第十二章:3
「2週間だ」
唐突に韓留賢がいった。
「何が?」
「体勢を整えるまでに。動ける奴を集めて、武器をそろえるまでにその位かかる」
全体ミーティングの最中――ユジンの右隣にはレイチェル、その斜めに金が座っている。クォン・ソンギが壁際に立ち、韓留賢はユジンの差し向かいにいた。
彰はユジンの真向かいに座っている。一番、全体が見渡せる位置だ。
「兵自体が少ない上に、負傷している人間が多い。ぎりぎり、かき集めたとしてもせいぜい10人かそこらだろう」
「武器は? どのくらい集まる?」
「そこのおエライさんに聞きなよ」
玲南の面倒臭そうな声が響いた。ユジンの左隣で、椅子にもたれかかっている。ガムを噛みながら、如何にもけだるそうにしていた。
「なんつったっけ? “シルクロード”か。大層な名前だけど、その女の顔が要るってんじゃ。面倒な取引さね、時代錯誤もいいところ」
「ちょっと、玲南」
ユジンが諌めるが、どうやら聞く耳は持たないらしい。
「何とかしろよ、龍の大将。あんたんとこの部下だろ? あんたらの騒動を、あたしらが火消ししてたんじゃ割りに合わないだろうが」
「確かに、な」
ずっと腕を組んでいたレイチェルが、口を開いた。
「悪いとは思っている」
「はあ? 何それ、それで終り? つーか、謝罪のつもりかよ。仲間殺されてんだぜ、こっちは」
ちゃり、と玲南の手元が鳴った。だらりと提げた右手に、菱形の標が握られている。袖に縄標を隠しているようだった。
「口を慎めよ、玲南」
彰が口調を強めていった。
「兵を殺されているのは、皆同じだ。痛みを負わない奴は、ここにいない」
「うっさいよ、戦時にゃ何の役にも立たないカマ野郎は引っ込んでな」
いきなり罵倒の対象が彰に向けられ、言葉に詰まった。
「あんたはさあ、裏でシコシコなんか作ってりゃいいんだよ。現場に立てないくせに、口出しすぎ。黙ってなよ」
「い、いやそういう……」
「大体、『千里眼』の取り巻きのくせに、やけにえらそうだよなあんた。あんたが自ら戦場に行って武勲を立てる、なんてある? 安全な所でふんぞり返っている奴はすっこんでなよ」
「お、俺はそういう……」
ちらりと、ユジンの方を見た。玲南に便乗するでもなく、彰の擁護をするでもない。ただ俯いて、何かしら考え込んでいるようだった。あえて、この話題に自分から触れようとしないようだ。
「待ちなよ、話が逸れているぜ」
欠伸一つかいて、金が間延びした声でいった。
「玲南、そうカリカリすんな。大体、お前がこいつのこと文句垂れる筋合いはねえだろ」
「や、でもよ」
「俺が黙れっていってんだ」
金が強い調子でいった。少し低めの声で、それがやけに凄みを帯びている。
「こいつの作る武器で、俺らは助かってんだ。お前だって発煙弾、持っているんだろう。それに舞を見つけたのも、こいつだった……」
玲南はまだ文句がありそうだったが、ぶつくさ呟きつつも押し黙った。金には従順のようだ。
「で、兵力なんだけどなあ……増強できればいいんだが」
「『STINGER』は、もう兵力は望めない?」
ユジンが問うに、金が頭を振って
「今まで少数でやってきたからなあ、あまり部隊を増やすことはしなくて。あれが精一杯だ。お前んとこはどうなんだ」
「敵が、多いからね。《南辺》では」
ユジンが溜息をついた。
「募集かけても集まらないわよ、きっと」
「そりゃあそうだな、《南辺》でいっちゃん恐れられている蛇に、わざわざ入りたがる奴はいねえ」
金はさも可笑しそうに、からからと声を上げて笑った。そこは笑うところじゃないだろう、と彰がいう間もなく、
「それで、兵を集めるにはどうしたらいいか考えたが、《南辺》に留まってちゃ集まらないってことが分かった」
「《西辺》にでも行く、っていうの?」
「まさか。ここで集まらないなら、あっちでも集まるわけねえだろう」
「じゃあどうするの」
「北に、行こうかと思っている」
「北?」
ユジンが鸚鵡返しに訊いた。レイチェルや玲南、韓留賢の顔にも疑念が浮かんでいた。おそらく自分も同じ顔をしているのだろうと思いつつ、彰が問う。
「《北辺》に、赴くってことか? 何のために」
「俺はな、この間まで成海中を歩いていた」
金が言うのに、ユジンが玲南の方を振り向いた。そうなのか、と問うように。玲南が頷くのを確認して、また向き直る。
「成海中、ってことは《東辺》にも行ったの?」
「そこも、ついこの間、行った。もっとも、《東辺》には反乱分子がいるわけはない。『皇帝』のお膝元じゃあな」
「でも《北辺》にだっているとは思えないが。何も無い所だって聞いたけど」
「おおよ。掃き溜めみたいなところだ。粗末なバラック、粗末な食い物。死体が犬のクソ並に往来に転がっているからな。あそこに人がいると思っちゃいけねえ、獣と餌が人の格好しているんだ」
「だったら――」
「でもそれだけに、不満も溜まりやすい。ここよりもずっとな」
彰の言を遮って、金は続けた。
「向こうに、かなり組織立った抵抗勢力がある、と聞く」
「はあ? あんなトコに?」
玲南はあからさまに不信感を露にした。
「全然、聞こえないよ。そんな連中」
「だろうな。ここみたいに、常に抗争があるわけじゃない。今の所、目立った動きはないが」
「じゃあ、ダメじゃん。動かない奴らが、今更動くとも思えないけどねえ。そもそも、いるかどうかも分からないし」
玲南が肩を竦めた。
「大将もあまり現実的じゃないね、夢想家みたいになってきた」
「夢想家なあ、まあそれも悪くねえ」
と金はにっと笑ってみせた。やけに挑発めいた笑み。
「その夢想家に動かされたんだからな、俺は」
「あのお嬢ちゃんのこと?」
「夢想家というか、ああいうのは向こう見ずなだけかもしれないけど。大人しそうに見えて、とんだお転婆だぜ」
ユジンが下を向いているのが分かった。話が終るのをじっと待っている風にも見える。舞の話題が、ユジンにとって辛いものなのだろうという――二人の間にある、明らかな確執を予感させる。何故、梁は舞を残したのだろうか。「チームの災いとなる」と、自分だけはどこかに消えて、妹を雪久に託したつもりなのだろうが、その妹はチームの内外を問わず災いを被っている――あいつは、どうして舞を連れて行かなかったんだ?
「彰」
と、レイチェルに呼び止められた。
「どうした、呆けた顔して」
「ん、ああ……」
いつのまにか考え込んでいたようだった。どうも最近、ぼうっとすることが多い。気を取り直して、咳払いをして
「それで……もし、その北の連中と合流するというなら、誰がそれを取り付ける?」
「まあ、それは……」
金がちらりと、玲南を横目で見やってからいった。
「俺が行くしかないだろうな。多分、こん中じゃ《北辺》まで行ったのは俺しかいない」
韓留賢がふと、眉根を寄せて、不快そうな表情を作った。一瞬だけだったが、彰は見逃さなかった。
「何だ、韓留賢」
「別に、何でも」
韓留賢はその話題に触れて欲しく無いかのように、顔を背けた。不審に思いつつも、とりあえず金の方に向き直って
「でもあんたが行くことはないんじゃないか?」
「この脚じゃあ、戦いは無理だ」
金は包帯を巻き付けた自らの脚を示した。折れ砕けた骨は、石膏を塗り固めて固定している。脚が、曲がっていた。
「当分、というかもうこれで蹴るのは無理だ。こんな状態じゃあ、蹴るどころか引っ張るだけだしよ、足」
うまいこといった、とばかりに金が呵々と笑うが、あまり笑えない冗談だ。
「しかし、その、北の抵抗勢力というのが果たして説得に応じるかどうか……存在すら危ういのに」
「何とか、やってみるさ。2週間だろ、確か」
金が韓留賢の方を振り返る。韓留賢は黙って頷いた。
「その間のことは、ソンギ」
ふと、金は壁際にいたクォン・ソンギの方を向く。そういえば、クォン・ソンギがいたことをすっかり忘れていた。この男は気配を消す術に長けているようだ。
「俺がいない間、頼むぜ。文学順も消えちまったし、お前が頼りだ」
「あんだよ、あたしじゃ頼り無いってのか?」
玲南が不満そうにこぼした。
「あんた、あたしを信用していないってのか? ソンギより、あたしの方が戦力だろ?」
「もともとチームにいた日数は、ソンギの方が長い。レイもそうだったが、全体を見渡すには経験が物を言うんだ。お前はまだ経験が浅い」
金が言い放つと、玲南は唇を噛んで俯き、黙った。
「つーことで、頼むぜ彰」
「それは構わないけど、それまでに奴らが攻撃仕掛けてこないとも限らないし。あまり、そっちをアテにするわけにもいかないなあ……」
彰がこぼすと、一同黙りこんでしまった。
「向こうは圧倒的に有利だからし。あの機械を、どうにかしなければならない、か……」
ユジンが溜息混じりに呟いた。
「今の所、機械は彼らだけ? あの全身機械化された二人は」
「あと、お前達が出くわした機械眼の野郎。まあそいつは何とかなったが、あれと同じような奴らがいないとも限らない」
韓留賢が言うのに、ユジンが顔を上げて
「それでも、各個撃破するしかないわね」
「あの化け物をか? どうやって」
「一つ、気づいたんだけど。どうも彼らは、打撃に弱いってこと。鎧に刃物は効かないけど、ある程度は打撃力で何とかなる」
「ホントかよ、全然歯が立たなかったじゃん」
玲南はもう、殆ど捨て鉢といった風情だ。
「でも、この間と同じじゃない」
ユジンは思いつめたような表情でいった。
「場当たり的じゃダメ、もちろん武器も整えて。相手の弱点を掴めば、活路は拓けるわ。それで、レイチェル大人」
いきなり敬称をつけられて、レイチェルがぎくりとした。気味悪そうにユジンを見やり、ユジンが醸し出す張り詰めた空気に、顔をしかめた。
「何、改まって」
「あの機械について、何か情報があれば欲しい」
「そう言われてもね……“シルクロード”を通じて、何か機械に関する情報が手に入ればいいけど、あのタイプの情報があるかどうか」
「じゃあ、武器が欲しい。銃火器だけじゃなくて、個人兵装を」
「個人の……?」
「あの機械は、私が斃す」
それを受け、全員が息を飲んだ。
「無茶だ」
と玲南。ユジンはしかし、発言を撤回するつもりはないらしく
「どの道、斃さなければならないなら、私がやる」
「だから無茶だって。一人であいつらの相手なんて、馬鹿げている。あんたが、その、あんたの実力は認めるけどさ……」
玲南がユジンの肩に手を置こうとした、時。
「やらなければやられる!」
ユジンが声を張り上げた。玲南の手が、止まった。
「でも皆が犠牲になることはない、私一人で」
無理だ、と彰は口にしそうになった。無理をして、お前一人で抱え込むことなんかない――それを口にすれば、また罵られるだろうとはわかっていた。だけど
(そんなこと、誰も望まない……)
斃すべき敵は斃す、けれどそれは誰かに押し付けるものではない。そんなことをして、一人に責を負わせるような組織を目指したのでは――
「お前」
とレイチェルがこぼした。口元が少しだけ、笑いを象っていた。可笑しさか、もしくはもっと嘲りめいた視線が、ユジンの眼に注がれていた。
「段々、染まってきたな。あいつに。でもそれが、あんたの望み? 随分、小さくまとまっているな」
達観したような口ぶり。ユジンは瞠目し、言葉を失った。
「まあいい、あんたの好きな武器、取り寄せるよ。でもさ、あんたも相当だね。雪久といい、梁といい、それにあの男も……」
レイチェルがおもむろに立ち上がった。彰の方に歩み寄り、見下ろすようにいった。
「今日は仕舞いにしな、彰。これ以上は埒が明かない」
「あ、ああ……そう、だな」
レイチェルの放つ圧力に呑まれそうになっていた。気づけば顔面に汗が吹き出ていた。ハンカチで拭いながら、
「金はじゃあ、《北辺》に。他は“シルクロード”で武器弾薬を仕入れて襲撃に備えることにする。クォン・ソンギは射手隊を、俺は遊撃隊を指揮する。あと、機械については股考えよう……ユジン」
彰が呼びかけるが、ユジンはこちらを向こうとはしなかった。
「とりあえずは、機械連中に手を出すのは禁止する。一人で行っても、無駄死にするだけだ。武器が届いても、しばらくは様子を見るんだ。いいな?」
ユジンは答えなかった。