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監獄街  作者: 俊衛門
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第十二章:8

「し、省吾……」

 燕はまるで通り魔に遭遇でもしたみたいに、固まっていた。血の気がみるみる引いてゆく、恐怖にひきつった表情を見せた。

「お前――」

 省吾が口にする、まもなく。燕は急に回れ右して、逃げ出した。といっても、松葉杖をつきながらではたいして早くもない。

「ちょっと待てよ、おい!」

 省吾は女の方を見やるに、女は我関せずというように3本目のタバコを取り出すところだった。

「追わないのか?」

 暢気に煙をふかしていう。

「何であいつがここにいるんだよ」

「つれてきたからに決まっているだろう。もう一人はダメだったけど。それより、むやみに走り回ったらあいつ地雷に引っかかるが?」

 今、自分たちがいるところは《放棄地区》。省吾は先ほどの、女の言った事を確認したかったのだが、考えてみれば燕がすべての地雷を把握していという保証はない。

「ええ、くそっ!」

 慌てて省吾は追いかけた。

 松葉杖ではそう遠くにもゆけず、すぐに追いついた。燕の肩をつかみ、引き留める。

「燕、ちょっと待て」

 ぞっとするほど薄い肩だった。もともと細い方だったが、あるべきところに肉がない、やせた骨格をしている。

「や、やめろ! 放せ」

 燕は無理矢理、ふりほどきにかかった。が、その力は弱々しく、省吾が腕を押さえるとすぐに抵抗する力を失ってしまった。

「落ち着け、お前体回復してないだろう。無理はすんな」

「う、っるさい! どうせお前、雪久に引き渡すんだろう、俺をっ!」

「何をいってやがる」

 ようやく燕はおとなしくなった。少し動いただけで、意気が上がっている。

「俺を殺しにきたんだろうよ、どうせ。あいつの女をさらったから」

「待て、待て。別にそんなつもりはない。というか、俺だって今動けない状態だし、第一俺はそこまであいつに協力的じゃないよ」

「黙れ、お前もあいつの味方だろう。なんだかんだで、あいつに協力するんだろうが」

 燕は弱々しく、そう呻いた。

「どいつもこいつも、雪久のいいなりだよ。そりゃあ、あいつについてきゃいいだろうよ。あいつの眼がありゃ負けなしだろうよ」

「何いってんだよ」

「黙れ! お前も雪久の言う通りするんだろう、どうせ」

 責めるというよりも、自暴自棄になっているようだった。もともとその訴えを通すつもりなどなく、ただ鬱屈した不満を吐き出すだけ吐き出すというような。最後に喚いて、その叫びごと墓場に持っていこうというようでもある。

「ほら、殺せよ。殺してみろ! あいつの手にかかるくらいなら……」

「『千里眼クレヤヴォヤンス』は負けたよ」

 女の声に、燕が顔を上げた。燕の視線の先に、灰色の女がたたずんでいる。

「何が……」

「和馬雪久は勝てなかった。そこの傷男と同じように、機械にぼろぼろにやられて、無様に逃げたよ」

 女の物言いに少しばかり気分が悪くなるが、事実である以上仕方がない。

「そういう、ことだ。今俺は雪久と連絡とる手段はない、まして引き渡すような状況でじゃあない」

 いくらか燕は落ち着いたようだった。おそるおそる省吾の顔を見上げた。薬の影響か、頬の肉が削ぎ落とされたように憔悴した顔つき。

「お前をどうこうするつもりはねえよ、燕。もともと俺は『OROCHI』じゃねえんだ。雪久がどうだろうと、俺はあいつに与するわけじゃない」

「本当、か?」

 燕は訝しげな目をしている。

「お前一人、責めるつもりはない」

 そう告げると、ようやく燕は安堵したようだった。こわばった表情をほころばせる。

「ただし」

 省吾は拳を握った。

「けじめはつけてもらう」

 そういうとともに、右拳を燕の水月に叩き込んだ。軽く打ち込んだのだが、結構効いたらしい。燕は体を折り、反吐と一緒にうめき声を上げ、くずおれた。

「それでチャラにしてやる。感謝しろよ、そんなんで済んだんだから」

 燕は一瞬恨めしそうに見上げたが、すぐに下を向いた。

「きっついよな、省吾」

「当たり前だ。ほら、立て」

 燕の腕を引いて、立たせた。左足を引きずる燕に、肩を貸してやる。

「おい、水もらうぞ」

 女にいうと、けだるそうに女は紫煙を吐いた。

「お好きに」

 省吾は構わず、燕を座らせると、ボックスから水の入った瓶を取り出した。椀に水を注ぎ、燕に差し出した。

「で、誰に頼まれたんだ?」

 燕は黙って椀を受け取った。一口、含むように飲み、一息つく。

「誰か、っていわれても、わからない」

 やがてぽつりと、燕がこぼした。

「追放された後のこと、どこをさまよったのかよく覚えていない。薬が切れて、死ぬほど苦しかったのは覚えている。で、どっかで気を失って、気づいたら……」

 なぜか燕は、ばつが悪そうに頭を掻いた。咳払いをして、切り出すのを躊躇うようなそぶりを見せた。

「さっさといわんか」

 いい加減しびれを切らしてそういうと、燕は口ごもり、

「あー……馬鹿にしないで聞いてくれるか?」

「聞かないとわかんねえよ、そんなの」

「そう、だよな。うん、まあ簡単にいうとだな。目が覚めたら」

 再び詰まり、ややあってからいった。

「天国だった」

「は?」

 おそらく、今の自分は相当に呆けた顔をしているんだろうな、などと思いながら聞き返す。

「そんときは、天国って思った。気づいたら俺の周りを、ほとんど裸みたいな女が囲っていたんだ。今思えば娼婦だったんだろうけど、《西辺》でもお目にかかれない高級娼婦だ」

「女って」

「ああ、それに酒。今まで飲んだこともないような。食い物だって、たぶん一生食えない類のものだ。俺は進められるがままに飲み食いして、女の肌に溺れた。今までの人生で、考えられない天国だ」

 そう語りながら、燕は苦々しく唇を噛んでいる。

「絵に描いたような酒池肉林だな。それで、簡単に籠絡されたってわけか」

「仕方ないだろう。俺は再び眠り、気づいたらまたストリートに野ざらしにされていた。また、薬が切れたときの不快感と共に。で、俺の前に男が現れた」

 燕は椀の水を含み、一息入れた。

「俺はお前に極楽を味あわせた。もう一度、味わいたければいうことを聞け……またクソみたいな路上に戻りたくなければ、と。奴はそういった。そして」

「舞を拉致するように、命じられたってわけか」

「どうかしていたと思うよ。あのコは、俺にとって命の恩人だ。でも、あのときはそんなこと頭になかった。酒と女の味もそうだけど、薬が切れちまって。目的を果たせば、薬をくれるって。それを聞いたら、何が何でもやらざるを得なかった。ほかのことは頭になかった」

 砂漠の暗殺者の手法に似ている。禁欲と抑圧で育てた弟子を一度眠らせて、起きれば酒と女に溺れさせる。再び眠らせて起きた時に、弟子に告げるのだ。「もう一度夢を見たければ、あの男を殺せ」と。そうして、暗殺者は自らの後継者を作り上げる。

(それに、薬か)

 燕の体には、『STINGER』に大量投与された薬が残っている。それと同じたぐいの麻薬を与えて理性を失わせたのだろう。薬が切れれば、不快感しか残らない。苦痛から逃れ快楽に向かいたいと思うことは、本能だ。

「あんまりにらむなよ、省吾。悪いとは思っている」

 考え込むうち、我知らず険しい顔つきになっていたらしい。省吾は首を振った。

「さっきのでチャラっていっただろう。別に怒ってない。ただやり口が巧妙だ、その男。どんな奴だ?」

「さあ、ビジネスマンみたいなスーツで、明らかに場違いな野郎だった。白人とは思うけど、広東語だったな。発音に訛りはなかった」

「顔は」

「サングラスしてたからなあ、よくわからない」

 白人の男、砂漠の暗殺者と同じ手法。おそらくは相当の資金力を持つと思われた。

「そいつは、『黄龍』と何か関係が?」

「分からない」

「そうか。んで、舞をねらうために、俺のあとでもつけていたってのか」

「え?」

 燕が首を傾げるのに、省吾はため息混じりに

「お前、俺が住んでいる共同住宅の前にいただろう。俺を尾行して、舞の居場所を突き止めたってのか。ご苦労だな、薬に犯されていながら大した忍耐だよ」

「突き止めてはいない」

 燕が言うと、省吾は首をひねった。

「尾行してたんじゃないのか?」

「あの共同住宅の場所は、その男に教えられたものだ。そこにいけば、宮元舞がいるって。あそこには一度下見に行ったが、お前を尾行して知ったってわけじゃない」

「じゃあお前、最初から知っていたのか。あそこに舞がいるってこと」

「それどころか、お前がいることも聞かされていた。下見にいったらお前がいたから逃げてきたが、ちゃんとお前のいないタイミングを狙った」

 舞がいなくなったときのことを思い出していた。確かに正確に、狙いすましたように舞の部屋だけに押し入り、しかも省吾やチームの誰も、いない時を見計らっていた――それらはてっきり、偶然によるものだと思っていたが。

「護衛がいることも教わった。ただ建物の構造が分からないから、下見にいったんだ。進入口を確認するために。カメラを渡されてな」

 そういえば、燕はあのとき、カメラらしきものを持っていた気がする。

「しかし……」

 では、それらの情報をなぜその男――燕に命令した男が知っているのか。

(情報が、洩れている?)

 舞がどこに住んでいるかなど、『OROCHI』の人間でもそう何人も知っている情報ではない。舞の部屋に護衛をつけることを雪久に提案したのも省吾だった。護衛の存在は誰もが知っているわけでもない。

(まさか)

 誰かが、情報を洩らしているのか?

「もっとも」

 と燕がいって、

「そいつはかなり前から、雪久やお前のことを知っているみたいだった」

 いい加減疲労がたまっているのか、燕は眠そうな目をしている。

「どういうわけか、この街のことに詳しい奴だ。どこの陣営に属しているかもわからないけど」

「スーツの男、か……」

 妙な連中が多い――敵はもっと、根が深いように思えた。今まで遭遇したもの、今目の当たりにしているもの、そして姿を現さない――

「面倒だな、いろいろと」

 省吾は腰を上げた。

「けど、お前も運がいいな。あんな奴に遭遇して、生き残った。あの女に拾われたのが幸運なのか、知らんが」

「良いわけはないよ。どのみち、俺はのたれ死ぬしか道はないんだ」

 燕は頭を抱えて、深くため息をついた。気力が萎えたように、うなだれた。

「あそこを追い出されてから、俺は終わったんだ。ここじゃあ、そういうことだ。難民に生きる道なんてないんだ」

 諦観――どうあっても抗えない運命であると信じざるを得ないというように。乾いた声で、投げやりに吐露する。

「どうあっても、俺が満足にいられる場所なんかない。分かっていたつもりだけど、さすがに直面すると堪えるよなあ。ハタチまで生きられればラッキー、けどそれも安全な場所で安全に留まっていることが前提。もともとそんな場所なんかないから、結局はダメってことだ。よく分かったよ、雪久に抵抗していながら、俺は自分の足下が見えてなかったってことだな、って」

「追放されたのは、お前のせいじゃないだろう少なくとも」

「過程がどうでも、結果そうなった。放逐されりゃ、全部意味がない。理屈がどうとか、関係ないんだ」

 肌を冷えた空気が撫で、思わず身震いした。秋も、もうすぐ終わり、冬が来るのだろうかと思った。ここに来てからは季節の移ろいなど、ただ情報としてのみ受け取るようになった。気温の上昇、下降。千切った暦の枚数でしか知る術はない。木々や草花で季節を感じていた時とは違うのだと、改めて意識させられる。

 故郷を失って、放浪して、先生と出会ったのもこの時期だった。冬の足音が聞こえ始めた頃に拾われて、共に冬を過ごした。そして、春から武術を習い、生きてゆく技術を教わった――

 だけど、もし先生に出会わなければ。

「俺やお前はそれでも、まだ運がいいだろう」

 省吾がこぼした言葉を受けて、燕が不思議そうな表情で見上げた。

「俺は少なくとも、自分の手で生きる為の術を持っている。武器を取り、武器を使える技術を。お前だって、全くの無手じゃないはずだ」

「俺の槍術なんて、田舎モンの遊びみたいなもんだよ。村の武術好きなじーさんに教わった代物だ」

「それでも、戦い方を知っている。教わった俺たちは幸運だ、何もない連中――難民の大多数は従うしかできない。武器を持たない、持てない故に、下を向いているしか手段がない」

 以前、ヨシがいったことはそういうことなのだろう。戦う戦わないを選ぶこともできない、死か服従かしか選べなければ服従を選ぶよりほかない。

「戦えるだけ、まだマシだ。それなのに、簡単に絶望するのか?」

 燕はあきらかに動揺して、目線を宙に漂わせ、下を向いた。恥じ入るように目を伏せたのは、己の脆弱さをさらけ出した故なのか。

「俺は」

 ややあって、燕が口を開いた。

「これから、どうすりゃいい?」

「自分で考えることだな。人のことに口を出さないし、そいつは本来的じゃない」

 燕はどこか茫漠とした面もちで空を仰いだ。何を思っているのか判然としない目だったが、おそらく自分に突きつけられたことを飲み込めていないのだろう。額に手を当てて、固まっていた。

「しばらく、考えてみる……」

 力無くいって、燕はのっそりと立ち上がった。薄暗い廃墟の入り口に燕の姿が吸い込まれるのを確認してから、省吾は女の方に向き直った。

「終わった?」

 今までの流れを聞いていたのだろうが、さして関心はないというような女の口調。省吾は深く息を吐いた。

「長くなるつもりはなかったが」

「あんな演説をぶちまけるほど、お前は理想に燃えていたのかね。らしくないじゃないか、省吾」

「らしくない、ってね。雪久もそういってたが、お前たちの中じゃ俺はどういう位置づけなんだ」

 とはいえ、自分でもなぜあんなことをいったのか――いつのまにか燕を叱咤し、励ますような言い回しになっいた。気づかないうちに。

(らしくないか、確かに)

 何かある度に、自分一人で生きていくと決意していた。その決意も、次の瞬間には瓦解している。まるで最初の決意などなかったかのように、関わっているのだ――

(あいつの影響かな)

 ユジンに助けられたときから、一番関わってきたのが「OROCHI」という組織だ。ユジンと共闘することも多かった。自分でもそれと自覚しないうちに、感化されているのだろうか。

「何を物思いに耽っている?」

 女の声が背後からした。前にいるとばかり思っていたのに、いつのまにか位置が変わっていた。狼狽する省吾の首元に、女の冷えた指が重ねられた。

「戦場だったら後ろから刺されて終わりだぞ。少し、腕が落ちたか? あの連中とつるむようになってから、注意が足りなくなったな」

人差し指で頚動脈を軽く締め付けてくる。まるで血が通わないような金属めいた感触を得た。

「よけいなお世話だ」

 省吾は女の腕を振り払った。

「情に流され、情のために体を張るぐらいなら、もう少し本業の方にも身を入れてもらいたいものだな」

「情に流されてなんか」

「どうだか」

 女はあくまで冷ややかな物言いだった。首筋に残る違和感を払拭すべく、省吾は頸動脈の辺りを掻いた。

「そうやって束の間のぬるま湯に浸かって、刃を鈍らせるなよ省吾。ここはそんなに甘くは――」

「聞き飽きた、その手の警句は。一番説得力のないヤツが、偉そうに抜かす。一段高い所から見下ろされてちゃ、ムカつくだけだ」

「事実を指摘したまでだ。警告はちゃんと聞いておいた方がいいぞ」

「じゃあ、お前は情に流されてないってのか。あいつを保護するなんて、らしくもない」

「保護? 馬鹿な事を」

「違うってのか」

「最初にいったと思うが。人員が足りないってさ、お前も含めるとエージェントの数は激減しているんだ。少しでも増員しておきたいところ」

「燕を、利用するっていうのか?」

「今更、あの男がもどれる場所なんてないだろう。ならば、こちらで貰い受ける」

 エージェントとして働く燕の姿は、いまいち想像できない。

「あいつは承諾しているのかよ」

「さあな、まだ話していない。だが、承諾せざるをえないだろう、今の話を聞く限りじゃ」

「それもそうだが」

 それが燕にとって最適なのか、判断がつかなかった。省吾が判断することでもないのだろうが。

「やはり」

 と女が溜息混じりにいった。

「お前は鈍ったな、省吾。人の心配をするなんて」

 見透かしたような女の言質に、省吾は顔を背けた。

「別に、心配とかじゃ……」

 それ以上、何も言わなかった。日が傾き、闇が降りてくる。

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