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監獄街  作者: 俊衛門
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第十二章:5


 広間の中央に、雪久の姿があった。杖をついて、足をひきずっている姿は見るからに痛々しく、体中に巻き付けた包帯にはどす黒い血の痕が滲んでいた。

 その足元に、リーシェンがうずくまっている――鼻から血を垂らしていた。雪久の目の前にヨシが立っており、他の者は遠巻きにただそれを見ていた。

「やめろ、雪久」

 かすれた、ヨシの声。口調とは裏腹に、表情は怯えの色を浮かべていた。

「どけよ」

 雪久が静かに告げた。激昂を言葉の裏に隠して、それでいて滲み出る威圧感がある。肌を刺激する緊張感が、それ以上踏み込めない空気を醸し出していた。

「雪久……」

「どけよ、どかねえとこいつみてえにツブすぞ」

 雪久は拳を握っていた。その拳から血が滴っていた。ヨシの青ざめた顔と対称に、真紅に染まっている。

「その怪我じゃ、ダメだ。それにまだ対策が取れてない」

「関係ない」

「待てよ、皆まだダメージかた立ち直れていない。勝手な真似は」

 いきなり拳が飛んだ。ヨシの顔面が弾かれ、地面に叩きつけられた。

「勝手な真似ってなんだよ? 俺のチームだ、俺が何やろうと……」 

「そういうわけにはいかない」

 彰が割り込むと、雪久が振り向いた。端整な顔に、切創がいくつも刻まれている。やはり、濁った瞳だった。いつもの、戦いに赴く前は好奇に満ちた目は、ない。

「彰、お前も邪魔するのか」

「邪魔邪魔、って……いいか、この戦いは相当に難しい。お前一人の判断ではとても」

「関係ないってんだろ」

 雪久がナイフを抜いた。

「あの女……俺を虚仮にしたんだ。俺を見下して、アソびやがって。それにケイを……」

「だからって、闇雲に突っ込んだらまた同じ事になるだろう。ここは落ち着いて、策を練って――」

 雪久の手元が光った。空気が裂ける音、耳たぶが斬れる衝動。背後で、ナイフが壁にぶつかった。

「何が落ち着くだって? 策だとか何とか、眠たいコトをいってんなよ。あのクソ野郎を、貴様はのさばらせるつもりか?」

「そうはいってない、そうじゃなくて」

 首筋に生暖かいものが滴るのを拭うこともせず、雪久の目を見据えた。獰猛な亡者の、冷え込むような視線が貫いてくる。

「……何だよ、お前は俺の敵なのかよ。俺の邪魔をするってことは」

「邪魔する気は毛頭ない。ただ、そんな向こう見ずじゃいつ死ぬか分からない。これは、お前を守る意味でもあるんだ」

「はぁ? てめえの都合を押し付けてるだけだろ。何、俺のためとかよ。そんな正義ぶって、納得させようってのか。貴様の思い通りにしたいからって、情けかけるフリすれば引っ込むと思ってんのかよ!」

 耳の傷が熱を持つのに、背筋を駆ける感触は凍えるようだった。

「お前こそ……」

 乾いた舌を無理やり動かして、いった。

「お前こそ、自分の都合じゃないか。手も出せず、みっともなくも逃げ帰った自分が許せないってだけだろう。自分の我侭を、人のせいにして――」

 自分でいって、足元が震えていた。雪久の言葉に呑まれていた。

「いい加減にしろよ。お前の眼だけじゃもう、限界だってことに気づけよ」

 ゆっくりと雪久が歩み寄ってくる。足を引きずって、いかにも億劫といった風情だ。

「いってくれんじゃんか……」

 雪久は彰の胸倉を掴んで、鼻っ面を突き合わせた。

「俺が弱いってことかよ」

「そうじゃない。だが、あんな化け物と事を構えるのに、勝手な行動は許さない。お前一人、失えば士気に多いに関わるんだ。ここはもうお前のチームじゃない、お前だけのチームじゃ……」

 そこまでだった。雪久の拳が顔面に叩きこまれた。一瞬の浮遊とともに目の前が瞬き、くずおれた。

「弱いくせに吼えるな、彰。貴様は、貴様らは俺がいなきゃとっくに死んでんだろうが。偉そうに意見するな」

「意見だと、ふざけるなよ」

 血2メートルほど先に眼鏡が飛ばされていた。割れたレンズで傷つけたのか、瞼が切れている。

「お前は、いつもそうだ。自分が一番って思っているから、弱いからって見下す。お前はそりゃあ、喧嘩は強いんだろう。そんなの、他のギャングスタと何が違うって……」

血溜まりを吐き捨てた。立ち上がった途端、雪久に蹴り飛ばされた。

「黙れよ、どいつもこいつも。下らないことしか言わない。お前はどこに足つけてんだ? 成海だろうがここは。甘いこと、ほざいてんな」

 雪久が彰の髪を掴み、顔を上げた。

「どっちが死ぬか、生きるか。ここじゃそれ以外の価値もない。分かってない奴は真っ先に死ぬってさあ、そういうことを――」

 つと、足音が響いた。ヒールが地面を穿つ、乾いた音。

「笑わせるな、小僧」

 静まり返った広間に、凛とした声が打つ。優美な影が滑りこんで、白梅の香りがふわりと漂った。

「レイチェル……」

 雪久は彰の髪から手を離した。振向いて、レイチェルの顔を見上げた。

「お前の力、お前の強さ。何が力だ? 『千里眼クレヤヴォヤンス』に頼りきって、それが通じなければ脆くも崩れ去る。お前の力なんてどの程度のものだというんだ。2年前とまるで変わってないだろう」

 レイチェルの吐き出す紫煙が、細く棚引いた。緊迫した空気など何の影響もないというように、リラックスした体勢を崩さない。

「で、みっともなくもやられた自分が許せないんだな。見下されたことが、そんなに堪えるか?」

 彰は起きあがってひび割れた眼鏡を拾い上げた。歪んだフレームを耳にかけ、ようやく視界がはっきりした。対峙する二人――レイチェルと雪久を臨んだ。今にも飛びかかりそうな雪久と、射に構えるレイチェルの姿はあまりにも対称的だった。

「お前の力じゃない、機械に頼っていただけに。本当は無力だってこと、信じたくないのだろう。だから、相手が許せない」

「うるせえ、貴様」

「そんなに小さな誇りが傷つけられて、何も見えなくなっている。馬鹿みたいだな? そんなに大したタマじゃないのに、自分の値段を見誤ると悲劇だぞ」

「黙れ、この!」

 いきなり雪久が殴りかかった。

 ゆらりと、レイチェルの右腕が絡め取った。化勁で雪久の拳を逸らし、腕を掴んだ。体をねじ込み、投げ飛ばした。

 果たして雪久の体が宙を舞った。地面に落ち、背中を打ち付ける。

「未熟」

 とレイチェルは雪久を見下ろして吐き捨てた。

「未熟未熟! どこまでもお前は未熟なままだ。一番性質が悪いのが、その未熟さをお前自身が自覚していないこと。そんな青いままでこの街で、やっていくつもりか? 自分のケツも拭けない餓鬼のくせに」

 雪久が起きあがろうとするのに、レイチェルはその背中を踏みつけた。軽く足を乗せただけで、雪久はピンで止められた標本の虫のように、動かない。

「それで、少しうまくいかなければ自分の無能を全部人に押しつける。当たり散らして、棚に上げて、己の未熟を見ない振りして。お前こそ舐めるなよ、雪久。ここをどこだと思っている。この街は、お前一人飼ってくれるほど度量は広くない」

 うつぶせに伏している雪久の肩が、小刻みにふるえていた。悔しさや憤怒に打ち震えることはあっても、これほど弱々しい背中を、彰は初めて見た気がした。少女のようにか細い腕や、硝子細工の首周り、いつまでも肉の付かない成長を止めたかのような華奢な骨格。

「お前はここで生きてなどゆけない」

 レイチェルの謂いに、雪久が息を呑むのがわかった。レイチェルが足を除けても、地面に突っ伏したままだった。

「しょうがない、餓鬼だ」

 とレイチェル、いきなり雪久の首根っこをつかみ、無理矢理たたせた。

「来い、どのみちそこにいても何にも始まらない」

 そしてそのまま引きずるように連行するのに、彰は慌ててレイチェルを引き留めた。

「ちょ、ちょっと何するのさ」

「ああ、少し借りるぞ、彰」

 彰の制止も聞かず、雪久を引っ張ってゆこうとする。雪久はうなだれて、されるがままになっていた。

「どうせこいつ、ここにいても面倒なだけだろう。しばらく預かるから」

「待って、待てったら。そんな」

「心配するな、武器のこと、手配しておく」

「そうじゃなくて!」

 つと、レイチェルが立ち止まり、彰と向かい合った。思い詰めたような悲愴な視線に、思わずぎくりとする。視線ひとつで、心の奥底を射ぬかれたような心地にさせるーー語ることすら戸惑わせてしまう、憂いの含んだ目だった。

「少しだけ、時間をくれないか?」

「え、いや……あの」

 彰がしどろもどろになるのに、レイチェルは少し笑みを洩らした。

「大丈夫だから、このまま終わりにしたくないのは私も同じこと。ただここで巻き返すには、私一人では無理だ。だから、頼む」

 もはや反駁する理由などなかった。彰は黙ってうなずいて、広間を去る二人の背中を見送った。

「彰、おい」

 黄が呼びかけるのに、彰は一つ息を吐いて

「いいから、こっちはこっちでやる。とりあえず、雪久のことはさ。レイチェルに任せる」

「何するつもりです? あのヒト」

 リーシェンが鼻を押さえて、よろよろと立ち上がった。体格の割には、回復の早い。

「分からないこともない、あいつのやることだ」

 おそらくは――そう言いかけて、口を閉ざした。

「今更、続きなんて……」

 最後、誰に聞かせるでもなく、呟く。

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