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監獄街  作者: 俊衛門
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第十二章:10

「とりあえず、今日のところは」

 彰が切り出したのは、雪久が3回目のダウンを喫したときだった。レイチェルはさすがに疲れていたのか、振り向くことなく手を挙げて応じる。さっさと行け、とばかりに手を振った。

「よお、彰よ」

 代わりに声を発したのは黄だった。やはり、疲労の色を抱えている。

「俺の代わり、寄越してくれんか」

「代わり? 他には……」

 黄の部隊は待機中となっている。他に使えそうな人員といえば、リーシェンかあるいは他の2番隊の者しかいない。

 レイチェルの2番隊は最後まで温存したい、と彰は考えていた。主力となる1番隊と3番隊が壊滅状態である以上、2番隊を中心にするべきという声を抑えての決定だ。切り札は最後まで取っておきたい。

「すまないが、そっちの方は何とか回してもらいたいな。俺も何とかしてやりたいけど」

「ああ、そう。まあ期待はしてねえよ。考えてみりゃ、お前一人に押しつけるのも酷ってもんだ」

「悪いな。何とか当たってみるけど」

 黄は水筒の蓋を開け、茶を注ぎ入れるが、水滴が垂れただけだった。

「あー、無くなった」

 残念そうに、最後の一滴を舐めた。

「すぐに持ってこさせよう」

「ああ、大丈夫。こっちの方は直に補充が来るはず」

 どういうことだ、と問うよりも先に。

「彰?」

 戸口から明らかに場違いな声が響いた。遠慮がちに発したような控えめな、女の声。振り向くと、困惑したような眉根を寄せた表情の舞が立っているのを目にする。

「舞、か。どうしたの、こんなところで」

「差し入れを、持ってきたの。これを」

 舞が持っているのは、ステンレスの水筒と笹の包みだ。なるほど、黄が自分で握り飯など用意するはずがない。

「舞が作っていたのか。ずっと」

「これぐらいしか、役に立てないから」

 そういって黄に差し出した。なぜか黄の目がにわかに輝きだした。

「おお、来た来た」

 黄は嬉々として水筒を取り、蓋に茶をそそぎ入れた。煎れたばかりなのだろう、ふくよかな香りが湯気とともに立ち上る。黄は息を吹きかけながら、注意深く口に含んだ。

「こんなこと、お前がすることはないのに」

 と彰がいうのに、

「まあいいじゃねえか、彰」

 黄はすでに笹の包みをあけて、握り飯にかぶりつくところだった。

「うん、うまい。ただの乾燥米と塩とも、作り手の腕がいいとここまでうまくできるもんか。天才だぜ、嬢ちゃん」

 舞は恥ずかしそうに目を伏せた。ほめられることには慣れていないのだ、この娘は。

「調子のいいことを。やるんなら、遊び半分だと困るんだけど?」

「まあ、そう気ぃ張るなって。最近、どうもギスギスしていけねえ。息が詰まるぜ、なあ? あんたもそう思うだろ」

 黄は舞に話しかけると同時に、さりげなく舞の肩に手を置いた。親しげに、何の隔たりもないといった風に。まるで旧知の仲であるかのように振る舞う。それを見て少しだけ、胸の奥がざわつくような感覚があった。

「用事が済んだのならいくぞ、舞」

 無理矢理舞の手を引き、黄から引きはがした。

「ああ、もう行くんか? んじゃあ、今度は酒もってきてくれよ、酒。嬢ちゃんのセンスで選んでさ」

「馬鹿野郎」

 わけもなく苛立っている自分がいた。黄の軽口に対しても、その黄に曖昧な微笑で応える舞に対しても、だ。根拠のないもの、どうしてそんなわだかまりを抱くのか。

「ちゃんと見ておけ」

 それだけ言って、廃墟を後にした。

 地下に降りるまでの間、一言も交わさなかった。彰は舞の手を引き、舞は黙ってついてゆく。舞はやや引っ張られる形だったが、彰は歩く速度をゆるめようとしなかった。

「お前さ」

 錆びた線路――補給路――にさしかかったとき、ようやく彰は口を開いた。

「自覚あるの?」

「え、っと……」

 戸惑うように、舞が応える。

「あっちは。敵はお前が雪久にとってのアキレス腱だって見抜いているんだ。だから、誘拐されたってこと」

「それは、分かっています、けど」

「分かってないよね? 絶対」

 口ごもる舞に、彰は強い調子で問いつめた。

「分かってないから、地上に行ったりするんだよね? 俺らがどんなに言っても、そうやってフラフラとよけいなことに首を突っ込むんだ?」

「どういう意味ですか。私がまるでトラブルを招いているみたいに」

「そうだろう、実際。何で頼まれもしないのにあんなことを? 外が危険だって、分かってないだろうが」

「でも、あんなところで、雪久にずっと付きっきりだなんて。体を壊しちゃいけないと思って」

「それが、余計なことだって言うんだ。そんなことはどうにでもなること。お前がどうこうすることなんかない。もし、敵が来たら? あの二人はアジトで稽古することが周りにとって悪影響だから、あそこにいるんだ。手伝い感覚でおいそれと顔出していい状況じゃないだろう、今は」

「でも」

 舞は何も言い返せないようだった。顔を伏せている。少し言い過ぎただろうか。

「まあ、何かしたいって気持ちはありがたいんだけどさ。それに、アジトに居づらいんだろうし。ユジンと一緒にいるのはイヤだってのは分かるけど――」

 口に出してからしまったと思った。途端、舞の俯いた表情にかげりが見えた。舞にとっても、触れて欲しい問題ではなかったはず……無神経に、他人が口を出していいことではなかったのに。

「や、その。すまない」

 型どおりの謝罪を述べたところで、口に出したことが取り消されるわけでもない。完全な、失言だった。 

(しくじったか)

 次にどう声をかけるべきか迷っていた。

「彰は」

 先に発したのは舞の方だった。

「どっちが大事なんですか?」

「は、どっちって」

「雪久もそう。レイチェル大人や私を気にして、今いる仲間に対してはどう思っているのかなって。あなたたちに必要なのは今いる仲間でしょう? どうして私なんかに」

「なんか、ってそういう言い方」

「でも、そういうものじゃないの? どうしても、彰も雪久も過去のことに執心しているように見えてしまう」

「それは、そんなことは」

 不意に、言葉に詰まった。舞の小刻みに震える肩を眺めて、言いしれぬ不安を感じた。

「感謝しています。雪久と彰がいなければ、今まで拾えた命ではなかったって思っています。でも、一番である必要なんかありません。彰には今すべきことがあって、雪久にもすべきことがある。それは決して私を中心に据えることじゃないはずなのに、どうしても今の仲間をおろそかにしているように見える。だから……」

 もしかしたら舞は負担に感じているのだろうか、という確信めいたもの。雪久の傍にいること、雪久が舞のためにしていることが、舞にとっては重荷であると――当然予想しうることだった。

 だがそれこそが盲点だった。

「別に、おろそかにはしていない」

 宮元梁から舞を託されたということに、そればかりに気を取られていたのではないか。どうして舞がユジンととうまく行かないか。その理をユジンにばかり求めていたが、そうでないのならば。

「もう、十分です」

 舞はそういって、哀しみめいた笑みを浮かべる。自分がどうであろうと全く関係ない、どう受け取られようがかまわないという意志の放棄を示したような。そういった類の笑みだった。

「彰は、今は戦いのことだけを考えてください。私に構う時間なんて」

「もういい、黙りなよ」

 やんわりと、舞の言葉を遮った。その先を聞くことを拒むように、無意識に言葉を繋いだ。

「お前はどう思っても、俺はどっちも諦めるつもりはない。誰も皆自分のことしか考えないし、それが普通だって思っている。ギャングも難民も、結局はその思想だよ」

 舞は驚いたように顔を上げた。まさか、自分に矛先が向くとは思わなかったのだろう。瞳に動揺が浮かんでいた。

「私は、別にそういうことを」

「同じだよ。皆普通にやってるから、じゃあ自分は無視してどうぞあなたのことだけやってください、って。そんなわけないじゃん、何で平気でいられる? もうお前は奴隷じゃないんだ、自分の我を通すことぐらい、悪いことじゃない。例えば同盟組むのに、自らを捧げるようなことをして……」

 舞の目が見開かれた。続いてとてつもない罪悪を抱いたように、唇を噛む。必死に痛みを堪えていた。

「俺が知らないとでも思ったか?」

 もっとも彰は舞を責めるつもりなどない。むしろ哀しみめいたものを抱いていた。その対象すら掴めない、漠然とした憤りは、そのまま寂寥感として捉えていた。

「お前を追い詰めたのなら、それは俺に責任がある。お前が責を負う必要なんかないし、お前が悩むことなんて一つも無い」

 それ以上は何も言わなかった。彰が歩き出すと、数歩遅れて舞がついてきた。二人して黙し、また互いの顔も見ようともしない。地下道の少し湿ったアスファルトを叩く足音が二人分、響くのみ。

 やがて地下通路が切れて、補給基地の入り口に足を踏み入れた。

 アジトに入ると、いきなり喧騒が聞こえた。青い制服たちが走り回り、口々に怒鳴っている――複数、言語が入り乱れていた。

「何だ、何があったんだ?」

 広間は物々しい雰囲気に包まれていた。既に完全武装の『STINGER』たちが、怪我人を隅に追いやって集結しつつある。良く見れば怪我人でも、軽症あるいは動ける者は皆武器を持ち、集まっていた。

「彰、どこに行ってたんだ」

 クォン・ソンギの押し殺した声が背後からした。振り向けば、ライフルタイプのクロスボウとステンレス矢を1ダース抱えた姿で立っている。

「お前は参謀だろう。あんたがほっつき歩いてちゃ困るんだが」

「その参謀が、待機しろっていってあったはずだ。これは何の騒ぎだ?」

 クォン・ソンギの気迫に気圧されつつも、彰が訊いた。クォン・ソンギ、呆れ気味な表情を浮かべた。

「暢気なことをいってはいられない。《南辺》で奴らと衝突したんだ」

「誰と? しばらくは大人しくしろって」

「そんな大人しくさせてくれる連中じゃあない。攻撃を受けたんだ」

 ちょうど広間の入り口から、リーシェンが走ってくるのが見えた。ドイツ製の軽機関銃を肩に担ぎ、弾帯を首にかけている。今にも転びそうな、危なっかしい足取りだ。

 彰は向き直った。

「どこだ?」

「《南辺》第2ブロック。あんたらの棍使いの家がやられたんだ。早く行かなきゃ、あの女の命はない」

「……ユジンが」

 思わず舌打ちした。背後で、舞が息を飲むのが分かった。

「他には?」

「近くに玲南、連がいたから急行させた。だがかなりの戦力で、正直あの3人で持つかどうか。とにかく一刻を争そう。遊撃隊は俺が指揮するから、あんたは他の連中をまとめてくれ」

 それだけいって、クォン・ソンギは走り去った。

「どうやら、個別に潰しにかかったようだな」

 彰は深く、溜息を吐いた。戦力の回復する間など与えない、こちらの手駒は徹底的に潰すという算段らしい。

 彰は舞の方に向き直った。

「残った連中を頼む。気が立っている奴がいるだろうが、なるべく怪我人は外に出さないように。無理したがる奴を説得してくれ」

「彰は? どうするの?」

「どうするもこうするも」

 銃を抜き、弾倉を番えた。

「くそったれ。どいつもこいつも、勝手ばかり」

 遊底を引く。銃弾が送り込まれる、手応えを得た。

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