第十三章:6
世話の焼ける――と呟いていた。ユジンは廊下を足早に駆けながら、玲南の部屋を目指す。
玲南が勝手に席を外し、後味の悪いミーティングを終えた後、彰から真っ先に言われたことは「玲南を説得してくれ」とのこと。韓留賢は俺が何とかする、でも玲南のことはさすがに俺が言うわけにはいかないからよろしく――去り際に、ねらいすましたように囁かれ、ユジンが引き受けるとも引き受けないとも答える前に押しつけ、仕方なくユジンは玲南の元を目指しているわけであるのだが……
(世話の焼ける)
彰の口振り、まるで玲南のことは全ておまえが面倒見ろと言わんばかりだった。最近、玲南と組む機会が多かったためか、玲南のことはユジンが見ることが当たり前とされている節がある。少なくとも、彰の中ではそういうことなっているらしい。だから、玲南のことを押しつけたのだ。
(本当、世話の焼ける……)
もちろん彰は彰で、するべきことがある。自分がイヤだから押しつけたのではなく、他に適任がいないという判断だったのだろう。実際、遊撃隊の連中を除けば、玲南とまともに話せる者はユジンぐらいのものだ。『OROCHI』のメンバーも、そしてレイチェルをはじめとした「黄龍」の連中にも適任はいない。
しかし、つい二月ほど前までは互いにいがみあっていた。殺し合いを演じているのだ。少し、行動を共にしたからといって、元々は敵同士。ユジンとしてはまだ完全に心を許せるわけなどないし、玲南の方も同じように考えているとは思えない。そんな自分に、果たして説得など。
そうは言っても、このままで良いわけがなかった。何だかんだと、玲南は主戦力である。その主戦力が、勝手に戦線離脱されては、全体の士気に影響する。何としても、引き留めなければならなかった。これはユジン個人の思惑など関係なしに、組織全体の益を考えればのことだ。どうあっても玲南の力は必要で、そのためには、どれほど気が滅入ることであってもやらなければならない。どんなにイヤでも、気が重くても……。
「ああ、もうっ」
どうにもならない苛立ちが、表に現れたのか。廊下をすれ違う皆が怪訝な顔でユジンを見送った。あるいはおびえたような顔、驚いたような顔、と。そんなに変な顔していないよ、などと心中で毒づき、三つ目の角を曲がったところで玲南の部屋の前に辿りつき、いるのかいないのかも確認せずに扉を開けた。
薄暗闇が迎えた。殺風景な、コンクリート壁で阻まれた四角い箱の隅に簡易ベッドが備え付けられてある。その上に寝そべっている玲南の姿を確認するに、自然と溜息が漏れた。
「ノックも無しかよ、ユジン。デリカシーの無い奴」
「あなたの口からデリカシーだなんて……」
軽い冗談のつもりだったのか、言われた当人はそれなりに傷ついたらしく、シーツを払いのけて半身を起こして睨みつけてきた。
「何の用だよ」
「分からない?」
ユジンが問うのに、玲南は舌打ちして起き上がった。しかし起きたところでどうするでもなく、ベッドに座りこんだ。座りこみ、視線だけユジンの方に向け、
「で? 連れ戻しに来たっての? あんたは」
「もう会議は終っちゃったから」
「じゃあ説教? 面倒くせえな」
「それも違うけどね。まあ、説教に聞こえるならそれでもいいわ。ちょとね、あなたと話がしたくて」
面倒なのはこっちだと、思わず本音が漏れそうになるのを堪えて、近くにあった椅子を引き寄せて座った。丁度、玲南に向かい合う形になる。
「何、改まって」
玲南が気味悪そうに顔をしかめた。心底迷惑であるという態度だが、かまわず続ける。
「さっきのこと、本気なの?」
「さっきのことってなんだよ」
「あんな風に抜ける、だなんて。本気で言ってるのかってことよ」
「抜けちゃあまずいことでもあるのかよ?」
「まずいことがあるから、こうして説得に来ているんじゃない。ねえ、考え直してくれない? 今あなたに抜けられると困るの」
「あの男がわびるなら考えてやってもいいけどね」
玲南、それが自分にとっての唯一の条件であるという、断固とした口調で言う。どうしても、玲南としては韓留賢の発言が許せないことらしい。
「私からも謝るから」
「あんたから言っても仕方ないだろ。あいつがちゃんと、自分の意志で謝らないと」
「ん、まあでも一応、身内の不都合ってことで」
「何それ。あんたは、誰かが不始末起こしたらいちいちそいつのケツ拭って歩いているわけ? あんたにそんなことされてもうれしくないけどさ、あたしは」
「あ、そういうつもりで言ったんじゃないんだけど」
「じゃあ黙っときな。あんたがどうこうすることじゃない」
そういって玲南は黙り、ベッドサイドテーブルにある合成煙草の、くしゃくしゃになった箱を取り出した。一本くわえて、箱をユジンの方に向け、
「やるか?」
「私は吸わないから」
「あ、そ」
玲南は箱を放り投げると、くわえた煙草に火をつけた。粗悪な煙草葉は、この街では絶対に採ることが出来ない糟培養を用いている。薬品と人工的に暖められた水槽でむりやりに成長させて、大量生産に成功した多国籍企業のヒット商品。安いが、味は格段に落ちるらしい。
「でも、玲南」
煙が充満してくるのに、ユジンはせき込みたいのを我慢して訊く。
「韓留賢は悪気があって言ったわけじゃないと思うの。彼、遠慮無しに口に出す癖があるけど。彼なりに考えているはず」
「何を考えているってんだよ」
「だから……ああいう言い方になったのも、もちろん金大人がどうにかなるなんて考えられないけど、万が一ってことがある。常に最悪の結果も考慮に入れなければ、って思えば。韓留賢の言うことだって」
「それがありえないって言ってんだよ。あんたに言っても分からないかもしれないけど、あいつの“万が一”なんてことは、“万が一”にもありえない」
「でも、物事には絶対なんてことは」
「そう思うか、ユジン」
玲南、火のついたままの煙草を投げ捨てた。コンクリートの壁にぶつかり、火花を散らす。
「世の中に絶対はないとしても、あたし達は絶対の信頼を寄せている。それが仲間ってもので、逆に言えばそのぐらい信頼を寄せられなければ仲間とは言えない」
玲南は、少しばかり疑念を抱いたというように、ユジンの顔をのぞき込む。
「あんたは違うの? 仲間を信頼していないの」
「そんなわけないじゃない。私も、仲間を信頼している……」
「なら、仲間があんな風に言われたら反発もしたくなるんじゃない? 違う?」
「でも、韓留賢はあくまで可能性の話として」
「可能性だろうが何だろうが。あいつとは、何だかんだで5年のつきあいなんだよ。金とは。高々数十日のつきあいで、うちの大将無能扱いされて黙ってられないよ」
別に韓留賢は、金を「無能」と断じたわけではない。が、玲南にしてみれば同じことであるらしい。自分たちの、踏み込んで欲しくない領域があって、そこに足を踏み入れない限りは協力するが一線を越えてしまえば容赦なく攻撃対象とする――だが、それならば果たして同盟の意味などあるのか。
踏み込まれたくない領域にも踏み込まず、互いに牽制し、相互不干渉を貫きながらの協調関係など、それぞれ別個の組織が別々の思惑で動くことと変わり無い。いったい、同盟とは互いに別々にやることを言うのだろうか? 何のために手を組むかといえば利害が一致しているから。しかし、それ以上に、敵が強大であればこそ互いに協力しなければならないという状況下にある。ならば、お互いにいやなところに踏み込まずに、ただ腫れ物にさわるように接することが同盟などと言えるのか――
「納得いかない、って面だな」
ユジンの思惑を察したのか、玲南が言った。
「あんたには分からないこともあるんだろうな。だいたいここの連中って、そういうところに淡泊だし。別にそれが悪いとは言わないけど」
いきなり矛先が向いた。ユジンが狼狽するのに、追い打ちをかけるように玲南が言う。
「あんたは、『千里眼』を信用しているようだけど。でもほかの連中はそうでもないみたい。九路彰、あいつが指揮を取った途端に気概が抜けるようじゃさ、本気で奴を信頼しているとは言い難いようだけど」
反論の言葉を探る間もなく、玲南が告げる。
「もう帰んなよ。あたしはとりあえず、あいつと組みたくはない。あとはクォン・ソンギと話を進めてよ」
「そうもいかないよ」
いちいち進まない話に業を煮やしていた。玲南自身、無理にでも話を終らせようとしていて、最初からこちらのことなど聞かないという意図を含んでいた。同盟の意味など考えようともせず、ただ一方的に文句だけ並べることが、玲南にとっての合議であるというのであれば。
こちらも、その法に則るまでだ。
「聞いて、玲南」
「話すことなんか無いって言ってんだろ」
「私はあるんだよ」
反動的に玲南の両肩を掴んだ。体を引き寄せて、玲南の顔を無理やり向けさせた。
「な、ユジン?」
驚く玲南の顔が、わずか30センチほどの距離にあった。なにかしら抗議の声を上げようと、玲南の口が動いたが、それより先にユジンが口を開いた。
「私達は、あなた達に必要ないの?」
我知らず、ユジンの視線は鋭さを帯びた。決して誤魔化しなど許されないという確固たる意思の元に刻まれる目だった。射竦められ、圧倒された玲南に、ユジンはさらに言葉を浴びせた。
「どうしても、協力できないというのならばいいわ。ここから去ればいい。あなた達だけでどうにかできると言うならば。でも、私達はあなた達が必要。あなた達がいなければ、『黄龍』を叩くことなどできない」
自分でも意図しない言葉が出てくるのに、驚いていた。かといって止めるわけでもなく、ただ己の情念が任せるままに口が動く。
「だから協力して欲しい、でも協力といってもただあなた達の言いなりになる訳じゃない。『黄龍』や機械を迎え撃つのに必要なことは全部やるし、そのために妥協はしないつもりよ」