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監獄街  作者: 俊衛門
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第十二章:9

 階段を昇りきった先は、地上施設である。狭苦しい地下空間と違い、廃墟ビルの施設は吹き抜けの構造を組み込んだ、ホテルかショッピングモールのような作りをしている。もともとは軍事施設を隠すためのカモフラージュだったらしい。その、地上のビルに踏み入れた瞬間、地面を叩く音が響いた。

「やっているか……」

 レイチェルの怒号に続き、コンクリートを撃ち抜く衝撃と、時折雪久の呻く声がかすかに混じる。彰は回廊を曲がってビルの一室を覗きこんだ。

 部屋の中央にレイチェルと雪久が対峙――レイチェルは右半身、雪久は左半身に構えていた。

「もう一度」

 レイチェルが厳かに告げた。雪久は突進、左拳を突き出した。その突きに被せて、レイチェルが右掌を放つ。二つの腕が交差――同時に到達した。

 どん、という衝撃がして雪久の体が吹き飛ぶ。レイチェルの体に雪久の拳は届かず、レイチェルの右掌がきっちり雪久の胸を抉っていたのだ。

「これが刃なら、一貫の終りだな」

 レイチェルが見下す視線に、雪久は睨みつけた。何か言い返すのかと思ったが、雪久は黙って立ち上がり、再び構えを取った。

「もう一度」

 口元の血を拭って、そう告げる。レイチェルは再び構えを取った。

 雪久、踏み込む。同時にレイチェルが飛び込んだ。

 拳と掌がぶつかる――中間地点。雪久の拳は弾かれ、レイチェルの掌が雪久の顎を突き上げた。瞬間、雪久の体が空で一回転して地面に落ちた。

「もうずっと、かれこれ5時間」

 ふと見れば、部屋の隅に黄が座っていた。退屈しきったという顔で。

「ああやって、打ち合っているんだよあの二人。何度やっても雪久、勝てないけど」

 黄が握り飯を頬張りながらいった。水筒で流し込み、さも気だるそうに欠伸を一つした。

「良くやるよな、雪久。絶対途中でキレるって思ったけど意外にも」

 水筒の茶を含みながら、黄がぼやいた。

「あんな全員のいる前でぶん殴られて、踏みつけられて、無様な姿晒されてもさ。結局、あの女の言う事は聞くんだな。あの雪久が、他のヤツに従うなんて」

「それがレイチェル・リーだ」

 丁度雪久の拳が弾かれ、レイチェルの肘が雪久の腹にめり込むところだった。声も上げずに雪久はくずおれ、膝をつく。その雪久の髪を掴み、レイチェルは無理やり立たせた。もう一度、というように手招きする。雪久はよろけながらも構えを取り、レイチェルに対峙した。

「結局、何だかんだで雪久はレイチェルに一目置いている。レイチェルも雪久を信頼しているんだよ。だから、本音でぶつかる事ができる」

「へえ、パートナーシップ? アツいねえ」

 興味の欠片もないというように黄は伸びをした。

「お前もだけど、信頼とか絆とか? あの女とつるむとき、やたらと持ち出したがるよな。俺らにすりゃ、見も知らん女、ってかついこの間まで敵だったのによ。何か、俺らはお呼びじゃねえって空気じゃんか。彰よぉ」

「突っかかる言い方だな」

「2年前がどうとか知らんけど、そんな絆は俺らには全然関係ない話だぜ、彰。なぜ特別扱いなんだ?」

「別に特別扱いってわけじゃない。俺は、差別はしていないし、戦力となるものなら取り入れるだけだ」

「そうかい」

 黄は投げやりにいった。その言葉を受け取るものがどう思うとも構わないというように。懐疑を抱くというよりも、自分の思いの外で行われることに不快感を示しているようにも見える。

「どうでもいいけどよ、こんな訓練何か役に立つのかよ? さっきからやられてばっかだぜ、雪久」

「一朝一夕じゃうまく行かないだろうけど、こいつは2年前もやっていたことだ」

 雪久とレイチェルの拳が交差した。何度やっても雪久の拳は弾かれ、レイチェルの攻撃だけが届く。

「この街に来て、レイチェルに俺たちは拾われた。レイチェルは俺たちを『黄龍』に入れようとして、雪久には武術を、俺には策を授けようとしたんだ。けど、雪久はレイチェルの元を去った。その後、梁と二人でつるむようになったんだ」

「宮元の兄の方かい、あのカラテ使い。妹は、それでも好みだぜ。雪久の手前、高嶺の花だけどよ」

 くつくつと含み笑いをこぼす黄に、訳もなく苛立ちが募った。

「うるさいな、だいたいお前は何でこんなところにいるんだ?」

「ん、まあつまり。雪久がくたばったときに――」

 どさり、と砂袋を落としたような音がした。振り向けば、雪久が前のめりに倒れ込んだ後だった。レイチェルが足先でこづいても、びくともしない。

「おや、出番だ」

 黄は腰を上げて、雪久の元に近寄った。気絶した雪久の顔に、水筒の水をかけた。雪久がうっすらと目を開けるのに、レイチェルが見下ろしていった。

「しばらく休憩」

 黄は雪久を引きずって、部屋の隅へと移動させた。

「来てたか、彰」

 今気づいたというように、レイチェルが声をかけた。汗一つ、かいていない。

「来てたよ。相変わらず容赦ないなーって思ってさ」

「バカをいうな。本来なら、こんなものでは済まない。それこそあの甘ったれた根性ごと叩きなおしてやりたいくらいだが」

「あまり時間はかけられないよ、レイチェル」

 分かっているとばかりに、レイチェルが肩をすくめた。

「とりあえず、形にはするさ。何とかな」

「そう。それはいいんだけど」

 ちらりと雪久の方を見やる。ぐったりと仰向けに寝かされて、黄の介抱を受けている。

「いったい何の訓練なんだ? 俺にはよく分からなくて」

「武術の基本的なところだ」

 レイチェルは壁に立てかけてある木槍を二本とった。背丈ほどの長さがある。そのうち一本を彰に差しだし、

「構えろ」

「いや、そういうのは俺門外漢だから……」

「お前に分かるように説明するだけだよ。稽古をつけるわけじゃない。いいから持つんだ」

 仕方なく彰は槍をとった。左半身となり、見よう見まねの構えをとる。レイチェルも構え、相対した。何気なく持っているが、先端はぴたりと彰の心臓に向いていた。穂先から火炎が吹き出そうな、威圧感がある。

「今、互いの槍の穂先が、重なりあっているとする」

 レイチェルが槍をかるくしごいた。

「この状態で同時に突いてみろ。軽くでいい」

 言われるがまま、彰は槍を前に突き出した。レイチェルもまた刺突した。

 同時に突き込まれた二本の槍のうち、彰のものは外側に外れ、レイチェルの槍が彰の胸に届いた。驚いているとレイチェルは槍を元に戻し、

「もう一度突いてみろ」

 という。彰は、今度は幾分体の勢いをつけて、突いた。また同時にレイチェルが槍をしごき、再び穂先が交差した。

 レイチェルの槍が、中心にねじ込まれる、感覚を得た。レイチェルの槍が彰の槍に接触し、彰の胸めがけてまっすぐに飛んでくる。それに伴い、彰の槍は外側に弾かれてしまう。何度やっても、同じだった。

「わかったか?」

「いや、ちっとも」

 彰は槍を放り投げた。いくらやっても、結果は見えている。

「まあ、理解しづらいだろうな。こういうのは、感覚的な問題だから。だけど、私があいつにしていることはこの槍の動きを素手に換えただけのことだ」

 レイチェルが含み笑いを洩らし、槍を足下に置いていった。

「二つの力が正面からぶつかれば力の強い方が勝つ。ただし、相手の力の方向をうまく逸らし、なおかつ自分の攻撃を割り込ませるということだ。今、私はお前と同時に槍を突いた」

「そう、だけど」

「直線が交差すれば、必ず互いに軌道が外れる。私は正確に中心めがけて突いたから、お前の心臓を突くことができた。だがお前の槍は大きく外れただろう」

「言われなくても」

「相手の攻撃に自分の攻撃を被せ、防御と攻撃を同時に行う……武はディフェンスやオフェンスという考え方はない、懸待一致の呼吸が要求されるんだよ。その呼吸を錬るのが、さっきの」

 レイチェル、雪久の方を見やった。まだ雪久はぐったりとしている。その横で黄が、水を浸したボウルに手ぬぐいを沈めていた。

「さっきの稽古だ。私の掌に被せて、私の攻撃の軌道をはずしつつ、私の体を突くことができれば合格。そのためには相手の攻撃の読みと、タイミング。そして適切な間合いが要求される。だから拳だけではなく、この槍も使って稽古する」

「こんなもんでド突きあうの? 実戦にでる前に死んじゃわない?」

 槍は木製だが、相当な重さだ。全力で突けば、死に至らしめることも可能だろう。そんなもので、稽古をしているというのだろうか。

「拳法は武器術から大成したものだよ、彰。槍や剣で攻撃の軌道を意識し、互いに槍を合わせて中心を取るというものだ」

 なにやら専門的な言葉が飛び出たが、やはり理解しがたかった。

「しかし、そんなこと、すぐに物になるのか」

「これは2年前にもやっていたことだよ、彰。昔の蓄積と今の特訓だけで何とかなるというわけでもないが、実際の読みは『千里眼クレヤヴォヤンス』がある」

「何だよ、『千里眼クレヤヴォヤンス』頼みじゃないか。結局」

「実戦ともなればそうなるだろう。本来なら1年間はかけるべき内容だからな。今できることは、あの眼なしで勘を掴み、少しでも間合いと呼吸を覚えることができればいいのだが」

 雪久が起きあがったのを受けて、レイチェルは話を中断させた。槍を壁に立てかけ、木剣を取った。

「まだできるの?」

「やらなければならない、だろう。可能の問題じゃない」

 彰が訊くのへ、レイチェルは向き直り

「雪久、次は剣だ」

 雪久はふらつきながら立ち上がり、壁に立てかけてあった模擬剣を取った。歩き方も千鳥足といった風だが、目だけはレイチェルの方を向いている。普段敵意や憎悪、あるいは亡者めいた虚ろな目を交互にしか見せないというのに、今の雪久はそのどちらでもない。立ち上がることにだけ集中し、レイチェルに向かうことのみに衝き動かされているかのようだった。

「さあ、来るんだ」

 そう煽るレイチェルは、心なしか笑っていた。剣を下段に構えて雪久を誘う。雪久が突き込むのに合わせ、レイチェルの剣が空をなぞった。二本の剣が交差した後、果たして倒れたのは雪久だった。

「楽しそうだなあ、レイチェル」

 彰がこぼすと、レイチェルは振り向くことなくいった。

「今、こうしているうちはな」

 雪久が立ち上がる。剣を構える、突き込むーーが、届かず、レイチェルの剣が先に突きたった。 

「戦いともなれば、楽しむ余地なんかなくなる。それに、掛け値無しにあいつと手を合わせるのもこれが最後かもしれないしな」

 その言葉の意図するところは、すぐに分かった。もし戦いが終ったとしても、また元の関係に戻る。今後また敵対することにもなるだろう。少なくとも――違う組織、違う枠組みであるならば。

 ここでは、そういうことだ。

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