表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
監獄街  作者: 俊衛門
168/349

第十二章:2

 LEDライト、ネオン、光という光、人工彩色のすべてを無造作に塗り重ねたような色――ビルの狭間と、ストリート。

 《西辺》の夜を象徴する毒気を帯びた活気に満ちている。それは違法建築の構造体から突き出た、漢語と英語の看板だったり、豚肉を切り売りする屋台、また時折聞こえる怒声に混じって女の矯声ーーつい10日前の、南からの侵略など最初から無かったかのように振る舞う。

 眼下に広がる光から、目を背けた。孔翔虎は外に背を向けて、合成革の椅子に腰掛ける。補強用の靱性テープをまきつけた右腕を肘掛け乗せる。と、飛慈が左手を重ねてきた。

「痛むの? 哥哥にいさん

 飛慈がのぞき込んできた。心配そうな表情、生身だった頃から何も変わらない。憂いを帯びて、一瞬だが同情の色を垣間見せる。

「何てことはない」

 孔翔虎はやんわりと飛慈の手をふりほどいた。飛慈の指がもどかしそうに宙を掻き、やがて手を引っ込めた。

「つれないね、そこまで嫌がられると傷つくよ?」

「情を許せば、情に流れる」

 飛慈とは目を合わせず、空を睨んでつぶやく。

「痛み、憂い、そういったものは排除しなければならない、飛慈。俺たちが、俺たちであるには」

「痛みだって感じるじゃんよ、神経は通ってんだもん」

「感じないように努めるんだ。機能の問題じゃない」

「ふうん、そう」 

 まるで興味がないようで、飛慈はテーブルに足を投げ出した。

「かったいよね、相変わらず。その体になって、さらに拍車がかかったって感じ。いいんじゃない? 機械っぽくて」

 くすくすといたずらっぽく笑い、ブルーのカクテルグラスを掲げてみせた。

 実際、痛みが無いわけではない。神経組織は、機械化されて強化されたのだから、否応無く痛覚を意識させられる。腕ごと換えてしまえばそれも無くなるのだが、部品が限られている以上、部分ごとに直すより他ない――未だ砕けたままの腕をテープで保持し、技師の到着を待つ。

 唐突に入り口から音がした。遠慮もなにもなく、扉を突き飛ばすように開けた主は、サイバー技師や鋳造工でもなかった。渋面をつくって、ヒューイ・ブラッドの姿が逆光の中に現れた。

「ヤなのが来た」

 からかう口調だが、その顔はあからさまに不快を表す。飛慈はグラスを放り投げて、舌打ちした。背後でガラスが粉々に砕ける。

「ずいぶんだな、孔飛慈。備品はタダじゃあないんだが」

 ヒューイの見下ろす視線に、飛慈は真っ向睨みつけ、

「なんだい、掠め取ったもんだろ、どうせ。火事場泥棒が、せこいことを言うね」

「黙れ。ただでさえ、貴様等に金がかかっているんだ。しかもこの間、機械眼の満州人マンチュリアを潰されている」

 忌々しげに唇を噛み、ヒューイは差し向かいに座った。

「みみっちい男、なんでこの街にいる奴らって器がちっちゃくなるんかねえ」

 飛慈はおもしろくないというように、舌打ちして

「もっと骨のあるやつとヤりたいよね。タフな男、スリルある現場……どぶさらいやらされるんなら、他のに頼めよ」

「その器の小さい奴とやり合って、仕留め損なってのこのこ帰ってきたのはどこのどいつだ。高い金出して、成果もあがらないようなら、貴様等の主に直接文句を言うか」

 ヒューイは煙草をくわえて、火をつけた。一気に吸い込むと、煙草の中程までが燃え尽きた。目一杯肺にため込んだ後、勢いよく煙を吐き出す。常人の、倍以上の副流煙が吹きかけられた。生身ならばここで噎せかえって、悪態の一つでもつくのだろうが――呼吸に異常をきたすことはない、極限まで手を加えられた循環器系統は、少々のことでは反応しない。

「で、貴様も取り逃がしたってか」

 ヒューイの鋭い視線が、孔翔虎に向けられた。

「あの高さで落ちていて、無事で済むわけはない」

「そりゃあな、普通はそうだろ。でも、死体が無かった」

 真田省吾を突き落とした後、孔翔虎は一旦外に出たのだった。だが、すでに真田省吾の姿はなかった。仕方なしに、刀だけ置いてきた。

「しかも、傷を負わされてまで」

 侮蔑めいて鼻を鳴らす。飛慈が今にも飛びかかりそうに前のめりになったが、孔翔虎はそれを押しとどめた。

「手応えはあった。たとえ即死でなくとも、放っておけば死ぬ」

「ならいいけどな。あの連中も、真田を抱えていった風でもない。どこかで野垂れ死んでりゃ一番いい。生きてりゃ厄介だからな、あの男」

 憮然としてヒューイ、腕を撫でた。

「荒削りだが、奴の技は相当なものだ。早いうちに潰しておかなければ、あとあと面倒なことにはなるだろう」 

「だが、奴は死んだ。『千里眼クレヤヴォヤンス』も、もうすぐ死ぬことになる」

「どうだかな。機械といっても、所詮は人間。元々はストリートのガキに過ぎない貴様等が、どこまでやれるか」

 飛慈が突然、テーブルを蹴りとばした。衝撃でガラスの表面にヒビが入った。

「うるせえ、ヒューイ。この囀り野郎」

 立ち上がり、剣を取った。柄に手を沿え、抜きかかる。

「東の庇護がなきゃ何もできない、キツネの分際でよ。あんた、あたしらがいなきゃ兵隊全部、ヤられてんだよ。自分てめえのヘタレを人のせいにすんな、クソッ」

 口調に、明らかな殺意がこもっていた。大いなる侮辱を受けたというように。憎悪の眼、殺しを楽しむ飛慈にとって、憎悪からくる殺意は珍しい。

「やってみればいい。貴様の体に施されたプログラムを、起動されたいならば」

 ヒューイ、動じず、悠然と足を組んだ。すでに自分の安全は保証されているという、優越すら浮かべた表情。対照的に飛慈は、悔しさに顔を歪ませた。

「便利な兵士だ。人でありつつも、反抗の種を元から潰す。機械の特性をうまく利用している。先の大戦で我が祖国の勝利も、頷けるというものだ」

 飛慈は歯噛みし、抜きかけた剣を納め、憮然として腰を下ろした。

「それでいい」

 満足そうにヒューイがいって、飛慈は舌打ちした。

「貴様は、あの白髪を始末すればいい。東の連中も、貴様にそれ以上のことは望んでいない」 

「だが、あの二人を潰したところで、奴らが黙るとは思えないが」

「他の連中などたかがしれている。『千里眼クレヤヴォヤンス』さえ潰せば、もともと奴らは寄せ集めに過ぎない」

「だが、『黄龍』から離脱した連中もいる。『STINGER』も」

「金など、所詮は売人崩れだ。脚を潰してしまえば、知れたもの。貴様等は『千里眼クレヤヴォヤンス』を殺りさえすればいい。あとは……」

 ヒューイは拳を握りこんだ。

「レイチェルは、俺が仕留める」

 昏い瞳の中で、殺意が灯ったように見えた。底冷えするような沈鬱な眼の中で、ビリジアンブルーの虹彩が静かに燃える青炎を連想させた。怨念めいた感情が、根底にある気がする。

「なぜ、レイチェル・リーを憎む?」

 孔翔虎が問うに、

「貴様がそれを知ってどうする?」

「不可解だと思ってな。いくら、東の力があるとしても、レイチェルを排除するだけの理由が、俺には見えない」

「見えなくてもいい、貴様等は命令に従えばいいんだ」

「それで、納得すると思うか?」

「機械は従うものだろう」

 それが当然という口調。飛慈の苛立ちが募るのが、分かった。だが、どれほど怒りを露わにしても、手を出すことはしない。自分たちの命はこの男に握られているのだ、迂闊に手は出せない。

「従えばいい。従って、仕事をこなして、そうすれば俺とお前たちとはこれっきりだ」

「ああ、ありがたいことだ」

 最後、吐き捨てた。ヒューイが眉間に皺寄せた。 

「今日から、2週間」

 とヒューイは立ち上がり、

「その間、取り逃がした『千里眼クレヤヴォヤンス』と、『STINGER』の残りの連中を殺せ。周りを叩いてしまえば、あとはたやすい。レイチェルを俺が殺し、それで終わりだ」

「やけにこだわるよな、ヒューイ」

 飛慈は肘掛けに頬杖をついて、いった。

「まるで何でも反抗したがる、でき損ないの餓鬼」

 ヒューイは答えなかった。ちらと飛慈を一瞥しただけで、あとは振り向かず、部屋から出ていってしまった。最初から語るべくものなど、なかったかのようだった。

「ヤな奴」

 飛慈が再びいった。

「んでさ、2週間ってもどうするよ、哥哥にいさんの腕が直らなきゃ」

「直すのは簡単だ。だが、あの男」

「誰、ヒューイ?」

「いや……」

 口にしかけた名前を、飲み込んだ。真田省吾の名――確かに、死んだはずだった。真田省吾に打ち込んだ掌の感触は、確かなものだった。間違いなく死んだ――いくら言い聞かせても、どこか不安が拭えなかった。真田省吾の、印象的な瞳の色が、脳裏に焼き付いている。

 もし、どこかで生きていて、また付け狙うことがあれば。そのとき、また手を合わせることがあれば、どうなるか。もう一度、やれば――

 右腕に、手を添えた。今更ながら、痛みが蘇ってきた。腕を貫かれたとき、一抹覚えた恐れ――それが、蘇るようで。

「心配ないって」

 飛慈が手を重ねた。

「あたしら、ここまでやってきたんじゃん。あの連中に、言われたままにはならないって、そう二人で決めてさ。それからずっと、敵なしだったし」

 飛慈が手を握ってきた。孔翔虎は、今度は手を振り払わなかった。

「今度もやってやろう。二人で、価値を認めさせるんだ。あいつらに、あたしらを虚仮にした奴らにさ」

「ああ、そうだな」

 飛慈が手を――人肌よりもやや高い、人造皮膚の調整温度が伝わってくる。厳密に言えば体温ではないが、孔翔虎はそれが飛慈の体温のように感じられた。

「ぶっ潰してやって、力を示して。あたしらの有用性を、証明してやるんだって」

 飛慈の言葉に、孔翔虎は沈黙を以て答えた。言葉を尽くすよりも、よほどうまく伝わる気がした。ストリートで身を寄せあっていたときから、本能的に分かっていた。膚が人造のプラスティック膜となり、固い殻で覆われたボディを有してもまだ、意図を伝えあっている。

「心配はない」

 傷ついた右手を持ち上げて、金属指で飛慈の頬に触れた。孔翔虎の手を、飛慈がいとおしそうに握りしめた。

「俺たちの価値、そいつだけは誰にも否定はさせない。今にこの街を抜け、真にそれを示すときがくる。そのときまで、誰にも壊させないし、誰にも触れさせない。絶対だ」

 それだけが、今ある唯一のものであると――理性ごと否定される時代にあって、飛慈の手の温もりだけが、孔翔虎の動機ですらある。国が滅び、体を捨てられた中にあっては……拳と、飛慈の存在だけが価値だった。

 価値を示す――俺にはそれしかない。そう、言い聞かせる。自分に。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ