第十三章:5
その日は、殆ど確認作業に終った。動けるものはどれほどいるか、傷ついたものはいつ動けるようになるのか、武装はどれほどあるのか。“シルク・ロード”から追加の兵装を仕入れ、そのための資金をどこからかき集めるか、そして肝心の兵はどこから動かすか――そんな確認の間にも、広間の者達は皆、聞いているのか聞いていないのか分からない、まさに上の空といった様子だった。身の入った話し合いなど出来るはずもなく、有耶無耶なままに打ち切られた。
「あれは、まずかったんじゃないか?」
全員、広間から立ち去った後、レイチェルが話しかける。彰はもはや自己嫌悪としか言いようのない気分だった。
「やめてくれよ、レイチェル。俺もギリギリまで悩んだんだが、あの情報はまだ言うべきじゃないかと思ったんだけど」
「いや、金のことじゃない。遅かれ早かれ露呈することだから、余計な期待を持たせるよりは、情報を伝えてしまった方が良い。問題は、その後だ」
その後、と言えば玲南のことしかない。韓留賢と玲南の衝突が、険悪な雰囲気を作り出し、まともな話し合いなど到底出来るはずもなく――
「動ける兵力でも、あの子と、さらに……韓留賢、だったか。彼らが諍いを起こすなどと。どう考えたって悪影響だ」
「やっぱり、そこに行くか」
ちなみに騒ぎの引き金となった韓留賢は、多少は自分の言い過ぎを認めているものの、玲南に詫びるつもりは無さそうだった。自分は間違っていない、その一点張りだ。
「あいつ、あんなに強情だとは思わなかった。いや、玲南はわかるけど、韓留賢が突っ張るとやっかいだな」
しかし、招いた結果を今更覆す訳にもいかない。とりあえずはユジンに、玲南を説得するようにと頼んだものの、うまく行くかどうか。
「だいぶ、困っているようだな」
嫌味ったらしい声に首を傾けて見れば、いつの間にか入り口を塞ぐように陣取ったクォン・ソンギの紺色パーカーが目に飛び込んでくる。相も変わらず、見事なほどの気配の無さだった。
「あんたに近づかれたら、俺の首なんてあっという間に飛んでしまうな」
「本当に飛ばしても良かったがな」
彰はちらりと、クォン・ソンギの手元を見た。弩と矢は持ち合わせて無く、そもそも首を取るつもりならとっくにやっている。
「あいつは昔から、俺たち仲間の言うことだって聞かない奴だ。あいつを制止できるのは金か、死んだソム・レイぐらいのもの。連の言うことも多少は聞くが、少なくとも俺の話なんて全く聞かなかった」
「だからなんだよ?」
「地雷踏んだってことだ。よりにもよって、金のことに触れたとなると、ヘソ曲げるのだって早い。まあ、実際……」
クォン・ソンギがちらりと見やるに、レイチェルの視線とかち合った。少し離れてクォン・ソンギを眺めるレイチェルの目は、自分からは動かないが相手の出方にはめざとく反応するという、そういう意志が込められているような気がする。クォン・ソンギもまた、その意志を敏感に察知し、牽制の意味も込めていたのだろう、じっとレイチェルの目を見つめる。
だがそれも長くは続かず、2、3秒睨み合ったのち、両者は目をそらした。
「こんなことを言えば金は怒るだろうが、遊撃隊としても、心情としては玲南寄りだ。苦楽をともにしない貴様等に、知った風な口など聞いて欲しくない。お前は、我らがお前たちの預かりだ、などと言ったが」
回りくどい婉曲表現を使っても、明らかに意図するところは一つしかなかった。ありありと、クォン・ソンギの態度に、現れている。
「それは、遊撃隊の総意か」
「直接聞いて回ったわけではないが、ほかの連中も同じだろう」
「ならば、協力はしない、ってことか?」
「そういうことではない」
てっきり肯定されるかと思っていたので、この答えには拍子抜けした。
「玲南のように、気に入らないから手を切る、ということはしない。契約でもあるから。いくら人質を預かっているとは言っても、な」
「そうか、そういえばあんたには聞きたいことがあったな。色々と」
クォン・ソンギは少しだけ、いぶかしむように目を細めた。
「その、人質がどうとか。どういうことか聞かせてもらおうか」
「ああ……その話か」
嘲るようにクォン・ソンギは、鼻を鳴らした。あまり感情を面に出さないのだと思っていたが、今日はやけに絡んでくる。
「そもそも、我らがこうしてお前たちと手を組んだのも……そのいきさつも、分からないか?」
「雪久が、舞をそちらに差し向けたってことだろう。それで、協力を取り付けたって」
「最初の勘定から、すでにあっていないな。あの場に来たのは二人、宮元舞と真田省吾だ」
どういう経緯なのか分からないが、しかし舞一人では夜の成海など歩けるはずもない。おおかた舞が、用心棒として省吾に同行を頼んだのだろう。
「それだけか? 間違っているのは」
「もう一つだ。そしてこれが、最大の勘違いだが、協力を取り付けたという点」
「違うってのか?」
「いや、半分はあっている。何にせよ、彼女の言葉で動かされたのだから。ただ、協力を取り付けたのではなく、彼女は乞うてきたんだ。我々との同盟を」
先ほどからまったく核心を突かない会話に、若干の苛立ちを感じていた。次に、クォン・ソンギがよけいなことをいったら爆発する。そんな気分を抱えながら訊く。
「同盟を乞うだとか、それとも無理強いしたのだとか。そんな手段はどうでもいい」
やや突っかかるような口調になってしまったが、そんなことに構っている余裕もなく、クォン・ソンギが口を開くよりも先に言った。
「俺は、人質っていう、その言葉が気になっているんだよ。同盟の手段なんて、そんなことは」
「分からないか、九路彰」
初めて、クォン・ソンギに名前を呼ばれた。そんな風に、思った。
「人質は、宮元舞。彼女は自らの身を捧げることで、同盟を乞うたのだよ」
クォン・ソンギはそう言うと、懐から合成煙草を取り出し、火をつけ、さして旨くもないニコチンを肺に摂取すると茶白色の煙を吐き出した。その吐き出した煙が霧散し、灰が燃えつき、地面に落ちるまでの間――時間にすれば、約30秒ほど思考した挙げ句。
「ん、えっと……何?」
理解が追いつかずそう訊くと、クォン・ソンギは心底あきれたという様子で言う。
「あの娘は、自らの身を差し出すことで、我々への協力を取り付けたんだ。我々もそれに賛同した」
「意味が分からないんだが」
少々どころではない目眩がしてくるのに、彰はこめかみを押さえて平静を装うが、果たしてクォン・ソンギの目はごまかせるはずもなく、
「その様子だと、本当に何も訊いていなかったのだな」
もしくは、その反応そのものがいけなかったのかもしれない。努めて平静に、とは思うものの、そう思えばこそ言外に発するということがある。実際、彰の挙動を見て、クォン・ソンギは呆れ顔になって言った。
「お前は、『千里眼』とは違う、と思ったがそうでもないな」
「何だよ、それ」
「わかりやすい。動揺を、それで隠しているつもりなのだろうけど」
そうやって、改めて指摘されると、なにやら惨めな気分になる。だがそんなことはどうでも良かった。クォン・ソンギに向けて、何かを言うことなく、彰はきびすを返した。
「どこへ行く」
「貴様に関係ない」
「あの娘のところか?」
ずばり、核心を突かれた。それほどまでに表情に出ていたということになる。その足で、舞のところに行って、怒鳴り込むという一連の行動まで、見透かされているようだった。
だからといって、止まるつもりはなく、
「だったら、どうなんだよ」
振り返ることなく、彰が言う。足をもう一歩、繰り出した、その時。
「そうなれば――」
不意に、肌を刺激する殺気を背中に受けた。全く予期しない、唐突な増長だった。圧しつけ、脅威を見せつけるという類ではなく、むしろ巧妙に隠したがそれでもにじみ出てしまう、そんな威圧感だった。主張するものではないが、そこから動けばそれこそ、俺の首なんかすぐに落とされる――そう予感させるに、足る。
「まあ聞け、九路彰」
一瞬で足を竦めさせた、尋常ではない殺気が、これまた一瞬で消え去った。振り返れば、いつもと変わらないクォン・ソンギの鉄面皮がそこにあった。
「お前としては、あの娘の勝手な行動が許せないのだろう。しかし俺たちは、あの娘のそういう行動にこそ、価値があると思っている」
「行動、とは」
やっと絞り出した声は、かすれて弱々しいものだったが、だからといって情けなく思うことはない。それより、ちゃんと声が発することが出来ることが、ほとんど奇跡に近いとすら思った。
「正直、驚いた。護衛をつけていたとはいえ、あんなところに娘っ子が乗り込むなんて。誰も思いもしない、だが」
ちらりと、クォン・ソンギの背後に、視線を巡らせる。レイチェルが、拳を握っていた。尋常でない殺気は、レイチェルも感じ取って――否、レイチェルはきっと彰よりも数倍早く、その兆候を察知したはずだった。レイチェルの左手には菱形の標が握られており、クォン・ソンギが動けばそれを投げ打つつもりだったのだろう。
クォン・ソンギは続ける。
「だが、あそこに乗り込み、同盟を乞い、その代償として自ら人質を買って出る……その点、お前よりは評価されるべきだと思うがな、俺は」
「何だよ、それ」
「まだ分からないか」
そうして、クォン・ソンギは全てを諦めたという口振りで言う。
「俺たちは、あの娘だから従ったんだ。自ら、危険を省みずに飛び込んできたあの娘だから。後ろでただ命令しているだけの奴に、何で命を預けられる?」
「え、あの、それは……」
思いがけず矛先が、どうやら自分の方に向けられたらしい。一瞬間を空けて、そのことに気がつく。どう返事をすればいいのか、返事をしかねていると、クォン・ソンギはさらに続ける。
「金は、後ろにいる奴も同じだと、言う。だが俺は、どちらかと言えば玲南と同意見だ。自ら戦火の前に立ち、敵に向かう度胸もない者に従うなど、到底我慢できることではないのだよ」
痛烈な非難だった。皮肉や隠喩でぼかそうともしない、はっきりと彰を糾弾する物言いだ。直接に、胸の内をえぐられる。そんな気分に、なる。
「それが、お前たちの不満か」
どうにも危うい気分だった。自分のしていたことが、すべて否定された心地だった。それほどに、クォン・ソンギの言葉は棘を含んでいる。
「不満、というわけでもないが、まあそんなところだ」
これ以上の議論を尽くす意味はないというように、打ち切った。そこから先は自分で考えろと言わんばかりだった。
「遊撃隊は、しばらく休養を取らせる」
異論を差し挟む余地のない、断固とした口調だった。
「負傷者もいるからな。そう、何度も出動かけられては」
「あ、ああ……分かったよ」
しばらく、クォン・ソンギの遠ざかる背中を見送る。クォン・ソンギの後ろ姿は見えなくなったときに、レイチェルが声を掛ける。
「彰、お前も暫く休んだ方がいい」
「いや、俺は――」
「無理をするな」
木綿のハンカチが、差し出された。
「そんな状態では」
気づけば、額にびっしりと、脂汗をかいている。