第十三章:3
召集をかけてから1時間が経っていた。最初に『OROCHI』が、その次に『黄龍』が、最後に『STINGER』の遊撃隊が、ぽつりぽつりと集まってくる。一人、二人、集まったはいいが文句をぶつくさいいながら、壁に寄りかかり、座り込み、まるで彰の存在を最初から無視しているようだ。
(この足並みの悪さ……)
彰は何本目になるかわからない煙草に火をつけた。灰皿は吸い殻でいっぱいになっている。普段から吸いすぎないようにしているが、今だけは抑えられる気がしなかった。
じっとしていられないぐらい焦りが募る――広間中を歩き回りたい気分だった。苛立ちよりも圧倒的に焦燥が勝った。ここにきて、未だに統率がとれないことへの焦りだった。
見渡した限り、各々の表情に不満がにじみ出ている。何しろ、帰ってきてからまだ12時間程度しか経っていない。遊撃隊など特に、露骨に不満げであった。散々こきつかわれて、人も装備も投入させられて、なぜそこまでしてやらなければならない、元は敵なのに――全員が全員、そういう顔をしている。剣呑な空気に包まれていた。その不満が伝染したのか、他の人間もまた不満を洩らしている。
(雪久がいれば、変わったかな)
彰は力で押さえつけるタイプではないことは自覚していた。もともと『OROCHI』とてまとまりがあったわけではないが、それがどうにかやってこれたのは雪久の存在が大きかった。忠義や大儀、そんなものを持たない組織は、力で押さえつけ、縛り付けるより他ない。どんなに理想を吐いても、それ以外にはないのだ。雪久、レイチェル、または『鉄腕』のビリー・R・レインのように、力と恐怖。それこそがほとんど唯一の方法。それでもほころびは生じるのだ、ヒューイのように。ほんの少しバランスを崩しただけで、
(脆いものだ)
だから雪久を失えば、一気に崩れる。雪久が敗れ、隊をまとめる人間もいなくなったというのに、他の隊もまとめなければならない。だが、力のない自分に、どれほどのことができると言うのか。
(既に、ほころびは生じているな……)
煙草を投げ捨てた。足下で火花と灰がぱっと舞う。もう一本取りだそうとするが、今捨てたものが最後だったことに気づく。
空箱を握りしめた。
ようやく、全員が集まった。果たして倦怠感が拭えない、生気を失った顔がずらりと並ぶ。早く終らせて欲しいという気だるさが、ありありと浮かんでいた。
「傷も癒えないまま、また新たな作戦か」
最初にクォン・ソンギが発した。遊撃隊の不満を代弁するかのような、棘のある声音だった。
「今度は何だ? あの傷の男でも助け出すのか? 金大人からはなるべくお前たちの言うことは聞くようにと言われているが、それも限度がある。我らは仲間を失ってまで、お前たちの仲間を助け出す義務などないと思うがな」
まるで氷点下にでもいるような心地にさせる。無表情で話すクォン・ソンギは、それでも声音で圧しつけるような凄みがあった。返答次第では刺されるのでは、というような、ほとんど恐怖に近い緊張感を抱いた。
「間合いを取れて、機動力に優れ、そして今のところ一番損害が少ない。故に、あんたらに頼むしかないんだよ」
「ヒューイを討つ、という目的で同盟を組んだのだが?」
「それでも、今はうちの預かりだ」
玲南に言ったことをそのまま伝えた。相手によって態度を変えるようでは、頭たる資格はない。
「預かりとはな。お前たちの傘下に下った覚えはない」
「そういう契約だろう」
「人質をとられているのにか」
「何だよ、人質って」
彰が訊くのに、クォン・ソンギは怪訝そうに眉をしかめた。
「お前がそうさせたんじゃないのか? なぜお前が知らない」
「だから何だよ、人質って」
「本当になにも知らないというのか」
呆れたような声を発した。心なしかクォン・ソンギ以外の遊撃隊の人間も意外そうな顔をしていた。
「何だよ、いったい。詳しく聞かせ――」
彰が口にしかけたとき、いきなり視界に刀の柄が飛び込んできた。韓留賢が話の流れを切るように、割り込んだのだ。
「……その話は、後で」
その先を話すことを良しとしないという、毅然とした口調だった。彰にも、クォン・ソンギにも、喋らせる気はないというように。
クォン・ソンギは肩をすくめた。
「まあいいだろう。今話すようなことでもない。さっさとお前たちの用件を済ませてもらおうか」
「もちろん、そのつもりだ。そうだろう? 彰」
韓留賢、刀を下げた。先に進めろというように、促すような視線を寄越す。彰にはまだ聞きたいことがあったのだが、確かにこれ以上時間を取るわけには行かない。
咳払いをした。
「用件というのは他でもない。機械のことだ」
全体に緊張が走るのが分かった。仲間を失い、自らも傷付き、散々に痛みを刻みつけられた――孔翔虎と孔飛慈。中にはその名を耳にするのも嫌だという者もいるだろう。が、構わず続ける。
「先般、ユジンが襲撃を受けたのは知っての通り。何とか退けたものの、それは幸運が重なっただけだ。その幸運というのが」
「灰色の女」
再前列のユジンがぽつりとつぶやいた。
「今のところ、敵ではない、と思う。けど味方にもならないわ。自分でそう言っていたし」
「その女って、どんなんです?」
恐る恐るといったように、リーシェンが訊いた。もともと血色の良い方ではないが、今はそれ以上に顔色が悪い。体調どうこうよりも、今の剣呑とした空気に耐えられないというような風情だった。
「年齢は、おそらく30代」
唐突に連の声が、背後で上がった。いつの間にか彰の後ろに、小柄なパーカー姿が控えている。忍びなどと呼ばれるだけはある、と妙に感心してしまった。
「背は160センチ、体格は東洋人。物腰からして、素人ではありません。武器は万力鎖ですが、術理はおそらく柔術や合気系。方向性としては、真田さんに似ています」
「真田省吾の関係者、って言ったそうだからな。今の所敵ではなさそうだが……」
視線に気づいて、目を向けた先。レイチェルは後ろの方で壁に寄りかかって、腕を組んでいるのが見えた。
「何かあるか、レイチェル」
全員の目がレイチェルに向いた。玲南が露骨に嫌な顔をして、ユジンは軽く会釈をする。遊撃隊のものは皆、一様に凍えるような眼差しをフードの奥からちらつかせている。
「続けな」
自分の存在など、無視しろと言わんばかりの素っ気ない態度だった。レイチェルはそのことに、灰色の女のことについての一切のことに触れるなかれと――暗に、警告を発するかのように、低く、うなり声を上げる。
話すときではない。
レイチェルがいった言葉を思い出していた。何かを知っているにも関わらず、堅く口を閉ざす意味を考えた。話すときではない、だが時期が来れば話す――だが、今話さない意味などどこにあるのか。
レイチェルが刺すような視線をくれる。まるでこれから立ち会うかのような、ピリピリとした空気感があった。それ以上しゃべるな、私に振るな。口に出すことを禁じ、それが成されない場合いかなる手段にも訴え出る。そういう視線だった。
(卑怯だよなあ……)
そんな風に構えられたら、彰は引かざるを得ない。抵抗する術など、ないのだから。
「彰……」
ユジンが呼びかけるのに、我に返る。皆の訝しげな目線に気づく。
「あの女は」
と前置き、
「真田省吾と何らかのつながりがある、と思われる」
「何でまた」
もうすっかりやる気のないという風に、黄が言った。ここのところ出動もないからずっと腐っている――リーシェンから聞いたことだ。彰に対する不満であるわけでなく、暴れたくて仕方ないのに暴れられない、結果ストレスが溜まる。単純な理由だ。
「その女が言ったんだよ。自分で」
「敵か味方か分からん奴のこと、まじめに聞くんか?」
「唯一の情報がそれだからな。それがどういうつながりなのか、分からないけども」
黄は、得心がいかないという顔をしている。
「だっから、あれだよ。あの傷の女なんじゃねーの?」
緊張感も何もあったものじゃない、玲南の声が割り込んだ。
「まあ一人ぃ、認めたくない人がいるみたいだけどさー」
「ちょっと、玲南は黙ってて」
茶化すような玲南を諌めた。あまり空気を乱すようなことは、して欲しくない。玲南が不満そうに睨んでくるのを無視した。
「で、その女が言うには真田のダンナ、生きているんだって?」
黄が言うのに、首肯する。
「確定情報ではないし、黄が言うように信頼できる情報かどうかも分からないけどもね」
「じゃあ、とっととダンナと合流しちまおうぜ。そうすりゃ、機械もヤれるだろ」
「そうも、いかないさ」
「何で」
「一度敗れている」
沈黙が降りた。皆が皆、孔翔虎と孔飛慈に痛めつけられ、仲間を失い、追いつめられた経験を持つ。たとえ省吾が合流したところで――その先に見いだす答えは、皆同じだった。
気まずい空気が包む中で、クォン・ソンギが出し抜けに言った。
「そう、絶望することもない。手は打ってある」
立ち上がり、皆の方に向き合った。射手から、ライフルほどの弩を受け取り、掲げてみせる。
「あ、それ……」
ユジンが食い入るように、それを見つめた。遊撃隊が普段持ち歩くものとは違う、大型のものだ。なにより、その先端に納まる矢が、普通のものとは異なる。
巨大なノミをそのまま矢にした、そういう外観だ。三角錐の無骨なフォルムは、それだけで鋭利な刺突武器となりうる。矢というよりも、刃。長さ一尺ほどの、大型のものとなっている。その矢を打ち出す弩もまた、堅牢にして長大な、狙撃銃を思わせるものだった。
「特殊な兵装を貫くための弩だ。携行性が悪いからゲリラ戦ではほとんど使わないが、威力はある」
「そんなの、あったんだ……」
ユジンが食い入るように、ノミの刃めいた矢を見つめた。彼女にとって、文字通り生死を分けたものだ。
「しかし、これは特殊なものだから数は限られている。しかも矢が重い分、距離を稼げない」
「この間、ビルの上から射たのはそういうことさね」
と玲南が言った。
「もっともこいつは特殊だから、そう数撃てるわけじゃない。ないのだが、まあ使えるものは全部使うべきだ。あの連中と構えるならば」
クォン・ソンギが弩の撃鉄を解除し、装填された矢を一本ずつ外す。手慣れたものだが、それでも普段使っているハンドガンタイプの弩よりは、扱いに苦労している感じがする。矢を持ち、撃鉄を繰り、そんな操作の一つ一つが、心なしかもたついていた。
「あと、奴らを迎え撃つにはなにが必要か……」
彰が言うのに、皆が怪訝そうな表情をつくった。
「迎え撃つ、ってなに? 奴らには近づかないんじゃなかったのか?」
と黄が訊く。
「あの連中相手にするには、援軍が必要だっつって……」
「そいつはあてにならなくなった」
「何でまた」
「それは」
言うべきか否か、一瞬迷った。戦意喪失に繋がるか、あるいはそのまま人心が離れる事にならないか――。
だが。秘匿すれば、それはそれで信用を失う。何より、情報は共有しなければならない。都合の悪い情報であれば尚更、隠せばより悪い方向に転がる。悪い情報は、早急に対処しなければならない。
やがて、彰は口を開いた。
「金から連絡が途絶えた」