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監獄街  作者: 俊衛門
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第十三章:10

 雪久の様子を訊いたことに、特に意図はなかった。寒さを紛らわすため、あるいはただの興味本位だった。ずっと黙ったままというものは意外と苦痛だったりする。既に、2時間は経過していた。

「そう、ですね……」

 扈蝶は、どうすれば一番端的に伝わるだろうか、と考えているようだった。ややあって、慎重に言葉を選ぶように答えた。

「大体、20勝5敗くらいでしょうか」

「それは、雪久の?」

「いいえ、私のです」

 満面の笑みでそう答えるのに、彰は溜息を抑えきれなかった。慌てて扈蝶は弁解を入れた。

「ああでもっ、別に和馬さんが悪いってことじゃないですよ。レイチェル大人から『千里眼クレヤヴォヤンス』の使用を禁止されているわけですから。それに、連戦続きなので、その……」

「そりゃつまり、『千里眼』が無きゃまるで駄目ってことだろう」

「それは」

 扈蝶は、否定した方が良いのか、それとも同意すべきか。今一度考えているようだった。困惑がありありと目に映り、どうすれば一番無難だろうかと視線を泳がせている。

 その様子がおかしくて、つい吹き出してしまった。

「何で笑うんですか」

「いや失礼……でも気使わなくてもいいよ。別に分かっていたことだからさ、あいつの戦い方が無茶苦茶だってことぐらい。素人目でも分かる。今まで『千里眼』頼りだったからな、あいつ」

「完全な素人、とは思えませんけども」

 そう言った扈蝶の吐息が、白くなびいた。細身の体を丈の長いコートで包み、コートの下には都市迷彩を着込んでいる。腰から吊り提げたサーベルの護拳がちらちらと顔を覗かせていた。

「基礎は出来ている、と思いますよ。武術の基礎は、レイチェル大人に教わったのですよね。確か」

「そうだが、なぜそれを」

「私は長いですから、ここは。レイチェル大人と成海に来てから、もう6年経ちます。当然、レイチェル大人があなた達を食客として招きいれたことも聞き及んでいますよ」

「だが、会うのは初めてじゃないか?」

「顔を合わせるのは、そうですね。あなた方と接触する機会はなかったかもしれません。その頃は私、《南辺》にいましたから」

「南の拠点か」

 大組織ならでは、と思った。『OROCHI』、『STINGER』ほどのストリートギャングであれば、誰であろう嫌でも顔を合わせることになる。黒服や私服、また南にも拠点を構える『黄龍』とは違うのだ。自分達がどれほど矮小で、どれほど巨大な相手に立ち向かっているのか。

 それだけでも大変なのに、さらに機械を相手に、明らかに分が悪い中戦わなければならないのだ。

「そこは、あなたの仲間に潰されましたよ。お陰で、真田さんを引き入れるチャンスも失いましたから」

「そいつは悪いことをしたな」

 などと、彰は首をすくめた。

 潮の香りが、鼻をついた。港の埠頭にありがちな、こぼれた廃油と鉄錆の匂いが混じりあった独特の匂いだった。血の匂いにも似る。同時に、底冷えするような凍える空気が、耳と頬、首筋とを順番になで、襟元から肌に直接入り込んでくる。襟を押さえ、入り込む冷気を遮っても尚、肌寒さは全く改善されない。

 芯まで凍るとは、このことかもしれない。秋が深まるにつれて、寒さもまた一段と堪えるようになってきた。それでもまだ夜と、朝の二度、この寒さを体感すれば良いだけだからまだ助かる。これが冬になれば、どうなるのだろうか、などと考える。

「この土地は、まだそれほどの寒冷地ではありませんよ」

 扈蝶はすり合わせた手に息を吐きかけた。  

「成海はまだ暖かい方ですよ。例年の気候の変化はゆるやかで、最近では異常なほどに気温が高い」

「これで暖かいなんて言われちゃ、立つ瀬が無いなあ」

 そんな他愛もない会話でも全く気が紛れることはない。あともう少しで、3時間になろうとしている。

「……遅いな」

 暗い、波の音を響かせる以外には何一つとして変化のない、平野めいた海を見やる。墨汁か、オイルを流し込んだような色をしている。その海上に約束の船が現れるのを、もうずっと長い間待っているのだ。だが、なかなか来る気配はない。

「あなたも奇特な方ですね」

 扈蝶は、長時間寒空の下に立ちっぱなしだったとは思えない、震えることのないしっかりとした声音だった。

「何がだ」

「取引に同行したいなどと。同行などしたところで、あなたが取引に関わることなどできないのですよ? もちろん、私もそうですが」

「分かっているって、そのぐらい」

 寒さで唇や歯茎まで震えてきそうだったが、そこで声を震えさせては癪だったので、わざと低い声を出す。

「レイチェル個人のコネクションがものをいう、”シルクロード”の武器商とのやりとり。こういう取引にはレイチェルは必ず立ち会い、荷を検査する。それすらも、あいつは自分一人でやらなければならないってね」

「私だって、ただの付き添いに過ぎないですよ。護衛も、案内役も、全てレイチェル大人でこなしてしまう。私の出る幕なんてありませんから」 

 だから彰の出番などあり得ない、と。そう言い含んでいるようだったが、それは嫌味ではなく紛れも無い事実であるという口調だった。自分のことを付き添いと称したときの、少し寂しげな扈蝶の顔も、如実に語っていた。

「でも、そこまで分かっているなら、ますますあなたが関わりたがる意味を計りかねます」

「意味がないって言いたいのか?」

「出しゃばるようで申し訳ありません。しかし、あなたには他にやるべきことがあるのでは、と思いまして……」

 暗に、『STINGER』との確執を言っているのかもしれない。もしくはそれ以外の、雑務的なことを指すのか、いずれにしても扈蝶の口調には嫌味や皮肉の色は見えない。まさか、本気で心配しているというわけでもあるまいが。

「あるさ、やることなら」

 波の音が、かすかに変わる。やや荒っぽい、打ち返す波だった。凪いだ海が、少しだけ騒がしくなった気がした。

「ただ、やるべきことというのは、すぐに手をつければそれでいいかと言えばそうでもなくて。手順を踏まなければならないわけであってだな」

「その手順の一つが、これですか」

「気遣いはありがたいが、俺はこれでも考えている。余計な口出しは無用だよ、お嬢ちゃん」

「……たぶん、あなたとそう歳は変わらない筈ですが」

 扈蝶は、心底不本意そうに口を尖らせた。

 海は、いよいよ騒がしくなった。遠くから高速エンジンの騒音近づき、黒々とした平野の向こうに、白色電光が一つ灯るのを見る。徐々に近づくその明かりに、扈蝶は合図を送った。船上の誰かが手を振り返し、それが目的の船であることを示していた。

(いよいよ)

 考えてみれば、成海市に於いてアラブ系の商人を見る機会など今までなかった。白人、東洋系――だがアラブ系ともなると、そもそも特区に全くいないのではないかと思われるほど目にすることはない。大戦時に、イスラム圏の国家は中立を宣言した。それが故に戦後の特区分割にも関わることがなかった。そのことも影響しているのだろう。異人種が入り乱れるこの街にあっても、アラブは異邦の民以上の何者でもない。

 扈蝶の横顔が、少しこわばっているのに気づく。少女の柔らかい雰囲気は消え、刃めいた気を帯びていた。思いつめた、まるでこれから戦いに赴くという風情の。

 おもむろに扈蝶、端末を取り出した。耳にあてがい、短く発した。

「到着しました。これから誘導します」

 端末の向こう側に、レイチェルがいる。短くやり取りした後端末の電源を切ると、扈蝶はかかる船を見上げる。彰もまた、視線を向けた。

 濃い闇の中から、ようやく船の全貌が明らかになる。漁船にしては大型、おそらく客船を改造したであろうその船は、それでも遠距離の航行にも耐えうるように頑丈な作りになっていた。鋭角に延びた舳先、城塞めいた装甲に覆われた武骨な外壁が物語る。さながら小さな軍艦の様相を呈していた。黒く塗りたくられた、否が応にも重厚な気配を纏う船体は、よくよく目を凝らせば煤けた痕が見受けられる。そのまま戦火をくぐりぬけたというような、申し分無く威圧的な骨格を露にしていた。

「随分と仰々しいな。これで商船か?」

「“シルクロード”は、ただ航行すればいいというものではなく、海上の他の障害に耐えうるものでなければなりませんからね。この位は当然でしょう」

「障害とは?」

「海賊や監視船などです」

 船が停泊し、錨が下ろされた。タラップが降り、護衛らしき黒服とともに、恰幅の良い中年の男が歩いてくる。地上に降り立ったと同時に扈蝶に話しかけた。

 どうやら、アラビア語のようだ。早口でまくしたてる。

「何だって?」

「レイチェル大人がいない理由を聞いています」

 扈蝶はそう言うと、いきなり流暢なアラビア語で話し出した。男とやりとりし、どうやらレイチェルは別の場所にいるということを説明しているようだが、彰には全く理解出来ない事だ。そもそも成海で飛び交う言語といえば、北京語か広東語、そして英語と一握りの朝鮮語ぐらいのものだ。アラビア語の出る幕など無い。だから学ぶ必要もない、話す者もいない。

(それを、いとも簡単に……よくもまあ)

 扈蝶の語学力に感心している場合でもなさそうだった。扈蝶は一言二言交わすと、男に移動するように促した。倉庫群の一つ、既に遺棄されて久しいトタン板を鉄鋲で打ち付けた簡素な構造体、レイチェルが何故そんなところにいるのかを扈蝶は延々と説明しているようだった。ようやく、男は理解したようだった。護衛達にアラビア語とは違う言語で話し、黒服たちは短く頷いた。扈蝶が先導し、護衛を引き連れて男が後をついてゆく。

 倉庫に辿り付き、扈蝶が軋む扉を開けた。

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