第十二章:4
ミーティングが済んだ後、彰は救護室に向かった。本当なら、そこは怪我人に溢れているのだが、「全員一度に診たい」という孫の申し出で、負傷者は広間に集められている。従って、救護室は誰も使っておらず、いつの間にか彰の寝床と化していた。
扉を開け、とりあえずベッドに腰掛けた。次に腕をまくり、肘に貼り付けた湿布を剥がす。薬草を染みこませた布だが、それほど効能があるわけでもない。殆ど気休めだが、無いよりマシと言えた。
まだ、関節が痛む。灰色の女に絞め上げられたとき、呼吸が停まるような心地がしていた。もう少し角度をつけられていれば腕が折れていただろう、という力のかけかただった。力でなく、心が押さえつけられたような感じだった。武に長じたものなら相手に戦うことなく勝つというが――何となく、分かる気がする。抵抗すれば、その次には打ち負かされる、殺されるという威圧感があった。それがおそらく、武なのだろう――そんなことを思いながら、新しい湿布を貼り付けた。
「彰、いいか?」
戸口から声がするのへ、振り返ると、レイチェルが壁に寄りかかっていた。
「どうしたの、姉御」
「その、姉御というの、あまり好きじゃないんだけどな」
「知ってるよ、わざといったんだもん、今」
生意気に、とレイチェルが笑って、向かいのベッドに腰掛けた。
「大分疲れているようだが」
「こんなの、大したことないよ。それより、あの……」
「ああ、あの娘か」
レイチェルは可笑しそうに目元を緩めた。
「二年前のお前達のようだな、まるで。何かに必死で、でも余裕も亡くして」
「いや、あいつは何というか変に気負うところがあるからな……俺がいうのも難だけどさ。雪久がやられて、気が立っているんだと思う。あいつは、その……雪久に惚れているから」
「それはどうかな」
とレイチェル。こともなげにいった。ベッドの縁から、半身を捩る。胸元から円い肌がこぼれるのに、彰はついと目を逸らした。
「あの娘、どっちかというと義務感で動いている気がするね」
「義務感?」
「そう。私がやらなきゃ、っていうの。無理して機械と一人でやるっていうのもさ、ああいう悲壮な覚悟ってのは、義務感の発露だろう」
「でも、雪久のために、っていうのがあるんじゃないか?」
「そうか? まあその辺の事情は、お前の方が詳しいだろうけど」
レイチェルが缶入り飲料を渡してきた。化学物質に無理やりコーヒーの味をつけた、合成飲料。彰はそれを受け取り、
「多分、だけど……」
缶を開けた。
「雪久が、舞を贔屓するから、それでユジンが……その、気に入らないのかな、って思ってるんだけど。だから、舞を目の敵にするんじゃないかなって」
「嫉妬、というわけか?」
「いや、本当に個人的な見解だけどね。でも、そうなってもおかしくないだろう?」
「ふうん、そう」
コーヒーに口をつけ、レイチェルは興味なさそうにいった。
「でも、あの娘。あのままじゃ潰れるよ」
「それは分かっているけどさ……そういうのって、どうしたらいいのか皆目……」
「お前はそういうの、得意だと思ったがな」
コーヒーを飲み干すと、レイチェルは空き缶を後ろ向きに放り投げた。空中で放物線を描き、くるくると回転しながら部屋の隅に置かれた屑篭に、吸い込まれるように収まった。
「俺はさ、結局雪久を第一に据えていたんだよ」
彰は缶を握り締めていった。
「あいつの眼があれば、今までやってこれた。仲間を増やしても、その仲間を『千里眼』のサポートとしか見てこなかったんだ……だから、いざ雪久がやられたとなると、他の皆が崩れてしまう。まとめようとしても、俺が引っ張るわけじゃない。当然だよな、雪久の影としてやってきたのに、今更表立ってやろうなんて……」
ユジンの言葉が思い出される。完璧に自分を押し殺して、何かしらの意志も伝えないで――それではまとまるものもまとまらない。今更になって、自分が犯していたことの愚が悔やまれた。
「俺は、皆を見ていなかった。雪久にだけ気を配っていた。舞とユジンのことも、薄々気づいていたけど、結局何もしなかったから……」
「そう思い詰めるな。誰も完璧は求めていない、完璧を求めれば寧ろ綻びが生じるというもの」
「そういってもねえ……」
「とりあえず、今あることを片付けるべきだろう」
「それもそうだな」
包帯を巻き終えると、彰は立ち上がった。
「とりあえずはヒューイと、あの機械の二人組だけど」
「攻略は、難しいな。何せあのタイプの機械は初めて見たのからな」
「そんなに特殊なの?」
「大方、戦闘用のサイバネティック部品を大別すれば、侵襲型と非侵襲型に分かれる。大国間の戦争で使用されたのは侵襲型で、手足や臓器を機械に置き換えるというものだが……こいつは後々、国連で禁止された」
「倫理的問題って奴だっけ」
彰がいうのに、レイチェルは深く頷き、
「元々、肉体の欠陥を補う医療用義体技術を軍事に転用する。欠陥の無い兵士の手足を機械製の人工操作手に改造し、人工臓器で循環器系の強化を図るということは、すなわち重要な人権侵害ということになってな。各国は非侵襲の強化装甲の開発に転換を図ったのだが……」
「でも、相変わらずパーツが出回っているようだけど?」
「だから、国連も躍起になって供給源を潰しているようだ。最近この街にも目立つようになっただろう、余所者が」
廊下の方が騒がしくなっていた。怒鳴り声に続いて、ばたばたと足音。誰かが駆けずり回っている。
「全身機械、ってものはもう倫理もへったくれもないよな? あんなの、国連が黙っているとは思えないけど」
「当然、今いる人間を改造するというならば。だが最初から存在しない人間を弄る分には問題はない」
「どういうことだよ、それは。俺達みたいな難民を攫ってくる、ってことか。確かに人身売買が横行しているけど。消えても誰も気にかけない餓鬼は、掃いて捨てるほどいる」
自分がそうだったように、とは言わなかった。彰のみならず、ここの人間は皆そういう扱いだ。
「それとも、もっと別ななにか、か」
レイチェルが煙管をベッドの縁にうちつける。真鍮が涼しげに奏で、粉雪めいて灰が舞落ちた。
「倫理的な問題にも触れず、犯罪に手を染めず、法の目をくぐりぬけられる道があれば……あの餓鬼どもがどこから派遣されたのかわからないが、あれほど無茶な改造を施しても許される存在と言えば」
レイチェルはそのまま、空の一点を睨んで押し黙った。それ以上口にすることも躊躇われるかのように、厳しい表情が浮かんだ。
「なあ、どういうことだよ」
しびれを切らして彰がいった。
「あんたはいつもそうだよな。何か知っているようで、なにも話そうとしないけどそれはどういうことだよ。いっつも肝心なところで口を閉ざす」
立ち上がり、レイチェルの顔をのぞき込むように身を乗り出した。
「そういえば、ずいぶんと機械にも詳しいようだったし。あの……灰色の女の、何か俺には分からないような話が、あんたには通じていた」
レイチェルはおもむろに顔をもたげた。
「知りたいか」
その目と対峙する――深く、底の見えない瞳が、見据えてくる。覚悟を迫るような口調でいった。
「好奇心も、ほどほどにしておいた方がいい。お前が背負うには、浅すぎる」
「何がだよ」
「経験だ」
レイチェルは煙管を弄びつつ、それでも視線だけはそらさない。
「それと、業というべきものか。いずれにせよ、まだお前は知るべきじゃない。もうすこし」
「待ちなよ、レイチェル・リー」
語気が荒くなるのが、自分でもわかった。鬱屈した苛立ちが、腹の中に納まりきらず、あとからあとから溢れてくるような心地がした。
「俺や、雪久をまだ子供扱いしているから、そんな風に言うんだろう。キャリアが足りないとか、業だとか。適当なこといって誤魔化して。雪久じゃなくても、そりゃあ怒るよ」
レイチェルはいつまでも、雪久や彰の事を認めないのだと――否応なく思い知らされるのだ。語らない、ということはプラスにもマイナスにも作用する。語らずに理解できるならば良い、それでなければ失格の烙印を押されていることと同意であると――暗に、そういわれているようで。
「もう10年になる」
そう、レイチェルがこぼした。
「私は、連中を独自に追っていた……背後にあるのは東の連中と同等の勢力。お前にそれが背負いきれるか?」
「まず、話してもらわないと。あと、背負うとか背負わないとか無しだよ。俺たち、とっくに泥沼に突っ込んでいる」
「なるほど」
レイチェルが含むような笑みを洩らした。次にレイチェルの口からでてくる言葉を、彰は待った。
だが。
唐突に、廊下の方から足音が近づいて、救護室の前で止まった。そちらを見やるに、サブマシンガンの銃身をひっさげた黄が、あわてたように扉を開けた。
「おい、彰! いるか」
遠慮も会釈もなく部屋に飛び込んだ黄は、しかして急にばつが悪そうな顔つきになった。
「あー……もしかして、お取り込み中? だった?」
ベッドに腰掛けるレイチェルと、身を乗り出す彰を交互に見比べた後、具合が悪いとばかりに声の調子を落とした。
「それともこれから始めるとこ? 悪い、俺って間が悪いよな……」
また出直すから――などといって黄が扉を閉めるのを、むりやり押しとどめた。
「待て待て、根本的に間違っているぞ、お前」
「いや、これは誰にもいわねえから、大丈夫だって。彰」
「大丈夫なわけあるかよ。あと、何か用があるんじゃないのか?」
「ああだから、事が済んでからでいいからさ」
「事なんて起こらない。変な勘違いをするなって」
黄はまだ訝しげな目をしていた。レイチェルは、落ち着いた様子で、特に弁明するでもない。慣れた手つきで、燻った煙草の葉を煙管でふかしている。あまり冷静になっても、却って変な誤解を与える気がするが。
「それで、何の用だ」
黄に問うと、黄は思い出したようにいった。
「ああ、いいニュースと悪いニュース、どっちが聞きたい? やっぱいいほうからだろ?」
「どっちでもいい、何だ」
「うん、いいニュースってのは、雪久が目ぇ覚ましたってこと。も一つは……」
「いや、いい。大体分かったから……レイチェル」
彰が声をかけるかかけないかのタイミングで、レイチェルが腰を上げた。
「手間のかかる子だよ、全く」
煙管の灰を落とし、溜息を洩らす。
「あんたはああいったけど、分かるだろう?」
「まあね。雪久を子供扱いしている、っていったけど。訂正する」
苦笑しつつ、いった。
「まだ、子供だ」




