第十三章:2
鋭い打ち込みが襲いかかった。瞬間的に雪久は体をのけぞらせ、飛びすさび、かわす。扈蝶、逃さず、薙払った木刀を突きの軌道に変化させた。
刺突。紙一重で雪久は半身に開き、剣先をはずした。懐に入り込み、扈蝶の横面に打ち込んだ。扈蝶、左右の木刀で受け、左の剣で撫で切る。雪久が飛び、かわすのに、剣が大きく空振りした。すかさず扈蝶が切る、右の刀。雪久の首に伸びるが、到達するより先に雪久、斬撃を弾き落とした。
雪久の手にあるのは、トンファーバトンだ。特殊な材料と形状に作られた、元々は沖縄の古武器である。突き、払い、薙ぎ、更に防御にも適した形。攻防一体の武器である。刃も通さないカーボン素材を使用しており、その素材故に軽く扱いやすくなっている。
扈蝶、後退。右の刀を突き出し、左の刀を頭上に掲げた。低い姿勢で、雪久の周りを回る。雪久は左右のトンファーをだらりと下げ、目のみで扈蝶の動きを追った。
扈蝶が動いた。一気に間合いを詰め、左の刀で薙払う。右のトンファーで受け、刀身にトンファーを滑り込ませる。扈蝶の懐に入り込んだ。
扈蝶が右で切りかかる。雪久は難なく受け、受けたまま膝蹴りを合わせた。扈蝶が体を折り、たたらを踏んだところ、更に廻し蹴りを打った。
蹴りが空を切った。扈蝶の姿が、目の前から消えていたのだ。否、消えたのではなく、扈蝶は身を沈めて蹴りをやり過ごしていたと、知る。あわてて蹴り足を戻すが、間に合わず。扈蝶が打ち込んだ斬撃に軸足を払われた。バランスを崩し、天地が逆転した。倒れ、地に伏し、仰向けになったところ、二刀が走った。飛び起き、刀を避けた。距離をとり、扈蝶の追撃を振り切った。剣の及ばないところまで退き、構えを取る。
しばらくにらみ合う。どちらが先に仕掛けるか、読み合っている――その様子を、レイチェルは見ていた。
「調子が悪いのかねぇ……」
独り言のつもりだったが、隣にいた鉄鬼が律儀にも応えた。
「あんなものでしょう。私には、奴が劇的に変わったようには見えません」
「そう言うな。結構変わった方だよ、あれでも。それにあんた、あいつが戦っているのそんなに見ていないだろう」
「二年前、あなたの元にいたときも、どうも好かない奴だと思っていました。確かに、奴が戦うところをあまり見たことないですが、しかし見たいと思うことはなかった」
「はっきり言うね」
「もっとも」
鉄鬼は忌々しげに左腕をさすった。
「戦えない私が、なにも言う資格はありますまいが」
右腕は何とか動かせる程度である。孔翔虎に破壊された両腕は、思った以上に損が激しかった。左腕は粉砕骨折しており、治っても前のようには動かせない――そのことを聞かされたのは、つい12時間前ほどのことだ。
「これでは、あなたの補佐どころか足手まといになってしまう」
自分の腕のことよりも、レイチェルの助けにはなれないことがなによりの苦痛である、という顔をしていた。
「その怪我のおかげで私は生きているのだよ、鉄鬼。お前がいなければ、今頃は土の下。充分すぎる働きだよ。犠牲も大きかったが」
言うと、鉄鬼は恭しく頭を垂れた。忠義を尽くす、そのことがまるで空気のように振る舞うこの男は、『黄龍』には少ない部類といえた。ヒューイ・ブラッド始め、忠義を尽くすという概念などない連中ばかりだ。ギャングそのものが、義や仁とはほど遠い存在なのだ。雇用とパワーバランスの上に成り立っている以上、誰かが力を持てば簡単に頭はすげ変わる。レイチェル自身も分かりきっていたことであるし、ヒューイが間違っているわけではない――そう思えばこそ、この男の忠義は、こそばゆいほどに有り難い。
「苦労をかける。お前にも、扈蝶も、皆にも」
ひとりごちて、見据える先。扈蝶放つ二刀の斬撃が、雪久を捉えた。左の刀が首を、右の刀が胴を、それぞれ斬った。勝負があった、かに見えた。
ヒュン。音がした。空を確かに切り刻んだ、鋭さを帯びた風切り音だ。肉を砕いた音ではない。空振りしたのだ。
雪久の姿は、上空にあった。斬られる瞬間に飛び上がったのだ。驚く扈蝶の頭上を飛び越え、背面に降り立った。扈蝶、すぐに振り返って斬るが、それより早く雪久のトンファーが走った。両のトンファーがくるりと旋回して、扈蝶の小手を打ち、木刀を叩き落とす。武器を失った扈蝶の喉元にトンファーが突きつけられた。決着である。
「どうよ!」
喜喜として雪久は拳を突き上げ、勝利を誇示する。同時にレイチェルに見せつけて、ざまあ見ろとでも言わんばかりに吠えた。
が、レイチェルはゆるゆると首を振った。
「まだ、だめだ」
「はぁ? 何でよ。ちゃんと勝ったじゃん」
「だめだな。お前、その前に足を斬られているだろう」
「はぁ、いいじゃんか。細っけえことをよ……」
「細かくない。あれが真剣ならどうだったか、考えろ。あと、勝ったからといって気を抜くな。戦場だったら、他の者に殺されるぞ」
もう一度だ、と告げるのに、雪久は大げさに首を振って見せた。わざとらしいため息をついて。
「ったく、うるせえよな、姉御は」
などと文句をいいながらも、また構えを取った。扈蝶はすでに木刀を構えている。始めの合図を告げると同時に、雪久が飛び込んだ。扈蝶は冷静に雪久の攻撃を見切り、かわすと、左の木刀で胴を斬った。今度は確実に捉え、鈍く骨がきしむ衝動が響いた。うっとうめいて雪久は体を折り、膝をついた。
「不用意に飛び込むな、馬鹿」
「うるせえ」
雪久は反吐とともに悪態をついた。それでも、と前を見据え、立ち上がり、再び扈蝶に対した。何度でも立ち上がる気でいる。それどころか自分が倒れることが許せないという、目をしていた。悪態はレイチェルに対してではなく、不甲斐ない自分を叱りつけている。そのように見えた。
「しゃぁああっ!」
気勢を発して、雪久が飛び込んだ。扈蝶の木刀が二連、繰り出されるのに、弾き、捌きつつ、飛び込む。木刀とトンファーが交差して、鉄が鳴るように甲高い音を奏でた。
「しかし、なぜまた」
鉄鬼は二人の打ち合いを眺めながら言った。
「あいつを、鍛えようと? いくら鍛えても、そんな短期間で変わるとは思えません。まして、機械を相手にするまでになれるとは」
「機械を倒すために、鍛えているわけじゃないよ」
よほどレイチェルの言葉に衝撃を受けたのか、鉄鬼は目を見開いた。
「どういうことですか」
「あの機械どもに勝てるまでにはなれないだろう、少なくとも今すぐには。だがこれから先、あいつが生きていくには必要なことだ。少しでも鍛えて、下地を作っておく。それがあいつの為なんだ」
「ですが、孔翔虎と孔飛慈は……」
「私が倒す」
はっきりとそう告げた。雪久は一心不乱に打ち合っている。ややあってから、再び口を開いた。
「もともと、私たちが撒いた種だ。私らが始末するのが筋というものだろう」
「それは、そうでしょうけど」
「それに、あの二人組。もし奴らの出自が……私が思っている通りのところならば」
どん、と床を踏み抜くような思い衝撃が貫いた。雪久が踏み込み、突く。
扈蝶の体が宙を舞った。空で回転し、降り立つとともに斬る。二刀が連続して切り閃いた。身を捻りながら繰り出す斬撃は舞踊のようである。だが雪久は退かず、トンファーを交差して飛び込んだ。再びかち合い、乾いた衝撃を響かせる。
「……おそらくはあの二人とぶつかることは、もっと大きな相手を敵に回すことになる。そうなれば、もはやこの街の問題では留まらない」
「では、やはり東の――」
鉄鬼が口を開きかけるのに、レイチェルは肩をすくめた。
「まだ分からない、けど連中が動くより先に、ヒューイの息の根を止める……そしてあの二人の出自を洗い出す。だがもしもの時のことを考えれば、雪久を行かせるわけにはいかないんだ」
雪久の蹴りが扈蝶の横面を捉えた。扈蝶の体がくずおれたところ、雪久が扈蝶の首にトンファーを当て、地面に組み伏す。果たして扈蝶は、地面を軽く叩いて降参の意を伝えた。
「どうだよ、レイチェル」
雪久が立ち上がって、レイチェルを見た。判断を仰ぐような目だ。今度はレイチェル、うなずいた。
「いいだろう。では」
レイチェルは棒をつかんで立ち上がった。雪久の方まで歩み寄り、雪久が構えをとったのを確認すると、ゆるりと棒を中段の位置で構える。
雪久が背を丸めた。頭を低くして、飛び込む体勢を作った。レイチェルは棒の先端を下げ、誘いを作る。
雪久が踏み込んだ。
レイチェルが突く。先端がまっすぐ雪久の水月に伸びた。雪久、左のトンファーを槍にかぶせるように、突き出す。棒にトンファーが接触し、さらにトンファーを滑らせ、棒を押さえつけた。槍の間合いをつぶし、雪久は懐に踏み込んだ。
右のトンファーを水平に打ちつける――それより先、レイチェルの掌が雪久の顎を捉えた。
会心の一撃だった。レイチェルが突き上げた掌が雪久の頭を跳ね上げた。一瞬、雪久の体が浮き上がり、地に落ちた。
「まだだ」
すぐさま雪久は起きあがった。トンファーを交差して、飛び込んだ。
槍が、空間を撫でた。雪久の横面を打った。雪久の頭がはじかれたかと思うと、その場で膝からくずおれた。気力の糸が切れた、そんな倒れ方だった。
「っと、やりすぎたか」
雪久は地面に倒れたまま動かない。意識を、失っていた。それでもトンファーを離さない辺り、執念のようなものを感じる。
「こんなものかな。まあ、良くもった方だ」
棒を置いた。少し、息が乱れていた。大した運動量でもなかったが、それほど衰えたということか。あるいは、雪久の気迫に気圧されたのだろうか。
「いいよ、扈蝶。ちょっと休もう」
起き上がった扈蝶に声をかけた。憔悴しきった表情を浮かべている。
「だいぶ腕を上げたな、扈蝶」
「いえ……」
答えるのも億劫と言うように、一言だけ扈蝶は発した。神経を削るのは雪久だけではない。相手をしていた扈蝶も、かなりの労力を必要とするのだ。
本気で打ち込み、本気で攻める。
そうでないと意味がない。
「もし、ヒューイを討ち、機械どもを始末するならば」
思い詰めたような表情で鉄鬼が言った。次にくる言葉を当然実行する、何をも失っても。そういった覚悟と悲壮感を含んでいた。
「死ぬぞ、確実に」
「どのみち、この命は預けております」
そう真顔で言ってくる。やたらおかしくなって、声を上げてわらった。
「変わった男だ。今時、そんなことを」
「何かおかしいでしょうか」
「いや、おまえらしいなって思って」
丁度その時、レイチェルの端末が振動した。明滅する液晶画面に中文の簡易字体が並んでいる。差出人は彰だった。
「召集だと」
短く言って、レイチェルは端末を閉じた。鉄鬼が立ち上がる。
「しばらくお前には迷惑、かけるかもな」
「かまいませんよ。そのために、私がいるのですから」
至極当然といった受け答え。今のレイチェルには、十分すぎるほどの忠義を感じる。
「すまんな」
聞こえないほどの声でつぶやいた。