第十二章:1
被害報告。一番隊と二番隊の喪失。五番隊も死傷者多数、戦力の大幅な削減。加えて兵士たちの士気の低下――たった二人に与えられた傷は、大きかった。
「それで」
ユジンは溜息をついた。玲南と差し向かいに座り、韓留賢が机の端に立っている。今、ユジンがいる席は、普段なら雪久が座るべき場所だ。
「あの二人の足取りは?」
「どこにフけたか分からない、皆目検討もつかない。ただ、ヨシの話じゃ、真田が始末されたってさ」
と韓留賢、直立不動の姿勢で。右手に報告資料、左手に苗刀を携える。
「確認したの? それ」
「俺たちが行ったときには、すでに真田はいなかった。代わりに、こいつが突き立っていたよ。これみよがしに」
韓留賢が血塗れの刀を差し出した。白鞘の長脇差し。血だけではなく、黒っぽい油のようなものもこびりついている。
「殺られた、っていうの? 省吾が」
「多分な。兵舎の2階から落とされた時点ですでにアウト、仮に息があったとしても止めを刺されりゃ終わり。死体が無いだけで、生存は絶望だろ」
「何かやけに省吾を殺したがるのね」
「現実的に考えているだけだ」
韓留賢はあくまで素っ気ない。感情に動かされることなど、この男には当てはまらないようだった。淡々と実務をこなす、戦士というよりホワイトカラーの事務員かのごとく。
「真田省吾の喪失は痛手ではあるが、それよりもこちらの方を修復しなければ」
「修復っていっても、ただでさえ少ない人員をこれだけ欠いたら」
「個人の能力に頼ったつけ、ってやつだな」
玲南が口を挟んだ。
「どういう意味?」
「そのまんま。千里眼みたいな特別なものや、あんたらのような力のあるもんに任せっきりでゲリラやなんやらしかやってこなかったからさ。組織を育てるってことをしなかった、その代償さね」
玲南の視線が突き刺さる。敵意や闘志ではなく、蔑むような冷ややかさを感じ取った。
「どの口がそれを言っているのかね」
韓留賢が口を挟むのに、玲南が睨み返した。
「なにさ」
「独断専行が多いと聞くが、貴様。おまえこそ組織から逸脱した、軍にそぐわない存在だろう」
「いーんだよ、あたしは。基盤が出来て、初めてあたしみたいなのが生きるんだよ。正規軍と遊撃隊の関係、でもあんたらは遊撃隊だけだろ」
まるで自分が正義とでも言いたげな強い口調だった。
「『STINGER』は違うとでも言うのか、ゲリラしか能がないのは貴様等も同じだろう」
「しょうがねーだろ、人数が足りないんだから」
「それは」
とユジンが割り込んで
「私たちも同じ。難民の蜂起なんて望むべくもないし、こうやって草の根の活動に甘んずるより他無い」
だがゲリラでは限界がある。レイチェルから『黄龍』を取り込もうとしても、すでに分裂状態にあった『黄龍』からはいくらも人員を引き込めなかった。結局はゲリラ。火力の差は埋まったものの、戦力そのものが底上げされたわけではない。
「無理、し過ぎなんだよなあ、あたしら。あんな機械は予想外だけどさ、そもそも無理があったんじゃね?」
「だからって、引き下がるわけにもいかない」
「だって言っても――」
玲南がちらりと戸口の方を見やると、廊下を青パーカーの連中が走っていた。銃身を切り詰めたイスラエルSMGは、ビニールテープで幾重にも補修してある。接近戦用の銃剣をとりつけたカスタム。刃先は油膜のような、藍色の錆が浮いていた。
「これじゃあ、地下に潜るより他ないぜ。どういうわけか、『黄龍』にゃ土地勘の無い奴が残ったから、こっちが優勢だったけどさ。あの機械は、そういうわけにもいかないだろ。火力の差じゃ埋まらない」
「火力でも、倒せるかどうか」
韓留賢が静かにいった。
「対戦車の、バカでかい兵器でも通用するかどうか。なぜ人型の兵器が有利かっていうと、それだけ小回りが利くからだ。たとえ対戦車ライフルで狙い撃ったとしても、戦車なら的はでかいし鈍重だから当たる。けれど人のサイズで、あの素早さとなると……」
「芳しくねえな」
玲南が投げやりな口調で言う。ショートパンツから剥き出しになっている形の良い脚を、机に投げ出してみせた。
「頼みの『千里眼』も、参っちまうしさ。んで、我らが大将はどこに?」
「ああ、奥の部屋に。誰も入るなっていうから、治療も受けないで」
「なんだい、威勢のいい事いっておいて、随分とまあ繊細に出来てんじゃん。作りが複雑だけに、修復も困難かね?」
「そういう言い方は……」
唐突に振動音がした。韓留賢の携帯端末の、バイブレーションが木質の表面に走る。韓留賢は端末を取り、一言二言電話の主を話して、
「英雄の凱旋だ」
と、端末のフリップを閉じた。
「彰とレイチェル・リーが還ってきた」
地下を網目状に走る補給路が、2,3ぶつかるところに基地のあとはある。殆どが兵員、物資の補給であり、ここも同じく兵達の輸送のために用いられた――とされる。物資を一時的に置いておくための倉庫が、基地の中には存在しているが、その倉庫の一つは『黄龍』や『STINGER』の兵達を治療する、臨時の病室となっている。普段は全体のミーティングを行う場所ではあるが、殆どが血と膿の臭気に支配され、あまりにも雑然としていた。死体めいた兵達の間を、孫龍福が飛び回って治療に当たるが、孫一人ではおよそ対処しきれず、扈蝶や、リーシェン。とにかく動ける者は総動員といった風情である。慌しく人が動く中、彰とレイチェルが足を踏み入れたのは、丁度作業が一段落ついた時だった。
ユジンが最初に、彰の姿を認めた。
「おお、お疲れ」
彰が手を上げて応じた。拍子抜けするほど緊張感に欠いた声で、むしろホッとする。
「無事だった?」
「一応ね、変な女に絡まれたけど」
「女って」
「ああ、何」
と彰は後方を見やり、
「姫は無事だよ。まあ、とりあえずの目的は果たせた」
レイチェル・リーが発した。彰より数歩遅れて、歩いてくる。こちらは何やら、神妙な面持ちだった。
「レイチェル、あなたもいたの?」
「こいつだけじゃ、心許ないからな。まあ、私がいてもいなくとも同じだったのだろうが……」
レイチェルの影に、小柄な姿が隠れていた。舞はユジンを認めるに、瞠目して驚いたような表情をつくった。何か、怖れを抱いたような、怯えの色が、瞳の中に写る。それなのに、舞はユジンから目を逸らそうとしない――舞は身体を縮こませて、深く頭を垂れた。申し訳なさそうに。
どうしても、首に手をかけたときの冷たい肌の感触が思い出された。一度の気の迷いとはいえ、あのような――舞を手にかけるような、真似をしたという事実が、ちくちくと突き刺さるようだった。もちろん、あの事を知っているのはユジン自身、そして韓留賢のみ。まさか舞は、自分が殺されかけたなどと、思ってもいないだろうが。
つと、目を逸らした。口を開けば、また悪態じみた言葉しか出て来ない気がした。感情を抑えることなど、殺すことなどわけもないはずなのに、どうしてかこの娘を前にすると止まらなくなる――雪久の前でさえ、押し殺すことが出来るのに。
「あの……」
舞が口を開きかけたが、やがて無駄と悟ったのか――俯き、黙った。
「ああ、舞。とりあえず医務室行きなって。ここじゃあ、空気が悪い」
何となく場の雰囲気を察したのか、彰がさりげなく助け船を出す。レイチェルが舞を連れて倉庫を後にする間ずっと、ユジンは顔を背けたままだった。
「驚いたな」
彰がいうに、ユジンはようやく顔を上げる。
「何がよ」
「また、喧嘩になるんじゃないかと思ったよ」
「また、ってどういうことよ」
「うまくいってないんだろ? 舞と」
何故それを、といいかけて、口を閉ざした。彼はこういう人間なのだ。常に全体を見、全体に気を配っている。雪久が周りを見ない分、彰が補佐して――そうやって、ここまでやってきたのが『OROCHI』なのだと。
「あなたには関係ないでしょう」
「そう、関係ないけどね」
彰はばつが悪そうに頭を掻いた。
「まあ、人それぞれだし。俺が何かをいう権限もないかもしれないけどさ」
「だったらいいじゃない、別に」
舞の背中を見送る。雪久は喜ぶだろうか、という思いがあった。わけも解からず機械と構えて、兵を、ケイ・ツィー・ロウを失って。得たものなど無いに等しい、明らかな敗北。すべて、拉致された舞を救出するという、名目だった。舞がいなければ――あの子が、最初からいなければ。
(いけない)
また考え込んでいる。良くない方、良くない方に。結局うまくいかなければ全部、舞のせいにする。ギャングとなにも変わらない、そんな考え方は。
「変わったな、お前も」
隣で彰がしみじみといった。哀れみめいた表情が、浮かんでいた。
「なにが」
「余裕、無くしているなと思って。舞がきて、燕があんなことになって、雪久がさらにやられたとなると、何か心のゆとりもない。張りつめているよ、実際」
「当たり前じゃない。戦時よ、今」
「戦時だったら、今までもあっただろう。でも、そういうときでもユジンはユジンだった。今はなんて言うか、無理している」
また「無理」だ――いい加減、苛立ちが募った。
「くだらないこと」
と吐き捨てた。
「そんなこと、気にして。戦いなんだから、多少余裕はなくなるでしょ。まして、今までにない戦いだもの。機械なんかが出てくるようだし」
「ま、否定はしない」
ユジンが倉庫を出ると、彰がついてきた。半歩、下がって歩くのはユジンに遠慮してのことだろうか。地位でいえば、ユジンの方が上なので、当然といえば当然の所作。だがこの男はそもそも、表だって何かをしようということをしない。新参者の韓留賢や、実質的には余所者の省吾やレイチェルからも、一歩引いている。常に影のように突き従う、そんな印象。
「けど、どうだろうかな。上に立つものが余裕なくしていると、下の方にも伝播するものだよ。無理があるようなら、俺やほかの連中もいる。少しは頼ってくれても、いいんじゃない?」
「絶対数が少ないんだし、一人頭が無理しなきゃ勝てないわよ」
「じゃあせめて、私的ないざこざは表に出さないようにしてくれよ。さっきだって、爆発寸前って感じだったし。ただでさえ雪久があんなになって動揺が広がっているってんだから」
「うるさいわよ」
足を止めて、声を荒げた。向き直る――彰の、呆けたような表情を見上げた。
「押し殺しているわよ、これでも。それでも、あなたみたいに完璧じゃなくて悪かったわね」
「は、俺みたいに、って……」
「そうじゃない、完全に自分を押し殺して、何かしらの意志も伝えない。ただ黙して突き従って、適当にフォローしているだけのあなたみたいにはいかないわよ!」
一気にまくしたてる。彰は以外なほど、固まっていた。
「俺は、ただ……」
口ごもって、口を開きかけて、しかして彰は押し黙った。それがますます、癪に障る。
「つかず離れず、助言みたいなことを言っていればいい。そのためには、自分の思いなんか押し込める。ただ、黙って言うことに従う。そりゃ、楽でしょうね。余裕も出てくるでしょ。でも、それで戦えるの? 自由なんて掴める? 血にまみれて傷を負わずに手に入れたものに、何の価値があるのよ」
ユジンが詰め寄るにも、彰の表情に動揺めいたものはなかった。ただ沈鬱そうに、目を伏せていた。
「いいよ、そうやって自分殺してなよ。楽にやっていればいいじゃない」
ユジンは背を向けた。話すことはないという、意思表示。
「俺はさ、ユジン」
その背に向かって、彰が声をかけた。
「本当なら、戦いたくはない」
「そうでしょうね、あなたは」
「そうじゃない。戦わずに済むなら、誰だって戦いたくはないだろう。俺も、お前も。省吾や、雪久だって、きっとそうだと思う」
何を根拠にいっているのか。ユジンは振り向かない。さらに、彰がいった。
「だが戦わざるをえない。戦わなきゃいけない。忘れるなよ、ユジン。俺らは、そういう中にいる。それが、俺たちの原動力だ。そいつを見落として、自ら求めて戦うようになったらおしまいだぞ」
最後に、彰が残した声が廊下に響いた。