、なんということだ、という台詞が似合いそうな、それこそ見本になりそうなほど大袈裟に、燕は頭を抱えた。雪久に追放されて以来、どうも不運続きとも言えるこの男に更なる不運を付け加えないためにも、省吾はフォローを入れる。

「ああ、まあ基本的にはこの方法でやるつもりだ。あいつを抑え込むには合気杖の動きがぴったりだと思うし、八極拳は槍の軌道に似ているからこの訓練のパートナーは燕しかいない」

 それで機嫌が直った風でもなく、燕は憮然として言う。

「上手く行かないってなら、意味がないってことだろ」

「いや、もちろん上手くやるつもりだ。だがそこまで持っていくには、もう一つ何か足りないのかも、って……」

 そこで再び、万力鎖に目をやる。先端の分銅は六角柱の形をしていた。省吾が持っているものよりも小振りではあるが、それでも勢いをつければかなりの威力になるだろう。

 鎖、分銅。鎧に対しては隙間を狙うか、あるいは。

「どうすんの? まさかそいつを叩きつけて戦うのか。三つも同時に武器は操れんぜ。杖とナイフと」

「操るのは二つだ」

 省吾は万力鎖をポケットにねじ込み、

「ついてこい、燕。ちょっと出かける」

「で、出かけるってどこに」

「思い立ったら吉日という奴でね」

 困惑する燕をよそに、省吾はザックをかつぎ上げた。

「決定力不足を補う」


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